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2008年05月15日(木曜日)付

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パレスチナ60年―難民の苦境に終止符を

 60年前の1948年5月14日、英国の委任統治領だったパレスチナにイスラエルが建国された。ユダヤ人にとって、流浪と迫害の歴史に終止符をうつ「歓喜の日」である。

 翌15日、独立を認めないアラブ諸国がイスラエルに攻め込んだ。その中で70万人が故郷を追われ、難民となった。パレスチナ人はこの日を「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。

 それ以後の60年間、両者だけでなく世界にとっても波乱の歴史が続いた。

 数次にわたる中東戦争、占領、世界各地でのテロ、虐殺、難民……。アラブ産油国の禁輸戦略により、多くの国がオイルショックに見舞われた。日本も無縁ではなかった。

 ハリネズミのように武装を固めるイスラエルは、事実上の核保有国と見られ、世界の核不拡散体制に大きな穴を開けている。イラクやシリア、イランなどが原子力開発に手をのばそうとするのもそれを意識してのことだろう。

 米国は巨額の軍事援助などでイスラエル寄りの政策を続け、中東そしてイスラム世界全体に反米意識を呼び起こしている。米国を標的にした国際テロも、根っこではイスラエル・パレスチナ紛争につながっている。

 そうした派手な政治、経済の動きが世界の注目を集める一方で、忘れられがちなのが難民問題だ。いまや国連に登録されるパレスチナ難民は450万人にまで膨らんだ。

 多くの難民は、イスラエル占領地内やヨルダン、レバノンなどの劣悪な環境の難民キャンプに暮らしている。キャンプで生まれ育った世代も増えた。

 祖父母や親から故郷の家の鍵や権利証書を受け継ぎ、帰還の日を待ち続ける。絶望と怒りが深まり、過激主義にひかれる人々も出てきている。

 難民の帰還促進や権利補償は48年12月の国連総会で決議され、それ以降、何度も同じような決議が採択されているが、まったく進展しない。

 ブッシュ米大統領は、来年1月の任期切れまでに中東和平の合意をつくろうと外交努力を強めているが、難民問題を避けて和平はありえない。

 イスラエルの存立が危うくなりかねないような急激な難民帰還は現実的ではない。しかし、難民の存在と権利を認め、互いに共生を考えるところから正常化への第一歩が始まる。米国は仲介者として、もっと公平で積極的な役割を果たしてもらいたい。

 難民の苦境を早く終わらせなければならない。どの程度の帰還なら受け入れ可能なのか、戻れない難民の受け入れ先や経済補償などを考えるには、国際社会も知恵を出す必要がある。

 この60周年を機に、そのための枠組みを国連につくる。パレスチナ支援に実績を持つ日本はそんな声を上げたらどうか。

毒ガス兵器―事件で処理を遅らせるな

 旧日本軍は毒ガス兵器を大量に中国に持ち込み、終戦の時に地中や川の中に捨てた。戦後、これらの兵器で住民らが死傷する事故が相次いだ。1997年の化学兵器禁止条約発効で、日本は毒ガス兵器の回収と処分の義務を負った。

 この事業を独占的に請け負ったのが、コンサルタント大手、パシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI)グループだ。PCIの前社長らが、詐欺容疑で東京地検に逮捕された。うそをついて請求を水増しし、約1億4千万円の税金をだまし取ったというのだ。

 それが事実なら、日本が国家として取り組んでいる戦後処理の事業を食い物にしていたことになる。

 PCIの犯罪が追及されるのは当然だが、理解できないのは、内閣府がなぜ、こんな企業に日中両国の関係にもかかわる大事な事業を随意契約で丸投げしたのかということだ。

 PCIはこれまでにも、政府の途上国援助を請け負った際、領収書を偽造して事業費を流用したことがあった。国際協力機構から指名停止処分を受けている。

 内閣府は「海外で建設コンサルタントをできる業者が少なく、仕方なかった」と説明しているが、納得できるものではない。化学兵器の処理は特殊な分野ではあるが、専門家の手を借りて内閣府の職員が直接取り組んだり、広く世界に受注企業を募ったりする方法があったはずだ。

 PCIの悪評に目をつぶり、使い勝手の良さから安易に事業を丸投げしたと言われても仕方があるまい。

 問題は、今後、中国で毒ガス兵器の処理事業をどのように進めるかである。処理はいままでも遅れ気味だ。事件があったからといって、滞るようなことがあってはならない。

 今回の事件でPCIは処理事業から撤退する方針だ。内閣府は代わりの業者を入札で募ったが、応じた業者はなかった。

 PCIグループが請け負っていた処理計画や装備の調達、下請け業者への委託などは、内閣府が直接担当するという。政府は担当部門の態勢を拡充して処理の速度を上げるべきだ。

 中国に残っている毒ガス兵器は30万発とも40万発ともいわれる。当初の計画では、昨年春までに処理を終えることになっていた。

 ところが、06年度までに500億円近い事業費を投じたものの、回収できたのは4万発にすぎない。このため、処理の期限は12年にまで延ばされた。

 これを再度延長するようなことになっては、日本は国際的な信用を落としてしまうだろう。なによりも、中国の住民が事故の巻き添えにあう危険を一日も早く取り除かねばならない。

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