バスフィッシングを格闘技に例えるならばパンチありキックあり寝技あり組技ありしかも武器の使用まで認められた実に多様な超総合格闘技と言えるだろう。テレビゲームでいうところのそれはまさしく鉄拳やキングオブファイターズだ。
一方ライギョフィッシングはどうだろう?武器(ボートやフローター)は一切使用禁止。
寝技(ワームやラバジ)組技(プラグ全般)すら認知されず、唯一パンチ(中空フロッグ)とキック(雷魚タックル)のみが認められており、この他にも異常とまで思えるほどの厳しいルール制限された制約だらけの気難しい特異格闘技と言えるのではないだろうか。
そしてフィールドという名のリングに上がることのできる者はこの厳しいルールの誓約書にサインをした者のみとなる。「制約だらけで面白くねぇーや!」「変人達の集まりか?」この様な声をよく耳にする。
そんな格闘家の方々はどうぞ超総合格闘技のほうで心行くまで闘い抜いてもらえればいいと思う。
さあ、厳しいルールの誓約書にサインをした者のみの話に戻そう。
いや、この際はっきりさせておこう、ライギョマンのみの話に戻そうではないかこのライギョフィッシング柔な精神、柔な肉体ではできない釣りだと自画自賛しても良いのではないだろうか。
舞台は30℃を越える炎天下に有りフィールドを攻めるにも自らの足で歩き回るしか方法はない。
それに、極太のライギョロッドを振り切るには相当な腕力が必要になってくる。
しかも、ヘビーカバーで魚を掛けた場合筋トレなみの重量感を味わう事にもなる。
そして、せっかくフッキングさせた魚もダブルフックのバーブレスではちょっとした気の緩みからバラシと言う最悪な結末を迎える事にもなりかねない。
こいつは半端なくリスキーな釣りではないか。
だが、我々ライギョマンはこのリスキーな釣りに美学を感じて止まないはずだろう。
そう、我々アングラーがリスキーと言う事は(釣りは虐待、いじめ行為という自覚の上で)少しでも魚に優しく自然により近く勝負を挑んでいる。そんな気持ちになれるのではないか?
そして、自らが不自由であればあるほどに釣りと言うゲームのプロセスの内容は濃いものとなりクライマックスは心に残る劇的なものとなるのではないだろうか。
今現在、日本各地にはどれほどの数のライギョマンがいるのかはわからない。
昔から各県、各都市での派閥的な内容の話も耳にする。
だが、今一度よく考えて欲しい。ライギョマンと言える者皆自らが苦難の道を選んだ同志なのだ。
ルールとマナーに怠りさえなければ認め合うことも必要ではないだろうか?
オープンエリアとウィードエリアの土俵の違いなど土地柄によっては選ぶことの出来ない問題なのだし、地方からの遠征組などの問題も問いただされてはいる。
でも、それが自らと同じライギョマンと認められる者であれば地元のルール、掟をはっきりと伝えればよい。
そして、少々気難しい事を言われてしまったと思う側に立ったとしてもローカルルールがあるからこそ、このフィールドが守られ存在するのだと理解して、それに従う様に心がけてもらいたい。
そして、そんな内輪モメよりももっと重要視しなければならない問題がここにある。
外来魚指定問題、水質汚染問題etc それに拍車をかける様に空前のライギョブームの問題だ。
数年前から始まったバスフィッシングブームの結末はどうであっただろう?
各メーカー・マスコミ・メディアの金儲けのためにいいように踊らされた未成熟なアングラー達のモラルの問題から始まり、自分達の技術自慢と商品販売のみに魂を売り渡したプロ思考と呼ばれる人々が盛り上げるだけ盛り上げた末のノーケアー 商品を売ること、魚を釣ることしか教えなかった結果の被害者はなんとも皮肉な事にブラックバスだった!?
外来魚として汚名を着せられ今ではテレビ・ニュースでも悪い魚扱いされ釣りを知らない魚も知らない老人や子供までもが「悪い魚!」「殺せ!」と叫ぶのを見て胸が締め付けられる思いだ。
だが、自らが政治家でもない限り、もうどうすることも出来ないのが現状であろう。
我々が愛して止まないライギョだけは、この悲劇のブラックバスの二の舞には絶対にしたくない。いや絶対にさせてはならない!
真のライギョマンには驚くべきほどのパワーとスキルがある。そのパワー、そのスキルは今まではライギョマン同士のサイズの競い合いやチームの派閥に向けられてきたのかもしれない。
でも、今この現状に危機感を感じて欲しい。ライギョマンたる者、ライギョを釣る事が一番の目的には間違いはないだろう。
でも、ライギョと言う魚が存在して、ライギョという魚が育つ環境フィールドがあるからこそ、その目的は達成されているのではないだろうか?
ライギョを守り、ライギョフィッシングを後世に残していけるのはライギョ釣りを愛する自分自身の力しかないのだ。
その思い、その力が集まり結束した時、それはとてつもない力となるはずだ。
自分はライギョ変愛者だという事にプライドを持って欲しい。そしてライギョ変愛者同士、尊敬の念が持てたとすれば、それはすばらしい事だ。
その中で個々がライギョマンとしてモラルの向上に心がけていってもらえたのなら、それは必ずライギョフィッシングの未来に繋がっていくことだろう。



SHALLOW BE THY GAME 
(神聖なるゲーム、教祖たちのゲーム)

あなたのゲームはどうだろうか? 結果だけにとらわれて仲間と競い合うなんてくだらない目的にはなっていないだろうか?
釣ることが目的のゲームには間違いはない、だから釣れないよりは釣れたほうがいい。
小さなライギョよりビッグヘッドな90UPが釣れたほうがうれしいし仲間にも誇らしい気分にはなれる。
こんな気持ちは誰にだって多少はあるはずだ。しかしこの「デカイライギョ!」に重点を置きすぎると知らず知らずのうちにゲームの相手はライギョじゃなく仲間になってくる。 「あいつよりデカイライギョを釣らなくては・・・」どんどん気持ちはエスカレートしていく、稚魚を守るライギョでもネストを守るライギョでも釣れる魚はデカけりゃなんでも釣る。とても危険な行為だ ゲームの相手はあくまでライギョであって自分VS魚だという事を忘れないでほしい。自分VS仲間では絶対にないのだ。「結果」だけにとらわれて本質を見失ったゲームを展開するよりもプロセスにこだわった神聖なるゲーム(SHALLOW BE THY GAME)を楽しんでほしい。



             


春の到来とともに純真な心で無邪気にライギョ釣りを楽しみたいだけなんだ。
たたえる水が有り萌える緑が有るからこそこのゲームは成り立つ。今、自分がフィールドに立っているこのときに幸福を感じてほしい。そうすればライギョにも自然にももっとやさしくなれるはずだから・・・


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