2008-02-10 20:45:18
外国人から賞賛された江戸の美しい街並み
テーマ:歴史
破線で囲まれた部分は2004年2月2日付の産経新聞に掲載された、石原慎太郎東京都知事の談話の一部です。
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私の執務室のある都庁の廊下に、細長く巨(おお)きな二枚の写真が飾られてある。片方はレトロの白黒、片方は色刷りのパノラマ写真だが写っているのは共にこの東京のほぼ全景である。
白黒の方は今から百数十年前の慶応元年にイギリスの写真家、フェリックス・ベアトによって愛宕山の山頂から撮られたものだ。手前に長岡藩牧野家中屋敷の白い塀が続き、左彼方には築地の本願寺、右手には芝の増上寺が望まれその向こうには浜御殿、今の浜離宮の森が茂り、さらに江戸前の海が輝いて見える。
寺の伽藍をのぞけばさしたる高層の建築は見当たらず、ほとんどの主たる建物は二階建てで、屋根はみな濃い灰色の瓦でふかれ、壁は白、瀟洒(しょうしゃ)としたモノクロームの町並みが連なっているパノラマの光景は息をのむほどしっとりと美しい。当時江戸に滞在していた外国人たちは、大名屋敷の甍(いらか)に埋め尽くされたこの景観を「長い道路と、白壁と、灰色の大海」、と形容していたそうな。
明治に入って新しい西欧風のホテル建築を依頼され来日した建築家フランク・ロイド・ライトは初めて目にする江戸の景観に感嘆し、その日記の中にこれほど瀟洒な街並みを見たことがないと記している。
そしてその感動のままに彼は当初の、おそらくコンクリート建てによる発想を変えて、この街にこそ似合った素材を日本中で捜し、ようやくあの質感の柔らかな大谷石を見つけて名作の旧帝国ホテルを作ったのだった。
ライトに限らず他の外国人の目にも、かつての日本の首都江戸は他国の首都と比べて優る素晴らしい大都市として映り、高い評価を得ていた。日本近海で難破し江戸にたどりついたスペイン東洋艦隊の提督フェルナンド・ロドリゴは、帰国後政府に提出した報告書の中で江戸について「わがスペインの首都マドリッドにも優る木製の大都市である。その町並みの整然たる様はマドリッドも及ばない」、と最大級の賛辞を呈している。
彼らの江戸への相対的な高い評価がいかに尤(もっと)もなものかを、慶応年間に撮影されたあの江戸の写真は証している。
プリンストン大学の社会学教授スーザン・ハンレーは彼女の著書「江戸の遺産」の中で、中世近世は世界的には長く暗い時代で、人間として満足するに足る生活が出来たのは貴族等限られた特権階級だけで、他の市民は抑圧を強いられ続けたが、江戸の市民は例外だった。自分がもし中世に生きたとしたなら、江戸の市民として生まれ暮らしたかったと述べてもいる。
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元治元年(1864)前後に撮影されたF・ベアトによる江戸のパノラマ写真。愛宕山山頂付近から撮影。クリックで拡大。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Panorama_of_Edo.jpg
日吉神社から赤坂周辺の町並み。手前は江戸城の外掘。クリックで拡大。
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai8.html
隅田川にかかる新大橋。元禄6年(1693)にかけられた、長さ約209m。クリックで拡大。
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai3.html
私がベアトの江戸のパノラマ写真を見たのは、6-7年ほど前です。このパノラマ写真よりももっと細部が見えていて、映画のロケセットのように道路が綺麗だったのを今でも鮮明に覚えています。江戸時代には、街中で落ちているゴミをを集めて燃料として、銭湯などに売る業者がいたために、街に落ちているゴミは、とても少なかったそうです。これまで、江戸時代の日本の街は美しかったと聞いても、ピンときませんでしたが、ベアドの写真を見て、すっかり魅了されてしまいました。まさに百聞は一見にしかずです。
黒船で知られるマシュー・ペリーの日記には、将来、日本が強力な工業国となることを予言する記述があります。ペリーの日記については、NHKの歴史番組でも取り上げられているのでご存知の方も多いでしょう。
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機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。
他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう。[1,p21]
風見明、日本の技術レベルはなぜ高いのか、PHP文庫、2002
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10年以上前の話ですが、知人と話をしていた時、中国や韓国はなぜ近代化が遅れたのかということが話題になりました。その当時は、儒教の考え方が強かったためだと考えていましたが、うまく説明することができずに、ずっと気にかけるようになっていました。このペリーの日記の一節は、私の小さな疑問を解決するだけでなく、日本人がどんな面で優れているのか、教えてくれる名文だと思います。
実際、お隣の韓国は、日本の江戸時代のような状況だったと、学校では教えられていますが、実際はかなりの国力差がありました。人口は19世紀末の頃にで800万人前後と日本の江戸末期の4分の1程度で、人々は写真のように貧しい状態でした。衛生状態も悪く、道端に糞尿が撒かれ、コレラなどの伝染病が蔓延していました。小判や藩札といった高額の貨幣がなく、高価な買い物への支払いは穴開きの銅銭を一日中数えて支払うという有様でした。中国も似たような状態だったようです。朝鮮については、女流探検家として著名なイザベラバードが数多くの記録を残しています。朝鮮通信史は、朝貢の代わりとして朝鮮から派遣されたものですが、現在ではなぜか朝鮮の優れた文化を伝えるための使者として教えられています。
百年前の朝鮮首都漢城(現在のソウル)の中心部に位置する南大門前。スラム街ではなく、ごく一般庶民の民家。クリックで拡大。(日韓併合前後 朝鮮半島写真館)
歴史を学ぶときは、現代人の視点ではなく、当時の世界的な水準で客観的に評価する必要があります。日本の歴史教科書やマスコミが放送する日本の歴史は、当時の世界的な水準で客観的に扱っているとはとても思えません。しかも、日本の教科書の一部はGHQや左翼団体、某外国人圧力団体によって、歴史的事実から大きく変えられてしまっています。日本の江戸時代には、現在の経済大国・科学技術大国の下地が出来ていたと考えるべきでしょう。そういった面は、現在残された当時の庶民向けの工芸品にも見ることができます。
しかし、昔の写真は正直です。今は、ネットが普及しているので、昔の写真めぐりが簡単に出来ます。いろいろと巡って、感じ取ってみてはいかがでしょうか。なにか新しい発見があるかもしれません。
参考文献
イザベラ バード 朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 講談社学術文庫
参考サイト(様々な写真が見ることができます)
これが江戸だ!(仙川、増上寺、江戸城半蔵門前、水道橋、東京湾)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai.html
これが江戸だ!part2(江戸、横浜、箱根、大阪、長崎)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai2.html
これが江戸だ! part3(江戸城、庶民の暮らし)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai3.html
これが江戸だ! part4(モース、人力車 、大森貝塚 、明治、 明治維新)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai4.html
これが江戸だ! part5(徳川慶喜、勝海舟、坂本龍馬、福沢諭吉、伊藤博文)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai5.html
これが江戸だ! part6(徳川慶喜、慶喜が撮影した写真)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai6.html
これが江戸だ! part7(幕末の歴史イベントの現場)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai7.html
これが江戸だ! part8(江戸市中、吉原)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai8.html
これが江戸だ! part9(利根川、鎌倉、東海道、日光)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai9.html
これが江戸だ! part10(庶民の暮らし、幕末から明治初期の偉人)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai10.html
これが江戸だ! part11(隅田川、不忍池、浜離宮、お茶の水、庶民)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai11.html
日韓併合前後 朝鮮半島写真館
http://photo.jijisama.org/index.html
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私の執務室のある都庁の廊下に、細長く巨(おお)きな二枚の写真が飾られてある。片方はレトロの白黒、片方は色刷りのパノラマ写真だが写っているのは共にこの東京のほぼ全景である。
白黒の方は今から百数十年前の慶応元年にイギリスの写真家、フェリックス・ベアトによって愛宕山の山頂から撮られたものだ。手前に長岡藩牧野家中屋敷の白い塀が続き、左彼方には築地の本願寺、右手には芝の増上寺が望まれその向こうには浜御殿、今の浜離宮の森が茂り、さらに江戸前の海が輝いて見える。
寺の伽藍をのぞけばさしたる高層の建築は見当たらず、ほとんどの主たる建物は二階建てで、屋根はみな濃い灰色の瓦でふかれ、壁は白、瀟洒(しょうしゃ)としたモノクロームの町並みが連なっているパノラマの光景は息をのむほどしっとりと美しい。当時江戸に滞在していた外国人たちは、大名屋敷の甍(いらか)に埋め尽くされたこの景観を「長い道路と、白壁と、灰色の大海」、と形容していたそうな。
明治に入って新しい西欧風のホテル建築を依頼され来日した建築家フランク・ロイド・ライトは初めて目にする江戸の景観に感嘆し、その日記の中にこれほど瀟洒な街並みを見たことがないと記している。
そしてその感動のままに彼は当初の、おそらくコンクリート建てによる発想を変えて、この街にこそ似合った素材を日本中で捜し、ようやくあの質感の柔らかな大谷石を見つけて名作の旧帝国ホテルを作ったのだった。
ライトに限らず他の外国人の目にも、かつての日本の首都江戸は他国の首都と比べて優る素晴らしい大都市として映り、高い評価を得ていた。日本近海で難破し江戸にたどりついたスペイン東洋艦隊の提督フェルナンド・ロドリゴは、帰国後政府に提出した報告書の中で江戸について「わがスペインの首都マドリッドにも優る木製の大都市である。その町並みの整然たる様はマドリッドも及ばない」、と最大級の賛辞を呈している。
彼らの江戸への相対的な高い評価がいかに尤(もっと)もなものかを、慶応年間に撮影されたあの江戸の写真は証している。
プリンストン大学の社会学教授スーザン・ハンレーは彼女の著書「江戸の遺産」の中で、中世近世は世界的には長く暗い時代で、人間として満足するに足る生活が出来たのは貴族等限られた特権階級だけで、他の市民は抑圧を強いられ続けたが、江戸の市民は例外だった。自分がもし中世に生きたとしたなら、江戸の市民として生まれ暮らしたかったと述べてもいる。
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元治元年(1864)前後に撮影されたF・ベアトによる江戸のパノラマ写真。愛宕山山頂付近から撮影。クリックで拡大。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Panorama_of_Edo.jpg
日吉神社から赤坂周辺の町並み。手前は江戸城の外掘。クリックで拡大。
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai8.html
隅田川にかかる新大橋。元禄6年(1693)にかけられた、長さ約209m。クリックで拡大。
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai3.html
私がベアトの江戸のパノラマ写真を見たのは、6-7年ほど前です。このパノラマ写真よりももっと細部が見えていて、映画のロケセットのように道路が綺麗だったのを今でも鮮明に覚えています。江戸時代には、街中で落ちているゴミをを集めて燃料として、銭湯などに売る業者がいたために、街に落ちているゴミは、とても少なかったそうです。これまで、江戸時代の日本の街は美しかったと聞いても、ピンときませんでしたが、ベアドの写真を見て、すっかり魅了されてしまいました。まさに百聞は一見にしかずです。
黒船で知られるマシュー・ペリーの日記には、将来、日本が強力な工業国となることを予言する記述があります。ペリーの日記については、NHKの歴史番組でも取り上げられているのでご存知の方も多いでしょう。
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機構製品および一般実用製品において、日本人はたいした手技を示す。彼らが粗末な道具しか使ってなく、機械を使うことに疎いことを考慮すると、彼らの手作業の技能の熟達度は驚くほどである。日本人の手職人は世界のどの国の手職人に劣らず熟達しており、国民の発明力が自由に発揮されるようになったら、最も進んだ工業国に日本が追いつく日はそう遠くないだろう。
他国民が物質的なもので発展させてきたその成果を学ぼうとする意欲が旺盛であり、そして、学んだものをすぐに自分なりに使いこなしてしまうから、国民が外国と交流することを禁止している政府の排他的政策が緩められれば、日本はすぐに最恵国と同じレベルに到達するだろう。文明化した国々がこれまでに積み上げてきたものを手に入れたならば、日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう。[1,p21]
風見明、日本の技術レベルはなぜ高いのか、PHP文庫、2002
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10年以上前の話ですが、知人と話をしていた時、中国や韓国はなぜ近代化が遅れたのかということが話題になりました。その当時は、儒教の考え方が強かったためだと考えていましたが、うまく説明することができずに、ずっと気にかけるようになっていました。このペリーの日記の一節は、私の小さな疑問を解決するだけでなく、日本人がどんな面で優れているのか、教えてくれる名文だと思います。
実際、お隣の韓国は、日本の江戸時代のような状況だったと、学校では教えられていますが、実際はかなりの国力差がありました。人口は19世紀末の頃にで800万人前後と日本の江戸末期の4分の1程度で、人々は写真のように貧しい状態でした。衛生状態も悪く、道端に糞尿が撒かれ、コレラなどの伝染病が蔓延していました。小判や藩札といった高額の貨幣がなく、高価な買い物への支払いは穴開きの銅銭を一日中数えて支払うという有様でした。中国も似たような状態だったようです。朝鮮については、女流探検家として著名なイザベラバードが数多くの記録を残しています。朝鮮通信史は、朝貢の代わりとして朝鮮から派遣されたものですが、現在ではなぜか朝鮮の優れた文化を伝えるための使者として教えられています。
百年前の朝鮮首都漢城(現在のソウル)の中心部に位置する南大門前。スラム街ではなく、ごく一般庶民の民家。クリックで拡大。(日韓併合前後 朝鮮半島写真館)
歴史を学ぶときは、現代人の視点ではなく、当時の世界的な水準で客観的に評価する必要があります。日本の歴史教科書やマスコミが放送する日本の歴史は、当時の世界的な水準で客観的に扱っているとはとても思えません。しかも、日本の教科書の一部はGHQや左翼団体、某外国人圧力団体によって、歴史的事実から大きく変えられてしまっています。日本の江戸時代には、現在の経済大国・科学技術大国の下地が出来ていたと考えるべきでしょう。そういった面は、現在残された当時の庶民向けの工芸品にも見ることができます。
しかし、昔の写真は正直です。今は、ネットが普及しているので、昔の写真めぐりが簡単に出来ます。いろいろと巡って、感じ取ってみてはいかがでしょうか。なにか新しい発見があるかもしれません。
参考文献
イザベラ バード 朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 講談社学術文庫
参考サイト(様々な写真が見ることができます)
これが江戸だ!(仙川、増上寺、江戸城半蔵門前、水道橋、東京湾)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai.html
これが江戸だ!part2(江戸、横浜、箱根、大阪、長崎)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai2.html
これが江戸だ! part3(江戸城、庶民の暮らし)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai3.html
これが江戸だ! part4(モース、人力車 、大森貝塚 、明治、 明治維新)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai4.html
これが江戸だ! part5(徳川慶喜、勝海舟、坂本龍馬、福沢諭吉、伊藤博文)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai5.html
これが江戸だ! part6(徳川慶喜、慶喜が撮影した写真)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai6.html
これが江戸だ! part7(幕末の歴史イベントの現場)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai7.html
これが江戸だ! part8(江戸市中、吉原)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai8.html
これが江戸だ! part9(利根川、鎌倉、東海道、日光)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai9.html
これが江戸だ! part10(庶民の暮らし、幕末から明治初期の偉人)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai10.html
これが江戸だ! part11(隅田川、不忍池、浜離宮、お茶の水、庶民)
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/edojidai11.html
日韓併合前後 朝鮮半島写真館
http://photo.jijisama.org/index.html