2008.04.20
《冬眠熊のアクビ》音楽っていいですね!
相変わらずです。
この数か月、寝るときは必ず吉田拓郎をiPodで聴いています。必ずです。
でも、起きてボーッとしているときは色んなミュージシャンの楽曲を聴いています。矢沢永吉はいうまでもありません。矢沢さんについて語り出すと止まりません。
長渕剛には一時ハマりましたが、何のかんのといいながら、彼の歌には魂があります。コンプレックスから抜け出そうともがき、無理をしながら、そして強くあろうとする弱い人間の叫びです。私は長渕剛のそこに共感すると同時に、反発もしながら聴いているのです。何故なら私も弱い人間のくせにツッバラかって生きているからです。聴いていて時には辛いけど共感もできる好きなミュージシャンです。
ちなみに私は長渕剛が空手の試割用の杉板に左手で書いた書画を持っています。日本に2つしかないという代物です。ひとつは松井章圭が持っているはずですが…。何故、私が所有しているのか? 理由は内緒です。ただ長渕剛は私たちの著書「大山倍達正伝」を読んでから私のファンだといわれました。
中島みゆきは最近、卑弥呼か菩薩様のように神々しく思えてなりません。松任谷由実は40年近く前からずっとカッコいい天才です。私の友人が浜田省吾のファンです。彼は下積み時代が長く、コマーシャリズムに乗った「悲しみは雪のように」でブレイクしたので、一般的にラブソングバラードの歌い手のように思われています。しかし浜田省吾は元々、西岡たかしや岡林信康に連なる骨太なプロテストフォークの騎手でもあります。彼の歌にも魂が踊っています。
そういえば岡林信康は、いまだ健在です。「フォークの神様」はまさに生き神様として相変わらず魂をぶつける歌を唄っています。
あのチューリップが解散しました。少し遅すぎる解散です。彼らはもう既にプロのミュージシャンではなくなっていました。何故なら彼らの演奏には魂のカケラも感じないからです。昔が懐かしいです。「心の旅」を聴きながら何度泣いたことでしょう。
そうです。私は何故か音楽を聴いていて感動すると自然と泣けてしまう女々しい人間です。
最近、あまり海外のミュージシャンは聴かなくなりました。でもたまには聴いています。ボブディランもブルーススプリングスティーンも、ローリングストーンズも…。昨年、60歳記念LIVEを日本武道館でやったエルトンジョンはやはり最高でした。ピアノだけで2時間半、否3時間も唄い続けました。彼は世界トップクラス、いやNo.1のミュージシャンです。
海外といえばこの数年、特にアメリカではヒップホップが全盛です。ラップはアメリカ人、何よりもアフリカ系の人たちのモノです。日本人が外見だけ真似しても、それこそまさに「猿真似」です。ネリー、ブラッドアイドピース、シアラ、エイコンが好きです。白人ですが、エミネムは何だかわからないのに涙が溢れてきます。
そういえば、アメリカンロックの新星、シーザーはいいです。「ブロークン」がヒットチャートNo.1を記録しましたが、今後も注目すべきミュージシャンです。リッキンパーク、フーバスタンクなど若手の台頭は頼もしいのですが、昔のドゥビーブラザーズやイーグルスのようなアメリカっぽい泥臭さが消え、いつの間にかブリティッシュロックに近づいているのが少し寂しい気がします。
イギリスではいまもU2やR.E.Mが頑張っています。でもロッドスチュワートやデビットボウイも渋く活躍しています。
海外の女性ミュージシャンといえば、伝説の女性ロッカー、ジャニスジョプリンに尽きるのですが…。私は元々マドンナは好きではありませんでした。でもブリトニースピアーズや特に最近ではグエンステファニーが凄くカッコいいです。
話は尽きません。
私の悪い癖で、ミュージシャンに対して本当は嫌いじゃなく、好きでよく聴いているのに何故か批判が先になってしまうところがあります。とはいえ、やはり現在の日本のJポップの95%は屑と断言します。パクリとコマーシャリズムに毒された日本の音楽界はもはや末期的です。
私は20年どころか30年、40年と走り続けているミュージシャンが好きなのです。何故なら、まやかしや上っ面だけでは生き残れないのがこの世界だからです。
その点、空手家は楽なもんです。数年間の現役を引退したら、ずっと師範とか呼ばれて過去の名声だけで生き残れるんですからね。ある団体などは空手の「か」の字くらいしら知らずに、親が高名な空手家だったという理由だけでトップの座に安住できるのですから(そういう流派・団体は多いんです。伝統派から新興流派まで履いて捨てるほどです)。
また例えば極真空手各団体(何も極真空手に限ったことではありません。伝統派も酷いものです)の支部長の多くが、特に新極真会が目立つのですが、まるで力士にでも転向したかのような不健康な肥満になり果てているのはいったい何故なのでしょうか? 私もそんなこといえる身分では毛頭ないのですが…。
極真空手の指導者がただのデブでいいのか!? 「極真空手」ではなく「新極真空手」ならば相撲転向も許されるというのでしょうか…。
でも、少しは盧山初雄や大山泰彦を見習ったらいかが! といいたくなります。
あまり批判するのは止めましょう。私はいま《冬眠中》なのですから。
また今日も吉田拓郎を聴きながら寝ます。
矢沢永吉とは対照的、ゆっくりと自分のスピードとリズムで走り続ける吉田拓郎。
(了)
この数か月、寝るときは必ず吉田拓郎をiPodで聴いています。必ずです。
でも、起きてボーッとしているときは色んなミュージシャンの楽曲を聴いています。矢沢永吉はいうまでもありません。矢沢さんについて語り出すと止まりません。
長渕剛には一時ハマりましたが、何のかんのといいながら、彼の歌には魂があります。コンプレックスから抜け出そうともがき、無理をしながら、そして強くあろうとする弱い人間の叫びです。私は長渕剛のそこに共感すると同時に、反発もしながら聴いているのです。何故なら私も弱い人間のくせにツッバラかって生きているからです。聴いていて時には辛いけど共感もできる好きなミュージシャンです。
ちなみに私は長渕剛が空手の試割用の杉板に左手で書いた書画を持っています。日本に2つしかないという代物です。ひとつは松井章圭が持っているはずですが…。何故、私が所有しているのか? 理由は内緒です。ただ長渕剛は私たちの著書「大山倍達正伝」を読んでから私のファンだといわれました。
中島みゆきは最近、卑弥呼か菩薩様のように神々しく思えてなりません。松任谷由実は40年近く前からずっとカッコいい天才です。私の友人が浜田省吾のファンです。彼は下積み時代が長く、コマーシャリズムに乗った「悲しみは雪のように」でブレイクしたので、一般的にラブソングバラードの歌い手のように思われています。しかし浜田省吾は元々、西岡たかしや岡林信康に連なる骨太なプロテストフォークの騎手でもあります。彼の歌にも魂が踊っています。
そういえば岡林信康は、いまだ健在です。「フォークの神様」はまさに生き神様として相変わらず魂をぶつける歌を唄っています。
あのチューリップが解散しました。少し遅すぎる解散です。彼らはもう既にプロのミュージシャンではなくなっていました。何故なら彼らの演奏には魂のカケラも感じないからです。昔が懐かしいです。「心の旅」を聴きながら何度泣いたことでしょう。
そうです。私は何故か音楽を聴いていて感動すると自然と泣けてしまう女々しい人間です。
最近、あまり海外のミュージシャンは聴かなくなりました。でもたまには聴いています。ボブディランもブルーススプリングスティーンも、ローリングストーンズも…。昨年、60歳記念LIVEを日本武道館でやったエルトンジョンはやはり最高でした。ピアノだけで2時間半、否3時間も唄い続けました。彼は世界トップクラス、いやNo.1のミュージシャンです。
海外といえばこの数年、特にアメリカではヒップホップが全盛です。ラップはアメリカ人、何よりもアフリカ系の人たちのモノです。日本人が外見だけ真似しても、それこそまさに「猿真似」です。ネリー、ブラッドアイドピース、シアラ、エイコンが好きです。白人ですが、エミネムは何だかわからないのに涙が溢れてきます。
そういえば、アメリカンロックの新星、シーザーはいいです。「ブロークン」がヒットチャートNo.1を記録しましたが、今後も注目すべきミュージシャンです。リッキンパーク、フーバスタンクなど若手の台頭は頼もしいのですが、昔のドゥビーブラザーズやイーグルスのようなアメリカっぽい泥臭さが消え、いつの間にかブリティッシュロックに近づいているのが少し寂しい気がします。
イギリスではいまもU2やR.E.Mが頑張っています。でもロッドスチュワートやデビットボウイも渋く活躍しています。
海外の女性ミュージシャンといえば、伝説の女性ロッカー、ジャニスジョプリンに尽きるのですが…。私は元々マドンナは好きではありませんでした。でもブリトニースピアーズや特に最近ではグエンステファニーが凄くカッコいいです。
話は尽きません。
私の悪い癖で、ミュージシャンに対して本当は嫌いじゃなく、好きでよく聴いているのに何故か批判が先になってしまうところがあります。とはいえ、やはり現在の日本のJポップの95%は屑と断言します。パクリとコマーシャリズムに毒された日本の音楽界はもはや末期的です。
私は20年どころか30年、40年と走り続けているミュージシャンが好きなのです。何故なら、まやかしや上っ面だけでは生き残れないのがこの世界だからです。
その点、空手家は楽なもんです。数年間の現役を引退したら、ずっと師範とか呼ばれて過去の名声だけで生き残れるんですからね。ある団体などは空手の「か」の字くらいしら知らずに、親が高名な空手家だったという理由だけでトップの座に安住できるのですから(そういう流派・団体は多いんです。伝統派から新興流派まで履いて捨てるほどです)。
また例えば極真空手各団体(何も極真空手に限ったことではありません。伝統派も酷いものです)の支部長の多くが、特に新極真会が目立つのですが、まるで力士にでも転向したかのような不健康な肥満になり果てているのはいったい何故なのでしょうか? 私もそんなこといえる身分では毛頭ないのですが…。
極真空手の指導者がただのデブでいいのか!? 「極真空手」ではなく「新極真空手」ならば相撲転向も許されるというのでしょうか…。
でも、少しは盧山初雄や大山泰彦を見習ったらいかが! といいたくなります。
あまり批判するのは止めましょう。私はいま《冬眠中》なのですから。
また今日も吉田拓郎を聴きながら寝ます。
矢沢永吉とは対照的、ゆっくりと自分のスピードとリズムで走り続ける吉田拓郎。
(了)
samurai_mugen at 07:32
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