生き地獄だった奴隷社会・李氏朝鮮時代

「半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「韓国事情」

李氏韓国の残酷な死刑や拷問に対して「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が半島を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」 スウェーデン人 アーソン・グレブスト  「悲劇の韓国」

韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。」アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

1871 年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの韓国人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、半島国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」フランス人宣教師 シャルル・ダレ(韓国事情・平凡社東洋文庫)


政治は無いも同然でした。事大主義の影響で政治力が無いのはもちろんですが、これはなんとでもなります。それよりも、身分・序列を厳しく守る儒教信奉の呪縛は支配者層に「民を大切にしよう…」という気持ちを失わせてしまったのでしょう。身分が低い階層を徹底的に弾圧する両班の姿も、餓死していく国民を放置しておく国王の姿も、それを如実に物語っています。
この事態を招いた最大の原因が、儒教思想による身分制度の絶対性からくる、「民への慈悲の欠如」であったことは間違いありません。この気持ちがあれば、制度や政策なぞ、なんとでもなりますから。





・破産状態の朝鮮国のを救った日本



さらに毎年、朝鮮は牛三千頭、馬三千頭、各地の美女三千人を選り抜き、
清国に朝貢していた!


■丙子胡乱と、その後の朝鮮と清の従属関係

● 朝鮮国王は清の皇帝によって任命されること。
● 朝鮮国内で起こった事件の委細については、すべて皇帝に報告しなければならないこと。
使節に対して、国王はソウル城門の外まで出迎えなければならないこと。
● 朝鮮国王の地位は、清国廷臣の下にあること。
● 朝鮮政府には、貨幣の鋳造権がないこと。

細かく定められた貢品以外に、
毎年、牛三千頭、馬三千頭、各地の美女三千人を選り抜き、
清国に朝貢
することが義務づけられていた。

1637年1月30日、仁祖王は清の大宗に向かって九回、
地面に頭をつけて拝礼し、和約を結ぶ。
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/heisiho.html

朝鮮の人たちは、恥ずかしい歴史を直視する勇気を持ってください。


日本国は朝鮮国併合に伴い、これら清へ対する朝貢および、奴隷制度を禁止した!!

■下関条約 第一項

下関条約1895年4月17日締結