ワークスタイルインタビュー〜あなたを変えたターニングポイント〜

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「私は当たって砕けろタイプなので、これからも波瀾万丈な人生が待っています。」

自民党港区第23支部長

ゆうき くみこ

1976年生まれ。米国の大学を卒業した後、会社勤めを経てモデルへ転身。ジョン・ガリアーノ、ルイ・ヴィトンなどのショーにも出演。現在は港区区議会議員として活躍中。

― アメリカから見た日本

今年4月の選挙で見事当選し、港区の区議会議員になったゆうきくみこさん。議員1年生ということで、研修や勉強会などに励む毎日を送っているそう。しかし、今までの人生について尋ねてみると、現在の仕事からは想像できないような経歴が出てくる出てくる。まずは高校卒業後の留学についてうかがう。
「中学の時から、『日本の教育は実践的じゃないから海外に行きなさい』と周りの人に言われていたこともあり、留学には興味があったんです。直接の留学の理由は、幼稚園からずっと同じ学校だったこともあって、自分には冒険心が足りないと思っていたことですね。それで1人でアメリカに行くことにしたんです。それまでの環境では新しい友達に出会う機会さえなかったので、言葉の通じない環境で親元から離れるのは大変なことでした。日本ではボーっとしていても絶対周りの誰かしらが助けてくれました。だけどアメリカでは、ボーっとしていたら周りに置いていかれて、自分で行動しないと絶対救ってもらえませんでした。そして私は日本にいる間ずっと海外に憧れていて、海外のものは全ていいくらいに思っていたんです。でもアメリカに行って初めて日本を外から見たときに、日本人って本当に優秀で、こんな温和な民族はいないって思って、日本の素晴らしさを実感しました」

― きっかけはコンプレックス

アメリカ、ワシントンDCで大学4年間を過ごし、帰国後は食品会社に就職したゆうきさん。その後、モデルに至るまでの経緯をたずねてみた。 「アメリカの人ってみんな背が高いから、178センチもある私の身長だって普通だったんです。だけど、日本に帰ってくるとどうしても意識させられて、コンプレックスになってしまいました。その時は外に出ることが嫌で、引きこもりのようになったこともありました。
そんなとき、知り合いの飲食店のオーナーが『背が高いんだったら、その身長を活かしたモデルの仕事をしたら』って言ってくれたんです。実は前々からモデルには興味がありました。でもその反面、『私は一生懸命勉強してきたので、そんなことに興味ないわよ』っていう変なプライドがあったんです。しかもその時23歳で、モデルになるには遅いなって。でも自分の素直な感情を優先させて、思い切って挑戦したんです。そして食品会社を辞めてアルバイトに切り替え、モデル事務所に入りました。半年もすると仕事が増えてきて、海外ブランドのファッションショーや広告など、色々な仕事をさせてもらいました」

― 地元から好きになる日本、を目指して

モデル業をしながらも、30歳を節目に何か新しいことやろうと思っていたゆうきさんが選んだのは、区議会議員という仕事だった。
「海外ブランドのショーに日本人が来ると、日本は売上がいい国なのに、いつもペコペコしていたんです。なんでもっと堂々としていないのかなって、疑問を持っていました。そして、自分の生まれた国に自信を持つためには、まず自分の生まれた場所を好きになることが必要だなと感じました。そのことを、地元から自然な形で発信してみたかったんです」
様々な職業を経験してきたゆうきさん。生きていく上で大切にしている価値観について、彼女はこう語る。
「私は当たって砕けろタイプです。いつ死んでも大丈夫なように、そして仮に後悔しても、そのときはやりたかったんだから仕方ないよねって思えるようにしています。だからこれからも波乱万丈な人生が待っているかもしれませんね。だけど、やらない後悔よりやる後悔がいいと思っています」
留学、就職、モデル、そして区議会議員と自由に仕事を選び、楽しみ続けるゆうきさんは、とてもまぶしく見えた。