2008年04月25日 更新

川崎・関塚監督、辞任 リーグ12位低迷…過労による不整脈で

関塚監督は、無念の辞任について目を赤くしながら報道陣の取材に応じた

関塚監督は、無念の辞任について目を赤くしながら報道陣の取材に応じた

 J1川崎の関塚隆監督(47)が24日、体調不良を理由に辞任した。9日に入院し、精密検査で不整脈と診断されてドクターストップがかかった。後任に高畠勉コーチ(39)が昇格する。今季のJリーグで監督交代は浦和に続き2チーム目。2勝2分3敗でリーグ戦12位と低迷する川崎は今後、“高畠新体制”で巻き返すことになった。

 関塚監督の充血した潤んだ目が、断腸の思いでチームを去ることを明白に物語っていた。

 「長期休養はチームに迷惑がかかるため辞任させていただくことになりました。残念ですが…」

 この日、関塚監督は川崎市のクラブハウス内で行った練習前ミーティングで、選手たちに辞任を伝えた。8日の練習中にめまいを起こし、横浜市内の病院に検査入院。22日に過労による不整脈と診断され、翌23日にクラブ側に辞意を表明した。

 「1月の健康診断で引っ掛かった」と明かした関塚監督だが、大事と思わず6月のリーグ戦中断期間中に精密検査を受けるつもりで、そのまま開幕に突入した。昨季J2得点王のFWフッキや日本代表MF山岸を獲得し優勝候補に挙げられたが、フッキが監督の起用法に不満を示して3月に退団。ナビスコ杯では連敗し、リーグ戦も入院するまで2勝1分2敗と低迷…。心労が重なった。

 “関塚フロンターレ”と呼ばれるほど絶大な信頼を誇り、川崎を強豪チームに変えた名将の後を受け監督に昇格する高畠コーチは、「率直に言ってショック。今までのサッカーをベースに自分の色を出したい。リーグ戦は続くので、好結果を出すことが関塚監督の薬になる」。“関塚イズム”継承を誓った新監督の下、フッキ退団に続く激震のなかで川崎が再出発する。

(宇賀神隆)

★関塚監督に聞く

 ――辞任について

 「2週間程度の休みをいただいて復帰することを考えていたが、検査の結果、さらに休養が必要との診断を受けた。長期休養はチームに迷惑がかかるため決断した」

 ――残念か

 「今年やりきりたかった思いは強いが、体を治してからということにした。チーム関係者、スタッフ、選手をはじめサポーターの皆さん、スポンサーの皆さんにご迷惑をおかけすることを申し訳なく思っている」

 ――選手には

 「これと同じことを伝えた」

◆日本サッカー協会・川淵キャプテン

 「(辞任は)知らなかった。心配していたが…。状況を聞いてみたい」

◆川崎・武田信平社長

 「昨日(23日)、監督本人から辞任の申し出がありました。高木ドクターとも相談しましたが、今一番優先することは、監督の任を解いて、休養させることだということになりました」

◆川崎・高木博チームドクター

 「不整脈の原因は過労。動悸(どうき)やめまい、頭痛という症状が出る。治療法はたくさんあるが、第一選択は休養です」

◆MF中村憲剛

 「今の自分は関塚監督なしではあり得ないし、感謝しきれないが、体が一番。選手は一丸となってやるしかない」

◆FWジュニーニョ

 「残念だ。彼の考え方や持っている経験は素晴らしいし、いい仕事をするための環境も作る。素晴らしい監督だ」

◆FW鄭大世

 「最悪のことが起きた。自分が成長できたのは、すべて関塚さんのおかげ。寂しいですね」

◆DF寺田周平

 「初めてA代表の練習に参加して、関塚さんにお礼をしたかったのに残念です。次のゲームに勝つことが大事」

■関塚 隆(せきづか・たかし)

 1960(昭和35)年10月26日、千葉・船橋市生まれ、47歳。早大から84年に本田技研入社(現ホンダFC)。91年に現役を引退し、早大サッカー部の監督に就任。鹿島、清水のコーチを経て、04年に当時J2の川崎の監督に就任。同年にチームをJ1へ昇格させ、05年以降もリーグ戦の上位争いを演じるなど好成績を残した。J1通算114試合55勝25分け34敗、J2通算44試合34勝3分け7敗。

■高畠 勉(たかはた・つとむ)

 1968(昭和43)年、6月16日、大阪府高槻市生まれ、39歳。大体大卒業後、富士通に入社。96年から富士通川崎(現川崎)のコーチに就任。
以後12年間コーチを務め、川崎の創設以来、チームを支えてきた。07年にS級ライセンスを取得。第6節から関塚前監督に代わりチームの指揮を執っている。