「死刑になりたかった」と、容疑者が犯行動機を供述する事件が続いている。なぜ、「死刑願望」とも言える供述が相次ぐのか? これらの事件が意味するものは? 著書「死刑」(朝日出版社)を出版した映画監督で作家の森達也さんらと考えた。【中川紗矢子】
オウム真理教の信者側からの視点で事件や世間をあぶり出したドキュメンタリー映画「A」など、第三の視点からの作品でたびたび議論を起こしている森さんは、黒のパーカ姿で現れた。ひょうひょうとした雰囲気に淡々とした口調。ストイックなほどにテーマを徹底的に掘り下げる仕事ぶりからは意外なほど、脱力した印象だ。
「僕は、(供述を)額面通りに受け取らない方がいいんじゃないか、という気がしています。まったくウソではないでしょうし、そういう要素もあると思いますが、人の心は揺れますから。死刑制度があるから、死刑になりたいが故に罪を犯した、というふうに短絡的に考えない方がいいと思うんです」
相次ぐ事件は、死刑制度に関する議論の発火剤となった。その一つが、死刑制度維持の理由として挙げられる、犯罪の抑止効果だ。
「心情分析をしても、犯人の本当の気持ちは分かるはずはないですから、抑止効果があるかどうかは、統計で見ていくしかない。ヨーロッパは死刑を廃止した後、犯罪はほとんど増えていません。減っている国もあるくらいです。最近、米ニュージャージー州で死刑を廃止しましたけど、その理由の一つも抑止効果がない、ということでした。データから見て、抑止効果はありません」
森さんは著書の中で、死刑制度の密室性の問題を一貫して指摘している。死刑の実情が知らされていないことが、こうした犯罪を誘発している可能性はあるだろうか?
「仮に、死刑を望んで罪を犯す人が本当にいるとすれば、その可能性はあるでしょうね。日本は自殺が多い国ですから、そういう意味では、自殺と他殺はそんなに距離は無いと思うんです。もしかしたら死刑を求めて人を殺す人がこれから増えてくるかもしれない。そうであれば、やっぱり死刑制度というものを、もうちょっと考えるべきだと思いますよね」
死刑になりたい人が、そのために罪を犯して、望み通りに死刑になることに違和感を覚える人は少なくないだろう。この矛盾は、どう受け止めたらいいのだろうか?
「ねじれてしまいますね。生きていてほしくないけど、死刑はその人の望みをかなえてしまうことになる。刑罰って何だ、罪と罰とは何か、ということを考えた方がいい。日本の刑法は、刑を受けて、改悛(かいしゅん)して、改めて社会に復帰する、ということを前提にした教育刑です。それに対して、死刑は応報刑なんです。応報という考えからすると、本人の嫌がることをするのが刑罰。死を望む人に対しては、生かすことの方が、たぶん罰になるわけです」
2008年5月28日