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佐藤美玲の米大統領選レポート 2008 RaceWatch

オバマ、黒人初の米大統領候補に(上)

人種平等の戦いに歴史的な1歩

佐藤 美玲(2008-06-04 19:05)
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 6月3日、民主党指名争い最後の予備選が行われ、バラク・オバマがモンタナで、ヒラリー・クリントンがサウスダコタで勝利した。

 この結果、オバマの獲得代議員総数は2156人、うち特別代議員384人(CNN集計米国西部時間3日午後11時現在)となり、指名に必要なマジックナンバー2118に到達した。(5月31日の党規則委員会で、剥奪されていたフロリダとミシガンの代議員数半分の復活が認められ、2025から増えた)

 クリントンの獲得代議員数は1923人(うち特別代議員286人)で、激戦の末に敗れた。

 オバマは、8月末にデンバーで開かれる民主党大会で、アメリカ史上初めて、非白人として2大政党の大統領候補に指名されることになる。

 この日まで態度を公表しなかった約200人の特別代議員は、歴史的な瞬間を前に発車する列車に乗り遅れまいとするように、3日早朝から続々とオバマ支持を表明した。

 元大統領のジミー・カーター、サウスカロライナ下議のジェームス・クライバーン、投票箱が閉まる3時間半前には、長年のクリントン支持者であるカリフォルニア下議マキシン・ウォーターズが鞍替えを表明した。それ以降、各局の選挙特番の画面下に映る「代議員数カウントダウン」は、ドラマチックに分刻みで減っていった。

 オバマはこの夜の勝利演説会場に、ミネソタ州セントポールを選んだ。

 9月に共和党大会が開かれ、ジョン・マケインが指名受諾演説をする会場だ。予備選の勝利宣言と本戦への決起集会を同時に行う、象徴的な戦略だ。2万人の熱狂的な支持者が会場を埋め、入り切らなかった1万5000人が外を囲んだ。

 鳴り止まない歓声の中、オバマは勝利演説を始めた。

 「今、ひとつの歴史的な旅が終わり、新しい旅が始まろうとしている。あなたたちのおかげで今夜、私は民主党の大統領候補になると宣言できる」

 オバマは、長い演説の中で「黒人初」とは一度も言わず、アメリカの勝利、アメリカの歴史的瞬間であることを強調した。

 同時に、女性として政治家としてクリントンの能力と功績を称え、ヘルスケアなどの政策実現を約束した。党の融和だけでなく、本戦を見据えて幅広い有権者に訴えるべく、「より公正でより良い未来を夢見るすべてのアメリカ人が一緒になって、国を再生する時がきた」と述べた。
ミネソタ州セントポールで勝利宣言したオバマ氏と夫人のミシェル=6月3日(ロイター)
  ◇

 初戦のアイオワ勝利からちょうど5カ月。無名の新人上院議員が、元ファーストレディーで圧倒的な資金力と知名度を持ち、あたかも現職のように万全を期して出馬したクリントンを破った。その道のりは、どの政治評論家の予想をも上回る劇的なものだった。

 黒人と白人の血を引き、ハワイとインドネシアで育ったライフストーリー(個人の物語)を「多人種国家アメリカの物語」に結びつけ、「CHANGE」(変革)を合い言葉に、寛容と対話の姿勢を打ち出した。そのキャンペーンは、党派と世代を超えた多くの人々を惹き付けた。

 1人1人の力を結集して社会を変えるという民主主義の理想は、キャンペーンのもうひとつのスローガン「HOPE」(希望)と重なり、ブッシュ政権とワシントンに飽きた人々に政治に参加する意欲を取り戻させた。

 遊説の先々に数万人の白人黒人老若男女が詰めかけて共に運動する姿は、政治集会としてはもちろん、アメリカの日常生活でも滅多に見られない光景だった。

 奴隷制と白人優越主義のもとに建国され、国力を拡大してきたアメリカで、オバマのような人物が最高権力の座にここまで近づいたことは、黒人だけでなく、マイノリティー全体にとって大きな意味を持つ。

 ロサンゼルス郊外に住む韓国系アメリカ人のスーザン・アン・カディー(75)は、共和党支持者だったが、オバマを見て支持政党を変えた。

 「1942年に渡米して南部で過ごした。まだ人種隔離政策があった時代、職場の同僚の黒人は白人と一緒に歩くことさえ許されなかった。オバマがこの国のリーダーになるなんて、あの頃にはとても考えられなかった」

と振り返る。

 ロサンゼルスの黒人女性リリアン・モブリー(77)は涙ぐんで言う。

 「生きているうちにこんな日が来るとは思わなかった。オバマはこの国の未来。私の孫、ひ孫の世代はこれを見て、困難に直面しても成功を信じて進んでいくことができるだろう」

 西海岸で最も歴史が古い黒人新聞LAセンチネル紙のオーナー、ダニー・バークウェルはこう語る。

 「60年代、公民権運動が盛んだった時と同じ希望が、再びアメリカに宿り始めているのを感じる。ジェシー・ジャクソンなど過去にも大統領選に立候補した黒人はいたが象徴的なもので、勝てる候補はオバマが初めてだ。黒人も白人も、あらゆる人がオバマを支えていることに大きな前進を感じる」

 50年代に始まった公民権運動を率いた黒人指導者たちにとっては、誇りと感慨に満ちた特別な夜になった。

 84年と88年に大統領選に立候補したジェシー・ジャクソンは、シカゴ・トリビューン紙のインタビューに答えて

 「アメリカを民主化し人間的な国にするために私たちが続けてきた戦いにおける、大きな勝利だ」

と喜ぶ。

 マーティン・ルーサー・キングの右腕だった故ラルフ・アバナシー牧師の妻、ワニータ・ジョーンズ・アバナシーも同紙に対し、

 「私たち黒人はこの国に常に忠誠を誓い、(独立戦争を含む)すべての戦争で戦ってきた。そして今、私たちの時がきた。この勝利は誰かから与えられたものじゃない。私たちの手で勝ち取り、歴史にこの瞬間を刻んだのです」

と話した。

 多くの人にとっては「予想外」だったオバマの勝利だが、ロックコンサートのような熱狂の裏で、オバマ陣営は勝つための緻密な戦略を立てていた。

 2月6日、スーパーチューズデー翌日、陣営が予備選全州の勝敗を予測した内部メモがメディアに漏れたことがあった。メモは大接戦を予測していた。残る27州中19州でオバマが勝つが、テキサス、オハイオ、ペンシルバニアなどの大票田はクリントンが勝利。その上で、最終的に一般代議員獲得数でオバマがクリントンに18人差をつけて勝つ、というものだった。

 幾つかの大票田州に運動を集中させるのではなく、党員集会の州や伝統的に民主党が弱い州にも力を注いで代議員数を積み重ね、全50州で戦うという戦略だ。

 予備選はほぼその予測通りに進み、最終的な一般代議員の差は18人どころか150人にもなった。後半、ペンシルバニアなどでクリントンが勝利するたび、クリントン陣営や評論家らは「オバマは弱い。クリントンを叩き潰せない」と批判したが、オバマ陣営と支援者たちは、最後の予備選まで爪を噛むようなギリギリの接戦が続くことは織り込み済みだった。メモの数字と比べれば予想以上に差をつけたとさえ言える。

 一方のクリントン陣営は、アイオワ惨敗もスーパーチューズデー以降の戦いも計算していなかった。クリントン自身、予備選開始直前に「2月5日には候補者が決まる」と公言していたぐらいだ。

 クリントン陣営の計算違いを象徴する、印象的な光景がある。1月3日、アイオワの投開票が行われた夜のことだ。

下に続く

【編集部注】 一部誤記の訂正と、追記をしました。(2008/6/5 10:05)



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