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【国際】

『日本のカミカゼに触発』 独・エルベ特攻隊

2008年5月25日 朝刊

「エルベ特別攻撃隊」について語るハヨ・ヘルマン氏=ドイツ西部デュッセルドルフで(三浦耕喜撮影)

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 ナチス・ドイツが第二次世界大戦末期に実施した連合軍爆撃機への体当たり攻撃が、旧日本海軍の神風特別攻撃隊に触発されて立案されていたことが明らかになった。ドイツの「エルベ特別攻撃隊」元指揮官が本紙に明らかにした。日本の「カミカゼ」が、欧州の若者たちをも駆り立てていた歴史が浮かび上がった。

 (ベルリン支局・三浦耕喜) 

 元指揮官は独西部デュッセルドルフ在住のハヨ・ヘルマン元空軍大佐(95)。同氏は戦闘機による連合軍爆撃機への体当たり攻撃を立案。衝突と同時にパラシュートで脱出することで生還の可能性を残していたが、「自己犠牲攻撃」として志願者を募り、一九四五年四月七日に実行した。

 立案の経緯について、ヘルマン氏は「日本のカミカゼの報を受け、劇的な戦法を試みようと考えた」と証言。四四年十月のレイテ沖海戦から日本軍が投入した神風特別攻撃隊に触発された、と語った。「大島浩駐独大使(当時)を招いて戦法について質問した」と、日本側に説明を求めたことも明らかにした。

 自殺を命じるのに等しい作戦にナチス・ドイツの総統ヒトラーは難色を示したとされ、ヒトラーに次ぐナチスの実力者だったゲーリング空軍総司令官も反対した。しかし、燃料も戦闘機も不足する中では、やむを得ない戦法だと説得したという。効果への疑問から、作戦は一度で終わっている。

戦果は疑問、時間稼ぎ狙う

 エルベ特別攻撃隊の元指揮官、ハヨ・ヘルマン元空軍大佐との一問一答は以下の通り。

 −爆撃機への体当たり攻撃を立案したきっかけは。

 日本のカミカゼの報を聞き、最後の手段として劇的な戦法を試みようと考えた。ドイツでもそれ以前に、その場の判断で敵機に体当たりし、撃墜した例もあった。私は当時の大島浩駐独大使をデーベリッツ(ベルリン西郊)の司令部に招き、カミカゼ戦法について尋ねた。

 −効果がある戦法だと考えたのか。

 正直、日本が言う戦果の大きさには疑問を持っていた。だが日本がカミカゼを投入したことは衝撃的だった。周りでも、カミカゼのニュースに「見ろよ、日本人の戦いぶりを」と話していた。

 −上層部の判断はどうだったのか。

 初めゲーリング空軍総司令官は『(自滅を前提とするのは)ゲルマン的な戦い方ではない』と言っていた。しかし、ドイツでは燃料も航空機も不足し、通常の防空戦は不可能だった。唯一、最新鋭のジェット機が圧倒的な速力で大きな戦果を上げていた。体当たり攻撃で爆撃の足を止めて時間を稼ぎ、ジェット機の生産を確保したいという説得を、最終的には受け入れた。

 <エルベ特別攻撃隊> ドイツが第二次世界大戦で敗北する約1カ月前に編成した戦闘機による連合軍爆撃機への体当たり攻撃部隊。独北部のエルベ川周辺に展開したため、こう呼ばれる。約180機を動員した。戦果は資料により異なるが、体当たりで二十数機の爆撃機を撃墜し、同部隊の約80人が戦死・行方不明になったとされる。

 

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