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平成18年1月14日

            憂慮すべき韓国の夢想自大主義

 韓国の国民的英雄だったソウル大教授のヒトクローン胚研究成果がすべて虚偽だったという事件は、国際政治の視点から見ると一層よく分かる問題である。
 日本では一般に、科学者の研究競争が世界的に激化しているので、こういう行き過ぎが起きるのだと受け取られている。日本でも東大などのトップ研究者が実験の信憑性に疑いをもたれているではないかと、いかにも日本的な「以て他山の石とせよ」という謙虚さに基づく報道が散見される。

 しかしこの事件は、そういう表面的な比較だけでは表面的な理解しかできない。韓国独特の自大主義(事大主義のもじり)が、とうとう行き着くところまで行ったということであって、この頂点の下部に巨大なピラミッドが積み上げられていることが、問題の核心なのである。

 朝鮮民族の歴史的な心理としていわゆる事大主義があることは、日本でも学校で教えているが、その正確な意味は「大国(中華)に事(つか)えて、小国(日本)を見下す」ということだ。「小中華」という表現もほぼ同じと考えていい。
 戦後、朝鮮半島の南半分だけでスタートした大韓民国は、東西冷戦の期間中は小中華を表面化させるだけの国力を持っていなかった。
 やはり変わり始めたのは経済力で日本に追いつき追い越せと言い出し、ソウル・オリンピックを成功させてからである。それが冷戦終結後に一気に駆けだしたのである。

 日本を見下す自大主義を意図的な政策としたのは、軍事(軍人)政権時代が終わって文民政治家が大統領になって以降である。特に金大中(キム・デジュン)の左派政権から現在の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権までは、加速度をつけてひどくなっている。

 いま韓国の国民は日本文化のすべてが、もともと韓国が教え伝えたものだと信じ込んでいる。これを「韓国起源」現象、すなわち「ウリジナル」と呼ぶまでになっている(日本人の側では揶揄で使っている)。韓国語のウリ(我)とオリジナルの駄ジャレである。
 
 古くから言われている止利仏師や高麗青磁ならいざしらず、今は剣道・柔道などの武道全般から、寿司・刺身・茶道、盆栽・折り紙・扇子、最近のアニメ、天皇の出自も、そうだ相撲も、といった具合に、手当たり次第なんでもかんでも韓国起源だと誰かが言い出し、それをマスコミが宣伝し、国民が喜んで信じ込むようになってしまった。
 日本の桜ソメイヨシノが韓国済州島から伝わったという俗説はまだ序の口で、れっきとした学者が日本に来て「日本の生態系はすべて韓国起源だ」というまでに過激化しているという。

 2002年のサッカーW杯を日本と共催したとき、ホストの韓国サッカー協会はホームページに「サッカーの起源は朝鮮半島」と書いて世界中から抗議され、いつの間にか削除したという話がある。

 しかし、その前にも88年のソウル・オリンピックのときに「テコンドー」をお手盛りで公開競技とし、2000年シドニーではIOC副会長国の影響力を行使して正式種目に昇格させている。日本の空手道は母屋を取られて、もはやこっちが本家ですよと世界に訴える気力もなさそうだ。
 日本の剣道界では、柔道の苦い経験を見て、剣道をスポーツ化させないためにあえてオリンピック種目を目指さない方針でいる。それをいいことに、韓国は勝手に世界剣道連盟といったような組織をつくり、「テコンドーの夢よもう一度」と狙っているらしい。

 その理論的根拠として、剣道も朝鮮民族が発明して日本に教えたものであり、日本の武士や武士道は朝鮮の模倣であるとする。剣豪小説家の荒山徹氏によると、朝鮮の武器は主に弓であり、護身用の短刀はあったが日本刀のような長剣は存在しなかったという。槍もなかったらしい。

 それでも近年、「武士(MUSA)」というような時代劇映画が盛んに作られ、輸出もされているので、韓国民だけでなく日本人も外国人も、武士の本家は朝鮮にあったと思いこんでしまう恐れが出てきた。
 現に、テレビドラマ「宮廷女官--チャングムの誓い」には、針灸が朝鮮の発明のように描かれていて、それが中国で放映されたときに視聴者からクレームが付いたと報道された。

 いまや、ウリジナル攻勢の矛先は日本だけでなくなったわけだ。「事大」主義で膝を屈する相手である中華に対してまでも、「こっちがオリジナルだ」と歯をむく韓国になった。だから事大主義を超えて夢想自大主義に突入したと判断されるのである。

 黄・ソウル大教授による実験捏造事件は、決して突発的に起きたものではない。韓国が国を挙げて夢想自大主義を具体的証拠で確認したいと要求したから、ひとりの「弱い自分」に勝てなかった学者がそれに応えただけである。

 問題は、韓国民の夢想がこれで覚めるかどうかだ。教授の記者会見や国民の反応を見ると、やはりまだまだ懲りていないことが分かる。
 科学分野のノーベル賞を国民が渇望していることは分かるが、金大中のノーベル平和賞(2000年)だってカネで買ったも同然だということを、韓国民はとっくに知ったが無視してきた。数億ドルの貢ぎ物を金正日独裁者に贈って首脳会談に応じてもらったことが公になり、関係者が自殺までしているのに、金大中自身は口を拭って知らん顔をして今日に至っている。

 反省しない国民性なのだ。専門雑誌への虚偽論文がばれたぐらいは大したことではないと片づけるだろう。国内問題としてはそれでもいいのだが、もはやウリジナル現象は国内問題の域を超えている。あきらかに迷惑をこうむっている日本が、それに対してどう対処していくべきか、われわれも真剣に考えなければならない。
 このまま韓国民が突き進めば、いずれもっと大きな挫折を経験することになるだろう。いい加減にしなさいよ、と忠告するいい機会ではないだろうか。(06/01/14)


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