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「韓流」は存在したのか?

27日、慶熙大と米ペンシルバニア大がシンポジウム

 「韓流は『韓流』というその名前が消え去ったとき、はじめて生き残れる」‐。韓国芸術総合学校のイ・ドンヨン教授はこう指摘する。

 韓流ブームはいつしか東アジアから世界へと広がっていた。イラン人がテレビの前で『宮廷女官チャングムの誓い』(原題『大長今』)に熱狂し、インドのマニプル州に住む若者は韓国語の単語を隠語として使っている。韓流は世界の文化地図を変える1つの事件だったという評価も聞かれるが、今こそ民族的情緒の垣根を越え、世界と交流する方向へと脱皮しなければならないと訴える声も根強い。

 慶熙大と米ペンシルバニア大が27日午後、慶熙大で開催する「韓流の日シンポジウム:韓流から新韓流へ」は、韓流の未来と新しい可能性を考える場だ。慶熙大ではシンポジウムに続いて、韓国の伝統的な食事、遊び、衣装などを体験できる「韓流文化体験」や伝統舞踊のプチェチュム(扇踊り)、ブレークダンス、韓国伝統舞踊であるサムルノリをベースにしたミュージカル「ナンタ」、歌手のコンサートなどで構成された「韓流の光」というイベントを開催する。

 27日のシンポジウムで、イ・ドンヨン教授は「韓流の停滞性と世界の中の韓流」と題した発表で、「韓流はセンセーショナルな文化現象として永続することはなく、結局2つの道から方向性を選ぶことになる」との見方を示す予定だ。イ教授が示した第1の道は、香港の大衆文化のように一定期間アジア全域に文化的シンドロームを巻き起こした後、忽然と消える道。第2の道とは、漫画、アニメ、映画、ドラマで無国籍性をアピールし、今でもアジア人の日常に自然に溶け込んでいる日本の大衆文化が歩んだ道だ。 つまり、アジアの大衆の日常的なライフスタイルに浸透することが必要との指摘だ。

 小説家の孔枝泳(コン・ジヨン)さんは「文学韓流に関する断想」というテーマの発表で、「韓流」の「流」とは、「せき止めれば止まり、満ちればまた流れ、流れがなくなればしみ込み、あふれれば激しく流れるものだが、いつもあるがままの事柄を認め、一番低い場所に流れ着く知恵だ」と主張する。

 イデオロギー対立や貧富の差、経済発展と民主主義、民族差別と情報技術というように、複雑で矛盾する問題の中から文学と芸術の力、強いエネルギーとコンテンツの源泉が現れるという見方だ。

 一方、ハリウッドリポートのマーク・ラッセル記者は「ゾンビウェーブ-すでに死んだものを殺すことはできない」と題した発表で、「韓流は存在したことはない」と冷静な見方を示す予定だ。同氏は韓国に特別な何かがあったのではなく、大衆文化に端を発する世界概念を最も早く受け入れたアジアの国だったにすぎないと指摘する。

 同氏は、アジア全域の大衆文化創作者が過去10年間に韓国から学んだものに追随し始めたとし、成長と発展がないまま油断していれば、韓流は消え去る可能性があると警告している。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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