empro は OhmyNews 編集部発の実験メディアプロジェクトです(empro とは?)。

編集者たちへ!

雑誌と新聞の作り方の違い(前編)

元木 昌彦(2008-06-05 05:00)
Yahoo!ブックマークに登録 このエントリーを含むはてなブックマーク  newsing it! この記事をchoixに投稿
 今回は、元読売新聞社会部記者でノンフィクション作家の本田靖春さんと、雑誌と新聞の作り方の違いについて話し合ったことについて書いてみたい。

 今思い出せば汗顔の至りだが、本田さんが読売を辞めてノンフィクション・ライターになったばかりの頃、雑誌の記事のまとめ方について、論争などというものではないが、お互い、少し激して話し合ったことがあった。

 読売新聞の敏腕記者かつ名文記者だった本田さんにしてみれば、雑誌の取材はいい加減で、話してもいないことを、さも実際に会って話したかに書くように、雑誌記事は思えたのだろう。そのような、直截な表現はしなかったが、それに近いことを言われて、まだ駆け出しの編集者であった私は、少しカチンときた。

 確かに、60年安保のとき、樺(かんば)美智子さんが死んだことを、当時では珍しい署名入りで社会面トップに書いた本田さんから見れば、よちよち歩きのガキがろくな取材もできずに、こんなものをつくっているのかと思うのは無理もなかったのかもしれない。

取材したものをどう膨らませるか

 新聞記事は、限られた文章量で5W1Hを伝える取材力と、長いものになれば、文章力が要求される。新聞の文章は、取材した多くの中から、どれを捨てていくか、削っていくかが大事なことだと思う。

 しかし、雑誌というのは少し違うのではないか。たとえば、月刊『現代』の場合、短い特集で7ページはある。400字の原稿用紙で20枚以上の計算だ。

 それを埋めるためには、取材したものを捨てていくことよりも、どう膨らませるのかが大事になる。できるだけ多くの取材をし、多くのインタビューをとり、新聞のように捨てるのではなく、テーマにあわせて膨らませ、読んでもらえるものにしなければならない。そのために、多くの月刊誌や週刊誌では、アンカーマン制度をとっている。

 企画が決まり、取材を始めるときも、データマン何人かに手伝ってもらいながら進める。手分けをして、事実取材をし、事柄の裏の話を知っていそうな人間や背景説明をしてくれる評論家などへのインタビューを試みる。新聞記者に比べると拙い取材力であっても、何とか、最大限の努力をすることはいうまでもない。

 そうして集まってきたデータを、編集者が、自分のものも含めて頭に入れ、アンカーマンに渡すためのコンテ作りをする。その場合、多くは、自分の上のデスクや副編集長に相談し、この線でまとめようと思うと相談する。そのとき、アドバイスを受けて、足りない部分は追加取材をするときもある。

 集めてきたデータをもとに、どうしたら、読者が読んでくれるものにするかが、編集の腕の見せ所でもある。

 データの多くはファクト、事実だ。事件記事を例にとれば、新聞の場合は、事実だけを客観的に伝え、推測や推量は排除することが多いに違いない。しかし、それでは、新聞記事と同じかそれ以下のものしかできてこない。そんな記事におカネを出して買ってくれるだろうか。事件そのものも、警察発表と現場の聞き込みでは、聞こえてくる声や、見方が違うことがままある。

新聞と違う視点を見つける

 本田さんと話をした少し後になるが、私が『週刊現代』の現場にいたときの1974年7月から8月にかけて、千葉、東京、埼玉で女性が強姦されたうえ殺害される事件が相次いだ。「首都圏女性連続殺人事件」と称されたこの事件を、今はノンフィクション作家になっている朝倉恭司記者と亡くなった小柳明人記者と3人で、事件が起きた現場を全部取材して回った。

 被害者の何人かは、お風呂帰りに被害に遭い、自分のアパートがすぐそこに見える場所で暴行され、無惨に殺されてしまった。6件のうち、4件は、夜中に自宅に侵入されて暴行され、証拠が残らないようにするためであろう、火を付けられていた。しかし、綾瀬のケースのように、外で殺されたケースも2件あった。

 この事件は、3県にまたがった広域事件として注目を集めた。警察発表をそのまま書く新聞は、同一犯人だとしていたが、事件現場を歩いてみると、まったく違う手口や、放火の手口も異なる点があることが見えてきた。

 そこで、この事件を記事にするとき、「3県にまたがった事件のために、警察の縄張り争いや情報隠し、責任逃れのために、同一犯としているのはおかしい」とリードで書き、記事もそのような論調でまとめた。その約1カ月後、小野悦男という人間が逮捕された。結局、彼は、数件のうちのS子さん殺害で起訴される。86年9月4日、千葉地裁松戸支部で、裁判長は「被告の自白は信用できる」と無期懲役を言い渡した。

 しかし、91年4月23日、東京高裁・堅山真一裁判長は自白調書について、「捜査当局は被告を代用監獄である警察留置場に拘置し、自白を強要しており、任意性は認められない」と証拠能力を否定。窃盗罪のみ有罪を認定して「懲役6年、未決勾留日数を刑期に満つるまでの分を算入する」と、一審の無期懲役を破棄し、釈放になった小野は、一躍、冤罪のスターになったのだ。

 その後、小野は、同居していた女性を殺して家の庭に埋める殺人事件を起こして死刑判決を受けるのだが、彼が間違いなくやった事件だけにしぼって捜査し、無理な自白を強要していなければ、再犯はなかったのではないか。初動で「すべてでクロ」と見なして無理した結果、2審でシロになってしまったわけで、悔やまれる事件である。

 ほんの一例だが、取材現場で考えたことや、集まってきたデータを詳細に検討し、新聞報道とは違う視点を見つけることが、雑誌の編集者にとって大事なものになる。断片の事実を並べ、場合によっては、入れ替えることで、違う視点が見えてくることがある。

 本田さんにも言われたが、それは、事実をゆがめたり、嘘を書くことではない。

 後編では、犯人と被害者がいない事件で週刊誌屋は何をするかについて書いてみたい。

(つづく)


編集者たちへ! トップページへ

元木 昌彦 さんのほかの記事を読む

マイスクラップ 印刷用ページ メール転送する
1
あなたも評価に参加してみませんか? 市民記者になると10点評価ができます!
※評価結果は定期的に反映されます。
評価する

なぜ日本のニュースサイトはつまらないのか
»日本列島力クイズを大画面でプレイする