○○一匹で…
B級ニュースとしてもうご存知の方もいるかも知れません。○○一匹でまさかここまで…という事態が起こりました。これからは局内の至る所にホイホイを仕掛けなければなりません。イギリスの新聞『The Guardian』より。
The Guardian(22/02/08)
For the viewers of Turkmenistan's popular nightly news programme, Vatan, it was another routine bulletin. But as the newsreader began the 9pm broadcast, viewers across the central Asian country spotted something unusual crawling across the studio table: a large brown cockroach. The cockroach managed to complete a whole lap of the desk, apparently undetected, before disappearing. The programme, complete with cockroach, was repeated at 11pm that night.
「トルクメニスタンで人気のある、夜のニュース番組『Vatan』の視聴者にとって、それはいつものニュースだった。だが、午後9時の放送でアナウンサーが原稿を読み始めた時、この中央アジア国家全国の視聴者は、或る珍しいモノがスタジオのニュース・デスクを這っているのを発見…大きな茶色のゴキブリだった。ゴキブリは姿を消す前に、明らかに気づかれることなく、無事にデスクを渡り切った。同ニュースは午後11時にゴキブリが映り込んだままで再放送もされた」
『コックローチ』という商品がありますが、『コックローチ』はそのものズバリのお名前です。とは言え、ニュースの最中に巨大なゴキブリが机の上を歩いていたら、自分だったらどうしただろうと考えてしまいました。果敢に闘ってもいいのですが、その様子は生放送でお茶の間に届いてしまうのです…う〜ん…困った。
It was only at 9am the following day that horrified officials from Turkmenistan's ministry of culture discovered the cockroach's guest appearance. And that, perhaps, should have been the end of the matter, the mildly entertaining footage being consigned to the occasional airing by the Turkmenistan equivalent of Denis Norden on a telly bloopers show.
「トルクメニスタン文化省の恐れおののいた職員が、ゴキブリのゲスト出演に気付いたのは、翌朝9時になってからのことだった。そして多分、それでおしまいだったはずだ…トルクメニスタン版『NG大賞』か何かで時々放映される、ちょっと愉快な映像で終わるはずだったのだ」
日本でも各テレビ局が年末や年度末に『NG大賞』なるものを放送しますが、この話題はそれこそ笑いの種になると思います。日本なら。でも、トルクメニスタンは違ったんですね。
But the consequences of this particular cockroach's impromptu five minutes of fame were immediate and severe. The country's president, Kurbanguly Berdymukhamedov, took news of the insect so badly that he responded by firing no fewer than 30 workers from the main state TV channel, the news website Kronika Turkmenistan reported yesterday.
「しかし、このゴキブリが緊急出演で浴びた5分間のスポットライトは、すぐに、しかも苛烈な結末を呼んだのである。同国のグルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ大統領は、ゴキブリ出演のニュースに激怒。激怒した勢いでこの主要国営テレビ局の職員30人以上を首にした、とKronika TurkmenistanのHPが昨日伝えた」
Those sacked in the cockroach debacle included journalists, directors, camera operators, and technical staff, the website reported. Yesterday nobody from the Turkmen embassy in Moscow was available for comment.
「ゴキブリ騒ぎで首になったのは、ジャーナリスト・ディレクター・カメラマン・技術スタッフが含まれる、とHPは伝えた。きのうの在モスクワ・トルクメニスタン大使館には、コメント出来る人が誰もいなかった」
衛生上の問題とか、スタッフの対応とか、色んな面での問題はあったにせよ、いくら何でもクビは無いんじゃないかと。とは言え、このニュースを見てからは、放送前に周囲をよく確認するようになりました。
特に机の周りを。
The Guardian(22/02/08)
For the viewers of Turkmenistan's popular nightly news programme, Vatan, it was another routine bulletin. But as the newsreader began the 9pm broadcast, viewers across the central Asian country spotted something unusual crawling across the studio table: a large brown cockroach. The cockroach managed to complete a whole lap of the desk, apparently undetected, before disappearing. The programme, complete with cockroach, was repeated at 11pm that night.
「トルクメニスタンで人気のある、夜のニュース番組『Vatan』の視聴者にとって、それはいつものニュースだった。だが、午後9時の放送でアナウンサーが原稿を読み始めた時、この中央アジア国家全国の視聴者は、或る珍しいモノがスタジオのニュース・デスクを這っているのを発見…大きな茶色のゴキブリだった。ゴキブリは姿を消す前に、明らかに気づかれることなく、無事にデスクを渡り切った。同ニュースは午後11時にゴキブリが映り込んだままで再放送もされた」
『コックローチ』という商品がありますが、『コックローチ』はそのものズバリのお名前です。とは言え、ニュースの最中に巨大なゴキブリが机の上を歩いていたら、自分だったらどうしただろうと考えてしまいました。果敢に闘ってもいいのですが、その様子は生放送でお茶の間に届いてしまうのです…う〜ん…困った。
It was only at 9am the following day that horrified officials from Turkmenistan's ministry of culture discovered the cockroach's guest appearance. And that, perhaps, should have been the end of the matter, the mildly entertaining footage being consigned to the occasional airing by the Turkmenistan equivalent of Denis Norden on a telly bloopers show.
「トルクメニスタン文化省の恐れおののいた職員が、ゴキブリのゲスト出演に気付いたのは、翌朝9時になってからのことだった。そして多分、それでおしまいだったはずだ…トルクメニスタン版『NG大賞』か何かで時々放映される、ちょっと愉快な映像で終わるはずだったのだ」
日本でも各テレビ局が年末や年度末に『NG大賞』なるものを放送しますが、この話題はそれこそ笑いの種になると思います。日本なら。でも、トルクメニスタンは違ったんですね。
But the consequences of this particular cockroach's impromptu five minutes of fame were immediate and severe. The country's president, Kurbanguly Berdymukhamedov, took news of the insect so badly that he responded by firing no fewer than 30 workers from the main state TV channel, the news website Kronika Turkmenistan reported yesterday.
「しかし、このゴキブリが緊急出演で浴びた5分間のスポットライトは、すぐに、しかも苛烈な結末を呼んだのである。同国のグルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ大統領は、ゴキブリ出演のニュースに激怒。激怒した勢いでこの主要国営テレビ局の職員30人以上を首にした、とKronika TurkmenistanのHPが昨日伝えた」
Those sacked in the cockroach debacle included journalists, directors, camera operators, and technical staff, the website reported. Yesterday nobody from the Turkmen embassy in Moscow was available for comment.
「ゴキブリ騒ぎで首になったのは、ジャーナリスト・ディレクター・カメラマン・技術スタッフが含まれる、とHPは伝えた。きのうの在モスクワ・トルクメニスタン大使館には、コメント出来る人が誰もいなかった」
衛生上の問題とか、スタッフの対応とか、色んな面での問題はあったにせよ、いくら何でもクビは無いんじゃないかと。とは言え、このニュースを見てからは、放送前に周囲をよく確認するようになりました。
特に机の周りを。
2008.03.15 | | コメント[0] | トラックバック[0]
アスリート
名古屋国際女子マラソンに釘付けになった。大会から遠ざかっていた高橋尚子選手がどんな走りをするのか、その一点に注目して。結果は27位。シドニーでの快走が目に焼きついていた僕は、走る姿に痛々しさを感じた一方で、アスリートとしての誇りも感じた。
「諦めなければ夢はかなう」(高橋尚子)
中学時代からバレーボールに打ち込んできたアスリートの端くれとして僕が思うこと。それは、自分がどんなに頑張っても越えられない壁があるということ。そして、それを一番良く分かっているは自分だということ。でも、それでも挑まなければならないときがあるということ。これはアスリートの宿命といってもいいと思う。
高橋選手の今回の走りに「もう限界だ」「無謀な挑戦だった」など、ネガティブな意見も多く聞かれた。1年4ヶ月も大会から離れていた上に、去年の夏に内視鏡手術で右膝の半月版を半分摘出。大事な時期のスピード練習が十分出来なかったという時点で、高橋選手ほどのキャリアがあれば、自分で今回の結果を十分に予想できていたはずだと思う。出場すればマスコミに囲まれ、注目され、演出されることも分かっていたはずだ。それでも高橋選手が挑んだ理由は何だったのだろう。
「最後に日本のファンの前で滑りたかった」(本田武史)
この言葉は2年前に引退した男子フィギュアスケートの本田武史選手の言葉。2006年のトリノ五輪出場をかけた直前のグランプリシリーズで負け、オリンピック出場は絶望となっていたにもかかわらず、本田選手は最終選考の意味合いがあった全日本選手権に挑み、そして敗れた。
全日本選手権は本田選手が14歳で初優勝して以来、負け無しという思い出深い大会だった。しかし、4回転ジャンパーの生命線である足首の骨折、それに伴う練習不足、採点方式の改正…。勝てる要素は皆無に近かったこの大会に、それでも出場した理由。それを彼に聞いたときに返ってきた言葉がこれだった。
負けるかもしれないけれど挑まなければならない時がある。これがアスリートの誇りであり美学でもあると思った。
高橋選手が選んだ大会は地元の名古屋。それもシドニー五輪出場を決めた思い出の深い大会だった。高橋選手が他のランナーに抜かれていく中継映像を見ながら、ふと本田選手の言葉が耳に甦ってきた。負けるかもしれない、それでも、地元で走る姿を見てもらいたい。もしかしたら、高橋選手はそういう誇りと美学を胸に、2時間44分18秒を走りきったのかも知れない。
「諦めなければ夢はかなう」(高橋尚子)
中学時代からバレーボールに打ち込んできたアスリートの端くれとして僕が思うこと。それは、自分がどんなに頑張っても越えられない壁があるということ。そして、それを一番良く分かっているは自分だということ。でも、それでも挑まなければならないときがあるということ。これはアスリートの宿命といってもいいと思う。
高橋選手の今回の走りに「もう限界だ」「無謀な挑戦だった」など、ネガティブな意見も多く聞かれた。1年4ヶ月も大会から離れていた上に、去年の夏に内視鏡手術で右膝の半月版を半分摘出。大事な時期のスピード練習が十分出来なかったという時点で、高橋選手ほどのキャリアがあれば、自分で今回の結果を十分に予想できていたはずだと思う。出場すればマスコミに囲まれ、注目され、演出されることも分かっていたはずだ。それでも高橋選手が挑んだ理由は何だったのだろう。
「最後に日本のファンの前で滑りたかった」(本田武史)
この言葉は2年前に引退した男子フィギュアスケートの本田武史選手の言葉。2006年のトリノ五輪出場をかけた直前のグランプリシリーズで負け、オリンピック出場は絶望となっていたにもかかわらず、本田選手は最終選考の意味合いがあった全日本選手権に挑み、そして敗れた。
全日本選手権は本田選手が14歳で初優勝して以来、負け無しという思い出深い大会だった。しかし、4回転ジャンパーの生命線である足首の骨折、それに伴う練習不足、採点方式の改正…。勝てる要素は皆無に近かったこの大会に、それでも出場した理由。それを彼に聞いたときに返ってきた言葉がこれだった。
負けるかもしれないけれど挑まなければならない時がある。これがアスリートの誇りであり美学でもあると思った。
高橋選手が選んだ大会は地元の名古屋。それもシドニー五輪出場を決めた思い出の深い大会だった。高橋選手が他のランナーに抜かれていく中継映像を見ながら、ふと本田選手の言葉が耳に甦ってきた。負けるかもしれない、それでも、地元で走る姿を見てもらいたい。もしかしたら、高橋選手はそういう誇りと美学を胸に、2時間44分18秒を走りきったのかも知れない。
2008.03.10 | | コメント[0] | トラックバック[0]
民度
イギリスに『The Economist』という雑誌があります。日本でいう所の『President』でしょうか。主に国際政治と経済を中心に、科学技術、書評、芸術など幅広いジャンルを扱っています。先日、ここに海外から見た日本の政治状況と私たち国民に関する興味深い記事がありました。
The Economist(21/2/08)
The world's second-biggest economy is still in a funk and politics is the problem-世界第2位の経済大国は未だ低迷 政治が原因-
Japan's economy is still held back by its politicians (see article). Though much has changed since 1990, a cyclical slowdown is now laying bare Japan's structural shortcomings. A few years ago, people hoped that Japan, which is still a bigger economic power than China and has some marvellous companies, would help take up some of the slack in the world economy if America tired; that now looks unlikely. Productivity is disastrously low: the return on new investment is around half that in America. Consumption is still flagging, thanks in part to companies' failure to increase wages. Bureaucratic blunders have cost the economy dearly, and Japan needs a swathe of reforms to trade and competition without which the economy will continue to disappoint.
「日本経済はいまだに政治家に邪魔されている。1990年以来随分変わったとはいえ、循環的な景気後退が、いま日本の構造的欠陥を暴露している。世界の人々は、数年前、中国よりも経済的に大きく、素晴らしい企業もある日本が、アメリカが疲弊しても世界経済の不足を補えることを願っていた。しかし、どうやらそうではないことが分かってきた。日本の生産性は壊滅的に低く、新投資の利回りはアメリカの半分。消費は相変わらず沈滞中…企業が給料を上げないことも原因の一つだ。役人の大失敗は経済に多額の犠牲を払わせている。日本は取引と競争に関して山ほど改革する必要がある。さもなければ、経済はいつまでも絶望的だ」
The Liberal Democratic Party (LDP), which has ruled for the best part of half a century and remains a machine of pork and patronage, has given up trying to tackle these problems. What reformist tendencies it had under the maverick Junichiro Koizumi, prime minister between 2001 and 2006, have now gone into reverse. To make matters worse, last July the opposition Democratic Party of Japan (DPJ) won control of the upper house of the Diet (parliament). The constitution never envisaged upper and lower houses of the Diet being controlled by opposing parties, and since the upper house has nearly equal powers to the lower one, the opposition can frustrate virtually every government initiative.
「概ねこの半世紀に亘って日本を統治し、相変わらず利権と癒着の温床である自由民主党は、構造改革の問題に取り組むのを投げ出している。2001〜2006年に一匹狼の小泉純一郎総理大臣の下で改革傾向が見られたものの、今では昔の政治に逆戻り。更に酷いことに、昨年7月、野党・民主党が参議院の議席を過半数以上握ってしまった。憲法は野党が衆議院や参議院をコントロールすることを予想していなかったし、参議院は衆議院とほぼ同じぐらいの権力を握っているから、政府の政策という政策を野党は邪魔出来るのだ」
(中略)
Japan's politics is skidding for the buffers. The crash may come as early as March, over budget differences. One way to avoid it, some politicians think, is for the LDP and the DPJ to form the kind of “grand coalition” which Mr Fukuda and Mr Ozawa talked about in November. This plan was thwarted when the rest of the DPJ leadership, rightly, balked: in effect, it would have taken Japan back towards being a one-party state, distributing largesse rather than reforming the economy.
「日本の政治は停滞に向けてズルズル滑っている。停滞は早ければ予算でもめる3月上旬だろう。一つの回避方法は、自民党と民主党が「大連立」のようなものをやることだ、と考える政治家もいる。福田氏と小沢氏が11月に協議していたアレである。この計画はご破算になったが、他の民主党首脳陣が、当然の如く、これでは事実上日本を、経済を改革させずに利権をばら撒く一党制に逆戻りさせることになる、と吼えたからだ」
Time for a good wash.-しがらみから足を洗う時が来た-
Yet the buffers may be the best place for Japan. Or rather, a general election?perhaps a string of elections?offers the best chance of forcing parties to confront their inconsistencies, offering voters real choices rather than candidates who compete to bring home the bacon.
「しかし、この停滞は日本にとって最善とは言えないだろう。それより総選挙こそが、有権者に成果を挙げようと競い合う候補者ではなく、本物の選択肢を提供する、政党を不一致との対決を強いる最高のチャンスを提供している」
There are glimmers of hope. A cross-party group of modernising politicians, academics and businessmen has formed a pressure group, Sentaku (with connotations both of choice and of giving things a good wash). Radically, they want to decentralise the top-heavy system in which local politicians are in thrall to Tokyo's pork providers; they think the main parties should campaign on coherent manifestos; and they are urging ordinary Japanese, who do not readily bother their heads about such things, to reflect on the folly of voting for politicians who smother their districts in unused highways and bridges that lead nowhere?the visible blight of failed politics.
「僅かな希望の光もある。改革派政治家、学識者、財界人から成る超党派グループ『せんたく』が結成された(『せんたく』とは、日本語で『選択』と『洗濯』の両方を意味する言葉)。根本的に、彼らは地方政治家が中央政府の利権ばら撒き屋の奴隷になっている制度の分権化を望み、主要政党が明確な公約に基づいて選挙運動すべきだと考え、そしてこのようなことを考えるのをためらう一般人に、使いもしない高速道路や渡った先に何もない橋(正に破綻した政治の目に見える証拠だ)を地元に作りまくる政治家に投票する愚劣さを反省するよう迫っている」
Many politicians say a general election would only add to the chaos. That is the argument of a political class grown fat on a broken system. Voters need a chance to start putting it right. If choice is chaos, bring it on.
「多くの政治家は、総選挙は混乱を悪化させるだけだ、と言っている。それは破綻した制度の上に胡坐をかいてぶくぶくしている政治屋の言うことだ。有権者は物事を正し始めるチャンスを必要としている。それでもなお国民がこのままの政治的・経済的混乱を選ぶのなら、日本は衰退の道を歩み続けることになるだろう」
「民度」
アメリカの大統領選挙を見れば分りますが、国民一人一人が、それこそ血眼になって国の代表者を選んでいます。直接選挙と間接選挙の違いはありますが、国の未来、自分の未来、子どもたちの未来を託す政治家を選ぶという点において、今回のアメリカ大統領選挙は、私たち日本人にとって見習うべき材料を提供してくれています。
アメリカ大統領候補は長期間の選挙を通して民意を感じ、地域毎の思いを汲み取り、国民との一体感を高めていきます。言ってみれば一年にも及ぶ選挙が大統領候補を大統領へと育てていくのです。あの厳しい長丁場を闘い抜いた大統領だからこそ、アニマル・スピリット(闘争心)を供えた世界のリーダーとして振舞えるのではないでしょうか。
翻って日本です。
選挙はその国や地域の『民度』が問われるといいます。民衆に本物を見極める度量が備わっているか、それがその国や地域の未来にも関わってくると思います。政治や経済の混乱した今は「面白そうだから」「何となく」という低い『民度』ではなく、国や地域の未来を託すに足る人物なのかを真剣に見極める高い『民度』が求められています。
もし民意を問う総選挙があるとすれば、イギリスの雑誌に指摘されるまでも無く、私たち一人一人の『民度』を賭けて、未来を託す政治家を真剣に選ばなければならないでしょう。それが私たちや家族、子どもたちの未来を希望の持てる、安心するものに出来るかどうかに繋がるのですから。
The Economist(21/2/08)
The world's second-biggest economy is still in a funk and politics is the problem-世界第2位の経済大国は未だ低迷 政治が原因-
Japan's economy is still held back by its politicians (see article). Though much has changed since 1990, a cyclical slowdown is now laying bare Japan's structural shortcomings. A few years ago, people hoped that Japan, which is still a bigger economic power than China and has some marvellous companies, would help take up some of the slack in the world economy if America tired; that now looks unlikely. Productivity is disastrously low: the return on new investment is around half that in America. Consumption is still flagging, thanks in part to companies' failure to increase wages. Bureaucratic blunders have cost the economy dearly, and Japan needs a swathe of reforms to trade and competition without which the economy will continue to disappoint.
「日本経済はいまだに政治家に邪魔されている。1990年以来随分変わったとはいえ、循環的な景気後退が、いま日本の構造的欠陥を暴露している。世界の人々は、数年前、中国よりも経済的に大きく、素晴らしい企業もある日本が、アメリカが疲弊しても世界経済の不足を補えることを願っていた。しかし、どうやらそうではないことが分かってきた。日本の生産性は壊滅的に低く、新投資の利回りはアメリカの半分。消費は相変わらず沈滞中…企業が給料を上げないことも原因の一つだ。役人の大失敗は経済に多額の犠牲を払わせている。日本は取引と競争に関して山ほど改革する必要がある。さもなければ、経済はいつまでも絶望的だ」
The Liberal Democratic Party (LDP), which has ruled for the best part of half a century and remains a machine of pork and patronage, has given up trying to tackle these problems. What reformist tendencies it had under the maverick Junichiro Koizumi, prime minister between 2001 and 2006, have now gone into reverse. To make matters worse, last July the opposition Democratic Party of Japan (DPJ) won control of the upper house of the Diet (parliament). The constitution never envisaged upper and lower houses of the Diet being controlled by opposing parties, and since the upper house has nearly equal powers to the lower one, the opposition can frustrate virtually every government initiative.
「概ねこの半世紀に亘って日本を統治し、相変わらず利権と癒着の温床である自由民主党は、構造改革の問題に取り組むのを投げ出している。2001〜2006年に一匹狼の小泉純一郎総理大臣の下で改革傾向が見られたものの、今では昔の政治に逆戻り。更に酷いことに、昨年7月、野党・民主党が参議院の議席を過半数以上握ってしまった。憲法は野党が衆議院や参議院をコントロールすることを予想していなかったし、参議院は衆議院とほぼ同じぐらいの権力を握っているから、政府の政策という政策を野党は邪魔出来るのだ」
(中略)
Japan's politics is skidding for the buffers. The crash may come as early as March, over budget differences. One way to avoid it, some politicians think, is for the LDP and the DPJ to form the kind of “grand coalition” which Mr Fukuda and Mr Ozawa talked about in November. This plan was thwarted when the rest of the DPJ leadership, rightly, balked: in effect, it would have taken Japan back towards being a one-party state, distributing largesse rather than reforming the economy.
「日本の政治は停滞に向けてズルズル滑っている。停滞は早ければ予算でもめる3月上旬だろう。一つの回避方法は、自民党と民主党が「大連立」のようなものをやることだ、と考える政治家もいる。福田氏と小沢氏が11月に協議していたアレである。この計画はご破算になったが、他の民主党首脳陣が、当然の如く、これでは事実上日本を、経済を改革させずに利権をばら撒く一党制に逆戻りさせることになる、と吼えたからだ」
Time for a good wash.-しがらみから足を洗う時が来た-
Yet the buffers may be the best place for Japan. Or rather, a general election?perhaps a string of elections?offers the best chance of forcing parties to confront their inconsistencies, offering voters real choices rather than candidates who compete to bring home the bacon.
「しかし、この停滞は日本にとって最善とは言えないだろう。それより総選挙こそが、有権者に成果を挙げようと競い合う候補者ではなく、本物の選択肢を提供する、政党を不一致との対決を強いる最高のチャンスを提供している」
There are glimmers of hope. A cross-party group of modernising politicians, academics and businessmen has formed a pressure group, Sentaku (with connotations both of choice and of giving things a good wash). Radically, they want to decentralise the top-heavy system in which local politicians are in thrall to Tokyo's pork providers; they think the main parties should campaign on coherent manifestos; and they are urging ordinary Japanese, who do not readily bother their heads about such things, to reflect on the folly of voting for politicians who smother their districts in unused highways and bridges that lead nowhere?the visible blight of failed politics.
「僅かな希望の光もある。改革派政治家、学識者、財界人から成る超党派グループ『せんたく』が結成された(『せんたく』とは、日本語で『選択』と『洗濯』の両方を意味する言葉)。根本的に、彼らは地方政治家が中央政府の利権ばら撒き屋の奴隷になっている制度の分権化を望み、主要政党が明確な公約に基づいて選挙運動すべきだと考え、そしてこのようなことを考えるのをためらう一般人に、使いもしない高速道路や渡った先に何もない橋(正に破綻した政治の目に見える証拠だ)を地元に作りまくる政治家に投票する愚劣さを反省するよう迫っている」
Many politicians say a general election would only add to the chaos. That is the argument of a political class grown fat on a broken system. Voters need a chance to start putting it right. If choice is chaos, bring it on.
「多くの政治家は、総選挙は混乱を悪化させるだけだ、と言っている。それは破綻した制度の上に胡坐をかいてぶくぶくしている政治屋の言うことだ。有権者は物事を正し始めるチャンスを必要としている。それでもなお国民がこのままの政治的・経済的混乱を選ぶのなら、日本は衰退の道を歩み続けることになるだろう」
「民度」
アメリカの大統領選挙を見れば分りますが、国民一人一人が、それこそ血眼になって国の代表者を選んでいます。直接選挙と間接選挙の違いはありますが、国の未来、自分の未来、子どもたちの未来を託す政治家を選ぶという点において、今回のアメリカ大統領選挙は、私たち日本人にとって見習うべき材料を提供してくれています。
アメリカ大統領候補は長期間の選挙を通して民意を感じ、地域毎の思いを汲み取り、国民との一体感を高めていきます。言ってみれば一年にも及ぶ選挙が大統領候補を大統領へと育てていくのです。あの厳しい長丁場を闘い抜いた大統領だからこそ、アニマル・スピリット(闘争心)を供えた世界のリーダーとして振舞えるのではないでしょうか。
翻って日本です。
選挙はその国や地域の『民度』が問われるといいます。民衆に本物を見極める度量が備わっているか、それがその国や地域の未来にも関わってくると思います。政治や経済の混乱した今は「面白そうだから」「何となく」という低い『民度』ではなく、国や地域の未来を託すに足る人物なのかを真剣に見極める高い『民度』が求められています。
もし民意を問う総選挙があるとすれば、イギリスの雑誌に指摘されるまでも無く、私たち一人一人の『民度』を賭けて、未来を託す政治家を真剣に選ばなければならないでしょう。それが私たちや家族、子どもたちの未来を希望の持てる、安心するものに出来るかどうかに繋がるのですから。
2008.03.08 | | コメント[0] | トラックバック[0]
都会という所…
埼玉の実家に戻ると、都会の微妙な変化に気づくことがあります。たまにしか会わない人の方が変化に気づくってあるじゃないですか。そんな感じなんですが、今回は気づいたことを幾つか。
「ドアを蹴る小学生」
東京のとある電車であった出来事です。ドアの近くに立っていたのですが、発射間際の電車に制服を着た私立の小学3〜4年生の子供たちが駆け込み乗車をして来ました。何人かは滑りこめたのですが、数人の男の子たちの目の前でドアが閉まってしまったのです。
すると…。
小学生の男の子たちが、電車のドアを蹴りながら「ふざけんな!」と怒鳴り始めたのです。近くにいた駅員さんは見て見ぬ振りをしていたと思ったら、マイクを握って「駆け込み乗車は危険です。電車から離れて下さい」とアナウンス。近くにいるんだから直接注意するればいいものを…。
小学3〜4年生で電車のドアを蹴っていたあの男の子たちは、大きくなったら何を蹴るんでしょうか…。品の良さそうな私立小学校の制服を着ていたのに…何だかなぁ。
何年後かに僕を蹴らないで欲しいと、オロオロと願うばかりでした。
「電車内メイク」
電車の中でメイクする女性は確実に増えましたね。僕が東京都内で働いていた10年ほど前にも時々は見かけました。当時、朝の超満員の通勤電車の中で僕の目の前で、立ったままメイクしている30代前半とおぼしき女性がいました。ギュウギュウの車内で器用にメイクするんです。これが。
ところが、電車が急停車したんです。突然。
すると、ちょうど口紅を塗っていた女性は手元が狂って、オバQみたいな口になっちゃんたんです。おまけに勢いあまってぶつかった前のサラリーマン氏のYシャツの背中にも口紅が…。家に帰ったら「あなた!何よ、この口紅!浮気してたのね(怒)」なんて展開にもなりそうな感じでベッタリと。
もう、僕は笑いをこらえるのに必死でした。
当時は珍しかった電車内での化粧は、いまや当たり前の風景です。坂東眞理子氏の「女性の品格」では、電車内の化粧は戒めの対象となっていますが、「女性の品格」を読むような人は電車内で化粧をしないのでしょう。
帰省した時、夕方頃に乗った電車の中にいた20代前半とおぼしき女性。
メイクしながら電車の中で携帯電話で会話をするという自由奔放ぶり。
「きょう来る男ってさぁ〜どんな感じなのぉ〜」とまつ毛をクルクル。
「マジ!?医者なのぉ〜変な医者じゃないよねぇ」とリップを塗り塗り。
「マリッペの言ういい男ってさぁ〜当たり外れ激しくない!?」と髪の毛を巻き巻き。
これはテレビのお笑い番組なんじゃないかという展開。見てたこっちもこっちですが、周りは明らかに苦笑いしてましたね。化粧もプライベートなら会話の中身も思いっきりプライベート。都会にはプライベートとパブリックの境界線が無くなってきているのかも知れません。
夜の医者との呑み会は上手く行ったのでしょうか…。
「立てない若者」
昔も居ましたけどね。コンビニの前に座ってだべっている若者が。でも、先日は電車の中、駅のコンコース、デパートの前と、ありとあらゆる所で若者が座り込んでいました。しかもべったりとお尻をつけて。そこって知らないオジサンが唾を吐いた所かも知れないのに…。
“ばっちぃ”という感覚が無いのか…それとも立つ筋力が無いのか…。
そして今回は最強の若者たちが。真昼間の新宿のデパートの入り口脇で寝そべってだべっているんです。20代前半位の男の子3人が。一瞬わが目を疑いました。でも、彼らは気持ち良さそうに、それでいてダルそうに過ごしていました。周りの人も気に留めてなくて、それがごく当たり前の光景だと分かりました。
たまに見るから都会の変化がよく分かります。次回の規制は夏ごろ。どんな変化を見られるのか、今から楽しみでもあり、少々怖くもあります。
「ドアを蹴る小学生」
東京のとある電車であった出来事です。ドアの近くに立っていたのですが、発射間際の電車に制服を着た私立の小学3〜4年生の子供たちが駆け込み乗車をして来ました。何人かは滑りこめたのですが、数人の男の子たちの目の前でドアが閉まってしまったのです。
すると…。
小学生の男の子たちが、電車のドアを蹴りながら「ふざけんな!」と怒鳴り始めたのです。近くにいた駅員さんは見て見ぬ振りをしていたと思ったら、マイクを握って「駆け込み乗車は危険です。電車から離れて下さい」とアナウンス。近くにいるんだから直接注意するればいいものを…。
小学3〜4年生で電車のドアを蹴っていたあの男の子たちは、大きくなったら何を蹴るんでしょうか…。品の良さそうな私立小学校の制服を着ていたのに…何だかなぁ。
何年後かに僕を蹴らないで欲しいと、オロオロと願うばかりでした。
「電車内メイク」
電車の中でメイクする女性は確実に増えましたね。僕が東京都内で働いていた10年ほど前にも時々は見かけました。当時、朝の超満員の通勤電車の中で僕の目の前で、立ったままメイクしている30代前半とおぼしき女性がいました。ギュウギュウの車内で器用にメイクするんです。これが。
ところが、電車が急停車したんです。突然。
すると、ちょうど口紅を塗っていた女性は手元が狂って、オバQみたいな口になっちゃんたんです。おまけに勢いあまってぶつかった前のサラリーマン氏のYシャツの背中にも口紅が…。家に帰ったら「あなた!何よ、この口紅!浮気してたのね(怒)」なんて展開にもなりそうな感じでベッタリと。
もう、僕は笑いをこらえるのに必死でした。
当時は珍しかった電車内での化粧は、いまや当たり前の風景です。坂東眞理子氏の「女性の品格」では、電車内の化粧は戒めの対象となっていますが、「女性の品格」を読むような人は電車内で化粧をしないのでしょう。
帰省した時、夕方頃に乗った電車の中にいた20代前半とおぼしき女性。
メイクしながら電車の中で携帯電話で会話をするという自由奔放ぶり。
「きょう来る男ってさぁ〜どんな感じなのぉ〜」とまつ毛をクルクル。
「マジ!?医者なのぉ〜変な医者じゃないよねぇ」とリップを塗り塗り。
「マリッペの言ういい男ってさぁ〜当たり外れ激しくない!?」と髪の毛を巻き巻き。
これはテレビのお笑い番組なんじゃないかという展開。見てたこっちもこっちですが、周りは明らかに苦笑いしてましたね。化粧もプライベートなら会話の中身も思いっきりプライベート。都会にはプライベートとパブリックの境界線が無くなってきているのかも知れません。
夜の医者との呑み会は上手く行ったのでしょうか…。
「立てない若者」
昔も居ましたけどね。コンビニの前に座ってだべっている若者が。でも、先日は電車の中、駅のコンコース、デパートの前と、ありとあらゆる所で若者が座り込んでいました。しかもべったりとお尻をつけて。そこって知らないオジサンが唾を吐いた所かも知れないのに…。
“ばっちぃ”という感覚が無いのか…それとも立つ筋力が無いのか…。
そして今回は最強の若者たちが。真昼間の新宿のデパートの入り口脇で寝そべってだべっているんです。20代前半位の男の子3人が。一瞬わが目を疑いました。でも、彼らは気持ち良さそうに、それでいてダルそうに過ごしていました。周りの人も気に留めてなくて、それがごく当たり前の光景だと分かりました。
たまに見るから都会の変化がよく分かります。次回の規制は夏ごろ。どんな変化を見られるのか、今から楽しみでもあり、少々怖くもあります。
2008.03.05 | | コメント[0] | トラックバック[0]
時代の変化
「日本丸の舵取り」
何とも鈍いと感じることがあります。株価が下がった時の反応…。
福田総理大臣「株は博打」「上がったり下がったりする」
町村官房長官「よく分からない」
額賀財務長官「円高だからドルベースではあまり下がっていない」
北畑経産次官「株主は経営能力の無いバカ」※後日「冗談だった」と釈明
これが日本丸の舵取りをしている方々のお言葉です。誰も年金の運用で莫大な含み損が発生していることに言及しません。「臭いものには蓋」なのでしょうか。
「ダム理論」
ここ数年の『いざなぎ景気』を越える好景気で、いずれは庶民のフトコロも暖かくなる“はず”と政府・日銀が言っていました。その根拠は『ダム理論』です。企業の業績が上がれば、従業員の給料が上がり、消費意欲も上がるというものです。
でも全然フトコロは暖かくなっていません。
そもそも『ダム理論』は20〜30年前の考え方を前提としたものです。
[1]国内企業の業績が上がり続ける『右肩上がり』であること
[2]国際間の生産競争で『競争相手が上位国』であること
この2つが『ダム理論』の前提で、東京オリンピック前後から続く好景気の成功体験に裏打ちされています。
1960年代〜1980年代は、欧米が安価で高性能の日本製品を大量に輸入したために、日本の輸出企業が急成長。圧倒的な『右肩上がり』となりました。また、当時ライバル企業だった欧米企業の人件費は日本より高かったのです。『競争相手が上位国』であったことから、人件費は欧米企業の水準までは上昇させる理由付けがありました。
「前提はとっくに崩れている」
日本は少子高齢化が加速し、GDPはたったの1%成長がやっとです。また企業の業績も、世界経済の混乱で来期は減益見通しが出される可能性が高そうです。『右肩上がり』は幻想に過ぎません。また、国際間の競争相手は、いま中国やインドなど安価な人件費を武器に生産力をつけてきた新興国です。つまり『競争相手が下位国』になっているのです。
企業の経営者は停滞する国内景気を敏感に感じ取り、また人件費の安価な競争相手に対抗するために、人件費を上げることが出来ないでいます。政府・日銀は、過去の成功体験から楽観的な見通しを立てていますが、日本の経済の舵取り役がこれでは、先行きの見通しが明るいとは言えないでしょう。
『ダム理論』の前提はとっくに崩れているのですから。
「愚鈍な国民」「優秀なエリート(官僚)」
日本は明治維新以来『富国強兵』を進めるために、強力に中央集権を制度化しました。大勢の『愚鈍な国民』を一部の『優秀なエリート(官僚)』が率いる、という発想です。この制度は、明治〜昭和初期、および戦後〜昭和中期の高度経済成長には非常に機能しました。官僚の掛け声で様々な産業が隆盛を極め、経済は右肩上がりに成長しました。
しかし、時代は変わります。
1960年代、第35代アメリカ大統領JFKが「小さな政府」「市場理論」を提唱しました。民間が効率的な経営と広い情報網で力をつけ、政府や官僚の必要性が薄れただけではなく、時には民間の力を阻害する可能性が示唆されました。JFKは時代を鋭く見通していたと言ってもいいでしょう。
「天下りと莫大な退職金」「厚労省の薬害問題」「社保庁の年金問題」「旧大蔵省の過剰接待」…『優秀なエリート』が国を引っ張るという構図は、全面的に正しいのでしょうか?むしろ権限の委譲を拒み、既存の権益にしがみついているために、改革や成長が阻害されているのではないでしょうか?
「国民はもはや愚鈍ではない」
情報が一部に限られていた時代は国家や官僚が国民をリードすることが出来ました。しかし、これだけ情報伝達の技術もスピードも進化すると、国家が国民をリードするという前提が崩れています。むしろ国民の方が様々な情報に自由に接した上で、様々な評価や判断が出来るようになっています。
国民はもはや愚鈍ではないのです。
時代の変化に合わせて、組織のあり方、国のあり方も変わります。日本を亡国としないために、様々なもののあり方の変革を真剣に考える時期に来ているように感じます。
何とも鈍いと感じることがあります。株価が下がった時の反応…。
福田総理大臣「株は博打」「上がったり下がったりする」
町村官房長官「よく分からない」
額賀財務長官「円高だからドルベースではあまり下がっていない」
北畑経産次官「株主は経営能力の無いバカ」※後日「冗談だった」と釈明
これが日本丸の舵取りをしている方々のお言葉です。誰も年金の運用で莫大な含み損が発生していることに言及しません。「臭いものには蓋」なのでしょうか。
「ダム理論」
ここ数年の『いざなぎ景気』を越える好景気で、いずれは庶民のフトコロも暖かくなる“はず”と政府・日銀が言っていました。その根拠は『ダム理論』です。企業の業績が上がれば、従業員の給料が上がり、消費意欲も上がるというものです。
でも全然フトコロは暖かくなっていません。
そもそも『ダム理論』は20〜30年前の考え方を前提としたものです。
[1]国内企業の業績が上がり続ける『右肩上がり』であること
[2]国際間の生産競争で『競争相手が上位国』であること
この2つが『ダム理論』の前提で、東京オリンピック前後から続く好景気の成功体験に裏打ちされています。
1960年代〜1980年代は、欧米が安価で高性能の日本製品を大量に輸入したために、日本の輸出企業が急成長。圧倒的な『右肩上がり』となりました。また、当時ライバル企業だった欧米企業の人件費は日本より高かったのです。『競争相手が上位国』であったことから、人件費は欧米企業の水準までは上昇させる理由付けがありました。
「前提はとっくに崩れている」
日本は少子高齢化が加速し、GDPはたったの1%成長がやっとです。また企業の業績も、世界経済の混乱で来期は減益見通しが出される可能性が高そうです。『右肩上がり』は幻想に過ぎません。また、国際間の競争相手は、いま中国やインドなど安価な人件費を武器に生産力をつけてきた新興国です。つまり『競争相手が下位国』になっているのです。
企業の経営者は停滞する国内景気を敏感に感じ取り、また人件費の安価な競争相手に対抗するために、人件費を上げることが出来ないでいます。政府・日銀は、過去の成功体験から楽観的な見通しを立てていますが、日本の経済の舵取り役がこれでは、先行きの見通しが明るいとは言えないでしょう。
『ダム理論』の前提はとっくに崩れているのですから。
「愚鈍な国民」「優秀なエリート(官僚)」
日本は明治維新以来『富国強兵』を進めるために、強力に中央集権を制度化しました。大勢の『愚鈍な国民』を一部の『優秀なエリート(官僚)』が率いる、という発想です。この制度は、明治〜昭和初期、および戦後〜昭和中期の高度経済成長には非常に機能しました。官僚の掛け声で様々な産業が隆盛を極め、経済は右肩上がりに成長しました。
しかし、時代は変わります。
1960年代、第35代アメリカ大統領JFKが「小さな政府」「市場理論」を提唱しました。民間が効率的な経営と広い情報網で力をつけ、政府や官僚の必要性が薄れただけではなく、時には民間の力を阻害する可能性が示唆されました。JFKは時代を鋭く見通していたと言ってもいいでしょう。
「天下りと莫大な退職金」「厚労省の薬害問題」「社保庁の年金問題」「旧大蔵省の過剰接待」…『優秀なエリート』が国を引っ張るという構図は、全面的に正しいのでしょうか?むしろ権限の委譲を拒み、既存の権益にしがみついているために、改革や成長が阻害されているのではないでしょうか?
「国民はもはや愚鈍ではない」
情報が一部に限られていた時代は国家や官僚が国民をリードすることが出来ました。しかし、これだけ情報伝達の技術もスピードも進化すると、国家が国民をリードするという前提が崩れています。むしろ国民の方が様々な情報に自由に接した上で、様々な評価や判断が出来るようになっています。
国民はもはや愚鈍ではないのです。
時代の変化に合わせて、組織のあり方、国のあり方も変わります。日本を亡国としないために、様々なもののあり方の変革を真剣に考える時期に来ているように感じます。
2008.02.23 | | コメント[0] | トラックバック[0]