アナウンス室インデックス

[2002] < 2003年01月 > [2004]

1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
2003年
1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年
1月 2月 3月 4月 5月 6月
7月 8月 9月 10月 11月 12月

新着日記

新着ネットラジオ

インターネットラジオ

インターネットラジオを聞くには?

iTunesダウンロード

FCT直営ウェブサイト

あなたのお店も登録しませんか「満ぷくナビ」

テレビ局の仕事をやさしく解説「ズームインFCT」

調べものなら 「ちょっと便利帳」

アナウンス室 プロフィール

おおの おさむ

大野 修

プロフィール

テイクオフ!

他局の番組だが、日曜日に放送している
木村拓也さん主演でパイロットもののドラマ
『GOOD LUCK』を楽しみにしている。

実を言うと、今から10年ほど前
僕もパイロットになろうとした時期があった。
セスナ機ではない、本物のジャンボ機である。

当時、大学4年生で非常にジャンボリーな青年
(夢が多いとでも訳せばいいだろうか)
だった僕は、これといって何の目標も無く
とにかくありとあらゆる業種の会社の試験を受けまくっていた。

僕らの時代は、中学時代に『スクールウォーズ』という
スポ根もののドラマが流行っていたことからも分かるように
“ツッパリ”“短ラン”“暴走族”などが全盛期を迎えた
いわゆる“ワル”の多かった時代で、
同時に1学年が10クラスもあるような同世代が多い時代でもあった。

したがって高校受験、大学受験もすさまじい倍率で
当時の新聞をひっくり返して見て今さらながらにびっくりである。
『N大学法学部 36.1倍  H大学経済学部 42.1倍
 R大学文学部 22.5倍  M大学経営学部 30.6倍』
と、まるで人気のある公団住宅の抽選のようである。
が、これはガラガラポンの抽選ではなくれっきとした試験である。

必然的に受験予備校も大繁盛し、中には
“難関大学に入るための予備校に入るための予備校”
なんていうのがあったりした。

「同世代が多い」ということは
競争が激しいということをも意味していたわけである。
おまけに、僕が大学時代をのほほんと過ごしている間に
バブル景気はあっけなく崩壊し、
景気の後退局面に差しかかっていたから
当然のことながら就職活動は、非常に厳しいものとなっていた。

そこで僕は【とにかく名のある企業に入るぞ作戦】を立て、
皆に先駆けて大学3年の2月頃から就職活動をスタートさせた。
(ちなみに何でものんびり屋の僕にとって
 これは人生初のスタートダッシュであった)

当時はメールとパソコンで就職活動というわけにはいかず、
一枚一枚、人事部宛に葉書を書くという地道な作業が主流だった。
当時のメモには200社近くに葉書を出したという記録が残っている。
業種は“金融”“保険”“商社”“通信”“サービス”など、
「お前は一体何がやりたいのだっっ!!」と
ドツキたくなるほど何のポリシーもなく会社に葉書を出していた。

でも、ジャンボリーな僕は
「うーむ…200社全てから、是非来て下さい!と
 社長直々に平身低頭頼まれたらどうすればよいのだ…」
と勝手に思い込んでいた。

今から考えると、かなりの幸せモノである。

で、当時就職活動は7月1日解禁となっていたが、
各社とも実質的にそれよりかなり早く試験が始まっていた。
ここでようやく本題である。
(いつも前置きが長くて申し訳ないです)

5月のある日、連日の面接試験で疲れた僕の部屋の電話が鳴った。
「はい、大野です」
「○○大学の大野さんですか?こちらA航空と申しますが、
 先日弊社に就職希望の書類を提出していただきましたね。
 実は、来週“パイロット職”の一次試験がございまして…」
「は?」

僕は“希望職種”の項目に片っ端から○をしていたので、
何を思ったのかパイロット職に○をしてしまっていたのである。

「でも…あの…わたくし…
(就職活動中は“ぼく”“おれ”“わたし”は厳禁で
“わたくし”で通せと大学の先輩にキツく言われていたのだ)
 車の免許も持っていないんですけど…」
「いえ、車の運転と飛行機の操縦は違いますから」

何と僕がパイロット試験を受けることになったのである。

会場での説明によると試験は5月〜6月にかけて5次まであり
筆記・適性・体力・面接・集団討論(チームワーク)など、
多岐にわたる内容をクリアしなければならないようであった。

そしていよいよ試験が始まった。
フタを開けてみれば英語力や体力、
集団討論など、これといった難関は無く、
僕はするすると3次試験までを難なく突破していったのである。

「もしかすると金色の腕章をつけて『テイクオフ!』とか
 言っちゃったりして…スチュワーデスにモテたらどうしよう…」
と当時、真剣に考えていたことをここで告白しなければならない。

そして迎えた4次試験。
この試験さえ突破できればあとは役員面接のみ!
もうパイロットになったも同然である。

が、この4次試験がくせ者だったのである。
ここでは、シュミレーターを使って擬似操縦をするという。
試験官によれば「最終局面で操縦はカンに頼る部分がある」ためで
細かいことは知らなくても、
適性があれば簡単な操縦はある程度できるという。

操縦桿とスロットル(アクセル)の簡単な操作法を教えてもらい、
いざ操縦室そっくりのシミュレーター室に入った。

横には試験官がいて、最終的な試験内容を教えてくれた。
「フライト状態から試験が始まります。
 こちらが合図をしたら操縦桿とスロットルを操作して
 機体を滑走路に着陸させて下さい」
「あ、あの…わたくしは車輪を出したことがありませんが…」
「車輪は自動的に出てくる設定になっていますから大丈夫です」
ちなみにこのシミュレーターには色々な設定があるらしく、
後から聞いた話では、この試験は一番簡単な設定で行われたそうだ。

「では始めます…」

心ある方はこの後のことを聞いてはいけない。

なぜなら空港手前で十分に高度を落としていなかった僕は
あわてて操縦桿を思いっきり前に倒し、空港に向かって急降下。

滑走路のほぼ中央に突っ込み、機体がバラバラになったからである。

2003.01.31 | コメント[0]トラックバック[0]

時が経つということ

あけましておめでとうございます。
2003年が皆様にとって幸多き年となりますよう。

さて、今年は年末年始勤務だったため、
一週間ほど遅いお正月休みをもらうことになった。
実家のある埼玉県所沢市でのんびりと…。

という予定が、学生時代の付き合いや
前に勤めていた会社の同期との飲み会で
かなり忙しい毎日を過ごすことになった。

『時が経つ』ということを感じたのは
前の会社の同期との飲み会でのことである。

僕は大学卒業後、ある通信関係の会社に勤めていた。
当時1000人以上の新規採用をしていたその会社は
入社後すぐに早朝から深夜に及ぶハードな研修があり、
その苦しい経験を共に乗り越えた同期は
『同じ釜のメシを食べた』仲間同士という意識が強かった。

僕が諦めきれない夢を追ってその会社を後にしたのが6年前。
花形産業といわれたその業界も時代の変化の速さに翻弄され、
社内の古い体質に嫌気がさした同期も次々に会社を辞めたという。

『大野が実家に帰って来てるって』
というメールで集まってくれた昔の仲間。
みんなを裏切って会社を辞めたような気がしていた僕は
本当に涙が出るほど嬉しかった。

集まった仲間は30代前半。
その集まりで『時が経つということ』を実感した。

「3年前に中堅出版社に転職した」
「去年IT系のベンチャー企業に入った」
「英語を生かして外資系の人材派遣会社にいる」

何と同じコースで入社した仲間の半数近くが転職していたのだ。
定職率が下がっているいうが、こんな身近でそれを実感するとは。
(かく言う自分もその一人だったが…)

一方、そのまま会社に残っている同期は入社8年目。
「豪州の会社と資本提携する業務で年の半分は海外」
「3年前から財務省に出向している」
「MBA(経営学修士)取得のために大学院に行っている」
とこちらも様々。

転職は30代前半までが一つの節目という。
将来に不安を抱えている時代だけれど、
30代に差し掛かった昔の仲間が力強く世の中を生きている姿を見て

時の流れを感じると共に、勇気付けられたいいお正月休みだった。
そして様々な道を歩む仲間たちにも幸多かれと祈りたい。

2003.01.20 | コメント[0]トラックバック[0]