若い人たちには無意味でもないと思うので、やはり、書くか。
俺が2006年の5月ごろから1年ほど書き継いだブログ小説(?)に、『ササイのことで思い出した』というものがある。
当時はブログランキングのバナーなども貼り、それなりの読者を得ていた、いわば青春小説だ。
その中で《蛸山》という名前で登場しているキャラクターがいた。
本人も自覚しているとおり、よく勉強ができ、東北大学や東京芸術大学などにも籍を置いた。
どちらも卒業に至っていないのには、まあ、深い事情があるのだろうが、彼の明晰さと広い知識を否定する経歴ではない。
さまざまな紆余曲折を経て、彼は今、ある中堅出版社の営業部長兼、取締役である。
つまり、やんごとなき身分である。
彼と最後に会ったのは、2007年の初頭ではなかったかと思う。
当時はブログランキングのバナーなども貼り、それなりの読者を得ていた、いわば青春小説だ。
その中で《蛸山》という名前で登場しているキャラクターがいた。
本人も自覚しているとおり、よく勉強ができ、東北大学や東京芸術大学などにも籍を置いた。
どちらも卒業に至っていないのには、まあ、深い事情があるのだろうが、彼の明晰さと広い知識を否定する経歴ではない。
さまざまな紆余曲折を経て、彼は今、ある中堅出版社の営業部長兼、取締役である。
つまり、やんごとなき身分である。
彼と最後に会ったのは、2007年の初頭ではなかったかと思う。
その頃の俺は、本業そこそこ、かつ、前述の青春文学に燃えていた。
出版社に身を置く旧友と会うことで、何かブレイクスルーはないものかと思った。
日暮里の場末の居酒屋で飲みながら、奴は、言った。
「無名の素人で、しかもおっさんの、それも文芸の本を出す出版社なんていない」
残酷な断言だったが、それも事実かと、納得した。
それから半年ほどが経ち、原稿は未完ながら、拙著の出版のめどが立ち始めたときだろうか、奴は、書き込みの出来ないブログ──本人いわく、
「業界のかなりの人が読んでいる。影響力は『新文化』の半分くらいと自負している」という場で、露骨な批判を始めた。
戸惑った。
実は彼自身、高校時代から創作の試みは続けていて、私が物語を書くようになった直接のきっかけも、彼が握っていたくらいだ。
奴の血迷った狼藉には、長島縦もすぐに気づき、
「友達とは言えない野郎だ。縁を切れ!」とまで言った。
長島は、ああ見えて温厚な男なので、珍しい反応だと思ったことだった。
一方、蛸山は、メールベースで謝罪を言ってきたり、自身のブログで揺れた発言をしながらも、拙著のエージェント会社や版元、さらには書店さんの対応などについても、グダグダ言い続けた。
本来、
「おう、よかったな〜! 俺も書こうかな〜」で済む間柄のはずなのに。
そうとう傷ついたが、こちとらもまた、若者ではない。
一切を水に流そうかと、長島やエージェントの反対を押し切って、拙著の出版記念会への案内を送ってもらった。
返信は、エージェントが私への転送をためらうほどのものだった。
蛸山は、俺のこの度の出版にあたり、
「なんだかんだで3冊目か。運のいい奴よのう。オレは憤死する」とかなんとかいうエントリを、自身のブログに残している。
痛々しい。
こんなに陰惨なエントリを書くのもどうかと思ったが、俺が信頼するエージェントや版元を、婉曲的に侮辱するような記事を、彼自身が書いたので、それへの反論である。
見方を変えれば、あの崇高とさえ言える記事を掲載してくれた業界紙「新文化」をさえ、侮るような内容だ。
彼はすでに出版業界で、確固たる地歩を築いているようだ。
しかし、だからこそ、婉曲表現なりとも、言ってはいけないこともあるはずだ。
すべては、ブンガク崩れのオジサンどうしのヤキモチと思いたい。
自分は、絶対にそういうことはするまいと、むしろ反省させられた。
*その嫉妬を昇華させたら、ちょっと面白い本のひとつも書けるかもしれないぜ。
*旧い、敬愛していた友人に、そういう攻撃をされるのは、つらいものだ。
*きっと君は、これを読んではいないだろうが。
長島縦はといえば、たちの悪い連中に追われる日々を続けながら、公式サイトには面白い原稿を寄せてくれ、常に励ましてくれる。
俺も、奴にはいつか、応えなくてはいけないなと思っている。
出版社に身を置く旧友と会うことで、何かブレイクスルーはないものかと思った。
日暮里の場末の居酒屋で飲みながら、奴は、言った。
「無名の素人で、しかもおっさんの、それも文芸の本を出す出版社なんていない」
残酷な断言だったが、それも事実かと、納得した。
「業界のかなりの人が読んでいる。影響力は『新文化』の半分くらいと自負している」という場で、露骨な批判を始めた。
戸惑った。
実は彼自身、高校時代から創作の試みは続けていて、私が物語を書くようになった直接のきっかけも、彼が握っていたくらいだ。
奴の血迷った狼藉には、長島縦もすぐに気づき、
「友達とは言えない野郎だ。縁を切れ!」とまで言った。
長島は、ああ見えて温厚な男なので、珍しい反応だと思ったことだった。
本来、
「おう、よかったな〜! 俺も書こうかな〜」で済む間柄のはずなのに。
一切を水に流そうかと、長島やエージェントの反対を押し切って、拙著の出版記念会への案内を送ってもらった。
返信は、エージェントが私への転送をためらうほどのものだった。
「なんだかんだで3冊目か。運のいい奴よのう。オレは憤死する」とかなんとかいうエントリを、自身のブログに残している。
痛々しい。
見方を変えれば、あの崇高とさえ言える記事を掲載してくれた業界紙「新文化」をさえ、侮るような内容だ。
彼はすでに出版業界で、確固たる地歩を築いているようだ。
しかし、だからこそ、婉曲表現なりとも、言ってはいけないこともあるはずだ。
自分は、絶対にそういうことはするまいと、むしろ反省させられた。
*旧い、敬愛していた友人に、そういう攻撃をされるのは、つらいものだ。
*きっと君は、これを読んではいないだろうが。
俺も、奴にはいつか、応えなくてはいけないなと思っている。
周囲は、ほうって置けと言う。
なんだか、居住まいが悪い。
でも悲しいかな、いますよね、そういう人。
仲良かったと思っていた人が、才能や運(運も才能ですが)の「差」を知ってしまった時に、激励したり、自身も頑張ろうとせずに、貶すことしかできない、実に薄っぺらい人だった…ということは僕も何回もあります。そしてその度に、何回も心が痛みます。
人類全般だと、どちらがMajorityなんですか?わからなくなる時があります…みんながハッピーになればいいのに、と思っているのに。
しかもそれなりの立場を築いていらっしゃるなら、なおさらです。そういう人がまた、人の親だったりするので、負のDNAの連鎖が絶たれないのでしょうか。