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書評

遺稿集 [著]鴨志田穣

[掲載]2008年05月04日
[評者]重松清(作家)

■自分を肯定できる瞬間を探し続けて

 『アジアパー伝』(講談社文庫)でもいいし、「怪人紀行」シリーズ(角川文庫)でもいい。鴨志田穣さんが書いたもの、登場人物になったもの、妻でもあった西原理恵子さんのマンガ、まとめて「カモ本」のどれか1冊読めば、それが本書の序章になる。

 アジアへの旅を繰り返した鴨志田さんは、そのたびにニッポンの常識が通じない連中に出会ってしまう。彼らにさんざん翻弄(ほんろう)され、時に激怒しつつ――結局は、彼らの存在をまるごと受け容(い)れてきた。「カモ本」の最大の魅力は、その不器用な人間肯定のドラマなのだと僕は思っている。

 だが、その一方で、鴨志田さんは肝心の自分自身を受け容れられずにいたのかもしれない、とも思うのだ。鴨志田さんが描く自分自身は常に自己嫌悪に陥っていた。もがき苦しみ、アルコールにも依存して、自分自身を肯定できる瞬間を探し求めながら、なかなかたどり着けない……。

 本書は、そんな鴨志田さんの遺稿集である。昨年3月にがんで逝去する直前までサイトで連載していたエッセーや、未完に終わった長編小説などで構成された本書を、僕は他の「カモ本」に負けないほど読み返すだろう。

 これが最後の著作だからというのではない。本書は、自分自身を肯定できる瞬間を探しつづけた鴨志田さんの、文字どおり生涯をかけた旅の記録――だからこそ、かけがえのない1冊なのである。

 未完の青春小説「焼き鳥屋修業」の途絶した箇所(かしょ)は、まさしく「せっかく肯定できそうになった自分を、また否定してしまう」場面だった。鴨志田さんは、自分自身の物語では(笑いをまぶしながら)そんな場面ばかり描いてきたひとだったのだ。

 だが、その煩悶(はんもん)は、最後の最後に浄化される。本書の掉尾(ちょうび)の一文は、旅の終わりにして、たとえようのない美しい肯定を迎えた瞬間だった。「カモ本」の始まりから終わりまでの長い物語が、いま閉じられた。本書に寄せる読者の喝采を聞くことがかなわなかった鴨志田さんは、しかし、自分の人生を抱きしめて旅立ったのだと、思う。

     ◇

 かもしだ・ゆたか 64年生まれ。カメラマン、エッセイスト。07年3月に42歳で死去。

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