土地の人はそのお寺を「清正公(せいしょうこう)」と呼ぶ。しかし、本当の名前は「覚林寺(かくりんじ)」といって、日蓮宗のお寺である。
伊豆半島、小湊にある、日蓮が生まれた寺として有名な誕生寺の18世可観院日延が貫主を引退後、この寺を開いた。この土地はもともと加藤清正の熊本藩の中屋敷の敷地であった。 清正公の本殿(撮影:三田典玄) 日延は、清正公を死ぬまで慕ったため、このお寺は清正公の随身仏であるといわれている釈迦牟尼仏を本尊としていて、加藤清正の位牌や像も祀(まつ)られている。そのため、土地の人はこのお寺を「清正公(せいしょうこう)」と呼んだわけだ。 豊臣秀吉の九州征伐以後、加藤清正の所領となった熊本県では、加藤清正のことを「清正公(せいしょこ)さん」と呼びならわすため、その呼び名がそのままこのお寺の通称となったらしい。また、ここだけではなく、日本全国にはかなり広い範囲で「清正公さん」のお寺がいくつかある。 「清正公」そのものは、東京都港区白金台1丁目にあり、近くにシェラトン都ホテル東京、八芳園、明治学院大学などもあるだけではなく、桜田通り、目黒通りの交差点に面した、どちらかといえば静かではない場所だ。 また、行ってみるとわかるのだが、非常に小さな目立たないお寺であるため、「お祭り」の縁日の夜店の大部分は境内に入りきらず、店のほとんどが近くの路上で店を広げる。その縁日は桜田通りを隔てて反対側にある道の坂にまで及ぶ。祭りに来た人たちは広い通りの横断歩道を行ったりきたりしながら、お祭りを楽しむ。 清正公前の広い通りを行ったりきたりしながら、お祭りをたのしみます。(撮影:三田典玄) お祭りの風景(撮影:三田典玄) テレビドラマにもなった、向田邦子さん(故人)の小説「あ、うん」の舞台がこのあたりだったと言えば、その雑然として活気にあふれたかつての街の雰囲気が想像できるのではないだろうか。 そして、その町の片隅にある「清正公」の、年に一度の春のお祭りが、非常に活気にあふれたものであったのは、なんとなく想像できるのではないだろうか。 清正公の道路の向かいの縁日の様子(撮影:三田典玄) 一夜の夢。いつものご近所との雑談。何年ぶりかに再会する友との語らい。なんとなく春めいた空気の中で、いつになくなごやかな空気が流れているのがわかる。そして、祭りは暗くなるまで続く。 【編集部注】記事の一部を修正いたしました。(2008/5/6 23:45)
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