言動に対する批判とか抗議とか

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 私が18歳時分に学生だった青山学院大学の准教授の発言が話題になっているようです。確かに、あまり優等ではないモノの言い方をしています。

 ある人物の言動について、「批判」や「抗議」が殺到し、結果、当該人物が社会的制裁を受けるという事例が昨今目立ちますが、ちょっと一度冷静に考えてみませんか。

 「瀬尾佳美」という人物が、光市事件について、「死者は1.5人」「元少年が殺されれば遺族は幸せ」と書いた。ファクトはこれです。これについて、青山学院大学に抗議、批判をする。その意味というか趣旨は何なんでしょう。

 世の中、いろんな人がいます。例えば、私はかねがね書いているように死刑に反対です。光市事件についても同様です。麻原彰晃でさえ死刑にするべきではないと即断、即答します。これは私なりの思想、信条に基づく意見です。一方で、殺人なんか犯す者は、全員死刑にしろという人もいるでしょう。それはその人の意見です。意見の述べ方、モノの書き方にも、それぞれスタイルがあります。柔和な人もいれば、挑発的な人もいる。

 ところで、言動を正される代表的な人々は政治家です。何故か、それは「公人」だから。税金をもらう者として言動が正されます。橋下徹・大阪府知事はそのところをよく貫かれていて、知事になってからは偏った個人的見解を述べなくなった。

 さて、くだんの瀬尾佳美とかいう准教授。この人は公人ですか? 青山学院大学の准教授は公人なのでしょうか? 私はそうは思っていません。

 従って、大学内部から自発的に、このような見解を持つ者は一私学の我々の精神として相応しくない、というなら分かります。そうではなくて、外部の者の、侮辱罪や名誉棄損といった違法性を指摘することもなく、単に「変なことを言った」というだけの抗議に大学が屈するのであれば、私にとってはそちらの方が青山学院も地に堕ちたりと思います。

 たとえ世界中から非難を受ける見解であったとしても、公人でもなく違法性もないのなら、思想、信条、表現の自由を優先させるべきだと私は思っています。人が、何にも制約されることなく、自由にモノを考え、意見を持ち、それを発表することができるということ。これは、我々のじっちゃん・ばっちゃんたちが、長い歴史をかけ、血を流し、命を賭して獲得した叡智です。とてもとても大切なことで、その時々の世論だとかマスメディアだとかに侵されてはいけません。

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このページは、神田忠如が2008年4月28日 21:18に書いたブログ記事です。

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