『靖国 YASUKUNI』は映画と呼べるのか

公開しない自由か、弾圧か

高埜 智(2008-04-04 14:30)
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 映画『靖国 YASUKUNI』の上映を忌避する映画館が出てきている。以前、稲田朋美議員がこの作品に支払われる助成金について取り上げていたが、この助成金の件について、有村治子・参議院議員は、参議院内閣委員会で文化庁次長である尾山眞之助氏を参考人として招致した。

 この時の質疑応答の内容は公開されていない。したがって、産経新聞の阿比留氏のブログ記事を参考にせざるを得ないのだが、これによれば、この「靖国 YASUKUNI」がいかに映画としての体をなしていないかがよくわかる。(参照:阿比留瑠比さんのブログ 4月1日のログ)

 まず、映画の宣伝においてはトップページとも言える、パンフレットの表紙に使われている自衛官の写真。この被写体である自衛官はこの作品のパンフレットに使われることを一切知らされていなかったという。

 さすがに盗撮したわけではないだろうが、自分の写真が勝手にメインモチーフとして使われていたら誰だって驚くだろう。ここら辺はさすが、肖像権や著作権を全く気にしない中国らしいやり方だ。

 次に、3人のメインキャストのひとりとして名前が載せられている「靖国刀」の作者・刈谷直治氏は、もともとこの作品のストーリーとは全く別の内容で取材を受けていたばかりか、メインキャストとして名前が載せられることすら知らなかったという。このことを知ってからは当然、キャストから外し、自分が取材を受けた部分の削除を求めているが、本人の意思を無視して未だに削除されていない。

 さらに、そもそも靖国神社に撮影の許可を取らないまま境内を撮影したり、靖国神社の御神体は「鏡」であるにも関わらずこの作品内では靖国刀を「御神体」として描写していたりと、ドキュメンタリーなどと騙るのも愚かしいほど嘘が多い。

 この程度のものをドキュメンタリーと呼ぶのであれば、近日公開される『クローバー・フィールド』というフィクション映画のほうが、よっぽどドキュメンタリーっぽく映ることだろう。

 残る2人のメインキャスト、高金素梅氏と菅原龍憲氏は現在、靖国神社を訴えているという。靖国神社を訴えるなどということは、普通の左翼にだってなかなかできたことではない。そのような人物がメインキャスト3人のうちの2人、3分の2を占めているのだ。

 特に高金素梅氏はこの作品以前からも靖国神社に対し批判的なことで有名な人物である。メインキャストがこの2人だけだと反日映画であることが丸わかりだから、刈谷直治氏の名前をとってつけた、と見るのはうがち過ぎだろうか。

 こうやってできた反日作品を、左翼団体「9条の会」のメンバーを含む「委員会」が選定し、助成金を出すと決定した。一体どんな「審査」をしたというのか。これほどまでに思想が偏っているメンバーだけでことが進み、税金が使われることになったことに対して、これを適正だなどと思う国民は一人もいないだろう。

「靖国 YASUKUNI」は素人のホームビデオ?

 たとえて言い換えると、こういうことになる。

 日本を悪の結社だと思い込んでいる外国人がある日、ホームビデオを持って日本の公園の滑り台を撮影し、それを「悪の秘密基地だ」と解説し、そこで滑っている子供を勝手に撮影して「奴はその悪の組織のメンバーだ」と呼ぶ。さらに滑り台の近くを歩いていた人をその悪の組織のボスと思い込み、そのホームビデオのタイトルに大きく載せる。もちろん公園の使用許可は取っていないし、歩いていた人と子供の肖像権も当然無視だ。そうやって完成させたものを「映画」として助成金を申請してみたら、文化庁の中にも同じ妄想を持っている人がいたおかげで、文化庁は「良い映画」として申請を受諾した。こうして日本人のことを大嫌いな外国人に、日本人の税金が支払われることになった。

 私自身の目で見たわけではないが、事実確認もまるでできていない、素人のホームビデオのような映像を「映画」として申請した可能性があるのだ。この程度のホームビデオを「映画」と呼べるかどうかは人によって見方が違うにせよ、助成金の対象として、国の機関が認めたというプロセスは注目されていい。日本の法律を無視して作った作品を放映しようとしているのだから、問題になってもおかしくはない。

 そしてそのような思想の偏った「問題作」を放じれば、映画館では将来的にどのような影響が出てくるかわからない。そういった不安を抱えるくらいならば放映しない、という選択肢を選ぶことは全く不自然なことではない。

 左翼的言説と親和性の高い一部の大手メディアや反日団体は、こぞって、これを「弾圧」と叫ぶ。

 しかし、日本には「放映しない自由」はあれども、「放映しなくてはならない義務」はない。これを強制することこそ「強制」であり、経済の原則を無視した行動と言わざるをえない。

自由に満ち溢れている

 いくつかの映画館で上映が見送られたことで、一部メディアは「表現の自由の弾圧」などと書きたてている。日本にはプロパガンダをしてもいい「自由」があるし、プロパガンダを非難する「自由」もある。その非難を弾圧だと非難し返す「自由」もあるし、その弾圧を思想の偏った不特定多数の集団のせいにしても逮捕されない「自由」がある。

 これほどまでに「自由」に満ち溢れた日本のどこをみて「言論統制」だなんて言葉がでてくるのかが不思議でならない。それならば、中国のような状況は一体なんと表現するのか、ぜひ尋ねてみたい。

 理想郷という幻想を未だに追い求める哀れな共産主義者たちは、その自らの妄想が真実であると自らに言い聞かせるように、目の前にある現実を必死で否定する。

 一番の問題は、大手メディアの一部が追随しているということだろう。

 「映画館に右翼団体からの圧力があった」と報じたのは、記者が見た限り、大手では朝日新聞1社のみだった。圧力をかけた団体が本当に「右翼」だったかどうかの証拠は無い。街宣車で騒音を撒き散らす「街宣右翼」と呼ばれる「自称右翼団体」の多くが、右翼の印象を悪くするための左翼団体といわれている。新聞記者は見た目だけで右翼か左翼かを判断できたのか。

 脱線するが、以前プリンスホテルで日教組が集会を開けなかったことがあった。これは言い直せば「プリンスホテルが左翼からの圧力に屈しなかった」とも言える。右翼からの圧力は嬉々として報じ、左翼からの圧力は全く報じず、それに屈しなかったことを左翼メディアが「弾圧」と報じるのだから世話が無い。

 日本を中国の省のひとつにしたいと願い、それを実行に移そうとする「自由」も日本にはあるが、あなたがそれを願っていないのであれば、こういう事態については安易に「言論の弾圧」などというメディアの発する言葉に流されず、自分の確固たる意思でよく考えたうえで判断していただきたいと思う。

 この作品は当初予定していた6つの映画館での上映は見送られたようだが、新たに大阪と京都の映画館では、5月以降に上映する方向で調整しているようだ。

 それらの映画館に圧力をかけることは決してよくないが、この映画に異議を唱えたい方はぜひ、「映画を見ない」という方法で反対の意思を示していただきたいと思う。思想的に偏ったものでは利益が上がらないと映画館が理解すれば、このような「ホームビデオ」が、有料で上映される機会は必然的に減るのだから。


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