2108.04.25

ファイト! 闘う君の唄を闘わないヤツらが笑うだろう… 《改訂最終版》

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう…



ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…



中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
闘うということがどういう意味か?私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。否、学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、ほーらチビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」


いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「弱犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋のMugenが私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならばMugenにくればいい。


「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が、自身の惨めさを隠 そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ弱犬の遠吠えだ。逆に、弱犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈 さを知っているから、尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら、今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。


不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版3000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
Mugen、Mugenといってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には、刺し違えても引きません。
私の家は昔から貧乏でした。親父は博徒ですから、銭の出入りは大きかったですが、家には殆ど残らなかったです。何もかも母親が汗水流して働いて、世間から貧乏人と笑われながら昼も夜も働いて私を食べさせ、学校にいかせてくれました。
でも、いまの私を、私の親を貧乏と笑う人間はいないはずです。私は精一杯働いています。私を揶揄するならば年収2000万円取ってからいってくれんさい。
貧乏人に貧乏と笑われるいわれはありませんけえ。


私が最も嫌う、そして軽蔑する人間は、偽善者、口先だけの綺麗事を並べ立てるヤツ、そして「悪」に対して正面から闘えない臆病者、こういうヤツらだ。
芦原英幸は私にいった。しつこいように繰り返した。福昌堂を辞めて独立する際のことだ。
「ヤクザと呼ばれてもいいけん、絶対他人にナメなれたらいけん」
「他人に笑われるならば怖がられる方がずっとマシや。嫌われてもいいけん、笑われたりナメられたら許しちゃいけん。徹底的に再起不能になるまで潰すん
や。徹底的にや!」
男なら闘わなくてはいけん!


たとえるならば盧山初雄も真の闘いを知っている「漢」だった。
1995年4月。極真会館は分裂し、三瓶啓二を筆頭に緑健児、増田章、三好一男、柳渡聖人ら10名を優に超える極真空手の猛者連中が総本部のロックアウトを企てた。しかし盧山はたった1人で彼らの前に立ちふさがった。
「やるなら全員かかってこい。その代わり命の保障はしない。俺の首を取るつもりでかかってこい。空手じゃない、ケンカだ!」
盧山の烈火の瞳の前に三瓶は女々しく俯き、全員足をブルブルと震わせながら黙して去った。
これは実話である。

松井章圭は…。
この14年間、ある意味で独りで闘い続けてきた。クーデターの際は過半数どころか40名を超える支部長が松井を否定した。しかし松井は一歩も退くことな
く正々堂々と闘い続けてきた。
私は断言する。
たとえ敵が100人並び、銃やダンビラを構えていても、つまり自分が死ぬことが分かっていても松井章圭ならば絶対、闘いに挑むに違いない。1人でも2人でも確実に道連れにして闘いながら死ぬことを選ぶだろう。
何故なら、松井もまた自らの尊厳のために、闘うことの大切さを知り、実際に闘い続けてきた人間だからだ。


ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ


(了)

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2008.04.30

《冬眠熊の懺悔》拝啓 芦原会館館長・芦原英典さま (改訂版)

大変間抜けな話なんですが…。

これはまさしく「筋」の通し方の問題です。まず、芦原会館館長である芦原英典氏に謝罪をさせて頂きます。
そもそも「芦原英幸伝」の内容に関して、私と英典氏の間に幾つか解釈や考え方の違いがあったため、議論の末、最終的に英典氏の意向を汲んで、増刷分にある程度の訂正を入れることになったのですが…。
その際、私と英典氏との間でひとつの約束をいたしました。
増刷に改訂が入った段階で、英典氏が芦原会館HPに掲載した「声明文」を削除する。その代わり私もブログに掲載した「芦原英幸伝」と英典氏にまつわるコラムを全て削除するというものでした。
ところがPCに疎い私は英典氏が増刷に合わせてHPの声明文を削除したことを今朝まで知りませんでした。それ故、私は自らのコラムを削除するどころか、より挑戦的なコラムを次々とブログに載せていったのです。しかし、英典氏が私との約束を守ってくれただけでなく、この1週間から2週間の間に順次掲載してきたコラムに対して何のクレームもつけず、沈黙を通してくれました。
私はそんなことを知らないまま「筋」違いな行為を続けてきたのです。これは英典氏との約束を違えるだけでなく、完全に私の暴走ということになります。以上の理由で早急に芦原会館及び英典氏に関するコラムを削除させて頂きました。


今回が、現芦原会館と2代目館長である英典氏について書く最後のコラムになると思います(何かきっかけがあれば勿論、再び書く機会はあるでしょうが)。
だからこそ、英典館長にはどうしても以下の点だけを書かせて頂きたいと思います。どうかご理解ください。


まず、芦原会館支部長である平山某に関して。多少、激しい言葉になりますが…。
Netオタクの平山某さん。いつぞやは、やたら威勢のいい関西弁で私に向かって「ケンカを売っとるんじゃ」とヒーヒー言いながら空元気でしたが、それがNet自慢用の言葉でないならば、ほんまもんのタイマン張りましょうよ。
以前もアナタは私の古くからの友人・悪友である黒澤浩樹に対して極めて非礼かつ侮辱的な発言をして問題になりました。私が強くたしなめると、突然泣きながら自分が病弱で不治の病に冒されているなどと散々同情を買うような言葉を吐いて話題を逸らしたものですね。
しかし、あれから2年。不治の病はどうなったのか、相変わらず芦原会館の支部長を務めているというではありませんか。まだ黒澤との問題は解決してませんよ。かといってアナタが黒澤に挑めば1発で即死は否めないでしょう。当時からアナタは「口先人間」だったわけです。
今回の「芦原英幸伝」を巡る問題が英典館長によるHPで明らかになると、まるで水を得た魚のようにNetで暗躍し始めたり、怪文書を関係者に送ったり、脅迫電話&メールなど卑怯でメメしい嫌がらせを散々してくれましたね。
そんな陰湿なことをしている暇があるならば平山某さん、黒澤浩樹とケンカしろとは言いません。代わりにアナタが私に売ったケンカを私が買うといっているのです。タイマン張りましょう。喜んでケンカを買わせてもらいます。
それとも私が主宰する某会の稽古会に参加しますか? 街でタイマン張って警察沙汰になるよりは、道場で合法的に勝負しましょうか。それとも加古川だか掛川だか知りませんが、私からアナタの道場に出向いていってもいいですよ。勤務先の人たちやご家族にキッチリ挨拶させて頂いてからタイマン張りましょうか?
勿論、ノールールの組手でやりましょう。某会の道場ならば、また救急車を呼ぶことになるでしょうが…。そういえば、前回救急車がきた時も、怪我人は芦原会館の人間でしたね。
平山某さん、私に対して陰では「小島よ私をナメるな」といってるようですが、私は完全にアナタをナメ切っていますよ。だっていつアナタに電話しても繋がりませんからね。私への電話ならば非通知以外ならば必ずでますよ。要はカラ威張りしてるだけで逃げてるんでしょうが。私にケンカ売った人間が何故、電話にも一切出ないんですか? アンタは賤しくも空手指導者でしょ。ならば早くタイマン張りましょうよ。口だけのNetオタクじゃないと言うならば、連絡待ってますけえ。また私から電話させてもらいます。逃げないで欲しいものですね。
ちなみに平山某さん。アンタ2年前、私に散々芦原会館の体制を批判していましたよね。芦原会館支部長のくせに。「芦原会館の癌は英典と西山だ」とはっきり断言し、有志たちとクーデターさえ断行すると意気込んでましたね。「芦原会館を辞めても本望、2代目と先代の未亡人のセコさにはついていけない」と、私は沖縄で夏休み休暇中なのにやたらとしつこく電話してきましたよね。
アレッ、いつからアンタは英典館長派に乗り換えたの? それとも改心でもしたのですか? オマエみたいな風見鶏をまさにクズというのです。
英典館長。
アホな怪文書をバラ撒いたりイタズラメールや電話したりNetで私たちを煽ったり…、芦原会館にも多大な迷惑かけた支部長の平山某に対し、アナタは何の制裁もできないのですか? 極真会館では有り得ないことですね。ならば英典館長、アナタは平山にナメられているということになりますよ。平山みたいなクズ支部長なんか、こっちに回さず身内で制裁してもらいたいものです。


それから英典館長。
HPの声明文を削除して下さったのはありがたいのですが、そもそもはあのような挑発的な声明文からつまらないトラブルが始まったのです。できうるならば、削除するにあたって、次のような一文を書いて頂きたかったものです。何故なら、あのHPの声明文によって、私は物書きとして「嘘つき」などと中傷されるなど、大きな損害を蒙ったのですから。

「言ってないのに言ったと書かれたというのは正確ではありませんでした。ただ原稿のチェックが遅かった故に、内容の解釈について幾つか小島と意見の食い違いが生まれただけです。結果的に小島の物書きとしての信用と誇りを貶めることになったことについては遺憾に思います」

たしかに種々の理由こそあれ、書き上げた原稿を英典館長に預けるのが遅かったのは私の手落ちです。しかし、私は英典館長が実際に話したことに準じて原稿を書いてきたはずです。内容についても何度もメールや電話で確認をしてきましたよね。
また最初に念を押したように、「英典館長の言葉という形式」のなかで、私が生前の芦原英幸先生から託された「約束」を入れさせて頂くと言ったはずだし、英典館長はそれを了承したではないですか。
私は英典館長が「正道会館の復讐が怖い」というから、正道のオーナーに渡りをつけたのです。さらに私は忍び難きを忍んで「芦原英幸伝」の改稿に応じたのです。
私はアナタのお父様・芦原英幸先生から託された想いを渾身の努力で形にしました。それはまさに芦原英幸先生の「遺志」といってもいい重大なことだと私は受け止めています。にもかかわらず私は英典館長の気持ちを優先させたのです。
「芦原英幸伝」の内容を改稿せざるを得なかったことに対して、一言でもいいから感謝か謝罪をして欲しかったと思います。私はまさに命を芦原英幸先生に捧げる覚悟で「芦原英幸伝」を書き上げたのです。芦原英幸先生に対する想いを精一杯、文章にしました。
「芦原英幸伝」は私にとって最高傑作でした。
英典館長、アナタの父に対する想いをあれだけの文章で表現できる人間が私以外にいますか? 芦原英幸の凄さをあれだけリアルに表現ができる人間が私以外に誰がいますか?
それを、感謝の代わりに非難、不平をアナタから浴びせられるとはまさに青天の霹靂でした。
いかなる妨害や問題があろうとも、この25年間、常に芦原英幸先生への尊敬を失わず、一貫して芦原会館を支持してきた私に対して英典館長、一言くらい労いの言葉をかけてくれても罰は当たらないと思いますが…。


謝罪をしていながら、このような文章を書いて恐縮ではあります。しかし、せめてこれだけは何としても英典館長には伝えておきたかった私の本音です。
どうか、かつて芦原英幸先生が健在だった頃の光輝く芦原会館の復活に邁進して頂くことを心より祈っております。


追伸
英典館長に直接お伝えしたように、私は今後、正道会館と良好な関係を築いていきます。また、1度は公言したように、私は今回の件をきっかけに芦原会館とは距離をおく…つまり絶縁させて頂く決意です。
私の思いに耳を貸し、平山某の件や「芦原英幸伝」についても相談に乗ってくださった東京支部長の西山亨氏には感謝しています。西山さんの意に沿えなかった私をどうか許してください。


(了)

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《冬眠熊の焦り》講談社のT部長様、「大山倍達の遺言」頑張ります!

講談社のT部長様

先日はありがとうございます。体の心配までして頂きまして感謝の言葉もありません。体調の問題など関係なく、「大山倍達の遺言」の脱稿が予定より大幅に遅れてしまったのは、何よりも私の個人的な問題と怠慢さ故のことです。私の遅れをカバーする如く、塚本は一生懸命に原稿の執筆に精を出しております。
私たちは偉大なる大山倍達が築き上げた極真会館、そして極真空手の「魂」を精査すると同時に大山倍達亡きあとの分裂劇の全てを「歴史」に刻み、同時に大山倍達が後進に託した真の「遺志」とは何だったのか?
関係者200名を超える証言と資料によって形にするべく頑張っております。「大山倍達正伝」の続編として、それに劣らぬドキュメント形式のルポルタージュを必ずや完成させる所存です。とにかく今は「大山倍達の遺言」の完成に全精力を注ぎ込みます。
どうか今暫くお待ち下さい。


そして本書が「作品」として評価され、更には「商品」としても評価に足る数字を出せた暁には、より一層の飛躍を目指し、新しいジャンルに挑戦していく決意です。
「大山倍達正伝」、「大山倍達の遺言」に関する取材を通して「裏社会」の大物たちと知己を得た経験を生かして書いてみたいルポルタージュが以下の2作品です。

「私設銀座警察 東声会・町井久之伝」
「1人1殺! 浜口雄幸を撃った男・佐古屋留吉伝」

また、今話題のブラジリアン柔術の源流でもあり、近代剣道は勿論、空手など武道界発展に寄与しただけでなく、戦時国家・日本に多大なる影響を与えた幻の組織・大日本武徳会の全容にせまる。

「大日本武徳会の真実」

「大山倍達正伝」にも登場した戦前戦後の国民的英雄でありながら、栄光と挫折のはざまで非業の死をとげたピストン堀口の足跡を追うルポルタージュ。
「ピストン堀口とその時代」

かつて際物ショー扱いされながらも、1980年代に全盛期を迎え、一大ブームとなりながらも現在では完全に過去のものとして忘れられようとしている女子プロレスの興亡を描くルポルタージュ。

「女子プロレス伝・徒花」

塚本と共に新たなる挑戦に邁進していく所存です。
その節は、どうか宜しくお願いします。

samurai_mugen at 02:46|Permalinkclip!

2008.04.26

《再び冬眠熊の寝言》日本を脱出してハワイに行きたい…(改訂版)

以前、ある有名人が言ってました。
「色んなことに疲れたときはハワイがいちばん!」
声楽家でタレントの森久美子さんは「疲れたときはグアムかサイパンでボーッとするの」と言ってましたが、やはり気候の清々しさでいえばハワイに勝るところはないでしょう。世界中を旅したという高倉健さんも、バックパックツアーの元祖であるルポルタージュ作家の沢木耕太郎さんも「最終的にはハワイがいちばん好きです」と言う。

最近、直行便が出たのでハワイ島が注目されています。私に言わせればとんでもない。自然に溢れているのは事実ですが、何故か綺麗なビーチが少ないのです。黒砂海岸なんて気持ち悪くて泳ぐ気がしません。
そういえば友人の家高康彦は以前、カウアイ島に別荘を持ってました。ある年、彼の別荘を借りて約1週間ほどカウアイ島に滞在しました。その別荘はカウアイ島の北側で、初めは環境の良さに驚きましたが…。なんとカウアイ島の特に北部は世界有数の降水量ということです。ほぼ毎日、夜はずっと雨。それも土砂降りの雨。だから昼間も、どこもかしこもぬかるみです。勿論、昼間も突然雨が降ってきます。私と息子は何度転んで体中、泥だらけになったことか!
1週間後、オワフ島のワイキキに戻った私たちはまるで天国に来たような気分でした。やっぱりハワイならばワイキキに限ります。

飛行機に乗るのが苦痛ですが、塚本がいてくれれば安心。愛は恐怖を忘れさせてくれる…なんちって!
コンチネンタルエアーのBファーストの機内食は実に豪華です。完全なフランス料理。嬉しいことに前菜は握り寿司。好きなだけ食べていいので調子に乗ってると、それだけで満腹になってしまいます。サラダからスープ、メインディッシュと1皿ごとに運ばれてきます。その1皿の量が半端ねえ! 全部なんて食えねえよ! お酒もたくさんの種類がワゴンで運ばれてきます。シャブリとかドンペリなんて名前のシャンパンやら訳のわからない某ナポレオンなんてブランデーも揃っています。下戸の私には関係ないけど、少し残念。でもデザートのチョコレートが美味くて…。飛行機嫌いの私でも食事のときだけは少しだけ元気です。
それでいて数時間後には軽食といいながらデカイおにぎりかサンドウィッチが出てきます。さすがにNo,Thank-You!

時差が嫌です。
だからワイキキに着いたら直行でホテルに向かい、アーリーチェックインで一眠りします。オアフには早朝に着きますが、無理しても夜まで寝るのです。睡眠薬を飲んで…。
一時はホテルよりコンドミニアムをよく利用していました。キッチン付きで持参した釜やレンタルした炊飯器でご飯を炊いて食べたりしていました。スーパーでデカイ牛肉を買ってステーキを焼いたりもしました。でも飽きる! 旅行で来たのに料理作りはねえだろうが…、ある時フッと気づきました。やはり少し高価でもサービスが行き届いたホテルがいいです。
ワイキキの喧騒から離れたダイヤモンドヘッドに近い日本系のホテル、ニューオータニカイマナが好きでした。でもホテルの周囲には何にも店がなく寂し過ぎるのが難点です。
モアナサーフライダーホテルやピンクハウス(ロイヤルハワイアン)はいいのですが、ホテルのなかやプールは宿泊客以外の人ばかり! 少々腹立たしいし喧しい。私は海外といえばハイアットリージェンシーホテルに決めていますが、ハワイのハイアットだけは例外です。だってオンザビーチじゃないし、店舗がたくさんあって新宿駅の構内と錯覚してしまう。ヒルトンはワイキキの西隅にあって規模もバカデカ過ぎて迷うし不便。「く」の字の形をしたシェラトンはオンザビーチですが、やたら人が多くサービスが悪い。
私が好きなホテルは、リーズナブルなところではプリンセスカイウラニ。カラカウアイ通りに面し、道を渡ればモアナサーフライダーの横からビーチに出られる。レストランもブッフェスタイルですが意外に安く美味しい。プールも充実しているし、ファストフードも近くにたくさんある。高階層の部屋でないと見晴らしがよくないのが難点ですが快適なホテルです。
またワイキキから少し西に離れたアラモアナホテルは最高の穴場です。オアフ島最大のアラモアナショッピングセンターに直結し、波が静かなアラモアナビーチも近い。JALやANAのCAの定宿でもあり値段も格安。食べるものを気にしない私たちは、毎日アラモアナショッピングセンターのフードコートで世界各国の料理をプレートランチで堪能したものです。お腹一杯に食べても6$です。プールも狭いですが階上にあり水深が深いため子供も少なく快適です。
でも、やはりNo.1といえば、ハレクラニホテルで決まりです。ハワイNo.1だから値段も破格! しかしサービスは最高です。プールも宿泊客以外は絶対に入れない配慮がなされ、まるでハレクラニの前だけはプライベートビーチの装い。少々芸能人や著名人が多いのが難点ですが、最近はカハラマンダリンの方に移っているようでいい傾向です。

とにかく、この数カ月、私は疲れ切りました。まだ「大山倍達の遺言」が途中というのに、芦原だ、会社のクライアントがどうした…。だから眠れない日が続くし、以心伝心、一心同体の塚本も、体調を崩し、何より私と同じ一卵性の頭ですから、一連のトラブルにはうんざりの様子です。
こうなったら、進行中の「大山倍達の遺言」はハワイで執筆するとして、せめて10日間くらいハワイのハレクラニに脱出したいものです。塚本と大志と3人。大志はハワイの極真会館とゴールドジムにでも通わせて…。
学校の関係かガールフレンドの関係かで、大志が同行を渋るならば、大志に留守を任せ、塚本と2人で日本一時脱出をしたい。そんなことを痛切に思います。日本の面倒な事柄をみな忘れてワイキキの爽やかな風に吹かれたい。ビーチではしゃいで、プールで音楽を聴いて、部屋で居眠りをして…。
そうだ! いまはハワイまで携帯が通じるのか!? そうなると毎朝必ず耳元で塚本のスタッフへの説教を聴くことになるのか! それでもいいからいまの私はハワイでリフレッシュをしたい気持ちが抑えられないくらいの状態です。
しつこいようですが、塚本と一緒に吉田拓郎の「愛の絆を」を聴きながら眠るのが…どんなに心地よいでしょうか。
あ〜あ、ハワイに行きたい!

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Hawaiiのワイキキは最高だす!


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《冬眠から一瞬目覚めた熊の一言》4月26日、大山倍達総裁に合掌!

大山倍達総裁は1994年4月26日に逝きました。
あれから14年目の命日です。

この間、極真会館は未曽有の混乱及び分裂騒動に揺れました。やっと松井章圭2代目館長による新体制も落ち着いた感があります。また松井体制から離れた盧山初雄師範による極真館も、独自の解釈により大山総裁の「極真魂」を継承しています。

現在、この14年を振り返ることなく、新時代に向けた極真空手の在り方を模索することこそが重要だという認識の極真関係者も少なくありません。それは当事者ならば正しい方向性・指向性といえるでしょう。
しかし、だからといって、この14年間を無視していいとは思いません。この間、極真会館に何があったのか…。歴史の流れに埋もらせていいはずはなく、「事実」を記録として残すことの意義を私たちは物書きとして任じています。
この14年間に何があったのか?
私たちは「歴史を残す」という使命感のもとに「大山倍達の遺言」の執筆に力を注いでいます。大山倍達という稀代の武道家の人生を「歴史」に残した「大山倍達正伝」の続編として、大山総裁が逝った後の混乱期を「歴史」に残していく所存です。

どうか天国の大山総裁、芦原英幸と喧嘩などせずに私たち、そして何よりも極真空手に汗を流す後進の人たちを温かく見守ってください。

合掌。

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2008.04.21

《冬眠熊の寝言》いやあ、中国って国は酷いものです! 北京五輪ボイコットに大賛成ですよ

私はあまり政治的な話は好きではないのですが…。
しかし中国という国のことを考えると吐き気がするほどの嫌悪感を覚えてしまいます。最近では中国製の食品問題、そしてチベット問題がクローズアップされていますが、こんなことはずっと昔から国際的に論議されるべきことでした。尖閣諸島の石油開発、インド・パキスタンとの国境問題、歴史の捏造と靖国問題…。
とにかく中国は最低最悪な国家です。
日本の政治家は弱腰、官僚の中国チルドレンの暗躍、中国生産に依存する産業界。今回のチベット問題が世界的に波紋を広げているなか、アホな評論家たちは北京五輪との関係について次のように大合唱を繰り返しています。
「スポーツと政治は別物。五輪ボイコットなどもってのほか! 選手たちが可哀想」
何寝言いってんの? 冬眠中の熊の寝言より酷いです。元々、近代五輪は政治的意図によって始まったのです。五輪はまさに政治そのものなのです。いまどき五輪に限らすサッカーのW杯でさえ、国際政治の影響が如何に強いか! バカじゃないければ誰でも分かっているはずです。スポーツに限らず国際的なイベントに「政治抜き」など有り得ないのです。
聖火ランナーならぬ「聖火」を守る屈強な中国人ボディガードが何人も世界各国に押し掛け、チベット問題の解決を叫んで押し寄せる民衆たちを強引に押しのけていく。守るのは聖火であって、ランナーの安全など無関心。これって完全に治権侵害・干渉ではないのですか?
「五輪と政治は別!」
こう声高に主張する中国政府こそ、五輪を政府利用しているではありませんか。
それにしても、こんな「極めて当たり前」のことを正々堂々と言葉にして中国を批判するジャーナリストの少ないこと少ないこと。毎日TVでしたり顔でアホでトンチンカンなコメントを繰り返す古舘某さん、あなたは政治よりプロレスの実況中継のが合ってますよ。
そんななか、さすがと思うのは櫻井よしこ氏くらいです。石原都知事もそうですが、櫻井氏の論理はあまりにも当たり前のことを当たり前として主張しているに過ぎません。勿論、櫻井氏ならではの鋭い洞察力と政治的感覚は素晴らしいの一語に尽きますが。櫻井氏は常に正々堂々と持論を主張します。弱腰でナアナア主義の腐った言論人たちのなかで、櫻井氏ほど存在感のあるジャーナリストはいないでしょう。
「いま、最もオリンピックを政治利用しているのは中国です。その中国の詭弁に騙されて、オリンピックを政治問題と絡めてはいけないという声はナンセンスです」
何もかもその通りです。いま、中国の覇権主義的暴走を止めるには北京五輪を世界各国がボイコットするのがいちばん! そんな当たり前のことを政治家も評論家も口にしない。櫻井氏と石原都知事、あとは木村太郎氏くらいでしょうか。こうして日本はますます「銭だけ持ってる弱虫国家」として世界の2等国に堕落していくでしょう。
もっとも、私や塚本、そして某会の後見人をして下さる、某先生が大幹部を務める某団体は、中国の戦艦がウヨウヨしている尖閣諸島に堂々と船一艘乗り出して、日の丸の国旗を見事に建ててきたツワモノです。少々怖いのが玉に瑕ですが、私も「当たり前のことを当たり前」といえる人間、そして物書きでいたいものです。

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2008.04.20

《冬眠熊のアクビ》音楽っていいですね!

相変わらずです。
この数か月、寝るときは必ず吉田拓郎をiPodで聴いています。必ずです。
でも、起きてボーッとしているときは色んなミュージシャンの楽曲を聴いています。矢沢永吉はいうまでもありません。矢沢さんについて語り出すと止まりません。
長渕剛には一時ハマりましたが、何のかんのといいながら、彼の歌には魂があります。コンプレックスから抜け出そうともがき、無理をしながら、そして強くあろうとする弱い人間の叫びです。私は長渕剛のそこに共感すると同時に、反発もしながら聴いているのです。何故なら私も弱い人間のくせにツッバラかって生きているからです。聴いていて時には辛いけど共感もできる好きなミュージシャンです。
ちなみに私は長渕剛が空手の試割用の杉板に左手で書いた書画を持っています。日本に2つしかないという代物です。ひとつは松井章圭が持っているはずですが…。何故、私が所有しているのか? 理由は内緒です。ただ長渕剛は私たちの著書「大山倍達正伝」を読んでから私のファンだといわれました。
中島みゆきは最近、卑弥呼か菩薩様のように神々しく思えてなりません。松任谷由実は40年近く前からずっとカッコいい天才です。私の友人が浜田省吾のファンです。彼は下積み時代が長く、コマーシャリズムに乗った「悲しみは雪のように」でブレイクしたので、一般的にラブソングバラードの歌い手のように思われています。しかし浜田省吾は元々、西岡たかしや岡林信康に連なる骨太なプロテストフォークの騎手でもあります。彼の歌にも魂が踊っています。
そういえば岡林信康は、いまだ健在です。「フォークの神様」はまさに生き神様として相変わらず魂をぶつける歌を唄っています。
あのチューリップが解散しました。少し遅すぎる解散です。彼らはもう既にプロのミュージシャンではなくなっていました。何故なら彼らの演奏には魂のカケラも感じないからです。昔が懐かしいです。「心の旅」を聴きながら何度泣いたことでしょう。
そうです。私は何故か音楽を聴いていて感動すると自然と泣けてしまう女々しい人間です。


最近、あまり海外のミュージシャンは聴かなくなりました。でもたまには聴いています。ボブディランもブルーススプリングスティーンも、ローリングストーンズも…。昨年、60歳記念LIVEを日本武道館でやったエルトンジョンはやはり最高でした。ピアノだけで2時間半、否3時間も唄い続けました。彼は世界トップクラス、いやNo.1のミュージシャンです。
海外といえばこの数年、特にアメリカではヒップホップが全盛です。ラップはアメリカ人、何よりもアフリカ系の人たちのモノです。日本人が外見だけ真似しても、それこそまさに「猿真似」です。ネリー、ブラッドアイドピース、シアラ、エイコンが好きです。白人ですが、エミネムは何だかわからないのに涙が溢れてきます。
そういえば、アメリカンロックの新星、シーザーはいいです。「ブロークン」がヒットチャートNo.1を記録しましたが、今後も注目すべきミュージシャンです。リッキンパーク、フーバスタンクなど若手の台頭は頼もしいのですが、昔のドゥビーブラザーズやイーグルスのようなアメリカっぽい泥臭さが消え、いつの間にかブリティッシュロックに近づいているのが少し寂しい気がします。
イギリスではいまもU2やR.E.Mが頑張っています。でもロッドスチュワートやデビットボウイも渋く活躍しています。
海外の女性ミュージシャンといえば、伝説の女性ロッカー、ジャニスジョプリンに尽きるのですが…。私は元々マドンナは好きではありませんでした。でもブリトニースピアーズや特に最近ではグエンステファニーが凄くカッコいいです。


話は尽きません。
私の悪い癖で、ミュージシャンに対して本当は嫌いじゃなく、好きでよく聴いているのに何故か批判が先になってしまうところがあります。とはいえ、やはり現在の日本のJポップの95%は屑と断言します。パクリとコマーシャリズムに毒された日本の音楽界はもはや末期的です。
私は20年どころか30年、40年と走り続けているミュージシャンが好きなのです。何故なら、まやかしや上っ面だけでは生き残れないのがこの世界だからです。


その点、空手家は楽なもんです。数年間の現役を引退したら、ずっと師範とか呼ばれて過去の名声だけで生き残れるんですからね。ある団体などは空手の「か」の字くらいしら知らずに、親が高名な空手家だったという理由だけでトップの座に安住できるのですから(そういう流派・団体は多いんです。伝統派から新興流派まで履いて捨てるほどです)。
また例えば極真空手各団体(何も極真空手に限ったことではありません。伝統派も酷いものです)の支部長の多くが、特に新極真会が目立つのですが、まるで力士にでも転向したかのような不健康な肥満になり果てているのはいったい何故なのでしょうか? 私もそんなこといえる身分では毛頭ないのですが…。
極真空手の指導者がただのデブでいいのか!? 「極真空手」ではなく「新極真空手」ならば相撲転向も許されるというのでしょうか…。
でも、少しは盧山初雄や大山泰彦を見習ったらいかが! といいたくなります。
あまり批判するのは止めましょう。私はいま《冬眠中》なのですから。

また今日も吉田拓郎を聴きながら寝ます。



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矢沢永吉とは対照的、ゆっくりと自分のスピードとリズムで走り続ける吉田拓郎。


(了)

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2008.04.19

《冬眠熊の鼾》大山倍達に関する日本No.1の大家に「系譜 大山倍達」を!

「大山倍達正伝」を出して以来、どうも私たちは大山倍達に関する大家と思われているようだ。よくメディア関係者から大山総裁についての取材を受ける。
私はともかく、たしかに塚本は日露戦争から大平洋戦争、そして戦後の日韓問題や朝鮮史については学者並み、否それ以上に詳しい。特に大山総裁の「師」であった曹寧柱氏について、塚本ほど知識のある人間はいない。ある高名な朝鮮民族運動研究家でさえ塚本の知識に驚いたほどである。
しかし大山倍達に関する知識でNo.1といえば私たちではない。「大山倍達正伝」の制作に多大なる寄与してくれた「第3の著者」、宮田玲欧氏こそが日本1の大山倍達研究家である。宮田氏がいなかったら、「大山倍達正伝」は完成しなかったといっても過言ではない。
敢えていうならば、私は体験・経験主義者である。大山倍達にしろ芦原英幸にしろ、自ら本人に接し、付き合いのなかからアプローチしていくタイプである。しかし宮田氏は違う。文献主義者であり、常に社会学的な視点で対象者に迫る。単なる知識ではなく「宮田史観」といったものが歴然と存在する。かといって決して権威主義者ではなく、新しい事実に対して謙虚に受け止める柔軟性も有している。
本人曰わく。
「僕はオタクですから、たまたまオタクとしての対象が大山総裁だっただけなんです」
しかし宮田氏が所有する膨大な資料と鋭い探求心は「オタク」とはレベルそのものが違う。ひとことでいうならば、大山倍達に関するウォーキングディクショナリーである。私は「大山倍達正伝」の制作に当たり、幾度も宮田氏と大山総裁の足跡に関して考証を繰り返した。
「大山倍達正伝」は300を超える資料と取材の積み重ねによって可能な限り大山倍達という稀代の武道家の「真実」に迫った。しかしルポルタージュにおいて、いかに「真実」に近づく努力をしようとも、「真実」そのものには永遠に辿り着けない限界が存在する。いかに多くの資料と取材を重ねようとも、最終的には著者の「解釈」に終わるのがルポルタージュの宿命といってもいい。
その意味で、私たちと宮田氏の大山倍達観は「大山倍達正伝」を通すことで限りなく近いのは事実ではあるが、決してイコールではない。私たちと同一ではないものの、宮田氏の史観、解釈は十分に傾聴に値する。
私は宮田氏の史観に大きな敬意と畏怖さえ抱いている。こんな素晴らしい「才能」を埋もれさせておくのはあまりにも勿体ないではないか! ということで、私は宮田氏に「系譜 大山倍達」の執筆を勧めた。勿論、宮田氏はプロの物書きではない。その部分は私やMugenのスタッフがフォローする。


「大山倍達正伝」は大山倍達の一生を描きながらも1964年の極真会館創設でひとつの区切りとなっている。その後については、劇画「空手バカ一代」と、原作者である梶原一騎との関係に触れているものの、体系的な足跡の追究はない。話は大山倍達の最晩年に大きく飛んでいる。つまり、極真会館創設から1990年までが空白になっているのだ。
その期間を埋め、さらに極真会館を設立した大山倍達が空手・格技界にいかなる「影響」を与えたのか? 現在の格技・空手界は大山倍達の影響なしには決して語れない。それこそが大山倍達の「系譜」なのだ。
私自身も物書きとして多大な興味を抱いているモチーフでもある。しかし残念ながら私たちのスケジュールは現在、執筆中の「大山倍達の遺言」を含め、約3年先まで決まっている。どうしても「系譜 大山倍達」を書く余裕はない。ならば、私たち以上に大山倍達に詳しい宮田玲欧氏以外に書ける人間はいない。
ちなみに「大山倍達の遺言」は「大山倍達正伝」の続編的なものであり、1994年4月26日の大山倍達の死から始まる。「系譜 大山倍達」が完成すれば、著者は異なるものの、「大山倍達正伝」、「大山倍達の遺言」、そして「系譜 大山倍達」が大山倍達に関する3部作となるだろう。これで初めて、大山倍達についての「物語」は完璧になるのだ。


宮田玲欧著、小島一志監修による「系譜 大山倍達」を是非とも実現したい。
後は「版元」を決定するだけである。新潮社様、講談社様、または他の版元様、どうか「系譜 大山倍達」を引き受けてください。
…なんて虫のいいお願いですが宜しくお願いします。

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「大山倍達正伝」(新潮社/小島一志&塚本佳子)。大山倍達の一生を追ったルポルタージュの決定版!


samurai_mugen at 05:55|Permalinkclip!

2008.04.18

《冬眠熊の溜息》極道親父、「俺の半生記を書け」とウザいんです(改訂版)

実に困った親父でした。
困ったとうより、ときには殺したいほど憎い父親でした。
昔は私も母親も散々、この極道親父には悩まされ、迷惑を被りました。私が親戚をたらい回しにされたり名字が変わったりしたのも全てこの博徒親父のせいです。
格技界では有名な黒崎健時先生とも友好関係にあったこの極道人間は、私が改心しマジメになってT県No.1の進学校を目指して猛勉強をしている時、何食わぬ顔でこういい放ったものです。
「一志は高校なんていいから、俺の兄弟分のYのところで稼業の修業をしたらいい。5年も辛抱して1、2年くらい臭いメシを食ってくれば、トルコ風呂(今のソープランド)の4、5件任されて、エリートサラリーマンになるより何10倍も稼げるようになる。オマエには堅気より稼業の方が合ってるんじゃねえか」
私は母親と呆れかえったものです。自分の息子に「ホンマモンのヤクザになれ」などと勧める人間はまずいないでしょう。
とんでもない父親なのです。
そんな親父が今は物書きの端くれになった私に、やたらと、しつこく言うのです。
「一志、ワシの半生記を書いてみいよ。面白い本になるぞ。売れるから書いてみい。昔のワシの兄弟連中が200人は買うぞ。1人に100冊売りつければ、20000冊は固いんだ。ええ商売になるべえ」
そんな寝言を言いながら、相変わらず賭将棋だけは止められない、相変わらずの極道親父です。


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困った極道親父。でも最近は憎めなくなったから不思議だ。先日は「城巡りをしたい」というので、広島城→赤穂城→姫路城巡り&温泉付きの5日間の旅行を親父とお袋にプレゼントしました。忠臣蔵が大好きな親父は、赤穂城に感動したようで、その報告の電話がうるさいことうるさいこと…。憎めないけど、やっぱり煩い親父です。


samurai_mugen at 07:04|Permalinkclip!

2008.04.17

《冬眠熊の寝返り》5カ月ぶりのトレーニングは超大変!?

ヤバい…。
「ちゃんと稽古やトレーニングしないとダメだよ」
盧山初雄、松井章圭、郷田勇三、大山泰彦…この1か月、会う度に言われ続けた。マズいんです、本当に。このままだと絶対、体にカビが生える。肥満のカバがブタカバになってしまう。メタボリックシンドロームだかなんだかしらないが、とにかくヤバい。
昨年の11月、極真会館世界選手権当日に倒れて以来、一切の運動から遠ざかってきた。唯一、某会の稽古会のみ、無理して参加してきた。スパーリングを1分やっただけでヘトヘト状態。
先日、思い切ってリビングルームをトレーニングルームに改造した。そして今日、5か月ぶりに思い切ってトレーニングをした。
もう完全に「タダのおっさん」だ。サイクルマシンはヘビーレベルで45分こなしていたのに、ライトレベルで20分がやっと。ベンチプレスで100kgが何でもなかったのに、60kgが重くて重くてどうしようもない。やっと「復活したはずの左上段回し蹴り」が中段しか蹴れない。それも軸足がフラフラ。
これは大変なことになった。1か月で体を戻さなくてはならないのだ。某会の稽古会で無様な姿は見せられない。

しかし、トレーニングが終わり熱い風呂に入ってベッドに横たわると、既に腕はプルプル震え、腰も痛みを増してはいるが、気分は凄く爽快だ。よかった! 思い切ってリビングをトレーニングルームに改造して。
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リビングを改造したトレーニングルーム。


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