韓国の歴史教科書


[1、歴史を道具に使用すること]

アメリカの歴史学者で、マサチューセッツ工科大学 ( M I T ) 教授、ジョン、ダワーに依れば、
注意すべきことは 歴史とは何かよりも、人々が歴史をどう 政治的に 使うかだ。
と述べています。中国や韓国は国交開始以来何十年間も日本の侵略戦争や植民地支配の歴史を、日本人の贖罪意識を掻き立てる為の道具として最大限に利用し、外交戦略上優位に立ち経済的利益獲得を図ってきました。 そして1980年代には戦術を更にエスカレートし、教科書の記述の内容にまでも口を出し訂正を要求するようになりました。

残念なことに日本は教科書の記述に関して韓国や中国から抗議を受けると、国家主権に 対する明らかな侵害であるにもかかわらず、それを断固拒否するどころか直ぐにお詫びをしたり、教科書の編集に際しては「近隣諸国の人々の感情に配慮する」旨の規則をわざわざ設ける、という愚かな行為をしました。つまり事実関係の有無はさておき、歴史の解釈を彼等と同じにせよということなのです。

その結果中学校の教科書にまで従軍慰安婦のことが記載される事態になりましたが、援助交際をする女子中学生や高校生が増えたのは、 そのせいではないか(?)と思う次第です。

独立国とは到底思えない日本政府や外務省の事なかれ主義や無責任な対応に疑問を感じてい ましたが、 それでは相手の国の教科書には、歴史が正しく記述されているのでしょうか?。入門韓国の歴史「 国定韓国中学校、国史教科書 ( 1996年制定 )」の日本語訳 ( 明石書店 )を読んでみました。

その結果分かったのは以下の事柄でしたが、皆さんも一緒に考えてみて下さい。

[2、反日思想の刷り込み]

韓国の国定、歴史教科書についての編集方針をひとことで言えば、民族主義や愛国心を育成する為なら、そして反日教育の為なら、どんな ウソ をつくことも許されるとする考え方や、歪曲した愛国心でした。

なぜ学校で歴史を学ばせるのかの一つの答えは、自虐史観とは逆に、生徒に愛国心を植え付け育てるためです。朝鮮(半島の国)が昔から如何にすばらしい国であり、日帝(日本の帝国主義者、つまり日本人の意味)がそれを如何にダメにしたのか、それに対して人々がどれほど抵抗してきたかが、針小棒大に ウソ を交えて書いてありました。

動物行動学では本能とは別に、 In-Printing ( 刷り込み )という言葉があります。皆さんがお馴染みの カル鴨の例を挙げると子ガモが母鴨の後を常に追うのは、孵化後の十二時間以内に身近にいた動くものを親として頭脳に刷り込み、その後を追うという習性からです。動くものならば親でなくても、玩具でも後を追うようになります。「 刷り込み 」 は生まれてから一定の時間内におこなうことが必要で、それを過ぎると困難になります。韓国の生徒はまさに国定の歴史教科書により、子供の頃から歪曲された歴史観と愛国心で、反日思想の「刷り込み」をされていました。

それでは具体的に何を刷り込んでいるのか、数え切れないほどの ウソ や事実の歪曲の中から、以下の実例を選んでみました。なお頁とあるのは「入門韓国の歴史」、韓国中学校、国史教科書の日本語訳本の頁を示します。

[3、皇紀の韓国版、古代朝鮮の建国年代について]

[なんでも韓国が一番と教え込む]
現在七十才以上の方であれば皇紀という言葉をご存じのはずですが、知らない方は ここをクリックして下さい。韓国の歴史教科書の記述によれば、

満州遼寧 ( りょうねい ) 地方と韓半島 ( 朝鮮半島のこと ) 西北地方に、君長が治めるたくさんの部族が現れた。檀君 ( だんくん ) はこうした部族を統合して古朝鮮を建国した。檀君王倹の古朝鮮建国(紀元前2,333年)に関しては、三国遺事にその内容が記されている。(32頁)

と書いてありました。そこで 三国遺事とは何か、日本の大辞林という辞書で調べてみると、
朝鮮の史書で高麗 ( こうらい ) の僧、一然( 1206〜1289年の撰( 編集したもの )。三国史記に漏れた新羅、百済、高句麗の遺聞を集める仏教関係の記述が多い。
とありました。参考までに「 三国史記 」とは朝鮮半島における最古の歴史書のことで、高麗の金富軾が1,145年に編纂したものでした。つまりここで重要な点は 古事記、日本書紀ができてから 四百年後に、韓国最古の歴史書ができたという事実です。後で触れますから、このことを記憶しておいてください。

僧の一然が生きた時代とは日本でいえば鎌倉時代後期に相当します。その時代に書かれた本に、それよりも三千五百年も昔の檀君王倹のことが書いてあるから、それを古代朝鮮建国の根拠にして、我が民族は五千年以上 の輝かしい歴史を展開している(17頁)と教科書に書き、教えていたのでした。

中国の歴史家、司馬遷が紀元前91年に書いた史記によれば、中国で最も古い まぼろしの王国である夏( か )は、紀元前二十一世紀から前十六世紀に存在したとされますが、伝承のみに頼る先史時代のことなのでその存在は確認できません。しかし韓国は中国よりも建国が古いと、自国の歴史(?)の古さをねつ造して自慢にしたいのです。ここで前に読んだことを思い出してください、韓国の最古の歴史書は日本の古事記、日本書紀よりも四百年後にできたことを。

中国の殷(いん)の廃墟から発掘された甲骨(こうこつ)文字を刻んだ亀甲(きっこう)や獣骨の存在から、紀元前十四世紀〜前十一世紀に文字を持つ殷(いん)の国が存在が判明しましたが、それよりも古くから国が存在したとする韓国では古代朝鮮の歴史をどのような文字で書き、何に記録したというのでしょうか?。もちろん何の根拠もない 大ウソに決まっています

敗戦になるまで日本の歴史教科書は全て皇紀の年号で書かれ、歴史と神話を混同して教えていましたが、戦後の教育では両者を明確に区別するようになりました。しかし韓国の歴史教科書では、依然として檀君神話が真実の歴史として今も扱われ健在なのです。つまり歴史を扱う方法が日本よりも、六十年近く遅れている証拠です。

そればかりではありません、檀君が建国した(?)紀元前 2,333年を元年とする檀君紀年が、韓国独立から昭和三十六年(1961年)まで実際に韓国で使用されていました紀元前 2,333年 当時は、前述のように中国でさえも未だ歴史を記録する文字がありませんでしたが、その時代のことを韓国ではどのように記録し、檀君紀年を算定したのでしょうか?。もちろんデタラメに決まっています。

注:)
中学校の教科書だけでなく、1997年版の高校用の国史(下)の「 植民地の文化政策 」の記述にも、

我が民族史も日帝の植民地統治を合理化するために変造された。とりわけ民族史の根源とも言うべき古代史の歪曲が最もひどく、檀君朝鮮は否定され−−−−。
とあるように、いまだに五千年前(?)の檀君神話を、建国の歴史の根拠にすることに懸命でした。

[4、民族の抹殺]

日帝はわが民族と、民族文化を抹殺する政策を実施した(162頁)

とありましたが韓国の生徒がこれを読めば、あたかも ナチス・ドイツが六百万人の ユダヤ人を抹殺した如く、日本が朝鮮民族を抹殺しようとしたと思うはずです。日本人からみれば明らかなウソが堂々と記述されていました。恐らく強制連行や従軍慰安婦のことを念頭にしたと思われますが、朝鮮半島住民を抹殺する意図など全くなかったことは、日韓併合以来、日本がもたらした文明開化、人口増加の事実や、インフラの整備、植民地住民に世界でも希な義務教育を含む教育を施し、大学教育の機会まで与えた教育制度を見れば明らかでした。

[5、元寇について]

元寇(げんこう)の寇(こう)とは、仇 ( あだ )という意味です。元寇について知らない若い人もいるので説明しますと、中国大陸を征服した チンギス・ハン ( ジンギス・カン ) の孫に当たる元 ( げん ) の皇帝 フビライ が、大都 ( 北京 ) に都を定め日本に入貢 ( にゅうこう )、つまり外交使節が貢ぎ物を持ってご機嫌伺いに来ること、を求めて拒否されると、日本侵略を計画しました。

鎌倉時代の文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)に高麗 ( こうらい、朝鮮 ) と連合して日本を侵略し、壱岐、対馬の島民を虐殺し、九州の博多に上陸しましたが日本側の奮戦に遭い、台風が襲ったこともあって撤退しました。韓国の教科書によれば、

高麗は元 ( げん ) と講和を結び、開京へ還都したが、すぐ新しい試練にぶつかることとなった。元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に強要した。こうして二次にわたる高麗・元(げん)連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した。(138頁)
この国定教科書では日帝の侵略という語を、これでもか、これでもかと頻繁に使用しておきながら、元寇については自国 ( 高麗 )が日本を侵略した事実を隠ぺいするために、意図的に侵略という言葉を使用しませんでした。しかも韓国の歴史教科書であるにもかかわらず、自国に都合が悪い箇所では元を主語にして記述するという、ごまかしの手法を採っていました。

この教科書が意図するところは、あくまでも元に強要されて、つまり自らの意志に反して日本を攻めさせられた、いわば戦争に協力させられた被害者の立場であって、侵略者ではないと暗に主張しているのです。しかしそれは、全くのデタラメであることを次項で立証します。

さらに征伐という言葉は、悪者を攻め平らげるという意味です。かつて韓国は日本の教科書の記述にあった豊臣秀吉の朝鮮征伐に対して、征伐という言葉を使うのはけしからんと日本に抗議をしました。しかし自国の日本に対する侵略を今も公然と征伐と表現し、教科書で使用しているのです。

[6、高麗が日本侵略に積極的に荷担した証拠]

高麗国王 元宗 、( 在位1260〜1274年 ) に 世継ぎの子のェ ( しん、後の忠烈王 )がいましたが、ェ ( しん ) は元 ( げん、モンゴル人の帝国 )の皇帝 フビライ ( 1215〜1294年 ) の下で長く元に住み、フビライの娘と結婚して高麗に帰国し、即位して忠烈王 ( 1236〜1308年 )となりました。忠烈の名前は元から貰ったもので、忠とは元に対する忠誠を尽くす意味ですが、元寇当時の高麗の国王は、忠烈王であったことを覚えておいて下さい

(1)、高麗の歴史書の記述

高麗史の元宗十三年(1272年)三月の条 ( 元寇における、文永の役の二年前 )の記述によれば、世子のェ ( しん、後の忠烈王 )が フビライ に述べた言葉として、

惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、勉尽心力、小助王師

その読み方
惟 ( おも )んみるに彼 ( か ) の日本、未だに聖化を蒙 ( こうむ ) らず。故に詔 ( みことのり ) を発して軍容を継糴 ( けいてき ) せしめん とせば、戦艦兵糧まさに須 ( す ) いる所あらん。もし此事 ( このこと ) を以て臣に委 ( ゆだ ) ねなば、心力を尽し勉 ( はげみ )、 王師 ( おう し)を小助せん。

その意味
思いますに、かの日本、未だ皇帝陛下 ( フビライ ) の徳による導きを受けていません。いまこそ陛下の命令を出して軍容を整え戦艦兵糧 を用いるべきです。もしも私にお任せくださるのであれば、心力を尽くし、陛下の軍隊を微力ながらお助け申し上げたいと願っており ます

と書かれていましたが、これを読めば 元に強要されたのではなく、明らかに高麗の忠烈王自身が フビライ に日本への 遠征をそそのかし、その際には 自分も協力する と明言していました。

自国の歴史記録 にあることさえも 偽って書く 韓国の歴史教科書が、如何に欺瞞に満ちたものであるかが、 これで分かります。

(2)、元の歴史書の記述

更に「 弘安の役 」が起こる二年前の元 ( げん ) 王朝側の記録を引用しますと、元の歴史書の 世祖 ( フビライ )本紀至元十九年( 1279年 )七月の条に、

高麗国王請、自造船百五十艘、助征日本。

その意味
高麗の国王 ( 忠烈王 ) が 百五十艘の船を自国で作り、( 元の )日本遠征を助けることを願い出た。

と記録されていますが、教科書の 大 ウソ の記述に対する反証は、この二例で十分過ぎると思います。

蒙古平原に国を興し造船技術、操船技術を持たなかった元の為に、高麗は文永の役(1274年)では大小の軍船九百隻を建造し、高麗軍八千、その他高麗水軍の水夫など六千を参加させ、元軍一万五千と共に合計三万の大軍で日本を侵略しました。まづ壱岐、対馬の島民を皆殺しにし、次に博多を襲いました。

さらに大規模な侵略である弘安の役(1281年)では、兵10万、軍船三千五百隻の江南軍と共に、兵四万、軍船九百隻が東路軍として、前回同様に元と高麗の連合軍それに水軍の水夫が日本侵略に参加しましたが、これが元と共に高麗による日本侵略でなければ、何を侵略と言うのでしょうか。

さらに付け加えると教科書巻末の年表には高麗による日本侵略の証拠である元寇の件が完全に抜け落ちていましたが、韓国の得意わざである、歴史事実の意図的な隠蔽 ( いんぺい ) でした。

[7、独立運動が日本の敗戦につながった]

我々が光復 ( 植民地支配からの解放 ) を迎えられるようになったのは、連合軍の勝利がもたらした結果ともいえるが、その間我が民族が日帝に抵抗し、たゆまず展開してきた独立運動の結果であるといえる(166頁)。
日帝支配下で独立の為に人々が如何に抵抗したかが、針小棒大に書かれていました。ソ連崩壊後に公開された資料によれば、朝鮮の反日抵抗運動の英雄とされ、北朝鮮の偉大な首領様となった金日成でさえも、終戦まで ロシア軍の大尉として ロシア領内に居住していました。

平成十六年初めに放映された日本のテレビ番組でも、テレビ局のカメラ取材に対して ロシアの村人が金日成の住居の跡や、幼くして死んだ彼の息子の墓の位置まで教えていました。つまり家族共々 ロシア領内で平穏に暮らしていた証拠でした。

金日成でさえもその程度でしたから、その他の抗日運動の英雄と記述された連中などは推して知るべしです。教科書では如何にも ヨーロッパ並みの抵抗運動を、朝鮮半島や日本国内で展開してきたような書き方をしていますが、戦時中のことを知る日本人で朝鮮人の抵抗運動が日本の敗戦につながった、などとする 大ウソ を信じる人は誰もいません。しかし韓国では国定の教科書で ウソ を教え、それが信じられているのです。

韓国史上最大の英雄として亀甲船で有名だった李舜臣と共に教科書で採り上げたのは、日韓併合(1910年)の前年に伊藤博文(1841〜1909年)をハルビン駅構内でピストルで暗殺した、テロリストの安重根 ( あんじゅうこん )のことでした。日韓併合以前に起きた、しかも敗戦の三十六年も前の テロ事件を、日本の敗戦に関連付けた記述には呆れ果てましたが、裏を返せば教科書に述べたたゆまず展開してきた独立運動と称するものの、めぼしい成果が、彼と昭和7年(1932年)4月に上海における爆弾 テロで白河大将を暗殺した、尹奉吉による単独 テロ の犯行しか無かった証拠でした。

テロリズムを悪だとする国際社会の考え方からすれば、安重根の テロ行為を国史教科書で褒めたたえてきた韓国政府や韓国人の歴史に対する見方は、国際的に間違いであることは明らかです。なぜなら「 安重根 」のテロ行為を正当化すれば、パレスチナ、イラク、スペイン、チェチェン、ロシアなど世界中で起きている、全ての テロ を正当化しなければならず、逆に テロリズム を否定するのであれば、安重根の行為も当然否定しなければならないからです。

[8、園田外相の発言]

昭和五十年代に外務大臣を三度務めた園田直(すなお)という人がいました。昭和五十六年(1981年)八月の日韓外相会談の席上、 韓国側が安全保障問題 ( 韓国が共産主義に対する盾になり、日本を守っているとする主張 ) も絡めて、日本に五年間で六十億ドル( 当時、 二兆一千六百億円)という法外な政府借款 ( カネを貸せ )や技術移転を執拗に要求しました。それに対して園田外相は、
韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?。
と公式の席で発言しました。韓国ではその当時から反日教育や反日宣伝を盛んにしながら、その一方で日本に大量の資金援助、技術援助を求めてきましたが、園田外相の発言は韓国の非常識で国際儀礼を失した態度を痛烈に批判したものでした。これに対して韓国外相は歯がみして悔しがったものの、まともな反論もできなかったことが当時話題になりました。

世界の常識では常に悪口を言う相手にはカネを貸さず、技術を教えないのが常識ですが、韓国人にはそういう常識や礼儀が通用しないのです。悪口を言いながらも平気でカネを借りに来たり、技術を教えろとを要求するのです。更にカネを借りたり、技術を教えて貰った場合でも、相手に感謝することを知らないのです良いことは全て自分(自国)の手柄、悪いことは全て他人(他国)のせいにするのです。ウソだと思ったら続けてお読み下さい。

[9、浦項 ( ほこう )製鉄所]

韓国の東海岸の浦項 ( ほこう、韓国語でポハン )には、韓国産業開発の象徴的存在である P O S C O ( 浦項総合製鉄所 )がありますが、現在では世界で五本の指に入り、新日鉄に次ぐ生産規模を誇っています。その建設に際して全面的な資金協力、技術協力をしたのは当時の日本であり、日本の協力なくしては絶対に不可能な事業でした。

浦項製鉄所建設に際して、韓国は最初から日本を相手に選んだのではありませんでした。まずドイツの D K G グループを契約相手に選び、ドイツからの製鉄技術の移転を当てにし、アメリカから資金を調達する計画でした。ところが国際 コンサルティング会社の調査によって、韓国の生産性が低く日本との製品競争に勝てる見込みが無いと判断された結果、西ドイツ政府、イギリス政府からも資金調達、技術協力を拒否され、アメリカ輸出入銀行からも最終的に借款不可能を宣告されました。

そこで当時の朴政権はやむなく日本政府に、資金と技術援助を求めて 泣きついて来ました。種々の問題があったものの建設に必要な資金一億六千万ドルのうち、日本が一億ドルつまり六十二パーセントを提供することにより製鉄所建設工事が開始されました。第一期工事は昭和四十五年(1970年)に始まり昭和四十八年に完成しましたが、日本の資金協力、技術協力がなければ製鉄所の工事、施設は到底完成できませんでした。

製鉄製鋼部門に限らず、自動車、家電製品、紡績、電子など韓国における産業の半分以上は、日本からの技術移転によるものです。昭和五十年代に毎週金曜日の夜に成田や大阪からソウルに向かう飛行機は、日本人のパソコン関係の技術者で常時満席の状態でした。韓国の会社で土曜、日曜と パソコンの ハード・ソフト作りの技術を指導し、日曜日の最終便で日本に帰国したからでした。

更に韓国が昭和五十一年(1976年)に、鳴り物入りで初めて輸出した小型乗用車の ポニーに搭載したのは、韓国製のエンジンではなく、三菱自動車製の エンジンだったことは、当時車に興味のある者なら誰もが知っていることでした。韓国の現代自動車(株)が作った エンジンでは、すぐに故障して使い物にならず、やむなく三菱から小型 エンジンの提供を受け、技術支援を受けたからです。

ある資料によれば、昭和三十七年(1962年)から昭和五十八年(1983年)までの二十一年間に韓国が技術導入した件数のうち、五十六.三パーセントは日本からのものでした

[10、日本の経済援助、技術援助の存在を無視]

ところで以上述べた経済産業開発に関する日本の多大な援助や技術協力について、韓国の国定歴史教科書には、どのように記述されていると思いますか?。

政府は1962年(昭和37年)から経済開発五ヶ年計画をたびたび推し進め、輸出のために積極的に努力した。経済開発計画の推進は貧困から解放され、立ち後れた経済社会分野を発展させ、自立経済を達成できる基盤を整えるためのものだった。こうして外国の資本を導入し、多くの工場を建設して−−−。(387頁)
経済、産業開発に関しては日本という言葉を決して使わずに意図的に外国と書き、しかも、あれ程日本に技術移転をせがみ、日本から技術を導入した件は、一字も書いてありませんでした。つまり資金は外国(日本)から借りたが、自前の技術で開発したと生徒に虚偽の教育をしているのです

最初に書いたように韓国人とは、良いことは全て自分の手柄にし、悪いことはすべて外国や他人のせいにするという民族的悪癖を持つ国民なのです。浦項製鉄所を ゼロ から立ち上げて韓国人に高炉の建設や、製鉄の技術指導を長期間おこなった新日鉄の技術者達も、韓国人から感謝の言葉を言われたことは、唯の一度もなかったと述べました。

それだけではありません、事実を歪曲しウソで塗り固めた教科書で教育を受けた韓国の若者達は浦項製鉄所の自慢をしてもそれが日本の経済、技術援助によって作られたことを全く知らず、事実の指摘に対しては妄言(でたらめ)と答えたそうです。

一方日本では、この頁の [1:歴史を道具に使用すること]で述べた如く、従軍慰安婦の ウソ を教科書で教えても、日本が韓国の戦後の産業経済の発展に大きく貢献した事実を、日本の教科書では全く教えていないのです。このことに皆さんは疑問を感じませんか?。

[11、朝鮮民族としての反省の欠落]

韓国の歴史教科書を読み終わって感じたことは、日本の功を無視してひたすら冷酷無慈悲な「 加害者 」に仕立て、その反面自分たちを日帝支配に抵抗し、懸命に国の独立を図り、国家を発展に導いた健気な「 被害者 」と位置付けて、歴史を ウソと歪んだ愛国心 で脚色したものでした。

教科書の記述にある如く、もし朝鮮が昔から立派な国であり、多数の英雄、義士が出現し、優れた文化を持つ国民で成り立つていたのであれば、なぜ四百年間も中国の属国の地位に甘んじ、時代錯誤の中華思想を信奉し、国の近代化を怠り、周辺諸国からは世界における最貧弱国と蔑視され、ついには日本の植民地支配を受けるに至ったのでしょうか?。

そのような事態を招き、屈辱をもたらした原因の究明と、それに対する朝鮮民族としての反省が、この教科書では完全に欠落していました

これこそ彼等が日本に対してよく口にした、過去の歴史から学ぼうとせず、過去を直視しない行為の、またとない見本そのものでした

[12:韓国の歴史教科書がウソを教える理由 ]

はっきり言えば古代史において唐と戦って敗れた高句麗の悲劇の栄光以外に、朝鮮半島には国民が誇るべき歴史が存在しなかったからです。歴史書についても十二世紀以前には歴史書が存在せず、日本に仏教文化などをもたらしたことも韓国人は、日本書紀(720年成立)の記述から知り得たことであり、源氏物語のように十世紀末の民族の文化伝統に基づく、古典文学もありませんでした。

古くから中国に屈服し、豊臣秀吉の侵略を受け、その後は四百年間も明、清朝の属国の地位に甘んじ、自力では国の近代化をなし得なかった為に帝政ロシアの侵略を受け、自力では独立を維持できなかったが為に国際的承認のもとに日韓併合された歴史の事実。日本の敗戦により自力によってではなく棚からぼた餅式に独立が与えられた 真実の歴史は、韓国人にとって屈辱の歴史でしかありませんでした

その為に自らの 自尊心を満足させ青少年に希望を与える為に、真実とは大きく異なり韓国にとって都合が良いようにねつ造し歪曲した歴史を、国定の教科書で生徒に教えているのです

[13:教科書問題についての今後の対応策]

二つの選択肢がありますが、その内の一つの方法とは、歴史をどのように教科書で教え るのかは、その国の内政問題( Question of Internal Affairs )であり、韓国の抗議、訂正要求に対しては 内政不干渉の原則を盾に、断固とした態度で拒否することです。

注:)内政不干渉の原則
一国の内政問題はそれぞれの国家の自由に委ねられており、他国はこれに干渉してはならないとする国際法上の原則のことです。

参考までに歴史認識の件についても、国が違えば歴史に対する考え方が異なるのは至極当然のことで、例えば朝鮮戦争に対する認識ひとつ採り上げてみても、中国の教科書ではアメリカ帝国主義に対する正義の戦いであり、一方韓国では侵略戦争とみなし、完全に食い違っています。韓国や中国が主張する歴史認識とは前述の如く、彼等の歴史観を日本に押しつけようとするものに他なりません。ヨーロッパの格言に

正義は国の数だけ存在する。また 一国の英雄は他国の侵略者である。
というのがありましたが、マケドニアの アレキサンダー大王( Aleksandros、B C 356〜B C 323 )や、フランスの ナポレオン一世( 1769〜1821 )の例を見ればうなずけます。

日本でも大阪の天王寺区に住んでいた日本人の原敕晁 ( ただあき ) さん当時四十三才を、宮崎の海岸から拉致した後で本人になりすまし、北朝鮮の スパイとして日本、韓国で スパイ活動に長年従事して韓国で逮捕され、死刑の判決を受けた辛光洙 ( シン・ガンス ) がいました。彼は スパイの相互交換で北朝鮮に帰国後は 英雄として表彰され 、国旗勲章一級を授与されました。しかし彼によって拉致された原さんは、未だに行方不明です。ところで北朝鮮との国交正常化後には北朝鮮の国民感情に配慮して、拉致犯人の辛光洙 ( シン・ガンス ) を、北朝鮮と同様に英雄扱いにするのでしょうか?。

二つ目の方法としては日本も攻撃に転じ、韓国の歴史教科書の ウソ や間違いを洗いざらい指摘し、外交交渉の場で正式に訂正を要求することです。

日本が断固たる態度で訂正を要求し、しかも執拗に繰り返すことにより、不毛の訂正要求と非難の応酬合戦を互いに延々と続けることになりますが、韓国をして、国際間になぜ内政不干渉の原則が存在するのか、その存在理由を思い知らせると共に、相手の国内問題に干渉することの愚かさを悟らせることです。

日本の教科書作りについて、今後は韓国のような大ウソは教えなくても、日本なりの方針に従い普通の国のように堂々と愛国心を育てる方針で、教科書を作るべきであると思います。

その為には日本が朝鮮半島で果たした文明開化の役割や、文盲だった朝鮮人一般大衆の為に近代的な学校教育制度を導入したこと、数百年間支配階級により拒否されてきたハングル ( 朝鮮文字 ) を広めたのは日本であったこと、韓国における戦後の経済産業開発に大きく日本が貢献した事実を、日本の生徒に教科書で是非教えなければならないと考えます。


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