日本ブランド
「松下⇒Panasonic」
世界中の人々から見て「日本ブランド」といったとき何を思い浮かべると思いますか?
トヨタとかソニーとかキャノンとか出てくると思うかもしれませんが、アメリカではソニーなどはアメリカの会社だと思っている人が結構いますのでそうはなりません。松下がPanasonicに名称を統一したのも、海外での認知を広げるためです。松下よりPanasonicの方が通りがいいですから。
では「日本ブランド」って何なんなのでしょう?
「正確さ+正直さ」
国際的に見ると、モノづくりや人的サービスにおいて、日本らしさが際立っている分野が多くあります。日本ブランドと呼ぶ、或いは日本の力の源泉は「正確さ+正直さ」に尽きると思います。トヨタにしてもキャノンにしてもその日本人の力が製品に反映されているから、国際的な信用と認知を勝ち得ているわけです。
日本は労働生産性が悪い、効率が悪い国だと批判されます。たしかにOECDの統計によると労働生産性は世界15位となっています。でもこれは、お金に現れるものだけで量っている訳で、お互い信用がベースでスムースにお金のやりとりができたり仕事が任せられるという、「信用」というポイントは全く考慮されていません。
例えば「手形」。これは日本にしかありません。
100万円を60日後に払うよ、と誰かに出すとします。悪い人(会社)がいれば明日換金しちゃえ、なんてことがすぐおきそうですが、みなさん商習慣として60日をキチンと守る。
その代わり裏書をすることで次の人に譲れる。つまり100万円の価値を裏書で生み出していく。これはお互いの信用が無ければできない訳で、アジアはおろか、欧米でも絶対に通用しない究極の信用システムです。
でも、そのおかげで中小企業は資金繰りができます。長めのスパンで手形を発行して資金繰りは楽になる上に、無駄な金利も支払わなくて済む。これはまさに「ウィンウィンの関係」と言えます。
「疑い」
以前アメリカに旅行をして、華僑のツアコンにお世話になったときのこと。ツアーの途中で中華料理店に立ち寄ったとき、水槽のエビを選んで好きな調理法で頂くことになりました。 その時に、彼は水槽から出したエビの触角を左右違う長さにポキリポキリと折ってから店員に手渡していました。
「なんで?」と聞くと「こうすればすり替えられなくて済むから」との答え。
聞けば、彼は家電量販店で買い物をする時も目の前で映っている、つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品じゃなきゃ買わないと言っていました。
「新品のきれいなものがきちんと自宅に送られてくる方がいいのでは?」と言っても首を横に振る。いま目の前できちんと映っているという確証のある商品を自分で持って帰る、と言う訳です。
なぜなら、中国などでは粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そして配送業者が粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。百歩譲って、全てを家に持ってきて据え付けた上できちんと映ってからでないとお金は払えない、と言う。
こんな環境では手形は流通しません。
「同じカンバンでも…」
アメリカや中国のハンバーガーショップに行かれたことがありますか?どっちが客だかわからない態度をとられ、挙句の果てマニュアルにはないだろう、というくらいの焼け焦げたハンバーグにはみ出したレタス。それも芯の部分が堂々とコンニチハしている。
アメリカ人の友人は初めて日本に来て、まずマクドナルドに衝撃を受けたと話していました。まず店員がみんな若くてかわいい(これは好みの問題にもよりますが)。店員がみんなにこにこしている。そして何よりレタスがはみ出していないハンバーガーが出てくる。
カンバンが同じでもこれだけ違うのかとカンゲキされるそうです。新宿なんかに行くと、マクドナルドが欧米人だらけという光景を目にしますが、彼らは大変満足してお食事をしていらっしゃる。
それは安いサラリーでもマニュアルどおりに熱心に働くスタッフによって支えられているから。日本人はおしなべて「時給が幾らだからこれだけしか働かない」などとは考えません。サラリーが幾らであっても全力投球します。
お金に左右されない「正確さ+正直さ」は日本人特有のもののようです。
「インドの人は…」
世界中のサービス産業で恐れられているあるインド人。彼らは伝統的にサービスに対する要求水準が非常に高いと言われます。エアラインなどで一番要注意はインド人旅客とマニュアルに「陰書き」されている所もあるそうです。
聞いたハナシでは、究極の手段があるそうです。それは飛行機に乗ったらすぐに「コメントカード」を取り寄せるというもの。
コメントカードは、サービスがひどいとかCAの態度が悪い、とか腹を据えかねた時に、マネージャーやCEO宛に出す書類です。スタッフ側もコメントカードなんかを出されたらdemotion(降格)の対象になってしまうので必死に誤って勘弁してもらうという、乗客にとって最終兵器のようなシロモノです。
何もサービスをされていないうちに「コメントカード下さい」言われたら、「なぜですか」と必ず聞かれます。そうすると「いいサービスを受けた時に『良かった』とコメントするために先にもらっておくんだ」と答えるのだそうです。
インド人恐るべし。これでは文句のいいようがありませんし、コメントカードを握っていると思えば嫌でもケアせざるを得ないですよね。本当に頭がいい、と同時に「こうでもしないとインド人は絶対に働かないんだ」と考えているとか。
でも、そんなインドの方から見て、日本のエアラインにはそういう必要は全くないそうです。JALもANAもサービスはイマイチというお声もありますが、インド人も太鼓判!世界的にはすばらしい水準ということですね。
「日本ブランド」
かほど左様に日本人のきちんとしたお金を意識しないサービスというものは世界中に認識されているわけです。最近「日本人はダメだ」という論調も見受けられますが、いえいえどうして。お金に左右されない「正確さ+正直さ」=「日本ブランド」は今後ますます見直されると思います。
民間の現場レベルのオハナシですが。
世界中の人々から見て「日本ブランド」といったとき何を思い浮かべると思いますか?
トヨタとかソニーとかキャノンとか出てくると思うかもしれませんが、アメリカではソニーなどはアメリカの会社だと思っている人が結構いますのでそうはなりません。松下がPanasonicに名称を統一したのも、海外での認知を広げるためです。松下よりPanasonicの方が通りがいいですから。
では「日本ブランド」って何なんなのでしょう?
「正確さ+正直さ」
国際的に見ると、モノづくりや人的サービスにおいて、日本らしさが際立っている分野が多くあります。日本ブランドと呼ぶ、或いは日本の力の源泉は「正確さ+正直さ」に尽きると思います。トヨタにしてもキャノンにしてもその日本人の力が製品に反映されているから、国際的な信用と認知を勝ち得ているわけです。
日本は労働生産性が悪い、効率が悪い国だと批判されます。たしかにOECDの統計によると労働生産性は世界15位となっています。でもこれは、お金に現れるものだけで量っている訳で、お互い信用がベースでスムースにお金のやりとりができたり仕事が任せられるという、「信用」というポイントは全く考慮されていません。
例えば「手形」。これは日本にしかありません。
100万円を60日後に払うよ、と誰かに出すとします。悪い人(会社)がいれば明日換金しちゃえ、なんてことがすぐおきそうですが、みなさん商習慣として60日をキチンと守る。
その代わり裏書をすることで次の人に譲れる。つまり100万円の価値を裏書で生み出していく。これはお互いの信用が無ければできない訳で、アジアはおろか、欧米でも絶対に通用しない究極の信用システムです。
でも、そのおかげで中小企業は資金繰りができます。長めのスパンで手形を発行して資金繰りは楽になる上に、無駄な金利も支払わなくて済む。これはまさに「ウィンウィンの関係」と言えます。
「疑い」
以前アメリカに旅行をして、華僑のツアコンにお世話になったときのこと。ツアーの途中で中華料理店に立ち寄ったとき、水槽のエビを選んで好きな調理法で頂くことになりました。 その時に、彼は水槽から出したエビの触角を左右違う長さにポキリポキリと折ってから店員に手渡していました。
「なんで?」と聞くと「こうすればすり替えられなくて済むから」との答え。
聞けば、彼は家電量販店で買い物をする時も目の前で映っている、つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品じゃなきゃ買わないと言っていました。
「新品のきれいなものがきちんと自宅に送られてくる方がいいのでは?」と言っても首を横に振る。いま目の前できちんと映っているという確証のある商品を自分で持って帰る、と言う訳です。
なぜなら、中国などでは粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そして配送業者が粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。百歩譲って、全てを家に持ってきて据え付けた上できちんと映ってからでないとお金は払えない、と言う。
こんな環境では手形は流通しません。
「同じカンバンでも…」
アメリカや中国のハンバーガーショップに行かれたことがありますか?どっちが客だかわからない態度をとられ、挙句の果てマニュアルにはないだろう、というくらいの焼け焦げたハンバーグにはみ出したレタス。それも芯の部分が堂々とコンニチハしている。
アメリカ人の友人は初めて日本に来て、まずマクドナルドに衝撃を受けたと話していました。まず店員がみんな若くてかわいい(これは好みの問題にもよりますが)。店員がみんなにこにこしている。そして何よりレタスがはみ出していないハンバーガーが出てくる。
カンバンが同じでもこれだけ違うのかとカンゲキされるそうです。新宿なんかに行くと、マクドナルドが欧米人だらけという光景を目にしますが、彼らは大変満足してお食事をしていらっしゃる。
それは安いサラリーでもマニュアルどおりに熱心に働くスタッフによって支えられているから。日本人はおしなべて「時給が幾らだからこれだけしか働かない」などとは考えません。サラリーが幾らであっても全力投球します。
お金に左右されない「正確さ+正直さ」は日本人特有のもののようです。
「インドの人は…」
世界中のサービス産業で恐れられているあるインド人。彼らは伝統的にサービスに対する要求水準が非常に高いと言われます。エアラインなどで一番要注意はインド人旅客とマニュアルに「陰書き」されている所もあるそうです。
聞いたハナシでは、究極の手段があるそうです。それは飛行機に乗ったらすぐに「コメントカード」を取り寄せるというもの。
コメントカードは、サービスがひどいとかCAの態度が悪い、とか腹を据えかねた時に、マネージャーやCEO宛に出す書類です。スタッフ側もコメントカードなんかを出されたらdemotion(降格)の対象になってしまうので必死に誤って勘弁してもらうという、乗客にとって最終兵器のようなシロモノです。
何もサービスをされていないうちに「コメントカード下さい」言われたら、「なぜですか」と必ず聞かれます。そうすると「いいサービスを受けた時に『良かった』とコメントするために先にもらっておくんだ」と答えるのだそうです。
インド人恐るべし。これでは文句のいいようがありませんし、コメントカードを握っていると思えば嫌でもケアせざるを得ないですよね。本当に頭がいい、と同時に「こうでもしないとインド人は絶対に働かないんだ」と考えているとか。
でも、そんなインドの方から見て、日本のエアラインにはそういう必要は全くないそうです。JALもANAもサービスはイマイチというお声もありますが、インド人も太鼓判!世界的にはすばらしい水準ということですね。
「日本ブランド」
かほど左様に日本人のきちんとしたお金を意識しないサービスというものは世界中に認識されているわけです。最近「日本人はダメだ」という論調も見受けられますが、いえいえどうして。お金に左右されない「正確さ+正直さ」=「日本ブランド」は今後ますます見直されると思います。
民間の現場レベルのオハナシですが。
2008.05.24 | | コメント[0] | トラックバック[0]
原油高とラーメン屋
「原油の価格」
ガソリン高が止まりません。その原因はガソリンの原料となる原油高。では原油の価格はどう決まるのか?スーパーマーケットのような「ドバイ産198円」「ロシア産188円」という形ではなく、市場の動きで米ドル建てのレート提示が行われています。(一部で米ドル離れも始まっていますが)
この「市場」というのがクセモノで、現状ではアメリカのWTI(ウェスト・テキサス・インターミディエイト)という市場が原油の価格決定に一番の影響を与えています。単位はバレル。昔は原油を大きな樽(バレル)に入れていた名残ですが、その容量は約159Lで、現在も「1バレル=○ドル」というのが原油を取引する時の国際基準になっています。
しかし、WTIで実際に原油入りの樽が売買されているワケではありません。「先物」と言って、3ヵ月毎の価格を予測して「先」に売ったり買ったりする取引が行われています。この「先物」取引は、実際に原油を調達して事業をしている企業向けに、原材料費の乱高下の影響を軽減する(ヘッジ)目的で始まりましたが、現在はマネーゲームの舞台になってしまいました。
「しっぽが犬を振り回す」
とは言え、そのマネーゲームの舞台=WTIで原油先物が幾らになったかで、実際の原油の取引価格が決まる流れになってしまっています。しっぽが犬を振り回す(The tail wags the dog)ような結果になってしまっているのが実情なんですね。
WTIはただの取引所ではなく、歴史ある産油地でもあります。ただ一日のWTI原油の産出量は日産40万バレル。ちなみに世界全ての原油産出量は日産8000万バレルですから、世界規模で見ればたったの0.5%でしかありません。
それに対してWTIの一日の原油先物扱い量は、なんと3億バレルに相当します。実際に算出される原油の750倍もの量が取引されているのです。よく「中国やインドで需要が増えているために原油が値上がりしている」と言われますが、要因の一つであっても主因ではないことがここからも分かります。
実需ではなく、先物取引が原油価格を振り回しているのです。
「原油高とラーメン屋」
WTIで算出量の750倍もの原油先物が取引されている状況をラーメン屋に例えるとこんな感じでしょう。
一杯600円で一日限定40食しか売らないラーメン屋に30000人が並んでいる。そのラーメン屋の整理券に対して「オレは750円で買うぞ」「いやオレは800円で10枚買うぞ」「私は1500円で買うわよ!」「えーい、あっしは思い切って3000円だ!」なんて事をやっている。
とにかく毎日のように雑誌やテレビでこの店の紹介をしている上に、実際に食べた人間が「うーん、この世のモノとは思えない旨さだった」なんて言いふらすもんだから、誰もが食べたくて食べたくて仕方がない。
つまり、噂が噂を呼んでどんどん人が並んでいる状態。
おまけに、この店の麺は有限で在庫が尽きれば閉店になると噂されている。その上に、最近この付近に引っ越してきた中国人やインド人達にもこのラーメンは大人気で、彼らがいつも列の最前線に並んで高い値段を口走っている。
「落ち着くべきところへ…」
一説には、世界の投機資金は1京円=100兆円×100にも上るといます。「原油先物取引は儲かる」ということで、世界を回遊する投機資金が集中することで値段が釣り上がっている状況がどこまで続くかは分かりません。ここ数年で見れば、投機資金が数倍になる「美味しい」市場であることには間違いが無いからです。
原油先物取引は、行列の出来るラーメンと同じ様に「美味しい」に違いありません。でも、そのラーメンには果たして一杯3000円の価値があるのでしょうか。市場原理で、今はとんでもない値段がついているけれども、そうそう長くは続かないのではないでしょうか。
10年スパンで見れば、原油価格は落ち着くべきところに落ち着く方に向かう…そう思うのですが…。
ガソリン高が止まりません。その原因はガソリンの原料となる原油高。では原油の価格はどう決まるのか?スーパーマーケットのような「ドバイ産198円」「ロシア産188円」という形ではなく、市場の動きで米ドル建てのレート提示が行われています。(一部で米ドル離れも始まっていますが)
この「市場」というのがクセモノで、現状ではアメリカのWTI(ウェスト・テキサス・インターミディエイト)という市場が原油の価格決定に一番の影響を与えています。単位はバレル。昔は原油を大きな樽(バレル)に入れていた名残ですが、その容量は約159Lで、現在も「1バレル=○ドル」というのが原油を取引する時の国際基準になっています。
しかし、WTIで実際に原油入りの樽が売買されているワケではありません。「先物」と言って、3ヵ月毎の価格を予測して「先」に売ったり買ったりする取引が行われています。この「先物」取引は、実際に原油を調達して事業をしている企業向けに、原材料費の乱高下の影響を軽減する(ヘッジ)目的で始まりましたが、現在はマネーゲームの舞台になってしまいました。
「しっぽが犬を振り回す」
とは言え、そのマネーゲームの舞台=WTIで原油先物が幾らになったかで、実際の原油の取引価格が決まる流れになってしまっています。しっぽが犬を振り回す(The tail wags the dog)ような結果になってしまっているのが実情なんですね。
WTIはただの取引所ではなく、歴史ある産油地でもあります。ただ一日のWTI原油の産出量は日産40万バレル。ちなみに世界全ての原油産出量は日産8000万バレルですから、世界規模で見ればたったの0.5%でしかありません。
それに対してWTIの一日の原油先物扱い量は、なんと3億バレルに相当します。実際に算出される原油の750倍もの量が取引されているのです。よく「中国やインドで需要が増えているために原油が値上がりしている」と言われますが、要因の一つであっても主因ではないことがここからも分かります。
実需ではなく、先物取引が原油価格を振り回しているのです。
「原油高とラーメン屋」
WTIで算出量の750倍もの原油先物が取引されている状況をラーメン屋に例えるとこんな感じでしょう。
一杯600円で一日限定40食しか売らないラーメン屋に30000人が並んでいる。そのラーメン屋の整理券に対して「オレは750円で買うぞ」「いやオレは800円で10枚買うぞ」「私は1500円で買うわよ!」「えーい、あっしは思い切って3000円だ!」なんて事をやっている。
とにかく毎日のように雑誌やテレビでこの店の紹介をしている上に、実際に食べた人間が「うーん、この世のモノとは思えない旨さだった」なんて言いふらすもんだから、誰もが食べたくて食べたくて仕方がない。
つまり、噂が噂を呼んでどんどん人が並んでいる状態。
おまけに、この店の麺は有限で在庫が尽きれば閉店になると噂されている。その上に、最近この付近に引っ越してきた中国人やインド人達にもこのラーメンは大人気で、彼らがいつも列の最前線に並んで高い値段を口走っている。
「落ち着くべきところへ…」
一説には、世界の投機資金は1京円=100兆円×100にも上るといます。「原油先物取引は儲かる」ということで、世界を回遊する投機資金が集中することで値段が釣り上がっている状況がどこまで続くかは分かりません。ここ数年で見れば、投機資金が数倍になる「美味しい」市場であることには間違いが無いからです。
原油先物取引は、行列の出来るラーメンと同じ様に「美味しい」に違いありません。でも、そのラーメンには果たして一杯3000円の価値があるのでしょうか。市場原理で、今はとんでもない値段がついているけれども、そうそう長くは続かないのではないでしょうか。
10年スパンで見れば、原油価格は落ち着くべきところに落ち着く方に向かう…そう思うのですが…。
2008.05.17 | | コメント[0] | トラックバック[0]
大切なこと
「バブル崩壊」
僕が大学を卒業した頃はバブル崩壊の嵐が吹き荒れていました。大学新卒の求人倍率が0.7倍と今の半分以下で、企業説明会に行ってもそれはそれは邪険な扱いを受けたりしたものです。当時多かったのが「圧迫面接」といって、やたらに難しい質問をしてみたりこちらの答えに無反応だったりする採用試験です。怖そうなオジさんたちに睨まれた僕は、逆に頭にきてハッスルしてしまい、試験を通ったこともあります。
曰く「シビアな状況に耐えられるかどうかを試したかった」とか。
その頃ニュースでは毎日「破綻」とか「再建を断念」だとかいう言葉がしょっちゅう流れてきていました。ノンポリ学生だった僕は特に行きたい業種も無く、名前のある企業を片っ端から受けていました。まぁ選り好みなぞしている状況でも無かったし、受けているうちに何かやりたいことが見つかるかもしれないという、何とも大甘な状態でした。
「勘当モノ」
で、当時の就職人気ランクで1位だった会社に入ることが出来たんですが、辞めちゃったんです。わずか一年で。「これは自分のやりたいことじゃない」とか言いながら。別に問題を起こしたわけではありません。為念。いい仲間にも巡り会えたんですが、どうしても肌に合わなかったんです。
いま考えると無謀ですね。僕が自分の親だったら勘当してますよ。大学に浪人して入って就職氷河期に入った大きな会社をさっさと辞めちゃったら、この先どうすんのお前って…。でも親は黙って認めてくれた。だから今でも親には感謝しているし、これから先も一生頭が上がらないと思います。
「派遣労働」
ある出来事を通して報道の仕事どうしても就きたかった僕は、そこに辿りつくまでは何が何でも頑張らないといけなかった。そのためには実家暮らしといえども稼ぐ必要がありました。何といっても浪人⇒大卒⇒就職⇒フリーターの身でしたから。
しかし、当時はバブル崩壊で「フリーター」を取り巻く環境もかなり厳しくなっていました。時給1500円前後の仕事を片っ端から当って見つけたのが「派遣労働」。当時グッドウィルはまだ立ち上がったばかりで、あまり目立ちませんでした。僕がお世話になったのはバックスという会社で、今も業界上位で頑張っている所です。
当時、それはそれは色んな仕事をしました。杉村太造議員よりも多かったんじゃないかな。どの世界にもその道のプロはいるんですね。色んな仕事で自分よりもかなり年下の「先輩」に教わるんですが、毎日「へぇ〜っ」という連続でした。
「チラシ配り」…駅前で足早に歩く人たちにいかに効率よく配るかが勝負。大体は朝の2時間、夕方の2時間で、一日8000円。女性は手元に、男性は胸の位置に出すのがポイントと教わりました。20歳の派遣暦4年の先輩の笑顔と手元のスピードはまさにプロ。僕の倍以上のスピードで配っていく姿は圧巻でした。
「引越し」…言わずと知れた肉体労働です。仕事量に関係なく一日1万円。エレベーターの無いマンションの4階に階段でタンスを上げたときには、死ぬかと思いました。呪いの言葉を唱えながら仕事をした覚えがあります。この仕事はジーンズが破けるのは日常茶飯事。チームの中には一人で冷蔵庫を持ち上げるベテランもいて、力の入れ具合とコツでどんなに重いものでも持ち上げられるものなのだなぁと感心した覚えがあります。
「携帯電話販売」…家電量販店での販売です。一日立ち詰めで説明から契約までをこなして固定で一日1万2000円。歩合の人で年収600万という人もいました。全ての機種の機能やサービスを把握した上で、ライバル社との差を説明しながら契約まで持ち込むには知識とトーク力が必要です。これには様々なタイプの派遣がいて、一番面白かった業種でした。
「秋葉原生活」
派遣先から気に入られれば長く続くのがハケンの世界。一番長く続いたのは秋葉原駅前の家電量販店の携帯電話販売でした。辞めた会社が通信関係だったこともあって、知識がソコソコあったのが幸いしたのでしょう。今は「アキバ」なんて言っていますが、当時の秋葉原はそれはそれはディープな雰囲気が漂っていました。
オタクの領域を超越してほとんど専門家という人もいて、毎日お店に来ては買いもしないのに自分の知識を延々とひけらかす人が多かったですね。あと駅前では包丁とか便利グッズの実演販売をやっていてこれが面白かった。昼休みはいつも見に行っていましたが、いつも黒山の人だかり。特に上手だった方は、いまテレビの通販番組でお見かけします。頑張っていたもんなぁ、出世したんだなぁと、他人事ながら嬉しいものです。
「携帯電話販売」
1994年に規制緩和で免許が幅広く認められるようになり、基本料金が大幅に値下げされて以来、高級品だった携帯電話は爆発的な普及を見せていました。当時はドコモ・ツーカー(現au)・セルラー(現au)・デジタルホン(現ソフトバンク)がしのぎを削っていましたが、ドコモが通話エリアを武器に他社を圧倒していました。
僕はドコモの担当でした。歩合ではないものの、売り場にはツーカーの担当者やデジタルホンの担当者もいるので表面上は仲良くしても、内心はライバル心がメラメラ。特に接客中で手が離せないときに、ドコモの携帯電話を見ているお客に、ツーカーの担当者が「ドコモもいいけど都心で使うならツーカーの方が安くて良いですよ!」などと言いながら引っ張っていくのを横目で見ていると、ハラワタが煮えくり返りました。もちろんその逆も何度もやりましたけど。
売り場のメンバーは実に個性豊かでした。
男性でイケメンのYさんは女性には甘く、男性には低姿勢に迫るという使い分けで、契約獲得数トップ。ソツ無くムダ無くスマートで、秋葉原だけではなく、全国各地の量販店からひっぱりだこでした。で、仲良くなって安居酒屋で飲んだ時に、とんでもない秘密を聞かされました。なんと各地の派遣先にそれぞれ彼女がいるというのです。「時々しか会えないのがいいわけですよ!派遣の特権ですかね☆」とサラッと話していましたが…。
女性で色気があったTさんは何となくワケありな雰囲気。特に男性客は、彼女の説明を聞くというよりは彼女の雰囲気に呑まれる形で契約をしていました。『ショムニ』というドラマでもお色気のある方がいたじゃないですか。あの醸し出す雰囲気は何なのか…安居酒屋で飲んだときも詳細は分かりませんでした。不思議な魅力のある方で、一説にはバツ1、一説には国際結婚をしている…様々な噂がありましたが、誰も真相は知れずじまいでした。
みんないい仲間でした。
「大切なこと」
その頃、前の会社の同期は海外企業との業務提携やら、官庁との人事交流やら、社費での海外留学やら、それはスマートな仕事をしていました。でも、僕は僕で、安居酒屋で騒ぎ、安カラオケで一緒に歌い、経歴や肩書きなど全く関係の無い者同士で裸の付き合いをしながら、多くの大切なことを学ばせてもらったと思います。
一日中立ち詰めで仕事をしながら、正社員に馬鹿にされたり、売れなくて店長に怒られたり…それでもハケンの僕らはそれなりに楽しく働いていました。垣根を作らずに人と接するということを学ばせてくれたあの仲間たちは、今もプライドを持ってハケンの仕事をしているのだろうか…今度連絡を取ってみようと思います。
僕が大学を卒業した頃はバブル崩壊の嵐が吹き荒れていました。大学新卒の求人倍率が0.7倍と今の半分以下で、企業説明会に行ってもそれはそれは邪険な扱いを受けたりしたものです。当時多かったのが「圧迫面接」といって、やたらに難しい質問をしてみたりこちらの答えに無反応だったりする採用試験です。怖そうなオジさんたちに睨まれた僕は、逆に頭にきてハッスルしてしまい、試験を通ったこともあります。
曰く「シビアな状況に耐えられるかどうかを試したかった」とか。
その頃ニュースでは毎日「破綻」とか「再建を断念」だとかいう言葉がしょっちゅう流れてきていました。ノンポリ学生だった僕は特に行きたい業種も無く、名前のある企業を片っ端から受けていました。まぁ選り好みなぞしている状況でも無かったし、受けているうちに何かやりたいことが見つかるかもしれないという、何とも大甘な状態でした。
「勘当モノ」
で、当時の就職人気ランクで1位だった会社に入ることが出来たんですが、辞めちゃったんです。わずか一年で。「これは自分のやりたいことじゃない」とか言いながら。別に問題を起こしたわけではありません。為念。いい仲間にも巡り会えたんですが、どうしても肌に合わなかったんです。
いま考えると無謀ですね。僕が自分の親だったら勘当してますよ。大学に浪人して入って就職氷河期に入った大きな会社をさっさと辞めちゃったら、この先どうすんのお前って…。でも親は黙って認めてくれた。だから今でも親には感謝しているし、これから先も一生頭が上がらないと思います。
「派遣労働」
ある出来事を通して報道の仕事どうしても就きたかった僕は、そこに辿りつくまでは何が何でも頑張らないといけなかった。そのためには実家暮らしといえども稼ぐ必要がありました。何といっても浪人⇒大卒⇒就職⇒フリーターの身でしたから。
しかし、当時はバブル崩壊で「フリーター」を取り巻く環境もかなり厳しくなっていました。時給1500円前後の仕事を片っ端から当って見つけたのが「派遣労働」。当時グッドウィルはまだ立ち上がったばかりで、あまり目立ちませんでした。僕がお世話になったのはバックスという会社で、今も業界上位で頑張っている所です。
当時、それはそれは色んな仕事をしました。杉村太造議員よりも多かったんじゃないかな。どの世界にもその道のプロはいるんですね。色んな仕事で自分よりもかなり年下の「先輩」に教わるんですが、毎日「へぇ〜っ」という連続でした。
「チラシ配り」…駅前で足早に歩く人たちにいかに効率よく配るかが勝負。大体は朝の2時間、夕方の2時間で、一日8000円。女性は手元に、男性は胸の位置に出すのがポイントと教わりました。20歳の派遣暦4年の先輩の笑顔と手元のスピードはまさにプロ。僕の倍以上のスピードで配っていく姿は圧巻でした。
「引越し」…言わずと知れた肉体労働です。仕事量に関係なく一日1万円。エレベーターの無いマンションの4階に階段でタンスを上げたときには、死ぬかと思いました。呪いの言葉を唱えながら仕事をした覚えがあります。この仕事はジーンズが破けるのは日常茶飯事。チームの中には一人で冷蔵庫を持ち上げるベテランもいて、力の入れ具合とコツでどんなに重いものでも持ち上げられるものなのだなぁと感心した覚えがあります。
「携帯電話販売」…家電量販店での販売です。一日立ち詰めで説明から契約までをこなして固定で一日1万2000円。歩合の人で年収600万という人もいました。全ての機種の機能やサービスを把握した上で、ライバル社との差を説明しながら契約まで持ち込むには知識とトーク力が必要です。これには様々なタイプの派遣がいて、一番面白かった業種でした。
「秋葉原生活」
派遣先から気に入られれば長く続くのがハケンの世界。一番長く続いたのは秋葉原駅前の家電量販店の携帯電話販売でした。辞めた会社が通信関係だったこともあって、知識がソコソコあったのが幸いしたのでしょう。今は「アキバ」なんて言っていますが、当時の秋葉原はそれはそれはディープな雰囲気が漂っていました。
オタクの領域を超越してほとんど専門家という人もいて、毎日お店に来ては買いもしないのに自分の知識を延々とひけらかす人が多かったですね。あと駅前では包丁とか便利グッズの実演販売をやっていてこれが面白かった。昼休みはいつも見に行っていましたが、いつも黒山の人だかり。特に上手だった方は、いまテレビの通販番組でお見かけします。頑張っていたもんなぁ、出世したんだなぁと、他人事ながら嬉しいものです。
「携帯電話販売」
1994年に規制緩和で免許が幅広く認められるようになり、基本料金が大幅に値下げされて以来、高級品だった携帯電話は爆発的な普及を見せていました。当時はドコモ・ツーカー(現au)・セルラー(現au)・デジタルホン(現ソフトバンク)がしのぎを削っていましたが、ドコモが通話エリアを武器に他社を圧倒していました。
僕はドコモの担当でした。歩合ではないものの、売り場にはツーカーの担当者やデジタルホンの担当者もいるので表面上は仲良くしても、内心はライバル心がメラメラ。特に接客中で手が離せないときに、ドコモの携帯電話を見ているお客に、ツーカーの担当者が「ドコモもいいけど都心で使うならツーカーの方が安くて良いですよ!」などと言いながら引っ張っていくのを横目で見ていると、ハラワタが煮えくり返りました。もちろんその逆も何度もやりましたけど。
売り場のメンバーは実に個性豊かでした。
男性でイケメンのYさんは女性には甘く、男性には低姿勢に迫るという使い分けで、契約獲得数トップ。ソツ無くムダ無くスマートで、秋葉原だけではなく、全国各地の量販店からひっぱりだこでした。で、仲良くなって安居酒屋で飲んだ時に、とんでもない秘密を聞かされました。なんと各地の派遣先にそれぞれ彼女がいるというのです。「時々しか会えないのがいいわけですよ!派遣の特権ですかね☆」とサラッと話していましたが…。
女性で色気があったTさんは何となくワケありな雰囲気。特に男性客は、彼女の説明を聞くというよりは彼女の雰囲気に呑まれる形で契約をしていました。『ショムニ』というドラマでもお色気のある方がいたじゃないですか。あの醸し出す雰囲気は何なのか…安居酒屋で飲んだときも詳細は分かりませんでした。不思議な魅力のある方で、一説にはバツ1、一説には国際結婚をしている…様々な噂がありましたが、誰も真相は知れずじまいでした。
みんないい仲間でした。
「大切なこと」
その頃、前の会社の同期は海外企業との業務提携やら、官庁との人事交流やら、社費での海外留学やら、それはスマートな仕事をしていました。でも、僕は僕で、安居酒屋で騒ぎ、安カラオケで一緒に歌い、経歴や肩書きなど全く関係の無い者同士で裸の付き合いをしながら、多くの大切なことを学ばせてもらったと思います。
一日中立ち詰めで仕事をしながら、正社員に馬鹿にされたり、売れなくて店長に怒られたり…それでもハケンの僕らはそれなりに楽しく働いていました。垣根を作らずに人と接するということを学ばせてくれたあの仲間たちは、今もプライドを持ってハケンの仕事をしているのだろうか…今度連絡を取ってみようと思います。
2008.05.10 | | コメント[0] | トラックバック[0]
ジョニー・ブンコ
5月病でやる気が出ない…という社会人の方も多いのでは…。アメリカでもそんな社会人が多いそうです。そんなアメリカで今ウケているものがあるそうです。
「アメリカのビジネス漫画」
漫画文化は日本のお家芸ですが、アメリカでは『ジョニー・ブンコ』(原題: The Adventures of Johnny Bunko)というビジネス漫画が発刊されて、人気になっているそうです。著者はビジネス書の世界で有名なダニエル・ピンク。アル・ゴア元副大統領のスピーチライターをしていた御仁です。
本の内容はこんな感じ。
優秀な学生が親の親身なアドバイスを聞き入れて良い大学に進み大企業に就職したのになぜか満足できない…。
「ひょっとして僕にアドバイスをくれた皆が間違っていたのかも…」
そんな誰もが抱えるモヤモヤしたところから、ビジネスの世界の厳しさややりがいを見つけていくという、まぁどこかにあるようなお話。
「ビジネスの教訓は万国共通」
教訓1:敷かれたレールなんて存在しない
これをやっていれば安全だという発想からキャリアを選ばない。古今東西、安全で不変なキャリアは存在しません。不倒神話の銀行がどうなったかは周知の事実。自分の好きなこと、やりがいのあることを選ぼう。
教訓2:自分の得意な学科や技能を伸ばすだけをことを考える
不得意科目を補正してもあなたはせいぜいmediocre(平凡)な会社員にしかなれない。insanely great(メッチャ凄い)人間にならないと真の成功は勝ち取れない。
教訓3:自分に何が出来るかを考えない
自分の守備範囲や得意分野だけを考えて行動すると、自ずとキャリアを限定することになる。自分の才能で他人の役にどう立てるか?を考え、広い視野でモノを考えること。
教訓4:才能も大事だか執念はそれ以上に大事
世の中には才能ある人が溢れている。しかし、そこで止まっていては前へは進めない。問題はモチベーションを維持し、絶え間なく努力できるかどうか。それによって、才能の壁は乗り越えられる。
教訓5:進んで失敗する
大きな目標や野望を持ち、大きな失敗をすること。失敗しても構わない!という思い切った気持ちが無ければ、大きな仕事はできない。リスク無くしてリターン無しということ。
教訓6:後続に伝統を残す
自分にしか出来ないと技能を抱え込むのは真のエリートではない。また、自らの後続を蹴落したり邪魔をするのは、組織の停滞を招き、時には組織を退廃させる。
ビジネスで真に成功した人間は「自分のやった業績は何か意味のあることだったのだろうか?」「自分は社会に貢献しただろうか?」といった疑問を抱くもの。それをリタイヤしてから考えたのでは遅すぎる。現役のうちにそういう疑問を自問し続け、世の中に貢献することを目標とすれば悔いの無い人生を送ることが出来る。
「フラット化する世界」
トーマス・フリードマンが『The World is Flat』で示したフラット化する世界の中で、先進国といわれる国々のビジネスマンたちが新しい競争に晒されていると指摘しています。
具体的に見ると、ホワイトカラーの知識集約的な仕事がどんどんインドなどに流出してしまっている現象を挙げることが出来るでしょう。インドは数学教育の水準でアジアトップであると同時に人件費が安く、2010年代には世界のソフトウェアの生産基地になると言われています。
ホワイトカラーの仕事は、ソフトウェアに限らず規制緩和や競争激化で様々な面でフラット化が進み、変化が加速しています。これから新社会人の若者たちが、どう力強く生き抜いていくか。そのヒントの一端が『ジョニー・ブンコ』には紹介されています。
5月病になったかも…という方!お時間のある方は是非どうぞ。
「アメリカのビジネス漫画」
漫画文化は日本のお家芸ですが、アメリカでは『ジョニー・ブンコ』(原題: The Adventures of Johnny Bunko)というビジネス漫画が発刊されて、人気になっているそうです。著者はビジネス書の世界で有名なダニエル・ピンク。アル・ゴア元副大統領のスピーチライターをしていた御仁です。
本の内容はこんな感じ。
優秀な学生が親の親身なアドバイスを聞き入れて良い大学に進み大企業に就職したのになぜか満足できない…。
「ひょっとして僕にアドバイスをくれた皆が間違っていたのかも…」
そんな誰もが抱えるモヤモヤしたところから、ビジネスの世界の厳しさややりがいを見つけていくという、まぁどこかにあるようなお話。
「ビジネスの教訓は万国共通」
教訓1:敷かれたレールなんて存在しない
これをやっていれば安全だという発想からキャリアを選ばない。古今東西、安全で不変なキャリアは存在しません。不倒神話の銀行がどうなったかは周知の事実。自分の好きなこと、やりがいのあることを選ぼう。
教訓2:自分の得意な学科や技能を伸ばすだけをことを考える
不得意科目を補正してもあなたはせいぜいmediocre(平凡)な会社員にしかなれない。insanely great(メッチャ凄い)人間にならないと真の成功は勝ち取れない。
教訓3:自分に何が出来るかを考えない
自分の守備範囲や得意分野だけを考えて行動すると、自ずとキャリアを限定することになる。自分の才能で他人の役にどう立てるか?を考え、広い視野でモノを考えること。
教訓4:才能も大事だか執念はそれ以上に大事
世の中には才能ある人が溢れている。しかし、そこで止まっていては前へは進めない。問題はモチベーションを維持し、絶え間なく努力できるかどうか。それによって、才能の壁は乗り越えられる。
教訓5:進んで失敗する
大きな目標や野望を持ち、大きな失敗をすること。失敗しても構わない!という思い切った気持ちが無ければ、大きな仕事はできない。リスク無くしてリターン無しということ。
教訓6:後続に伝統を残す
自分にしか出来ないと技能を抱え込むのは真のエリートではない。また、自らの後続を蹴落したり邪魔をするのは、組織の停滞を招き、時には組織を退廃させる。
ビジネスで真に成功した人間は「自分のやった業績は何か意味のあることだったのだろうか?」「自分は社会に貢献しただろうか?」といった疑問を抱くもの。それをリタイヤしてから考えたのでは遅すぎる。現役のうちにそういう疑問を自問し続け、世の中に貢献することを目標とすれば悔いの無い人生を送ることが出来る。
「フラット化する世界」
トーマス・フリードマンが『The World is Flat』で示したフラット化する世界の中で、先進国といわれる国々のビジネスマンたちが新しい競争に晒されていると指摘しています。
具体的に見ると、ホワイトカラーの知識集約的な仕事がどんどんインドなどに流出してしまっている現象を挙げることが出来るでしょう。インドは数学教育の水準でアジアトップであると同時に人件費が安く、2010年代には世界のソフトウェアの生産基地になると言われています。
ホワイトカラーの仕事は、ソフトウェアに限らず規制緩和や競争激化で様々な面でフラット化が進み、変化が加速しています。これから新社会人の若者たちが、どう力強く生き抜いていくか。そのヒントの一端が『ジョニー・ブンコ』には紹介されています。
5月病になったかも…という方!お時間のある方は是非どうぞ。
2008.05.03 | | コメント[0] | トラックバック[0]