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春の月

沖光始末

春が逝きました。
もうすぐちゃあと彼女のご命日です。
私にできることは彼女が残した小説を発表すること。
こころあるかたに読んでいただければ幸いです。
shirochi


沖光始末         聖@浅葱

 『新撰組』副長山南敬助知信、その愛刀『赤心沖光』の押型が、残されている。
 無数の刃こぼれと、生々しい鮮血。そして切尖から一寸程下の、折れんばかりの刃切れのあとが、闘争の凄まじさを伝えている。傍らには『……岩木升屋ニ押入ノ浪士ヲ討取……云々』と僅か数行の事態の記述があるだけだ。
 だが、この血塗られた『赤心沖光』の壮絶な刃切れには、幕末という特異な時代に火花を散らした、二人の男の思いが秘められているのだった。

 文久四年正月二日。この日、新撰組は上洛をする将軍の警護のため、総員を率いて大坂へと出陣した。晴れの任務といってよい高揚が、みなの顔にある。だがひとり山南敬助は、行軍の最後尾で、その浅葱色の隊列を複雑な思いで見詰めていた。
 敬助は、本来徹底した尊皇攘夷論者である。が、八・一八政変後の新撰組は、敬助の思想とは真反対の道を駆け出していた。
 毎日のように繰り返されるのは、過激尊攘派浪士への血の制裁と、そして新撰組内部での同志への容赦のない粛清である。いまや華洛での日々は、ただ敬助の心を重くするばかりだった。『粛清』されるというのなら、まず第一に自分がふさわしい。敬助は、そんな自嘲ともいえる、無能な呟きの日々を過ごしていた。
 と、突然、甲高い笑い声と下卑た野次が、どこからかあがった。
 整然と歩いていた隊士たちは、一斉に騒めき、声の主を探す。敬助も思わず、あたりを見回した。
 沿道には、この行軍を見物するために来たと思われる者たちが、彼方此方にまばらで固まっている。
 当時、洛中の人々は、京を我が物顔で荒らす尊攘派浪士をひどく嫌っていたが、それを取り締まる側の新撰組に対しても、同様の思いを持っていた。血を血で洗うような新撰組のやりかたは、市井の人々にとって恐怖以外の何物でもなかったのだ。がために、いつしか新撰組は『壬生浪』と呼ばれ、蔑まれていた。その上、新撰組隊服の染め色は、田舎侍の蔑称でもある浅葱色だった。野次は、それを嘲笑ったものである。
 そんな中、声はますます高くなり、すでに血気に逸った何人かの隊士は、刀の鯉口を切り、眼光鋭く辺りを見回していた。
(まずいな)
 と、敬助は思った。
(このままでは、すまぬかもしれぬ)
 敬助は、腰間に携えた赤心沖光の柄に、そっと手をかけた。
「いたぞ、あいつらだっ!!」
 叫んだのは、敬助のすぐ前を歩いていた隊士の一人であった。彼は、叫ぶと同時に人垣に向かって走りだした。何人かの隊士がそれに続き、敬助も咄嗟に彼を追った。
 あっという間に、人垣が割れ、どよめきが起こる。と、脱藩者らしいひとりの浪士が捕らえられた。浪士は、尚も口汚く罵り続ける。
「何が新撰組だ、お前らはただの犬にすぎぬ。幕府の犬だ! 今のうちにせいぜい意気がっているがいい」
「何いっ!!」
 逆上した隊士が、スラリと刀を抜く。
「やめろっ!!」
 止めたのは、敬助だった。
「やめるんだ。こんな場所で騒ぎを起こしてどうする。刀を納めたまえ」
 敬助は穏やかに彼らを諌めた。
「ですが、副長。このままでは我らの名が廃ります」
「馬鹿な。きみたちはそんなくだらん理由で人を斬ろうと言うのか」
 およそ新撰組の副長とは思えぬ言葉になかば鼻白みつつも、隊士たちは渋々と刀を引いた。
 敬助はほっと安堵のため息を洩らし、浪士を捕らえた隊士に声をかけた。
「きみ、その人を放してやりなさい」
 と、その時。一瞬の隙間を縫って光が走り、ビシャッという音と熱い血の塊が敬助の頬を濡らした。
 とたんに、騒ぎを見守っていた人々の間から、悲鳴のような声があがる。
 敬助は呆然とした。足元には、歪んだ笑みを浮かべたままの、浪士の首が転がっている。その立ち篭める血の匂いの中に、新撰組のもう一人の副長、土方歳三がいた。
 土方は、手にした血刀に勢いよく素振りをくれると、敬助をまったく無視し、ひとりの隊士を町奉行所への始末に走らせる。
「土方くんっ!!」
 敬助は声を荒げた。が、土方は呆れたように敬助を一瞥し、くすっと笑って背を向けただけだった。
「土方、貴様……」
 思わず駆け寄った敬助の手が、彼の肩をつかむ。振り向いた土方は、ひどく冷酷な顔をしていた。
 二人の視線が、一瞬の火花を散らす。
「世に恐れられてこその新撰組だ」
 土方はそう言うと、片頬に薄い笑みを浮かべて敬助の手を振り払い、まるで何事もなかったかのように歩きだした。敬助は、そんな彼の背をじっと見詰めるだけだった。そこには、試衛館時代の、あの些細な馬鹿話で笑いあった親密さは、もう微塵もなかった。

 やがて、それは大坂に着いてほどなくのこと。
 大坂船場高麗橋筋にある呉服問屋 『岩木升屋』は、度重なる尊攘派浪士の押し借りに、ほとほと困り果てていた。浪士らは、その押し借りを気丈にも三度に二度は断る態を崩さない升屋に業をにやし、今夜にも押し込みに入りそうな気配であったのだ。そのため升屋は、新撰組の大坂駐屯にこれ幸いと、店の警護を頼み込んだのである。
 そして、この夜。升屋の警護に出張ったのは、敬助と土方であった。
「サンナン、来たぞ。ぬかるなよ」
 土方の低い声が耳を掠める。敬助は沖光の鯉口を緩め、黙したまま頷いた。
 闇に沈む辻の奥から、月影を踏んで七、八人の浪士が近付いてくる。修羅場を踏んだ二人にとっては、たいした人数ではない。だが、敬助は小さく安堵の吐息をつく。彼は、この夜ひとつの疑念を抱いていた。
 今夜の出動に『二人でいい』と言ったのは、土方だった。その冷ややかな横顔が、敬助の胸中にどす黒い暗雲を湧き立たせたのだ。 
(斬られる……)
 ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。
(私は、今夜ここで斬られるかもしれぬ、この男に)
 敬助は、喉奥でくくっと笑った。
(ならば……。ならば私は、甘んじてそれを受けようか。それもまた、一興かもしれぬ。なあ……土方)
 そう、埒もない、と一蹴したつもりだったが、漆黒の闇夜に二人、無言で佇んでいると、疑念は恐怖へと転じていた。だが、押し込みの浪士らの出現は、それを掻き消した。
 一瞬のことであった。凄まじい絶叫と夥しい血飛沫が凍る静寂を破り、二人の足元に無残に斬り裂かれた肉の塊が、音を立てて転がった。顔が石榴のように割られている。
 浪士の一人が、悲鳴に近い叫びを上げた。
「な……何をす……!!」
 男は、だがその言葉の終わらぬうちに、敬助の放った鮮やかな抜き打ちで、呆気なく斃れた。残された浪士らは、あまりにも突然すぎるこの惨劇に、言葉を失った。
 むっとするほどの血腥さに、再び静寂が凍り付き、そして、ゆっくりと口を開いたのは、土方であった。
「さて、次はどなたかな」
「き、貴様ら何者だ! 名を名乗れっ」
「ふん。あいにくと不逞浪士なぞに聞かせる名は、持ち合わせておらぬ」
「何いっ、小癪な! かまわぬ、相手は二人だ。押し包んで殺ってしまえ!!」
 やにわに敬助の頭上へ、白刃が躍り掛かる。敬助は、それをいとも簡単にひらりと躱し、次の瞬間には、すでに彼の沖光は、浪士の胴に深々と吸い込まれていた。
「サンナンっ!」
 土方の言葉で、すっと身を屈めた敬助の頭上すれすれに、彼の剣が一閃する。と、蒼い月華の中に一際派手な血飛沫を撒き散らし、浪士の首が飛んだ。敬助はその体勢のまま、右にいた浪士の身体を鋭く斬り上げている。まるで申し合わせたような、二人の絶妙な剣戟であった。
 瞬く間に残された浪士は、たった一人となった。が、月明かりに照らされたその浪士は、『浪士』と呼ぶにはあまりにも不釣り合いな、まだ前髪の少年だった。
 彼は、仲間の屍を足元にして僅かに震えている。
 敬助の手が、一瞬止まった。
(まだ、子供ではないか)
 敬助は、沖光を引いて少年の前に立ち、さとすように言った。
「きみ、大人しく縛につきなさい。きみのような子供の命まで、我らは取ろうとは思わぬ」
 思いがけない穏やかな言葉に、蒼白になっていた少年の頬に、かすかに安堵の色が浮かぶ。
「甘い」
 後方からの声だった。振り返った敬助は、土方の眼がきらりと光り、殺気が放たれるのを感じる。
「どけ」
 敬助は、反射的に刀を構えた。同時に、土方は野獣のごとく跳躍した。
 刹那、交錯した剣の切尖越し、激しい血飛沫が空に翔んだ。と、二人の足元に音を立てて落ちたのは、敬助の赤心沖光だった。
 沖光は、その切尖から一寸程下に折れんばかりの刃切れをおっていた。
 そして土方の瞬息の剣は、敬助の肩を無情に斬り裂いていた。その肩から吹き出す真っ赤な血が、瞬く間に路上に血だまりをつくる。
(逃げろっ!!)
 敬助の叫ばんばかりの声は、しかし呻くようにしか出なかった。土方は無表情で敬助の横を通りすぎる。少年の引きつるような声がした。
(に……逃げてくれ)
 思わず眼を閉じた敬助は、悲痛な絶叫を聞く。途切れそうな意識の中で、ようやく振り返ったその眼には、酷薄とも親密とも思える、月華をうけて曖昧に揺れる土方の顔が映っていた。
 敬助は、そこで意識を失った。

「山南さん……、山南さん」
「う……」
 敬助は自分を呼ぶ声に、薄く眼を開けた。そこには、心配そうな沖田総司の顔があった。
「ここは……」
「山南さん、私がわかりますか?ここは大坂です」
「大坂? 総司、私は大坂にいるのか」
 沖田はにっこりと微笑み、頷いた。
「よかった。山南さん、もう大丈夫です。山南さんを背負って、土方さんが血相を変えて駆け帰ってきたときは、もう駄目かと思うほどでした。土方さんは山南さんの血を浴びて、まるで鬼のように『蘭方医を呼べ』と怒鳴って」
「土方が……」
 ふいに、敬助は身を起こそうとした。
「山南さんっ!! 起きては駄目です。やっと血が止まった所なんですから!」
 沖田は慌てて敬助の身体を押さえた。
 一瞬、激痛が走り、敬助はその瞬間、愕然として悟った。
 もう剣は振れぬかもしれない、と。そしてその哀しみは、ゆっくりとしみるように、敬助の全身へとひろがっていった。
「山南さん、昨夜の敵は、よほどの使い手だったのですね。山南さんほどの方が、こんなひどい手傷を負うなぞ、考えられぬことです」
「敵?」
「え? 山南さん、昨夜のこと覚えてないんですか」
「ああ、いや覚えているよ。そう、確かに凄まじい使い手だった。私には、かなわぬほどの……」
 と、障子がカラリと開けられた。
「総司、サンナンは?」
 と言った低い声の主は、土方だった。
「あ、土方さん。今、呼びに行くところでした。山南さん、先ほど気が付かれましたから」
 黙って頷く土方の視線に促され、沖田は部屋を辞していった。
 そして……。
 それから、どれほどの刻が過ぎたのか。いつのまにか暮れ泥む夕暮れに、紗のような薄雪が降りだしていた。
「土方、君の望んだ通りになったな」
 小さな吐息とともに吐き出された敬助の言葉に、土方は頬だけで笑い、
「新撰組のためだ」
 と、言った。かすれた声だった。
 特徴のある土方の鋭い眼が、敬助をじっと捉えている。突き刺さるようなその静寂に、外の薄雪だけがさらさらと音を立て、降り頻っていた。
 ふいに肩の傷が疼く。その痛みは、敬助の心をわずかに荒ぶらせた。敬助は、押し殺した声で言った。
「土方、何故私を殺さなかった」
「殺す?」
「そうだ。私が邪魔ならば、殺せばよかったのだ。……私は、もう剣は持てぬ。剣をふるえぬ剣客など、新撰組には不要だ。なのに、何故だ。なにゆえにとどめをささなかった」
 土方は黙したまま、視線をそらした。
「土方……答えぬのか。そうか、今更、私にはそんな価値もないか」
 敬助は、自嘲気味に笑った。肩傷が、燃えるように熱い。
 やがて、土方はそらした視線のまま、言った。
「サンナン、お前の思想は新撰組には不要だ。お前が副長としてその考えを貫けば、新撰組はいつか必ず壊れる。そしてそうなった時には、俺はお前を不良分子として殺さねばならぬだろう。俺の……新撰組の行く道をさえぎるものは、斬る。それだけだ。それが、新撰組の定めだ」
「ならば……ならば何故、今の内に殺さぬ。土方っ!!」
「俺は、お前を殺したくはない」
 絞るような声だった。
 敬助はハッとした。そう言って、逃れるように席を立った土方の横顔に、遠い過去に友情を結んだあの優しい面影をたしかに見たと思ったのだ。
 だが、障子を開け、刺すような雪模様を見せて振り返った土方の顔には、非情というほかない、冷たい眼差しがあるだけだった。それは、新撰組副長としての顔だった。
 土方は何かを振り切るように、小さな吐息をつき、部屋を出ていった。
 ふと気付くと、敬助の傍らに一枚の押型が置かれていた。それは、血まみれの赤心沖光の押型だった。壮絶な打撃のあとの刃切れに、眼を奪われる。
(土方は新撰組を救い、同時に私を救おうとしたのか)
 敬助は、土方の非情と友情に心をゆさぶられ、哀しいような嬉しいような狭間で眼を閉じた。
 ……藩を捨て、浪々の身となり、いつしか攘夷運動にその身を投じ、やがて、偶然居着いた試衛館で、彼と出会い……。そして敬助は、彼とともにここまで歩いてきた。彼とともに新撰組を支えてきたつもりだった。
 だが、敬助は今、この新撰組でもはぐれてしまったのだ。結局、たしかな居場所を持てなかった半生だったが、それでも彼……土方歳三という男との、確かな絆は持てたのだと、敬助はふとそんなことを思っていた。

 この日を境に、後世伝えられている幕末同時期に書かれた、新撰組のどの文献にも、『山南敬助』の名を見いだすことはできない。
 ただ、残されたものは、彼の愛刀 『赤心沖光』の押型とその活躍ぶりについてのわずかな記述、そして元治二年如月二十三日の彼の死が記された、寺の過去帳だけである。
 山南敬助は、脱走して捕まり斬首されたとも、また不用となった身を自刃したとも、伝えられている。が、山南敬助の最後は、晴れて潔いものであったと、筆者は信じたい。
               了

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