増える不法滞在外国人−多くは低賃銀で酷使ボリビア、ペルーから20万人
[オ・エスタード紙19日]最初の人類がアフリカで誕生して以来、移住の歴史は古く、10万年から70万年前に溯るといわれている。移民が作った南米の国々、現在のブラジルでもサンパウロなどを中心に外国人は多く、市内を歩いていると最近さらに増えてきているという印象さえ持たれる。
その大部分は隣国のボリビア、ペルーなどからで、ビザがない不法滞在者がそれぞれ15万人、5万人はいると推定されている。また、最近入国したばかりのような風貌の韓国、中国からの移民も目立つようになってきた。褐色のアンゴラ人、カードを掲げて物乞いをする姿のルーマニア人などもいる。
ペルー人らはサンパウロ市中心街のホテルに居住し、そこはカビ臭く、環境は劣悪。明るくなる前に仕事にでかけるが、韓国人らに不法に雇用されるか、カメロー(行商人)などの低収入のもの。
一方、韓国人の移住の歴史は比較的新しく、公式には1963年に移民船がソウルから着いた。彼らは母国と完全に縁を切って、ブラジルでファゼンデイロ(牧場主)になるのが夢だった。しかし、多くは挫折。次いでサンパウロで職探しにチャレンジするがまたしても、失敗。そこで始めたのが仕立て業だった。不法滞在者も多く、パトカーを恐れながら、労働は一日中、寝る間を惜しんで行われた。気絶寸前まで仕事をしたという。
1982年、不法滞在を免除して市民権を与えるアムネスティーをきっかけとして韓国人は、大手を振って事業を行うことができるようになり、多くは成功。今ではサンパウロのブラス区などで洋服業を仕切るほどにまで発展した。しかし、雇用する立場になった彼らは、自分らと同じ事をボリビア人らに課してしまった。不法滞在の足元を見て、工場の粗末な部屋に住まわせ、一日に16時間もの重労働をさせたという。ボリビア人らは警察と強制送還を恐れて、窓のない部屋で黙って働いた。韓国人に雇用されたことがあるボリビア人は、「彼らは金払いが悪くて大嫌いだね。バーレと称する紙を渡すだけの奴隷労働だ」と顔をしかめた。
1998年、アニスチーア(アムネスティ)を政府は再び与えた。これにより多くのボリビア人が韓国人の元から独立。しかし、現在でも雇用される者は多い。サンパウロ市ボン・レチーロ区にはハングル文字の看板が並ぶ街路が多く、夜はボリビア系らしき顔が多く見られる。
ブラジル人の仕事を奪うということで、企業の駐在員にも短期ビザさえ出し渋る現状、しかし、出生率の低さから老齢化が進み、労働力を海外に頼らざるをえななくなりつつあるイタリアの例などもある。
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