My History

■バレントとの出会い:1999年・・夏

私がカヤックを所有しようと思ったのはほんっとちょっとした好奇心でした。学生時代からアウトドアを趣味にしてきて、普通のキャンプだけのアウトドアから脱却したいな・・・と思っていた頃。

当時勤めていた会社の先輩に連れて行ってもらったカヤックを思い出す。

しかし貧乏社会人な私に新品で30万前後もするような艇をぽんっと買えるだけの資金なんてございません。必死に中古の流通を探しました。

当時、インターネットじゃまーるという雑誌があってネット上での個人売買とかが行われていました。まあ、それが今のヤフオクとか楽天とかに引き継がれていくのですが。

そこで私が出した「買いたい!」の掲載に応えてくれたのがこの艇の前オーナーであり、現在にいたるまで良き仲間の一人であるスリー氏。このときは長い付き合いになるとは思いもしませんが。

購入した艇は今でも多くのファンが残るファルフォークの名艇バレントです。当時としては画期的な吊るしタイプのシートや今の艇には見られない強度のある船体布。ほんっといい艇です。

しかしそんな事はまるで知らない当時の私。女の子を誘うには二人乗りでないと・・・・・なんて浮ついた事しか考えていなかったのでした。

2003年1月12日松戸市長杯にて

■本栖湖で一人で漕ぐ

購入当初は当然仲間などいません。それまで一緒にアウトドアをしていた仲間もカヌーなんて持っていませんから、一人で練習するしかないんです。

流れのある川が危険だし、回収が面倒くさい・・・ってのはなんとなく感じていたのでもっぱら一人の練習は湖です。

湖つったって私が住む東京都周辺にはお世辞にもキレイって言える湖はありません。

相模湖とか津久井湖なんて水遊びするところではない・・・って認識です。

しょうがないから富士五湖に向かいます。

道志道をひた走り津久井から山中湖へ。どうして東名高速を使わないかって?・・・・言うと警察のお世話になってしまうので言えません。(笑)

東京から一番近い富士五湖の玄関口山中湖・・・・でもそこは遊船とかモーターボートの天国でとてもじゃないがカヌーで漕いで楽しいフィールドには見えません。

次いで河口湖・・・ここもまあ山中湖と似たり寄ったり。観光地化されすぎちゃってます。

次いで西湖、精進湖・・・ここはまあまあですが、バスボートがけっこう出ていたり、ちょうど出艇したい場所でキャンプされていたりでイマイチ・・・・

残るは富士五湖のはずれにある本栖湖。ここでだめならどうしよう・・・・と思いつつも湖畔にそって一周してみます。

そして見つけたのが小さな入り江。艇を組み立てるにおあつらえむきの浜もあります。

車が入り込めないのが幸いして発動機付きの連中は姿が見えません。

それからしばらくの間、私はここをホームグラウンドとするのでした。

■初めての川下り・・・そして初めての事故

バレントを購入してしばらくして 今日も参加しているMLに加入し、初の川下りである那珂川に挑みます。

会社の先輩に遊ばせてもらったポリ艇での経験を抜けば初めて体験する流水です。はっきり言ってどきどきものです。

まあ、湖でいやってほど漕いでいたので なんとかかんとかついていけます。・・・・が、川の流れなど見えていない当時のわたし。はっきり言ってへっぴり腰以外のなにものでもございません。^^;

そのツアーで私は初めてのラップ事故を目の当たりにします。

このMLでは実に2企画続けての事故になり、後にメンバーから話を聞くと「こりゃとんでもないところに来ちゃったものだ」と思ったとか。

最初にPIZZさんのカナディアン。これは気田川にて轟沈・・・・そして続いて私のバレント。

これは那珂川にて大破。でもまあ、どちらも人命に関わる事故ではなく 不幸中の幸いでした。

バレントの救出に加わっていただいた皆様。ありがとうございました。

■決断

前述からここに至るまでには実はまだまだ色々あるのですが、長ったらしくなるので割愛します。

2002年5月に参加した気田川ツアー。これにバレントにて参加した私はタンデム艇の限界を感じます。

気田川ってのは谷あいを流れる天竜川の支流で、かなり曲がりくねったくせのある川です。

直角に近いカーブを描く流れがしばしば現れ、正確な艇のコントロールが必要です。

そんな気田川に対して5メートルを越すバレントにしかも一人で乗る私はコントロールに苦しみます。

カーブでは曲がりきれずに何度か岩に激突しかかるし、流れの中で艇の向きを変えようにも流れに負けて意図しない方向に流れていきます。まあ、私のヘタクソさのせいもあるのですが。

ツアーの二日めは色々と工夫してみました。コーナーへの進入時、その手前から艇をスライドさせるように、バウを曲がった後の進行方向に向けて行きます。車で言うドリフト状態です。

膝を艇のフレームの隙間に固定してバランスを取って横波を超えつつ必死になって漕いでいくとなんとか激突を逃れ瀬をすり抜けていきます・・・・・・が、とても疲れるしなんと言っても「なんか本来の楽しみから逸れてないか?」っていう疑問が頭の中をよぎります。

そんな私は帰宅の後、奥さんに交渉を始めます。「中古でいいから一人乗りの艇がほしいんだよな・・・」

■背中を押す人、押された人

背中を押された人とはつまり私であります。そして押した人ってのはその後物欲の師匠と呼ぶ人 ラスカルさんその人であるのです。

前述の通り、私は中古の艇をネットをメインに探します・・・・が艇についての知識のない私にはどれがどんな艇なのかよくわかりません。

しょうがないから神田のミナミに行き、商品を物色しつつ艇についての知識を仕入れて行きます。その知識を元に中古艇を探そうかな・・・・と思っていたらミナミの清水店長にある艇を進められます。

それは私の「とにかくよく曲がる艇が良い」というリクエストに応えるものでした。

まあ、一通り説明を聞くとフジタという日本のメーカーの製品で「PE-1 375Sperior」という艇でした。

フレームは丈夫なFGP(ファイバーグラスポール)という素材で作られており、軽量且つ現状で最強の強度を誇ります。

また、艇の組立もバレントの40分に対して半分以下のおよそ15分。

「ほ・・・・ほっしいいいいいい」私の頭の中はもう目の前の新商品でいっぱいです。

もう眩暈で脚までふらふらです。^^;

でも、「予算はあくまでも中古品だから・・・・」と思いとどまり、小物を買って帰ろうとフロアを移動したんです。でもその時大人しく帰っていれば・・・・私はスペリオを買っていなかったのかもしれません。

小物が並ぶフロアに移動した時そこにいたのはなんと両手に清算を済ませたばかりの商品を抱えたラスカルさんでしす。

艇を見に来た旨を説明しながら未練を断ち切ってきたはずのスペリオの前に立つ私・・・・・そしてその耳元に囁かれる悪魔の声「これはお買い得ですよ」「今買えば次のツアーに間に合いますよ」

私の思考回路はそうやって麻痺させられ・・・・・10分後には自宅で帰りを待つ奥さんに交渉の電話をかけていました・・・・・

その悪魔の囁きの張本人は・・・説明するまでもないですね。

2002年7月スペリオの処女航海

奥利根湖にて