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    序章:企業の発展は人間教育がすべてである  
WEB Magazine 私に従った三人のサムライたち
 ここで、少し話を戻して、創業時から私に従ってくれている三人のメンバーについて簡単にふれておこう。
 遠藤、田辺、小部というのがその面々である。彼らの現職は、遠藤が取締役開発部長、田辺が技術部長代理、小部が東京支店長で、我社の牽引役を十分に果たしてくれている。三人とも、私の出身校である職業訓練大学校の後輩であるが、専攻は異なる。つまり、私の二級下、三級下で、遠藤、田辺については学生時代に顔を合わせていた。
 小部は、私がティアックに勤めた年に職業訓練大学校に入学し、偶然私が居た国分寺の下宿に入ってきた。そして同じ学校というよしみもあって、親交ができた。
 夜中の二時、三時になっても、私は仕事で、小部は勉強で起きている。壁ごしに、「オーイ、小部。ビール買うてきてくれや」「しかし先輩、こんな時間に開いている酒屋なんてありません」
 私が、「酒屋は開いてないかもしれんが、ビールは売っとるやろ」と言うと、彼はしきりに考えて、最後には「いや、東京中探しても、売ってる酒屋はありません」と答える。断っておくが、当時は自動販売機などというシャレたものはなかった。
 「よう考えてみいよ。国分寺駅の南口に行ったら酒飲んでる人間おるやろ」「あれはクラブですよ」「クラブやからビール売ってくれるんやないか」「いや、高いですよ。いくらとられるかわかりません」「高い安いの金のことは言うてない」
 こんなやりとりをしながら、すでにその時から私の教育は始まっていた。ビールを買いに行かせては、ビールを飲ませ、「肉買うてこい」と言っては、肉を食わせ、小部の仲間連中が集まってくると、全員にメシを食わせたりもした。いわば言葉は悪いが、親分・子分のような関係であった。
 遠藤、田辺は、彼らが卒業すると同時に、私の勤めていたティアックという会社に入れ、私がそこを辞めて山科精器に移った時も行動を共にした。すなわち、学生の時から、私は彼らと今と同じように接し、いろいろなことを教えてきた。
 学生時代から関係があるので、彼ら三人は私のいい面も悪い面も知り尽くしている。それでことあるごとに怒鳴られ、なぐられ、蹴られても、彼らは私についてきた。
 その彼らが、今、我社で部下に対して、私がやってきたのと同じ方法で教育している。
 確かに彼ら三人は、ティアックでも山科精器でも、決して目立って仕事のできる人間ではなかった。しかし私に心酔して運命を共にしてきてくれた私の右腕である。もし、彼ら三人がいなかったら、今の私も、日本電産もなかったはずだ。


※本書は1984年にPHP研究所より刊行されたもので、内容は当時のまま掲載しております。

次回更新日:2006.08.30
出典:「奇跡の人材育成法」PHP研究所より



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