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【本文さしかえ】20日(日)放送番組と掲載誌のお知らせ

▼4月20日(日)深夜午前1時05分~(初回は関東地区のみの放送)
TBSテレビ 『報道の魂』
「光市母子殺害事件~もうひとつの視点」
http://www.tbs.co.jp/houtama/

▼4月21日(月)発売 『AERA』(朝日新聞社)
http://www.aera-net.jp/
「現代の肖像」弁護士・安田好弘 「『悪魔の弁護人』と呼ばれて」
文・綿井健陽 写真・今祥雄

▼4月23日(火)共同通信から全国の加盟新聞社に配信予定
「光市母子殺害事件~判決が問いかけるもの」(仮)
文・綿井健陽

※24日付以降の各地方紙に掲載されます

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一足早く、19日の土曜日から広島に来ている。およそ半年ぶりに、被害者遺族の男性がその日に会見をした。それもやはり聞いておきたいと思った。

明日22日判決当日はNHKと民放各局の全社そろって、午前10時前から報道特別番組の態勢だ。今日(21日)、広島高裁の駐車場ではテレビ各局がテントを並べて速報体制のリハーサルなどを行っている。

テレビも新聞も、「死刑」と「無期懲役」、その両方のリハーサルを行っている。原稿も両方の「予定稿」を準備している。どちらの判決がでても対応できるように。

だが、被告人の元少年にとってはリハーサルはない。両方の対応はできない。判決は「いつか処刑されるか」、それとも「かろうじて獄中で生かされるか」のどちらかであると私は思っている。

この国では無期懲役に対する間違った事実が広まっている。以下のデータを見てほしい。http://www.geocities.jp/y_20_06/japanese_life-sentence00.html 被害者遺族の男性も会見で話していたが、無期懲役でも「重い」ことには変わりない。

以下は4月19日の被害者遺族の男性の会見から一部を抜粋(文責は綿井にある)。

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Q:判決が死刑、無期で大きな違いがあると思うが。それぞれの意味合いは?

22日の判決は死刑であろうとも、無期であろうとも、いずれも重い判決だと思っている。たとえば司法の観点から言えば、最高裁で無期が破棄されたものがまたもし無期判決であれば、司法に対する不信が募ると思います。遺族からすれば、人を二人殺めて、4回目の裁判になって、なぜこれほど揺らぐのか。当事者としても司法に対する不信が募る。そうした意味では無期にしても裁判官は相当悩むだろう。一方で死刑判決が出れば、日本は判例主義であるから、今後この判決によって死刑判決が増える可能性がある。どちらの判決が出ても、司法にとっては大きく意味を持つ判決。私もよく考えてその判決を消化しなければならないと思っている。

Q:弁護側の弁論内容についての感想は?

集中審理の後で述べましたが、やはり私は荒唐無稽なものと思っている。理路整然としていない点が多々あると思っている。そうした点では信じがたいと思っている。いまなお私の感想である。もし最終弁論で弁護側が述べた内容が事実であれば、私は驚きであるし、もし事実でないとすれば、なぜそうしたものが出てきたのか非常に関心がある。それは被告自身が述べたことなのか、それとも弁護士の方々と相談して述べたことなのかということは未来永劫わかりませんが、私が死ぬまで疑問が残ることになると思っている。

Q:被告はこの法廷で話したが、この公判では真実が明らかにならなかったという思いはあるか?

いやそうではなくて、広島高裁で22日に判決が下されますが、そのときに裁判所は弁護側と検察側の一つ一つ細かな検証をされて、一つ一つ判示すると思います。それを私は真実だと思って生きていくと思います。もしそこに弁護側が主張していることとかけ離れていたら、そこに憤りを感じるかもしれない。

Q:もし無期判決でも、それが真実であると受け止めるか?

それしか私には術はないと思うので、そうせざるを得ないと思います。

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弁護側の最終弁論は私も読んだ。

あまりこういった言い方はしたくないが、だが私もこれまで一年間この事件の裁判の取材をしてきた者として、何らかのリスクは背負わなければならない。

もし被害者遺族の男性の言うように、弁護側の主張が「荒唐無稽」であると裁判所が同じように認定した場合、なおかつ検察側の最終弁論で述べられている「当審における審理の結果によっても、被告人につき死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情は、これを一切見出すことができない」と裁判所が同じように判断した場合は、私はこれまでの取材などで書いたこと、発表してきたことなどの責任を取って、すべてのジャーナリスト活動から身を引くことにした。

僕もそれぐらいのことを背負う覚悟はある。

しかし、どんな判決が出されるかは本当にわからない。元少年へ4月16日に僕が送った手紙には、「正直、判決の予想はできない。けれど大丈夫。今まで僕はずっと『事実認定の部分がどう判断されるか、されないのかが重要』とほかの人たちに言ってきた。そこから考えれば大丈夫だ」と最後に書いた。

被告人、弁護人、検察、裁判所、被害者遺族の男性など、「誰を」信じるかの問題ではない。「何を」法律に照らし合わせるかという基準で僕は考えている。

これまで僕がこの裁判に関して書いてきた雑誌原稿や本などは以下。「月刊現代」など、できれば判決後であっても読んでほしい。 http://www1.odn.ne.jp/watai/

それでは皆さんさようなら、いやできればまた会いましょう。

2008年4月21日午後8時35分、広島にて。 綿井健陽

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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
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2008-04-20 15:24 
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