「農民」記事データベース20020311-530-01

縄文・弥生のイネは、畑作むきの熱帯ジャポニカ種

農業も人間社会も多様性が大切

 DNA(デオキシリボ核酸)分析を駆使して稲作の起源を追求するなど、めざましい活躍をしている静岡大学農学部の佐藤洋一郎助教授。縄文・弥生時代の農耕はどんなものだったのか、農業と人間の関わりはどうあるべきなのか、話を聞きました。


 DNA分析で稲作の起源を追求する

   静岡大学農学部教授
     佐藤洋一郎氏にきく


――佐藤先生は、DNA分析という方法で、考古学界へ“殴り込み”をかけていらっしゃるようにも見えるんですが、DNA分析で古代のイネについてどんなことがわかってきたのですか。

 稲作というと、水田稲作をイメージしがちなんですが、縄文のイネというのは、だいぶ様子が違うようですね。僕は、縄文時代の稲作は焼畑のような粗放な稲作で、水田ではなかったと思います。縄文時代の遺跡から出土する炭化米のDNA分析してみると、縄文のイネは畑作に適した熱帯ジャポニカという種類が多いんです。

 タイなどでは今でも焼畑稲作をやっています。縄文の稲作もあんな形態だったと思うんです。

――日本での稲作の始まりはいつごろになるんでしょう。

 岡山県・朝寝鼻貝塚からイネのプラント・オパール(植物珪酸体)が検出されていることから、六千五百年ほど前にさかのぼることになりそうです。少なくとも縄文時代後期後半(約三千五百年前)には焼畑による稲作があったとみていいでしょう。

――弥生時代の稲作についてはどうですか。

 弥生時代の水田跡から見つかる米も熱帯ジャポニカが多いんですよ。それに雑草のタネも膨大な量がみつかっています。このことから弥生時代になってからも、水田稲作という技術の導入はあったでしょうが、何年か稲を耕作した後、休閑期間を設けるという“焼畑的稲作”がやられていたんではないかと僕は考えています。イネの品種も雑多な、多様な稲作形態だったと思われます。

――“焼畑的稲作”があったなんて信じられない感じ。でも多様な稲作というのは面白そうですね。

 そうなんですよ。たとえば米粒の大きさを測ると、現代の米粒は大きさがそろっていますね。でも弥生時代〜中世の遺跡から出る米粒の大きさは、今の品種の五倍から六倍のバラツキがあるのです。つまり一つの田んぼでいろんな品種を混ぜて栽培しているんです。

 なぜ混植したのか。その利点はリスクを避ける、災害回避だといわれますが、もう一つ積極的な意味があるんです。つまり多様な自然というのは安定した状態なんです。

――いまの単一品種の栽培は効率は良いですけれど……。

 そう、効率はよい。でも一九九三年の冷害の時のように、危険も大きい。稲も社会も同じで、単一社会の危なさといいますか、輪切りの社会では、自分と違った発想に遭遇したり、異質な者から学ぶといった経験ができない。人種、民族、文化はいうに及ばず、異質なものは取り除くしかない、そういう思想・行動に何か共通した危険なものを感じますね。多様性を認めることこそ大切なことなんですけどね。

――二十一世紀中葉には地球人口が一〇〇億を超えると予測されています。食料生産でも「効率性」の問題と、「多様性」の追求は矛盾することになりませんか。

 なりますね。だから多様性を認めながら、効率性を追求するということが課題になっている。でも「人口が増える、食料難になる。だからバイオテクノロジーや遺伝子組み換えで食料増産をはかる」という意見は幻想だと僕は思います。

 生物は、どこか他の生物の遺伝子と調和をはかったようなところがあって、人間のご都合どおりにはいかないんです。

 日本の食文化の歴史をみても同じで、稲栽培では国家が政策的にインディカの米を入れたことが三回ありましたが、ジャポニカの米を主食とする日本では定着しませんでした。食文化は押しつけられても定着はしない。自然に広がるものなんです。

――生物の遺伝子を多国籍企業が特許として独占するという「生物特許」が広がっていますね。

 タイには「カオ・ドゥマリ」という百年間にわたって作られてきた品種があるんですが、これがアメリカ企業の特許になってしまいました。もうタイじゅうカンカンですよ。アメリカのやり方は、アメリカンスタンダードを「世界標準」として押しつけてくる。グローバリゼーションといいますが、本当はアメリカナイズなんですよ。これが世界中で猛烈な反対を受けているんだと思います。

――日本の農業は、農薬や化学肥料を多投して「効率性」を追求させられている一方で、「作るな」「やめろ」と言われています。

 でも農民はしたたかですよ。去年の秋、長野県の上伊那農民組合で「在来種の白毛餅を栽培・販売しているので話に来てくれ」と言われて行きました。僕はあの取り組みをみて、日本は百年間も国家が稲の品種を管理して、育種も普及もやってきたのに、それが崩れてるなと思いました。これが「多様性」ですよ。

 農民が自分たちで、面白い品種を作って、どんどん自主展開をしたらいいんです。三十〜四十年ほど前の水田は米を作るだけでなく、魚もいる、鳥もいる、ナマズを追いかけたかもしれない……多様な生物が共生しながらバランスをとっていました。

 水田の周りには森があって、肥料や木の実や、水を与えて水田を支える存在でした。こういう自然と調和した環境と農業を守ることが、二十一世紀を生きる私たちにとって大切なことではないでしょうか。


佐藤洋一郎氏のプロフィール

 一九五二年、和歌山県生まれ。

 京都大学農学部農学科卒、京都大学大学院農学研究科農学専攻修士課程修了。国立遺伝学研究所助手を経て、現在、静岡大学農学部助教授。農学博士。

 著書に『稲のきた道』(裳華房)、『DNAが語る稲作文明―起源と展開』(NHKブックス)、『DNA考古学』(東洋書店)、『森と田んぼの危機(クライシス)―植物遺伝学の視点から』(朝日選書)など。

(新聞「農民」2002.3.11付)
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2002年3月

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