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地裁所長襲撃事件2審も無罪、原動力は被疑者ノート

2008年04月18日

 「僕たちはやってない」。大阪地裁所長襲撃事件で逮捕されてから4年、一貫して事件への関与を否定してきた2人の男性会社員の訴えに、判決は再び「無罪」で応えた。共犯とされた少年も傍聴席で見届けた。

写真大阪高裁に入るソウ敦史さん(左)と岡本太志さん=17日午後、大阪市北区、山本裕之撮影

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 「(検察側の)控訴を棄却する」。大阪高裁の大法廷で再び無罪が言い渡されると、ソウ敦史(「ソウ」は専の寸が日)被告(33)は、不安げな表情を浮かべる岡本太志被告(30)に「大丈夫やで」とつぶやいた。判決後、傍聴席の支援者から「よかったな」と声をかけられ、ソウ被告は笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。

 2人は事件4カ月後の04年6月14日に逮捕されて以降、一貫して「無実」を訴え続けてきた。岡本被告が否認を貫く原動力になったのは、警察や検察による取り調べの状況を自ら記録する「被疑者ノート」だったという。

 逮捕数日後、当番弁護士として住吉署に面会に駆けつけた戸谷茂樹弁護士から差し入れられた。前年10月、大阪弁護士会が全国に先駆けて発案した被疑者ノートに、取調官の言動を克明に記録した。

 「人殺しがえらそうにするな」(04年6月17日)▽「ヘタレ、バカヘンコ」「何を言おうがお前一人が悪い」(同21日)▽「痛い目見るよ。覚悟できてんの?」(同30日)

 起訴直前、検事の取り調べでは「今なら間に合うよ」と言われ、犯行を自白すれば刑が軽くなると示唆されたという。その日のノートには「やったとうそを言うくらいなら、否認して懲役に行く方がいい」と記した。岡本被告は「取調室の中で起きていることを知ってほしいという一心で書き続けた。最後まで頑張る力になった」と振り返る。

 ソウ被告も、警察の取調官から「(共犯とされた)少年3人はみんな犯行を認め、お前に指示されたと言っている」と自白を迫られたという。「本当にやってない」と必死に訴えたが、取り合ってもらえなかった。家族や友人が「無実を信じている」と言ってくれるのが支えだった。

 戸谷弁護士は「科学的な捜査を怠り、関係者の自白だけで事件を作り上げようとする捜査当局の姿勢が被疑者ノートからありありと伝わってきた」と語る。

 2人の共犯とされた少年らへの取り調べについて、一審判決が「圧迫的」で不当と指摘したのに対し、17日の控訴審判決は「いくつかの問題点を指摘できる」とするにとどまり、裁判所の見方に明らかな違いがあった。この点について、ソウ被告は記者会見で「納得いかない」と不満も見せたが、「でも、ほっとしている。逮捕から4年、つらかった。支えてくれた人たちにお礼を言いたい」と話した。

 少年たちも「有罪」と「無罪」の間で揺れ動いてきた。事件当時16歳だった元少年(21)は傍聴席で無罪判決を聞き、「僕も、もう一歩前進できる気がする」と喜んだ。少年らの弁護団は「少年らの供述も踏まえたうえで、無罪が維持された意味は大きい。全員の『無罪』確定をめざしたい」と語った。

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 被害者の鳥越健治・元大阪地裁所長(65)は昨春、広島高裁長官で定年を迎え、現在は関西大法科大学院教授として次世代の法曹養成にあたっている。今回の判決を前に朝日新聞記者の取材に応じ、「どのような判決であっても、論評する立場にありません。きっちり審理された結果だと思います」と語った。

 事件の日は仕事が長引き、公用車を使わず電車と徒歩で帰途についた。いきなり背後に強い衝撃を感じて路上に倒れ、若者4人に囲まれて「金出せ」と言われた際は、ショックと激しい痛みで犯人の顔を見る余裕はなかった。事件後しばらくは路上で人とすれ違うたびに思わず身構え、いまも夜道を歩くと不意に記憶がよみがえることがある。「犯罪が心に与える傷の大きさなど、被害者になって初めて知ったことも多い」

 事件の審理は「難しい経過をたどっている」と受け止めている。しかし、「被害者が地裁所長だからといって、裁判官の判断が左右されるようなことはなかった」と信じている。「真犯人には相応の処分を受けてほしい。いま言えることは、それだけです」

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