2008年06月10日(火) 2時54分
すぐ削除予定。
小説を読まない人が小説を書くのってすげーなーと思います。
いや、まあ、いろいろな意味で。
小説をあまり読まないのに、どこから小説を書く力を身につけているのだろうかと不思議に思います。
もちろんぜんぜん小説を読まない人であっても、『文章』を書くという技術は誰でも持っているものなので、それをつなげてつづることは可能だと思います。
でも、文章をただ説明的に並べただけで、それって小説と言えるのかなー?とか思ってみたりなんかしたり…。
なにが言いたいのか自分でもよくわかりませんが。
いやいや、『小説とはこういうものだ!!』と法で定められているわけでもなく、きっちり決まっているものでもないので、その人が小説だと言えば小説なのです。
誰になんと言われようとも小説です。
間違いありません。
小説です!
それでいいと思います。
Webは完全趣味の世界、自分が好きで納得して楽しんで書いた小説を掲載しているのですから。
もう自由です。
フリーダムゥウウウッ!!(うるさい)
さて、ここから先は少々厳しいことを書いているので続きに格納。
愚痴というか、ツッコミというか、あまり読んでいて愉快になる話ではございません。
なら書かなければいいのですが、やっぱり少し吐露しておきたいことだったので、書かせてくださいませ。
正直なところ、『小説を読まない人が書いた小説』を読んでも私は楽しいとは思いません。
情景描写が曖昧で、うまく想像することができず、よく理解できないので…。
私の頭の構造はそんな感じです。
ちゃんと文章である程度情景を描写してもらわないと、想像力が豊かではない貧相な私の頭では、その風景を思い描くことができません…。
なので、結果「うーん、この方の書かれる小説はよくわからないので楽しくないなー」と思ってしまうのです。
あくまで私の場合です。
ほかの方はしっかりバッチリ情景を思い描くことができるのだと思います。
それをおもしろい!楽しい!と思われる方が大勢いらっしゃると思います。
ただ、あくまで私の場合は、そうではないということ言いたいわけでございます。
島国の田舎に住む薄っぺらい人間の私ですが、一応これでもものを書いてそれで時折お金をもらって食べていたりするので、一部の方のみでなく、広く一般的に理解していただけるしっかりとした『文芸小説』を書いている自覚を持っています。
まあ、誰にも文句を言われず好き放題やりたい放題できるWeb小説の世界なので、めちゃめちゃ手抜きをして適当に書いてる部分が多大にありますが。
楽だものー。
どんなにいい加減に書こうとも、編集部から心が折れそうになるほどの手厳しいツッコミを頂くこともありません(苦笑)。
フリーダムでありなおかつ完全な個人趣味であるWebの世界に、編集部なんてもの存在しませんもの。
でも、私が書いている小説は、いわゆる「ケータイ小説」レベルではないつもりです。
ちゃんと読んでいただける方に情景を思い描いていただけるよう、描写しているつもりです。
あっ、でも、わざと「ケータイ小説」っぽくしてある部分もありますよー。
あえてセリフを多く使い、難しい言葉の引用を避け、読みづらい漢字・ひらがなでも違和感のない漢字はあえて変換せずひらがなのまま使用し、スクロールしても目が滑らないよう文字詰めに気を遣い、改行を多く設け、夢小説というジャンル柄、感情移入しやすいよう夢主人公については詳細な描写をせずぼかしたり、擬音を多く使ったりとか、まあいろいろと。
その方がわかりやすいだろうなーと思いまして。
芥川龍之介や太宰治並に「文藝〜文学〜」的な小説をWebで公開しても、二次創作にそんなもの求められていないと思いますし。
気軽に読めるものが一番ですよね。
なので、読みやすいよう私はわざとそういう書き方をしているんですよーと。
Webに公開しているものはあえてそうしているだけで、普段の商業用原稿の書き方が「ケータイ小説」っぽいわけじゃないのです。
ああ、何が言いたいのか段々わかってきた。
ここのところ商業用原稿に追われてずいぶん苦労していたので、私は少々イラッとしたのですな。
小説を読まない人が小説を書いたと言っても、私はそれを小説とは思いませんぜーってことです。
少なくとも、私は楽しくない。
読みたいとも思わない。
なんというか、「私、小説ほとんど読みません。でも、書いてます」ってことを言ってほしくなかったわけです。
もう、はっきり言ってしまうと、一応こんなんでも細々とプロの小説家として活動している身としては、「小説を読まないけど小説を書いている」と言われると、すげー馬鹿にされたように感じるのですよー。
「書くぐらいなら読めよ!!」と思ってしまうわけです。
「私、小説ほとんど〜」という部分を知らなければ、読破するかはどうであれ、少なくともその方の書かれた小説に目は通しました。
でも、「小説を読まないけど書いた」ということを知ったとたん、読む気が失せます…。
ものすごい厳しい言い方をすれば、『小説をほとんど読まない人が書いた小説なんて、レベルが知れている』と思うわけです。
あくまで私は、です。
そう思わない人ももちろんいると思います。
普段小説を読まなくても、めちゃくちゃ面白い小説を書かれる方も多いと思います。
むしろ私が少数派かもしれない。
はっきり言って、偏見なわけで…。
ダメだな私。
文章を書くという技術は、どんどん本を読んで、それから吸収し、自分で書いて上達していくものだと私は思ってます。
模倣したっていいんです。
その本の書き方を思う存分真似してください。
いや、パクれと言ってるわけではないです。
あくまで書き方を吸収しろということで。
私なんて、もうここ数日この雑記で猛プッシュしているあの作家先生にもろに影響を受けているので、文体がとーっても似通ってしまいます。
よく原稿を読んでくれる友人や母に「文体がオッサンくさい」と言われてしまう所以です。
あくまで「なんか似てる」だけで、丸ごとその作家先生の文体を真似しているわけではないです。
文字を使って文章を書くという技術は人に等しく与えられたもの。
どこかしら似通ってもそれが当たり前であり、どうしても限界のがあるものです。
意識して丸ごと文章を写している(いわゆるパクりな)わけではないのであれば、多少文体が似通ってもそれは仕方のないことだと、とある出版社の編集担当様も言ってました。
デビュー作を書いた当時私は19歳でしたが、年齢に対して文章がえらくオッサンくさいので、どうしたのこれ!?と聞かれたもんです。
いかん、話がずれたー。
ええと。
世には無数の小説があります。
人が等しく持つ「文章を書く」という技術を目一杯駆使し、個性を生かした作品がたくさんあるのです。
だからこそ、星の数ほど無数の「作家」さんがいるのです。
絵を描いてビジュアルを見せる漫画とは違い、文字に目に見える特徴を表すことはできません。
だって文字は文字。
変化のしようがない。
だからこそ、文章というものがあります。
文章は文字の集合体であり、どんな風にでも変化させることができます。
それを読む側に理解してもらえるよう組み立てるのが小説なのだと思います。
なので、少なくとも、小説を書いて公開しているのに、小説を読まない・読む小説の数が少ないなんてことを公言してほしくなかったなあ…。
いやー、すみません。
もうこれご本人が読まれたらきっと「自分のことだ!!」と気づかれると思います。
でも、正直、Webでも商業でも小説を書いている者のひとりとして、「活字が好きでない」発言は見過ごせませんでした…(悲)。
ちょこっと「グサリッ」となってしまったわけです…。
副業とはいえ、活字を書くのが仕事の身としては、それを否定されてしまっているわけですから…。
もちろん好き嫌いは完全個人の問題です!!
活字をぜんぜん読まない方もいます!!
それでいいと思います!!
私だって、映画があまり好きでないので映画館で全然映画見ないですもの!!
この発言は映画関係者の方を「グサリッ」とさせてしまうに違いありません!!
それと似たようなレベルの問題でございます!!
そういうことで、ご本人はそんなつもりはなかったのだと思います!!
だって上記のことは全然関係のない話題にほんのわずかにちょこっとだけ出てきたお言葉だったのですから!
なにそんなこと拾い上げてんだ自分!!とツッコミを入れたいぐらいです。
本当にごめんなさい。
まったく悪意はございません…。
私の勝手な個人的意見なのです。
私がそう思うだけ!!
変なことを気にしてしまっただけ!!
たぶんものすごく少数派、というかむしろ私だけだと思います、こういう風に感じたのは。
なんか、もう、ほんと、変なこと気にしてアホだ私…。
ところで、話題は変わりますが、時折思うこと。
文章を自動変換してくれるパソコンで書いている小説ならではのことだなーとつくづく思ったことなのですが。
よく「漸く」「暫く」を漢字で書いている方がいらっしゃいますねー。
私、この二語、ぱっと見、なんて読むかわかりません!(汗)
だって普段使わないものー!
「ようやく」「しばらく」なのですが、これ、別に漢字でなくてもいいんじゃね?と思います。
むしろ漢字にした方が読みづらいのではないかと…。
いや、これもあくまで私がそう思うだけなのですが。
上にも書いたように、漢字にしなくてもあまり違和感がないのであれば、読む方のこと(負担)を考えて、あえてひらがなのままにすることも必要なのではないかと。
何度も言いますが、これはあくまで私がそう思うだけであり、漢字に変換するしないはもう書く方の自由でございます。
フリーダムです。
私はわりとひらがなにしたままの状態で書いていることが多いです。
そういう主義です。
なので、「こいつこの語句、漢字に変換してないでやんの。知らないのかねえ?」とか思われてるんだろうなーとか考えたりもします。
いやいや、それはわざとです。
まあ、時たまマジで変換し忘れていることもあると思いますが。
誤変換なんてしょっちゅうだし。
でも、少なくとも「ようやく」「しばらく」は漢字にしてません。
ただでさえ自己満足なところが多い夢小説。
漢字が多いと見た目的にもさらに読みづらい印象を与えてしまうので、できる限りそういった部分を排除するようにしておりますー。
せっかく書いた小説、読みやすくしたいですから!
まとまりのない文章ですみません。
疲れてるんだなーと自分で思います。
いや、まあ、いろいろな意味で。
小説をあまり読まないのに、どこから小説を書く力を身につけているのだろうかと不思議に思います。
もちろんぜんぜん小説を読まない人であっても、『文章』を書くという技術は誰でも持っているものなので、それをつなげてつづることは可能だと思います。
でも、文章をただ説明的に並べただけで、それって小説と言えるのかなー?とか思ってみたりなんかしたり…。
なにが言いたいのか自分でもよくわかりませんが。
いやいや、『小説とはこういうものだ!!』と法で定められているわけでもなく、きっちり決まっているものでもないので、その人が小説だと言えば小説なのです。
誰になんと言われようとも小説です。
間違いありません。
小説です!
それでいいと思います。
Webは完全趣味の世界、自分が好きで納得して楽しんで書いた小説を掲載しているのですから。
もう自由です。
フリーダムゥウウウッ!!(うるさい)
さて、ここから先は少々厳しいことを書いているので続きに格納。
愚痴というか、ツッコミというか、あまり読んでいて愉快になる話ではございません。
なら書かなければいいのですが、やっぱり少し吐露しておきたいことだったので、書かせてくださいませ。
正直なところ、『小説を読まない人が書いた小説』を読んでも私は楽しいとは思いません。
情景描写が曖昧で、うまく想像することができず、よく理解できないので…。
私の頭の構造はそんな感じです。
ちゃんと文章である程度情景を描写してもらわないと、想像力が豊かではない貧相な私の頭では、その風景を思い描くことができません…。
なので、結果「うーん、この方の書かれる小説はよくわからないので楽しくないなー」と思ってしまうのです。
あくまで私の場合です。
ほかの方はしっかりバッチリ情景を思い描くことができるのだと思います。
それをおもしろい!楽しい!と思われる方が大勢いらっしゃると思います。
ただ、あくまで私の場合は、そうではないということ言いたいわけでございます。
島国の田舎に住む薄っぺらい人間の私ですが、一応これでもものを書いてそれで時折お金をもらって食べていたりするので、一部の方のみでなく、広く一般的に理解していただけるしっかりとした『文芸小説』を書いている自覚を持っています。
まあ、誰にも文句を言われず好き放題やりたい放題できるWeb小説の世界なので、めちゃめちゃ手抜きをして適当に書いてる部分が多大にありますが。
楽だものー。
どんなにいい加減に書こうとも、編集部から心が折れそうになるほどの手厳しいツッコミを頂くこともありません(苦笑)。
フリーダムでありなおかつ完全な個人趣味であるWebの世界に、編集部なんてもの存在しませんもの。
でも、私が書いている小説は、いわゆる「ケータイ小説」レベルではないつもりです。
ちゃんと読んでいただける方に情景を思い描いていただけるよう、描写しているつもりです。
あっ、でも、わざと「ケータイ小説」っぽくしてある部分もありますよー。
あえてセリフを多く使い、難しい言葉の引用を避け、読みづらい漢字・ひらがなでも違和感のない漢字はあえて変換せずひらがなのまま使用し、スクロールしても目が滑らないよう文字詰めに気を遣い、改行を多く設け、夢小説というジャンル柄、感情移入しやすいよう夢主人公については詳細な描写をせずぼかしたり、擬音を多く使ったりとか、まあいろいろと。
その方がわかりやすいだろうなーと思いまして。
芥川龍之介や太宰治並に「文藝〜文学〜」的な小説をWebで公開しても、二次創作にそんなもの求められていないと思いますし。
気軽に読めるものが一番ですよね。
なので、読みやすいよう私はわざとそういう書き方をしているんですよーと。
Webに公開しているものはあえてそうしているだけで、普段の商業用原稿の書き方が「ケータイ小説」っぽいわけじゃないのです。
ああ、何が言いたいのか段々わかってきた。
ここのところ商業用原稿に追われてずいぶん苦労していたので、私は少々イラッとしたのですな。
小説を読まない人が小説を書いたと言っても、私はそれを小説とは思いませんぜーってことです。
少なくとも、私は楽しくない。
読みたいとも思わない。
なんというか、「私、小説ほとんど読みません。でも、書いてます」ってことを言ってほしくなかったわけです。
もう、はっきり言ってしまうと、一応こんなんでも細々とプロの小説家として活動している身としては、「小説を読まないけど小説を書いている」と言われると、すげー馬鹿にされたように感じるのですよー。
「書くぐらいなら読めよ!!」と思ってしまうわけです。
「私、小説ほとんど〜」という部分を知らなければ、読破するかはどうであれ、少なくともその方の書かれた小説に目は通しました。
でも、「小説を読まないけど書いた」ということを知ったとたん、読む気が失せます…。
ものすごい厳しい言い方をすれば、『小説をほとんど読まない人が書いた小説なんて、レベルが知れている』と思うわけです。
あくまで私は、です。
そう思わない人ももちろんいると思います。
普段小説を読まなくても、めちゃくちゃ面白い小説を書かれる方も多いと思います。
むしろ私が少数派かもしれない。
はっきり言って、偏見なわけで…。
ダメだな私。
文章を書くという技術は、どんどん本を読んで、それから吸収し、自分で書いて上達していくものだと私は思ってます。
模倣したっていいんです。
その本の書き方を思う存分真似してください。
いや、パクれと言ってるわけではないです。
あくまで書き方を吸収しろということで。
私なんて、もうここ数日この雑記で猛プッシュしているあの作家先生にもろに影響を受けているので、文体がとーっても似通ってしまいます。
よく原稿を読んでくれる友人や母に「文体がオッサンくさい」と言われてしまう所以です。
あくまで「なんか似てる」だけで、丸ごとその作家先生の文体を真似しているわけではないです。
文字を使って文章を書くという技術は人に等しく与えられたもの。
どこかしら似通ってもそれが当たり前であり、どうしても限界のがあるものです。
意識して丸ごと文章を写している(いわゆるパクりな)わけではないのであれば、多少文体が似通ってもそれは仕方のないことだと、とある出版社の編集担当様も言ってました。
デビュー作を書いた当時私は19歳でしたが、年齢に対して文章がえらくオッサンくさいので、どうしたのこれ!?と聞かれたもんです。
いかん、話がずれたー。
ええと。
世には無数の小説があります。
人が等しく持つ「文章を書く」という技術を目一杯駆使し、個性を生かした作品がたくさんあるのです。
だからこそ、星の数ほど無数の「作家」さんがいるのです。
絵を描いてビジュアルを見せる漫画とは違い、文字に目に見える特徴を表すことはできません。
だって文字は文字。
変化のしようがない。
だからこそ、文章というものがあります。
文章は文字の集合体であり、どんな風にでも変化させることができます。
それを読む側に理解してもらえるよう組み立てるのが小説なのだと思います。
なので、少なくとも、小説を書いて公開しているのに、小説を読まない・読む小説の数が少ないなんてことを公言してほしくなかったなあ…。
いやー、すみません。
もうこれご本人が読まれたらきっと「自分のことだ!!」と気づかれると思います。
でも、正直、Webでも商業でも小説を書いている者のひとりとして、「活字が好きでない」発言は見過ごせませんでした…(悲)。
ちょこっと「グサリッ」となってしまったわけです…。
副業とはいえ、活字を書くのが仕事の身としては、それを否定されてしまっているわけですから…。
もちろん好き嫌いは完全個人の問題です!!
活字をぜんぜん読まない方もいます!!
それでいいと思います!!
私だって、映画があまり好きでないので映画館で全然映画見ないですもの!!
この発言は映画関係者の方を「グサリッ」とさせてしまうに違いありません!!
それと似たようなレベルの問題でございます!!
そういうことで、ご本人はそんなつもりはなかったのだと思います!!
だって上記のことは全然関係のない話題にほんのわずかにちょこっとだけ出てきたお言葉だったのですから!
なにそんなこと拾い上げてんだ自分!!とツッコミを入れたいぐらいです。
本当にごめんなさい。
まったく悪意はございません…。
私の勝手な個人的意見なのです。
私がそう思うだけ!!
変なことを気にしてしまっただけ!!
たぶんものすごく少数派、というかむしろ私だけだと思います、こういう風に感じたのは。
なんか、もう、ほんと、変なこと気にしてアホだ私…。
ところで、話題は変わりますが、時折思うこと。
文章を自動変換してくれるパソコンで書いている小説ならではのことだなーとつくづく思ったことなのですが。
よく「漸く」「暫く」を漢字で書いている方がいらっしゃいますねー。
私、この二語、ぱっと見、なんて読むかわかりません!(汗)
だって普段使わないものー!
「ようやく」「しばらく」なのですが、これ、別に漢字でなくてもいいんじゃね?と思います。
むしろ漢字にした方が読みづらいのではないかと…。
いや、これもあくまで私がそう思うだけなのですが。
上にも書いたように、漢字にしなくてもあまり違和感がないのであれば、読む方のこと(負担)を考えて、あえてひらがなのままにすることも必要なのではないかと。
何度も言いますが、これはあくまで私がそう思うだけであり、漢字に変換するしないはもう書く方の自由でございます。
フリーダムです。
私はわりとひらがなにしたままの状態で書いていることが多いです。
そういう主義です。
なので、「こいつこの語句、漢字に変換してないでやんの。知らないのかねえ?」とか思われてるんだろうなーとか考えたりもします。
いやいや、それはわざとです。
まあ、時たまマジで変換し忘れていることもあると思いますが。
誤変換なんてしょっちゅうだし。
でも、少なくとも「ようやく」「しばらく」は漢字にしてません。
ただでさえ自己満足なところが多い夢小説。
漢字が多いと見た目的にもさらに読みづらい印象を与えてしまうので、できる限りそういった部分を排除するようにしておりますー。
せっかく書いた小説、読みやすくしたいですから!
まとまりのない文章ですみません。
疲れてるんだなーと自分で思います。
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