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春の月

春の月

                   shirochi


春の月         聖@浅葱

 新撰組総長、山南敬助。その死にざまについては、隊規違反により斬首されたとも、鬱なる精神状態で自刃しはてたとも伝えられている。
 いずれにせよ、新撰組創設以前の、江戸は試衛館時代より居候の身となって、近藤、土方らと友誼を結び、京にのぼって隊創設に深くかかわり、白刃のなかに身を投じることになったこの男の最後は、軟弱で優柔なイメージにとらわれている。
 尊皇攘夷に理解をもち、また剣も、志士らが多く出入りしたという千葉道場で、北辰一刀流を修めたという山南は、新撰組では異色といっていい。仙台藩をいかなる理由でか脱藩し、江戸に流れて試衛館に居つくまでの詳細は不明だが、志士にたいする血の制裁へとひた走る新撰組とは、心情的に齟齬があったことは推測できる。副長ー組長の指揮系統からはずれた『総長』という、敬して遠ざけられた観の役に甘んじたことも、その傍証となろう。ともかく山南は、欝屈をかかえざるをえなかった、それはたしかなことだ。
 だが、と思う。それでも山南敬助は、新撰組から脱走したのでも、錯乱して死したのでもないと筆者は思う。
『水の北 山の南や 春の月』
 この句は、新撰組副長土方歳三のものである。伊東成郎氏の解釈を引けば『「水の北」つまり私(土方)が踏みも見ずの北(仙台)から上府してきた「山の南」は、春の月のような男だった』ということになる。山南の死に際しては、同僚伊東甲子太郎による挽歌なども残されているが、その表現の嘆き節は、そういうものの常として、型通りの哀悼しか感じられない。それとは逆に、前者の句は無邪気そのものである。だが、言葉遊びの底にある無垢な響きにこそ、思想や時勢にとらわれず、無為で呑気で幸福な、試衛館のころの時間がみえてこないだろうか。その絆ゆえに、山南は、志はちがえどもあえて新撰組にいることを選択した。そしてその死も、この選択の線上にあると考えられないか。それは、結果、優柔不断とも見えたかもしれない。戦闘組織の機能を先鋭化することに没頭する副長土方が、山南の存在を危惧することになったのかもしれない。だが、『山南敬助と土方歳三』この二人のつきあいは、最後まで男の絆を見失ったものではない誠実なるものであった、そう私は想像するのだが。
土方、きみに介錯を頼みたい」
 ここは、壬生。『新撰組』屯所にほどちかい竹林の奥。薄い浅葱色の切腹装束に身をあらた
「めた新撰組総長山南敬助は、副長土方歳三とふたりきりで静かに向かいあっていた。
 如月春、夜明けまであとわずかの、凍えるような暁月夜。
「もはや何の悔いもない。土方、きみの、いやこの新撰組のために、いまなら私は笑っていける。新撰組の総長として潔く」
 敬助はぎこちなく笑って、ゆっくりと腰をおろし、端座する。この間、土方は無言で微動だにしない影だった。
 支度をおえ、敬助がふたたび見あげると、まるで表情のうかがえない土方が一気に刀を抜き放つ。
 空には、おりからおぼろに春の月が浮かんでいる。高々とかかげられた土方の白刃は、月華の蒼に弾かれて、一瞬、鋭くひかる。敬助は、脇差を腹にそえ、息をととのえて瞑目した。刹那、彼はその閃光のなかにいた。

「誰だ、てめえは」
 薄汚れた試衛館道場の片隅、振り向いた敬助の前には、すらりとした長身痩躯の男が立っていた。
「誰だ、と聞いてるんだ。てめえ、耳がねえのか」
「これは失礼。私は、先日から世話になっている山南敬助。貴殿は?」
「へえ、あんたが山南さんかい。沖田から聞いたぜ。おかしな名前の奴が食客になったってな」
 男は、敬助の誰何をさらりと無視し、くくっと喉奥で笑った。
 敬助は、むっとした。
「貴殿の名は?」
「聞けば、山南さんとやらは、ご高名な北辰一刀流の、しかも免許皆伝をお持ちらしいじゃねえか。おれも、ぜひ一手ご教授ねがおうか」
 男はそう言うと、手にした竹刀に勢いよく素振りをくれ、くすくす笑いながら位置を定める。敬助もつられるように前に出、構えた。
 男の構えは、下段。それもひどく右寄りの、癖の強い構えだ。たいして敬助は、俗に『鶺鴒の剣』と呼ばれる北辰一刀流独特の、下正眼。
「ふふん、それが鶺鴒の剣か。おもしれえ。ところであんた、山南ってのは偽名だな。本当はなんていうんだ」
「名を聞いているのは私だ。貴殿の名をお聞かせ願いたい」
 その言葉の終わらぬ内に、男は甲高い気合いを発し、敬助に躍りかかった。敬助はそれをひらりとかわした、はずだった。が、男の竹刀は、一瞬はやく彼の小手をしたたかに打っていた。
「あんた、沖田の坊やに散々やられたそうだな。ま、あいつぁガキだけどよ、この試衛館じゃ一番の使い手だ。しかたねえこった」
 男は、にやっと笑った。その侮蔑を含んだ、冷たい笑みに火をつけられて、敬助は裂帛の気合いで、上段に振りかぶった。
「やあっ!」
 瞬間、猛然と放たれた敬助の面打ちをからくも外し、男は間髪入れず、双手突きを繰り出す。敬助はそれを寸でのところで擦りあげ、胴を打つ。
「まだまだあ!」
 決まったかのように見えたその胴打ちだったが、男は無視して驚くほどの身軽さで飛びすさり、ふたたび下段に構えている。
「たあ!」
「浅いっ」
 激しい打ち合いだった。いつのまにか男の顔からは、笑みが消えていた。敬助も蒼白だ。二人は、ただ夢中で竹刀を振るいつづけた。
 やがて小半刻が過ぎる頃、二人の間には、再び静寂が戻った。荒い息づかいだけが、その沈む静寂の中に流れていく。男は特徴のある鋭い眼を細めながら、一瞬、敬助を見すえ、何を思ったか、遊びに飽きた子供のようにあっけなく竹刀を投げだすと、底抜けの明るい声で笑いだした。まったく無防備な笑いだ。
「あんた、なかなか使うじゃねえか」
 敬助は構えていた竹刀を下ろし、頬をゆるめる。
「貴様も、な」
「ははは、おれの剣なんて、ただの我流剣法だ。長丁場になれば、あんたみてえに歴とした流儀には、かなわねえ」
「そんなことはない。きみはすごい。真剣ならば、私が先に死んでいる」
「いや、あの胴打ちでやられてるさ」
「その前に小手が利いていた」
 男は羞かしげに頭をかいた。
「ふふ。ところで、まだ名前を聞いていないんだが」
「これは失礼、土方歳三ってもんさ。よろしくな、山南さん」
「サンナンと呼んでくれればいい」
 いっとき土方は沈思したようで、それから「なるほど」とつぶやき、朗らかに笑った。
「あんたは正直な男だな。どこかを脱藩してきた三男、本名を捨て江戸に流れてきた……か。おれは、てっきり素性の悪い浪人が、人のいい近藤にとりいって、貧乏道場に居ついたと思って喧嘩を売っちまったんだ。許してくれ、『サンナン』さん」
 敬助は、にっこりと微笑んだ。
「国は、仙台なんだ」
 土方はあわてて手を振り、
「おれは、詮索は嫌いだ。もうよしにしよう。それよりサンナンさん、つきあえよ。いける口だろう?」
 と言って、くいっと酒を呑むてぶりで、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。敬助は笑って頷いた。
 山南敬助、二十五才。そして、土方歳三、二十三の浅い春だった。

 敬助は懐紙を巻いた脇差を手に、ふと微笑み、同時にそれを腹にぐいと突き刺す。その瞬間、上段に振りかぶった土方の刀の剣先が、光の矢となって降った。
「さらば、さらばわが友よ!」
 土方の悲鳴のようなその絶叫は、如月の凍る闇に儚く散った。
 春寒の、二人が出会ったあの日からちょうど八年目を数える元治二年二月二十三日。『新撰組総長』山南敬助の死に顔は、まさに『春の月』に酔うがごとく、静かで穏やかなものであった。

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こんにちは^^
餡子の子供達、5ニャン、無事、揃いました!
暫くはヌーサ、最中、餡子、そしてちびニャン’sの世話で忙しくなると思います。
その様な理由からBlogへのコメントもなるべく入れるよう努力いたしますが
入れたり入れなかったりポチ逃げだったりする事があるかもしれません。
御容赦頂ければ幸いです。

コピペで申し訳ありません<(_ _)>

かぜのお〜 | URL | 2008年05月04日(Sun)13:51 [EDIT]