平和の祭典であり、政治とは切り離して行われるスポーツ競技。これが大前提となっているのがオリンピックだ。北京オリンピックもそうであろうか?
聖火リレーでは、中国政府のチベット弾圧行為に世界各地で抗議の声が上がった。26日に長野で聖火リレーが行われたときにも逮捕者が出た。過去のオリンピックでもボイコットなどの問題はあったが、開催国が抱える人権問題に対してこれほどの声が上がったのは記憶にない。聖火には聖なる火としての面影もなく、招かれざる灯火にしか感じられなかった。 中国国内では相変わらず、各国での聖火に対する扱いを、「祝賀ムードの中で迎えられている」として報道しているという。国の統制下にある中国の報道機関では仕方ないことだと思うが、この小さな真実でない報道が、中国国民に世界の中での中国の現実・真実を理解させていない元凶であると思う。 日本に来た聖火には、人それぞれ、感じ方、思い方に差があるだろうが、今までのオリンピックの聖火リレーとは確かに違っていた。 中国当局は、現実を自国民に知らせないでないものとしてしまうより、真実を知らせ、何故こうなってしまったのかを国民とともに考え、世界の中での中国を発展させていくべきである。 私は以前、「中国での平和の祭典は時期尚早」という記事を書いたが、やはり中国でのオリンピック開催は時期尚早であったようである。 しかし、この状況でもなお北京オリンピックが成功するとなれば、一考投じてみたい。 無事聖火台にともされた聖火=26日午後0時半、長野市若里公園(撮影:吉川忠行) だが、これほどの問題が現実に起きても、今となっては中国開催を中止することはできない。 北京オリンピック不開催となれば、やはり政治問題になる。もしそんな事態になれば、中国は世界の中で孤立してしまう。その現実を考え開催しなければならないであろう。やはり現実には、オリンピックと政治は切り離せないのだ。 それでも、平和の祭典を大前提に行われるのであるならば、それを利用する手もありではないだろうか? いっそ、中国よりさらに孤立して問題山積の北朝鮮での開催はどうであろうか? 経済的にも体制的にも無理があるのは承知だが、「平和の祭典・政治とは別」ということを大前提に、各国からのスポンサーを集め、資金援助をしたり、韓国との共同開催を試みたりして開催出来れば、一筋の小さな灯が見えてくるかもしれない。 これだけ大きな世界的イベントでは、商業主義に走るのも仕方ないかもしれないが、本当に「平和という大前提」があるならば、一筋の灯火を聖火に変える努力をしてみるのが本来の姿ではないだろうか。 お金がない国にも五輪を開催する権利はあるし、閉鎖的な国を開かれた国に誘導できる唯一のイベントであるかもしれない。それにより政治で解決できていない拉致問題等も解決の糸口が見つかるかもしれない。 その灯こそ「聖火」となり得るかもしれない。
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