The Edge of the Cloud  「雲のはて」。K.M.ペイトン。私の一番好きな本。

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2008.06.12 Thursday  今日マイリボドリルネサンス。

突き付けるなら、ただ一人自分にめいじたい事項。もはや下の文章を書いたわたしはある意味物書きの夢は隅っこ。ファンとして同人書きとして、強く感じたことだけ、書いた。下で批判したからといって、今あるものは何一つ否定しません。すべては自由です。特定の誰にも、何も言いません。たいてい『一人』とかってありえないし。
ただ、それでもなお思うことを書いた。そして目指したいところのものを確認した。たいして面白いものじゃないです。




リボーンファンは(一応自分も込みで)モラルが低いかもしれない、というのはジャンフェスのときから思ってたことです。

私は、割と盛り上がりとか興奮に乗っかりたいだけなひとが結構多いからじゃないかなと思います。


よくわからないが既存の文学作品とか風潮にやたらこだわってリボーンドリームにそれを重ねるのがはじまったのはいつからですかね。なんでこんな文豪とか現代作家とか携帯小説のを反射して投影したかのような話が多いんだ、と思われる話が『主流』な気がします。そうじゃないのもいっぱいあるけど。なんかリボーンよりそっちの要素のほうが強い感じのを見るにつけ、その書き手と読み手とサイト全体が織り成す『興奮』に辟易します。完璧その『興奮』にのっかって書きそして読んでる的な・・・リボーンの持っている斬新さのほうが、既存作家の風潮の方に掻き消された上での盛り上がりというか・・・こう・・・むかっとくる・・・、独特の不条理さ。


別に、本好きじゃなくてもリボーンでドリームしたいからこそ書くのがリボーンドリームだと思うんですけど、なんかそのリボーン以外の既存作家の作品で世界を作ってそこにあてっこしてる話をみるにつけ、ドリームの中での『原作』の『純度』の低さに憮然となります。そりゃドリーム書くからには皆原作ファンではあるだろうけれども、夢小説内での、原作のないがしろにされ方には少しむっとします。原作の台詞をそれを言ったキャラ自身が反古っていうのを見た瞬間、あまりの原作軽視に愕然となりました。

同人で一番大事にされる原作要素は、わたしはキャラの『心』だと思ってます。ただリボーンドリーム、日常編に比べるとそういうのを大事にしてる風潮が消滅して来た気がする。ノリとかネタとか最優先的な・・・そろそろ大波来ないかなぁ、なんて思ってるんですが。


リボーン夢界、キャラへの掘り下げと原作への追求に対していまいち意欲が低いというか世界の一体感みたいなものが足りない業界な気がします。みんなで無理矢理つるんで仲良くしろとは言わないけど、既存の作風を借りて安易に書いちゃって、肝心な原作への探求を怠ってる気がする。ここの『風潮』が。わたしの思い込みかもしれないけど日常編の時読んだドリームの方が強いと思った、リボーン世界へ入りたい熱意。それはウ゛ァリアー編からリボーンドリームをサイトで扱い始めた私が強く確認しなければと感じること。

方向性だけが見えなかった。今日で最後にすると言いながらいつまでたってもやまない疑問達に答える方法。

上は全部わたしが目指す風潮の話です。だから、『そーいうのもあるんかな』という感じで流してほしいなと思います。これはあくまでリボーン同人としての立場だけど。これはレベッキニティ(笑)?レベッキスム(笑)?うん、自分の名前をつけるのはやめよう。名称は検討。




2008.06.12 Thursday  『死にたい』と言っている子に『死なないで』と言ったら自殺すると聞いたことがある。

一つ愚かしかったと思うことは、間違えて何が悪かったのだろうということ。

間違えていい場所が少な過ぎる。空気に触れる場所。

人が、何も言わずに通り過ぎる世界。

舌打ちと内心の嘲笑の嵐。一番前の席で一人座り込むような教室。つるしあげにされている気分の。

私の世界。

唯一の友人達には届かなかった。騒ぎにまぎれて、私の声が。

でも私は間違ってない、私は何も悪くない。聞いて、まず私の話を聞いて。
でも誰も聞いてなんかくれない。

それでも、私が振りかざせるのは言葉だけだ。わたしはそれしかもってない。

だから私はここに来たのかもしれない。決して強くはない。一人の無力な人。結局無力な、ひと。敵も味方もない。




2008.06.11 Wednesday  多分考えるか学ぶかの学ぶ方が欠乏している状態。

今日友達と夜ご飯食べながら同人談義ネット談義本談義!
いろんな話が出来た気がする。・・・出来れば今から風呂入って更新のために書きたいと思ってる。

昨日の記事の、「村上春樹はどういう風潮か」って、・・・むずかしいけど、広辞苑引いてみた。意味から確認するに・・・多分割と、「デカダンス」(頽廃派)?ちょっと・・・ちがうかな。私のイメージではもう少し武骨で、もうちょっと皮肉が強いというか・・・一種の「虚無主義」なのかなぁなんて思った。ニヒルっちゃニヒルなのかもしれんねあの『僕』達は。だったらなおさらまだ悟りを開く余地があるのではないかと思った。「虚無主義」にしては・・・私の中ではちょっと中途半端すぎる。そう、多分中途半端すぎるんだと思う。『ニヒル』がもうちょい、もうちょい洗練されればね・・・って、ほんと何様だ、な一読者。あと、雰囲気よりはむしろやっぱり導き出す論理とかメッセージの示唆のしかたが・・・はい、自主規制(笑)。私とは根本的に書く文学も書きたい物も、もともとの礎になっているものも違う作家さんだからこその興味深さはあるけど、私も批判もいいけど自分の書く物ももっともっと模索していかなきゃね。




2008.06.11 Wednesday  スカイ・クロワの映画版なんでしたっけ。駅の構内のスクリーンで予告編?やってました。観たいです。

姉貴が好きなんですよ。私はコンセプト自体は好みじゃなかったな。でもあのファンタジーな感じは素敵だと思います。ぞくぞくする。

関係ないように見えてわたしの脳内では繋がって出て来ることなんですが、想像力をかきたてる建造物というのがあるよね。ふっと、理系の友達が言っていた大学の建物の形を思い出す。吹き抜け。無駄に建物や街が好きなのは、やっぱり母の影響があるかもしれない。子育てのためにやめたんですが、設計士だったんです。大学で建築学科になんで入ったかとか聞いたことがないな。どうせまたあの要領のよさで適当にきめたんだと思った。『あたしは何も考えない子供だったからあんたの気持ちなんかわからない』が彼女のいつもの言葉で、『ああ、そうだろうよ』と思ってわたしはみくびってた。『そんなわけがないのに』。人ってどうしてこんなに話し足りないんだろう。

今遺跡修繕の授業を取ってる。私はイタリアの街で調べることにしたんだけど、日本の遺跡にすればよかったかなぁなんて思う。面白いよね、遺跡発掘。

オール連載、だいたい先決まってるんだけど、なんか書き出せない。修正したいです、ここまでの流れ。あと、サイレンやアフターダークのレイアウトを変えたい。あ、サロメも。というか連載陣は全部変えたい。
スカーレットとヤミサメがなんか同時進行中です。先週から。




2008.06.10 Tuesday  うれしかったこと

今タマーロってひとの『心のおもむくままに』っていう本を読んでる。

落ち着いて読める本です。

角田光代、ですか。いろんな世代の立場からものを書いた・・・あれ、『空中庭園』。わたしが未熟だからなのかもしれないけど、いろんな立場のひとの一人称ってとても難しい。『空中庭園』はくっきり書き分けてあってイメージしやすかった。
タマーロの気付きも描き方ももちろんすごいと思うけど、訳の人もすごいんだろうな。いつも思う。

翻訳の勉強したい。何語・・・(笑)?




2008.06.10 Tuesday  早すぎる復活。

・・・いや、時間無いんだけどねリアルに。八個だよ・・・六月末までのレポートの数は。

なんか、ふとしたとき、携帯取り出してカメラモードにしちゃうの。写真が撮りたくて、構えてはっとなる。だったらモブログぐらいいいかなと思って。

最近はぜんぜん学校のことに集中できていなかった気がする。ふと、感じた。

加えてここが晒されている件だけど・・・そうですね、気味の悪さは感じます。でも、それを乗り切らないとならないと思った。なんとなく。少なくとも、わたしという人は。ありがたいアドバイスをいただいて、そのとおりだと身にしみて思ったけれど、結局何も変わっていない私は、やっぱり笑われても仕方ないのかもしれない。

だってあくまで私の日記に対する苦情っていうのは、それを発信している限り当然おこりうることで、それに対して過剰反応すると、『大事なもの』を失うかもしれないと思った。
私が相手にしているものは、あくまで人間が作り出した『言葉』というもので、『インターネット』というもので、ただの箱なんだっていうこと。それを利用し生かすものであってそれに精神を毒されるためのものじゃない。

教育心理学の先生と話をしました。2ちゃんねるの話。先生はカウンセラーで、子供の治療も何人か行っている方です。

2ちゃんねるやネットの問題は、教育界でも散々指摘されてるけどどうしようもないし、行政は白黒はっきりさせるような規制をかけようとしているけど、一方でバーチャル・リアリティは子供の幻想をはぐくんだり、進路についての夢をふくらませたりするのに必要なものであって、一概に規制はできないんだという。ただ先生は、重大な社会問題であることはかなり強調なさってました。

「最近の子は真剣にものを伝えようとすればするほどしらけてしまう」とも言う。だから、案外の常識が通じないときがあるんだって。リアルに。どちらかというと、先生は胸を痛めているふうでした。わたしは憤慨したけどね。同じ若造として。

でも、しらけるって、ある意味とても現実的なところだと思う。大人だってしらけるしね、きっと。最近の子は時々世の中ある程度見限ってるし。そんな!まだあんたの人生これからだよ。

わたしアンチ村上春樹とか言ったりしてますが、その理由はそういうところで、つまりあの喪失感だとか情感だとか文章の言い回しはきれいだと思うし読みやすいと思うんですが、なんだろ・・・もっと内容的な面で・・・ある種の「まじめ」を馬鹿にしてる的なところがかなりひっかかるんです。そうとう、それが嫌いみたいです。私は。一読者として。春樹、というよりは、そういう文学の風潮とか主義がまず嫌いなんだと思います。
それは・・・今の価値観とすれば『よいもの』だと思われるかもしれないし、『理にかなっている』ようにも見えるかもしれない。だけど、『反社会的』ではなくて『非社会的』だとは思うよ。


『風の歌を聴け』で、生物学部?の男の子が、「動物がすきなのね」的なことを女の子に言われて、答えるときに、・・・なんだろ、世界のいくつかの地域の動物の虐殺をだして、そのあと自分の動物実験の話をだして、「それでも自分は動物が好きだと思うか」っていうことを言うシーンが・・・ごめん、ところどころうろおぼえだから帰ったら確認するね、あるんだけど、その・・・一見ぱっとひきつけるやり取りで、なんか含みがありそうな感じがするんだわ。そこは見事だと思います。やっぱりセンスあるよ。

でも、結局のところ事実に対する非難しか言えていない、っていうんですかね・・・じゃあいったい、どうすればよかったの?それについては言わない、ただ現実だけ述べる、っていえばいいんですか・・・「人や人生っていうのはこんなもんだ」って・・・まぁ、一種、魅力的ではあります、なんだろ、こういう主義とか風潮ってなんていうんだろ・・・今度彼の読んだっていうハートフィールド・・・?あってる・・・?も読んでみたいですね。

でも、私はやっぱり作者が自分なりに改善策を持って挑むような話の方が好きです。どんなに支離滅裂でも。

くわえて、そういうことを言うにしても、動物の虐殺と動物実験のあの出し方はちょっと安易ではないかと思います。もう少し面白くて的を射たネタがあるんではないかと。

と、いうことで私個人は彼とは違う文学を求めていて(ゆえにアンチなわけだ)、加えて彼のようなやり方をするにしても、ちょっと安易すぎる、もう少しネタを掘り下げられるんじゃないかな、と感じているから「姑息(その場しのぎ的)」だと考えてる、ってことなんです。

だから彼がそれに気づいて作品にそれが反映されたらノーベル賞取れるだろうとか私は勝手に言ってます。生意気かもしれないけど。っつーか、んな一読者の勝手な予想とはうらはらに、そのうち普通に取るかもしれませんけどね。そしたらそれでもいいんじゃないのかな。ただ、私はそういう想定を結構します。妄想って言われたらそれまでだけど。

そう、別に村上春樹が最近のやたら『しらけてる』風潮を強めたとか一概には言わないけど、結構そういう文学の影響って大きいんじゃないかな、と思うのがひとつ。
あと、わたしは自分もかもしれないけど、最近の子の『言語能力』のことが気になります。



その話になると西尾維新がやっぱ真っ先に浮かんじゃうんです、私の場合は。雰囲気は、実は結構好きです。あんまり読んだ事ないから一概には言えませんが。

ただ、わたしがたまたま見たときに、既存の格言だとか、ほかの文学作品の登場人物なんかを例に取って比喩するっていう方法がさりげなく取り入れられてたのね。

彼のその『例』の選び方もまた安易な気がする。・・・いや、安易どころか実は憤って本開いてすぐ閉じて棚に戻しちゃったんだけど。

「安易」の何がだめかって、深く考えないところです。格言は簡潔にみえて、いろんなシチュエーションや考えによって出されているわけで、既存の文学作品も、文献を探せばそれによる作者のさまざまな公演資料だとかエッセイが残っていたりする。
くわえて格言とか文学作品にはそれを書かれた当時の一種の風刺も含まれていたりする。それをまったく考えずに、西尾維新さんは自分の言語センスでぽーんとのっけてしまうところに、・・・まぁ、自由でいいという考え方があるにしても、私は憤りを感じますし、
そのやり方は文学としてはやや落ちると思います。私は、ね。娯楽としては別です。かっこいいんじゃないのかな。

ただやっぱり・・・ひとつの言葉に意味は一つしかないというような書き方をするというか・・・言葉の多さに、私の頭の中の引き出しが無意味にばーっとあいてしまうんですね。助詞ひとつとっても考えちゃう人間としてはつらいところです。かなり、あのやり方がわたしからすると乱暴に見えます。だから、『文学に対する冒涜だ』という言葉すら用いました。言いすぎと思われるかもしれないけど、ある意味こう指摘することがまったく無意味だったとは今でも思いません。こう指摘してはじめて、みえてくるものがあります。私の探索の問題です。

ただ、友人にある話を聞いて、西尾維新に対する認識はちょっと変わりました。彼は長編小説を一週間で書き終える男だと聞いたときです。

たまたまシュルレアリスムの本を読んでたんですねそのとき。難しくてよくわからなかったけど、なんだろ・・どんな文脈か忘れたけど、「ひたすら意味もなく言葉を書き続ける」、っていう方法が出てきた。その方法に何の意味があるのかよくわからないんですが。これ、学者さんがけっこうやっていること?で、意味なく高速で言葉を文章を書き続けてくうちにある程度気は、ふれてくる的な記述が・・・・・・ごめん、帰ったらもっぺん確認してみる。うろおぼえだらけ。

そのときなんとなくインスピレーションしたのは、西尾維新はある意味その高速に小説を書きまくることで自らシュルレアリスム?を開いた?わからないけど、なんだろ、とにかく彼の書くものはシュルレアリスムを感じさせてくれる、そういう感じなのかな、とは思った。だとすれば、それは功績だと思う。何らかの形で人をひきつけると思うし、そこが彼のすごさではあるんじゃないかとは、感じた。あくまでわたしの考えにすぎないけど。

でもその奇抜さは、どちらかというと芸術性の面でのもので、少なくとも『子供』が母語を身に着ける上で読解力を身につける上では、ある意味邪魔になってしまうんでないかとわたしは思います。文学には、こういう役割もあると私は思っています。大人になっても知らない言葉はいっぱいあるし、一つ一つの言葉は多くの意味を持っているんだから、あの言葉の羅列の仕方はセンスかもしれないけど、わたしは「それを克服するのに編集は何とかできないのか」と思います。あの、『商才』と『雑学知識』の豊富なひとたちにたいして。西尾維新のよさをいかして、編集なにかできないのか、とか。一応物書き志望ってことがあって編集、っていうのも進路の目標の視野のひとつなんだけど、すごいそういうこと考えます。かなり、強く。もう、くたばれの一つや二ついってやりたい心境ですですね。激励もこめて。それくらい強く、そう思います。がんばって、じゃだめなんですよ、この意気を伝えるには。くたばれぐらいの強い感情です、私の中では。

そして私は、結構有名な言葉・・・?とかを引用に使ってたりとかするところが好きではないです。あれだけ有名な言葉を使うなら、もう少しうまくさばいてくれといいたくなります。だから、西尾維新はいろいろ問題ありだと思いますね。問題ありだからっていいところがないとはいいません。ただ、「いい」と「悪い」の白黒で世の中きまんないし、私があえて強調するとしたら批判点だけだった、という話ですね。ここはわたしの日記だし。ただ、前から常々上のようなこともある程度は書いてたと思いますけどね、私は。



なんでこのかたがたを例に出したかっていうと、昨日の苦情掲示板見て一番思ったのが、まず、2ちゃんねるユーザーの価値観の問題と・・・読解力や言語能力の問題・・・?それらを痛感したからです。

「しらける」っていう価値観?真剣だったりイタかったりするものを徹底的にけなす価値観?春樹には直結しません、絶対。でも、現代人の価値観、としてその要素はあるんじゃないの。それ、別に2ちゃんだけの問題じゃないと思います。

加えて言語能力の問題ね。一緒に話した先生は、中学生に授業をしたあとアンケートをとると、「きれいごとばかりぬかしやがって」と書きなぐってあることがあるといいます。割と、「一生懸命」とか少しでもきれいごとっぽい「単語」が出てくるとすぐきれいごとだと頭の中で変換しちゃう感じで。先生は結構現実的な話もしていたのに。

自分の話で申し訳ないけど、たとえば、私は以前日記で「色物のキャラを上塗りするのは好きじゃない」的なことをいったことがあります。それについて掲示板で「夢絵やってる時点でそれは言えないだろ」的な指摘があった。はず。もう、あんまり読む気がしない。
私の言葉の意味は、具体的に言っちゃうと、雲雀さんだったらかなり硬派な部分も強いのに(やわらかい部分がないとは言わない)、『僕』っていう一人称やそのビジュアルだけで、雲雀さんを似たような別の色物っぽいキャラクターの性格にしてしまうことを言ったんです、夢小説の。あきらかに「夢絵」とはつながらないと思うんですが・・・。日本語は文脈依存性が高いので、一文だけでは意味の通らないこともたくさんある。それを一文だけ引用して批判してる気になってるとすれば、ちょっと国語力不足の問題があります。いや、でもたぶんあなたにそれを教えた大人の責任なのかもしれないとも思わなくないですが。

文字だけの世界なんだからもっと考えて読まないと、そして考えて書かないと。だめだよ、『色物』って言葉だけに飛びついたら。いや、気持ちは分かるけど。裏絵もあったし。・・・あれもはがそっかなリンク。

よくわからんが、わたしのサイトを無許可で晒しものにしてる人たちの、私の腰を抜かさせる手段は、サイトやブログを無意味に晒して嫌がらせをすることだけか。箱の中で、コンピューターと指の力を使って。それとももっと違う『手段』での嫌がらせ?いっぺん十キロ級の防具を身にまとって中年のおじさんに馬乗りにされながら竹刀で面を打たれてみたほうがいいと思いますよ。切実に。あんなの、わたしはもう二度と経験したくないけど、してみたほうがいいとすすめる必要性すら感じた。心が病んでた。

だから、ほっとけ、ということはできます。というか、それしかできないからこうなってる。教育は自由を重んじたいとき、時々あまりに無力。だから規制する。締め付けが強くなる。それによってひずみがおおきくなって、いったんその体制が崩壊して、もっかい自由になる。一概に歴史の流れを規定しないけれど、そういう流れをそこかしこに読み取ることができると思う。

集団になったら怖いものはないのは分かります。言論が自由で、いくらでも逃げ場の用意されてるネットの世界だったら何でもできる気がする。実際できるかもしれない。私を貶められるかもしれない(被害妄想じゃないよね、不用意に勝手に個人サイトさらされてんだから)。貶めて、どうすんのかってそこですよ。

今の子供の耐久性の低さとか、暴発性の高さとか、言語能力の低さもだけどそれに派生する表現力の低さとか。まだ、ネット漬けで子供時代をすごした大人になってからそんなに経ってない・・・ずいぶんたったかな・・・けど、これからどうなってくのかって、ネット漬けなわたしも考えてかなきゃいけない問題なんだろうなと思った。

いや、ほんとにひどいらしいね。宮崎県知事が「そのうち徴兵制でもやらなくちゃいけない」的なことを言ってたらしい。そのくらい、今の若者には国からの強制的なしつけが必要だといいたいらしい。あんなやつの言葉、とただそれだけ見て笑い飛ばすようだったらその子は、読解力も知識も足りない。そういう子が増えたんだとしたら、それは憂える事態です。

加えて携帯小説ね・・・わたしは、あれは西尾維新的な意味でいい部分もあるけどやっぱり「文学」としてはどちらかといえば「よくない」と思います。ただ携帯小説作家はほとんどがアマチュアだけど西尾維新はプロだから、厳しい批判をしたいと思った。一読者として消費者として。何がだめ、何がいい、じゃなくて。


電車の中で考えていた。またイタリアの作家の本読みながら。
このまま日記を書いて、どんどん状況が悪化して、どうにかなったら、わたしどうするのかと。
未知なる恐怖におびえ続けるとかかなぁと。どんな嫌がらせをされるか、とか?疑心暗鬼?炎上?所詮わたしの日記。たかがわたしの言葉で?
ただネットのモラルの低さはやっぱり問題なんじゃないかな、と思います。それでも、自分は何でもできると思ってる。匿名性をかさに着て、人の中傷は何でもやっていいと思う。ルール違反なのに勝手に個人サイトも晒す。それって、でも未成年をかさに着て殺人っていうルール違反をやったって誰も俺を裁けないって言ってるのと同じじゃん。「たとえどんな思いでやってるにしても」。

わたし、2ちゃんねる見に行って、はじめて自分への中傷目的の中傷を目の当たりにした。中傷って悪いことに決まってるのに、ぬけぬけとできるのは何でなのか。悪いことはしてもいいことなの?それはやっぱり、自分の管理ができてないからもあるけど環境にも周りにも問題があるんじゃないかな、と思う。

ただ、コメントの全部がそうだったわけじゃないし、大半は読解力の不足による私の文章への曲解だったから、ちょっとひっかかった。それでも、論理を自分なりにくみたてて意見、というその態度自体は、姿勢としては喜ばしいことなんじゃないかな、とは思う。未熟だけど。でも若けりゃしょうがないんじゃない。そこは、ちょっと胸を打たれた。言いたい放題叫ぶけど、ああ、がんばってるなと思って。そういうところ、なんか正直ちょっとうれしくもあった。もちろん言われまくってることは心外ですけどね。『子供のいうことだし』なんて、わたしは思いません。大人だったらなおさらですけど。

あの、トップの写真に関するコメントは「確かに」って思ったし。最初もいったけど、わたしは公開してる以上、批判は避けられないと思う。でも同時にかなり多くのコメントに深刻な言語能力の不足を感じずにはいられませんでした。あとモラルの低さ。これは、ひとつの考察です。でも、結構強く問題意識としてわたしの頭には残りました。わたしのクレームとはかけはなれた、客観的考察です。物事は、何事も自分と離して考える必要もあると思います。自分だけが確かなものだけれど、ちょっと自分だけを頼みにしすぎるんじゃないかいと思うようなコメントはちらほら。

2ちゃんねるがだめとは、わたしは言わないし思わない。面白い部分も結構あるとは思う。2ちゃんねるの住人は屑以下だっていうしコメント見たとき思ったけど(そして本当に屑なのはコメント自体というよりはそれに派生するしつこくて犯罪的な嫌がらせなんでしょうね)、それはどちらかというと住人自体じゃなくて、一種の宗教儀礼的なものを感じる。そういうことをする「ならわしだ」、みたいな。そういうもんなんだ、みたいな。だからってすべて「いい」なんてわたしは断じて思いません。悪い部分もいっぱいある。

いろいろ考えて話をすすめてるスレッドも見かけたりするとうれしいけど。あの、雑多なところがいいのかな。ただ、ものは使いようじゃないのかと思う。


ちょっと迷って、六月中は夜とかやっぱり時間もないので今のままやってくことにしました。日記は、今日以外はそうとう短くなると思います(笑)。
JUGEMテーマ:2ch全般





2008.06.09 Monday  そうして今日が終わる。

晒されてるらしいわたしのサイトのスレ・・・居場所知ってる方います(笑)?

晒されてる、という事実の信憑性自体曖昧ですけど、つかぶっちゃけめちゃ怖いんですけど気味も悪いんですけど、自分に言われてることはやっぱり首突っ込みたいですね。

とりあえず今のところ移転はしないつもりですが実際どんなもんでしょうね。




2008.06.09 Monday  しばらく、やすみます

六月入ってから私生活を見て考えてたことなんだけど、しばらくブログ切ります。

考えると煮詰まっちゃうんですよね・・・、特に日記ジュゲムにしてからいろんな考察が頭をかけめぐって、がんがん口が滑るようになって、粗削りもいいとこだけど(笑)、ようやく自分が素直に向かって、自分なりに色がつきはじめたときにブログきるのはどーかなとおもうんですが、ばっさりいこうと思います。多分かかずにはいられないので、しかしリアルにオフがやばいので、でも更新はなるたけ続けていきたいのでいったんここリンクはずします。七月もどってきます。あ、拍手とメルフォのお返事は引き続きさせていただきますよ!新しく日記たてます。今電車なので帰ったらまぁいろいろやります。

追記だよこのやろう!

いまでんしゃんなかで拍手みた!なに、巨大掲示板?なんで?!

・・・いや、ほんとに。何よ巨大掲示板って。なんで私の目の届かないところに日記やサイトがさらされんのさ。一言わたしに言ってから貼ってよ、せめて。

でも、ここでネットというものなんだということを知るのもいいかもしれない。

でも日記は切るよ。




2008.06.09 Monday  歌うよ。

Image048.jpg
オール連載直しました。部分的に。

ひさしぶりにあたしのバイブルを読んで、新たな発見をする・・・変な意味じゃなくて、出来るだけ狭く深くありたい。今は。もちろん、いつまでもそうはしてないつもり。でも今はなるべくそうしていたい。自分を、出来るかぎりでいいからかためてたい。

おなかすいた・・・でもへたすると九時までなんにも食べれなさそうです。ミスりました。時間は有効につかわないとな・・・そろそろレポート地獄くるし。




2008.06.09 Monday  拍手返信。

何か・・・めんどくさいことになってきちゃったな・・・・・・(笑)。

今日は午前中休講なので、朝からワンファインワイヤーを修正も含めてじゃくじゃく行こうと思ってたんですけど朝から拍手返信です。

質問にお答えするのがちょっと時間の浪費というかですね・・・正直、『こんなことまで私が答えるべきだろうか』という素朴な気持ちです。そこまでネットモラルを低く見なくてはいけないとは、出来るだけ思いたくありません。

一方、ネガティブになるのは嫌いですが、たとえネガティブ要素を含んでいても考えたいことはあります。『情報』社会を考える上で、また、ネットの上での自分のやりようを考える上で。

・・・しかしながらわたしも暇ではないのでいつもこうは考えてられない、というのが正直なところですけれども。すいません。

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