知るを楽しむ NHK 2008年6月
NHK知るを楽しむ
教育テレビ 月〜木曜日 午後10:25〜10:50 (本放送) ※再放送を含めた詳しい放送スケジュールは各曜日の詳細ページをご覧ください。
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水曜日 人生の歩き方
6月 水木しげる 百歳まで生きるでしょう
人生の歩き方 水木 しげる

1922年、鳥取県生まれ(大阪で生まれた翌月、両親とともに鳥取県へ帰郷)。漫画家。
50年代から紙芝居や漫画を手がけ、やがて「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などのヒット作を次々と世に送り出す。また妖怪が出てくる漫画のほかに、幼少時代の暮らしを描いた「のんのんばあとオレ」や戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」のような自伝的な作品やエッセイにも根強い人気がある。65年「テレビくん」で第6回講談社児童漫画賞、90年「昭和史」で第13回講談社漫画賞を受賞。91年紫綬褒章、2003年旭日小綬章受章。

講座内容 本放送 再放送
第1回 好きなことだけしていた 6月4日
午後10:25〜10:50
6月11日
午前5:05〜5:30
第2回

ビンタか死か

6月11日
午後10:25〜10:50
6月18日
午前5:05〜5:30
第3回 鬼太郎誕生 6月18日
午後10:25〜10:50
6月25日
午前5:05〜5:30
第4回 なまけ者になりなさい 6月25日
午後10:25〜10:50
7月2日
午前5:05〜5:30
第1回 好きなことだけしていた

少年時代水木さんは、地元で評判の大食児だった。気ままで自分本位、絵を描いたり何か集めたり好きなことだけにとことん熱中する「水木サンのルール」を幼少期に確立、小学校入学を1年遅らせるほどだった。お手伝いにきていた「のんのんばあ」に「あの世」について聞かされ「人間は死ぬとどうなるんだろう」と弟を使って実験しようとして両親に大目玉。楽しさいっぱいの少年時代。

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第2回 ビンタか死か

就職しては次々クビになり、折しも太平洋戦争がぼっ発。なにかというと「非常時」が決まり文句。「出征すれば間違いなく死ぬ」とニーチェやゲーテをよみふけっていた。しかし、21歳で赤紙がくる。のろまな初年兵はビンタの嵐で激戦地ラバウルに送られてしまう。爆撃に会い、死にものぐるいの逃避行で左腕を失い、やっと帰り着いた隊で「なぜ死なずに逃げたのか」の一言に、心がプツンと切れた。そんな水木さんを救ってくれたのが、現地のトライ族ののんきな人々との交流だった。

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第3回 鬼太郎誕生

戦後は、食うための格闘だった。闇屋、魚売り、輪タク、結局好きな絵が描ける紙芝居作家となったが、これが食えない。結婚した布枝さんも驚く貧乏生活。安く買った腐る直前のバナナで腹を満たし、税務職員に「家族が食べていける所得じゃない」と疑われるほど。極貧生活が40歳すぎるまで続き、次第に陰惨な作品が増えていく。しかし、好きな絵だからと書き続けた。そんな中でついに「墓場の鬼太郎」が誕生する。

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第4回 なまけ者になりなさい

「鬼太郎」が大ヒットしてからは、収入は安定するものの超多忙な日々が待っていた。ラバウルの部隊仲間と再会したことがきっかけで、ラバウルに30年ぶりに再訪する。昔のままにゆっくりのんびりと暮らすトライ族の人たちと久しぶりに会ったことで、水木さんは、「多忙と不安にさいなまれて生きるのはもうコリゴリ。のんきな『水木サンのルール』をとりもどそう」と決意。仕事を減らし妖怪探しの旅へ。水木さんは生きていることの幸福を味わうことの大切さを説く。

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