人権?。。ってなんだっけ?

 

大阪府寝屋川市の小学校で、琢磨守+永山則夫みたいな事件がおきた。加害者は生徒(卒業生)で被害者は教員である。なかなかいい先生だったようでお気の毒だ。

 

この事件が報道された直後から、2ちゃんねるで犯人の少年の名前と顔写真が次々と公開された。公開は誰にでも容易に想像できたことだっただろうと思う。これに対して法務省は「重大な人権侵害だ」として強い不快感を示し、2ちゃん側に削除依頼を出した。削除依頼はあくまでオネガイであるから、2ちゃんは独自の判断でこれに従ったものと思う。(ちなみにひろゆきは裁判所の命令にしたがったことは一度もない)。

 

ところで、私は法務省の言った「人権」に軽い違和感を覚える。人権とはこの場合なんであろうか。人間には大衆に名前や顔を知られないという天賦の権利があるのだろうか。だとしたら、被害者の人権はよく踏みにじられていることになる。犯罪被害者の情報は、名前や顔にとどまらず家族構成から近所の評判にいたるまで、微にいり細を穿って報道されることはけっして稀ではない。だが、法務省がマスコミを制したことはただの一度もない。つまり法務省の言う人権 −名前や顔を知られない権利− は、「人間としての」権利すなわち「人権」ではなく、犯罪者に特有な権利すなわち「犯罪者権」とも言うべきものなのである。しかもこの「人権」、17歳の犯罪者ならあと3年で期限が切れる。つまり期間限定の「人権」である。

 

大衆に名前や顔を知られないというこの「権利」には、「人権」ではなく「少年犯罪者権」など別の名前が付与されるべきだろうと思う。そうすることによって、この「権利」の根拠や限界が議論されやすくなるだろう。本来は犯罪者特有の権利であるにもかかわらず、これを「人権」と呼んでしまうことは、議論をさけて不戦勝を狙うような卑怯な態度に思われるのだ(法務省には誠に似つかわしい)。

 

法律関係の人間は、詐欺の被害者などに一定の自己責任を求めることが多い(詐欺被害額なんか税金の控除の対象にもならない−自分の責任ということでだ)。もちろん人には自分のリスクを自分で管理する責任がある。この限りにおいて、自己責任の主張は正しい。だがその前提として情報の公開を行うことは当たり前ではなかろうか。情報がなければリスクの管理もしにくい。犯罪者の個人情報はかなり有効なリスク管理ツールになるのではないか、というのが、たとえばメーガン法の発想である。実際犯罪者の再犯率は非常に高い。法務省は犯罪者の人権保護には熱心だが、司法による教育や矯正に現状でさっぱり効果がないことについてはなんの興味もないようだ。再犯の被害者が出ても誰も責任を負わず、同じように甘い判決と効果のない教育プログラム繰り返すにとどまっている。彼等は一様にメーガン法には否定的であり、「犯罪者(この場合性犯罪者)の人権と被害者を減らすことを両立させるのが重要」などと耳当たりのいいことを言っている。そんなことができるくらいなら何故その方法をいままで採用してこなかったのですか、と聞いてみたいものだと思っている。

 

       2005/02/18

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犯罪歴のある人が、出所しても職につけずまた犯罪を繰り返してしまうことがあるため、政府は就職支援策を打ち出すという。職につけないから再び犯罪に手を出してしまうのであれば不幸なことであり、支援は必要だろう。だが、この前提は一度は疑う余地があるかもしれない。なぜなら、ちゃんと就職したってまた犯罪を繰り返す人も結構いるからだ。

 

前に植草早大教授が「手鏡を持っていた」という疑いでつかまった(この人どうしてるのかなあ〜)。大学教授が手鏡なんて信じられないようだが、極めて稀なケースというわけでもないようだ。教職にあるものにとって性犯罪のコストはとりわけ重い。見つかれば確実に懲戒である。一方便益はといえば。。。別にすすめるわけじゃあないけど、お金を出せばもっとリスクが少ない方法があるんじゃないの?というところである。だが、にもかかわらずリスクを冒す。で、結局やっぱりつかまるのである。

 

問題はこういう人がつかまった場合、雇った側にも少なからず迷惑が及ぶと言うことだ。とくに、雇用者が学校だった場合は本当にしゃれにならない。同僚まで評判を落としかねない。その上(植草氏の場合もそうだったけど)こういう人がつかまった場合、初犯であることはまずない。で、雇用者側は、そのような前歴がある人を何故教員として雇ったのか、という批判にさらされることになるのである(大事な子弟をあずけている父兄の気持ちを考えれば当たり前だ)。だがね、何故もなにも分からないんですよ、雇うときには。そういう情報は通常隠蔽されてるから。本人も言わないしね。

 

繰り返すが、教職にあるような者にとって性犯罪のコストは極めて重い。それを何度も繰り返してしまうのは通常の人の感覚では考えられない。もちろん、現に就職しているのだから、職につけないから再び犯罪に手をそめているわけでは全然ない。だが、この手の費用便益の計算がまるっきりできないほどのオオバカでは通常は教職につくことなどできない(本当〜に狭き門なんですよ)。これはもう体質というかそういうようなもので、本人には選択不可能なものなのではないかと思う。性同一性障害と同じで、選べないし病気でないから治らない。気の毒なことだとは思うが、目の悪い人がパイロットに向かないのと同じで、こういう性向を持った人は(女子校や共学の)教員には向かないのだ(研究所なからいいかもしれない。天才肌は変な人という神話もあるし、実害もないし)。犯罪者の情報は「隠蔽するのが人道的」という考え方は、隠蔽をする側(政府)が、隠蔽をしたことによるコストを負担する気がないのであれば正義とはいえない。人道のコストをただ国民に押し付けるのはどうかと思うのだ。

 

最近政府がしたこと:笑い達磨みたいな顔の大臣が犯罪者の更生施設を見学。(嘘でもいいからも少し真剣な顔すればいいのにねえ^^パフォーマンスなのは分かってるんだから)

  2005/02/23

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    有罪確定で、愛用の手鏡没収になったそうです(気の毒ですねえ:笑:この人テカガミストって言われてるらしいね−うまい!)。まあこの人が本当に刑法上の罪を犯したのか、それとも冤罪なのかは神のみが知るですが、大学教員たるもの李下に冠りを正さず、ポケットに手鏡を入れずです。本人は髪や服装のチェックとか言ってますけど(本当のところは知りませんが)苦しいですね。それだったらアタッシュケースにいれておけばいい話でポケットにいれることはないですからね。(どの道歩きながら身だしなみのチェックができるわけではないから。片手にアタッシュ、片手に手鏡では仮に髪が乱れていても直す手が空いていない、直せないならチェックする意味がないですね)。それに、携帯電話に下着姿の知人の女性の写真を持ち歩いていた(ゲロゲロ)というのもいただけない。これは頼んで撮らせてもらったもので違法ではないと植草氏は言ってますが、違法でなくても大学教員としてあるまじき行為なのは確かです。夫としてもダメダメでしょう。私ならこの写真一枚ですぐ離婚しますが、植草妻はなんと面会に通ってたらしいですね(5963といいますか・・夫婦ともども私には理解不可能)。まあ大学教員としては失格でも、馬鹿ではないのだから、independent scholarとして研究に復帰したら良いと思います。そのほうが冤罪を晴らすとかいうことに時間を使うよりはるかに生産的ですね。ただ、陰謀説というのはあり得ないと思います。いくらなんでもそこまでの大物ではないし(ずうずうしいよ)、仮に陰謀だったら、税金の申告漏れとか不正経理とか普通そのあたりを狙うでしょう。だって、手鏡がポケットに入ってるかどうかなんか分からないですからね(っていうか普通はいってないでしょ)。だいたい陰謀を心配してたのならなぜ手鏡なんか持ち歩いてたんですかね?

さて今年度の学院のセクハラ担当は私です。大事な子弟を預かる大学ですから疑わしきは罰しますので職員の皆様は充分気をつけてください。繰り返しますが『李下に冠を正さず、ポケットに手鏡を入れず』ですよ。

 

2006年9月15日追記

手鏡スト植草、今度は痴漢で逮捕 ^^;

やっぱりね〜そんな気がしてました。性犯罪=性癖仮説が裏づけられたような気分ですね。前のも絶対冤罪ではないし、まして陰謀なんかじゃありえないとおもってます。

 

ところで突然ですが重大な追記

私は人権擁護法案に反対しています

 

 

この法律、拙速に制定されそうな感じがしてこわいです。私はこのようなことを法律にすること自体反対ですが、どうしても必要な法律なのであれば少なくとも「差別」の中身について国民的な議論を経た上で、その内容を細かく明文化しておくべきでしょう。そうでないと、人権侵害だ!と突然人権侵害を受ける可能性を否定できません。これはカンですが、おそらく犯罪者の人権がより擁護され、まともな人が言葉狩りにあうような羽目になるでしょう。

 

2005/3/13