社説

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

社説:NHK最高裁判決 報道の自由に重きを置いた

 放送にとどまらず、広くメディア全般で取材の自由や報道の自由に重きを置いた判断と位置づけることができる。NHKの番組改変をめぐる訴訟で、NHK側敗訴の東京高裁判決(07年1月)を破棄し、NHKの賠償責任を否定した最高裁判決である。

 取材を受けた側は、番組の内容が意に沿わず、期待や信頼を裏切られた場合、放送局に損害賠償を求めることができるのか。その「期待権」が最高裁で初めて争われ、判決は「原則として法的保護の対象とはならない」と認めなかった。憲法が保障する表現の自由の下で、どのような内容の放送をするかは放送局の自律的判断に委ねられ、番組編集段階でのさまざまな検討によって内容が当初と異なることがあっても当然だ、との判断からだ。

 この論理は、放送を新聞などと置き換えても同じはずである。民主主義社会の根幹をなす表現の自由を重視した極めて常識的な判断だと評価したい。

 従軍慰安婦問題などを取り上げたNHK特集番組について、取材に全面協力した市民団体が「政治家の圧力で事前説明と異なる内容にされた」と訴えた。東京高裁は期待権を認め、「番組編集の自由も一定の制約を受ける」と判断していた。

 しかし、取材される側の期待権が重視されれば、取材する側はその意向に縛られ、自由な報道や番組編集に支障が出かねない。私たちは高裁判決について、取材・報道の自由を制約し、報道を萎縮(いしゅく)させかねないと疑問を呈していた。

 一方で、取材する側は取材相手と一定の信頼関係を築くべきであることもまた当然だ。相手に信用されなければ、取材で真実を引き出すことは難しく、結果として国民の「知る権利」に応えることも困難になる。

 最高裁判決は「必ず番組で取り上げると説明した時」など極めて例外的ケースでは期待権も認められる余地があるとの判断も示した。報道関係者は重く受け止めなければならない。

 それにしても、この番組をめぐってNHKが反省し、教訓とすべきことはあまりにも多い。高裁判決によれば、NHK予算の説明に出向いた幹部が安倍晋三前首相から番組の公正中立を求められ、必要以上に重く受け止めて当たり障りのない番組にしようと改変を指示したとされる。にもかかわらず、多数の与党議員に予算の説明に回る慣行は今も続く。NHKが政治家の意向をそんたくして番組内容を変えることもあるのではないかと疑われてもやむを得ない。

 高裁判決を報じたNHKのニュース番組では市民団体の主張に触れず、NHKの解釈だけを流したことが放送倫理に違反すると、第三者機関「放送と人権等権利に関する委員会」から指摘されたばかりだ。逆転勝訴と浮かれている場合でないことは言うまでもない。

毎日新聞 2008年6月13日 東京朝刊

社説 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報