念のため、科学とニセ科学とグレーゾーンについて

ascii.jpのインタビューや香山さんとの対談などで「二分法思考」の危険性について改めて話したので、たぶん、またしても「そういう菊池も科学かニセ科学かという二分法ではないか」などと言われたり書かれたりしてしまうのでしょう。言うのも書くのも勝手ですが、念のため、もういちど「グレーゾーン」について書いておきます。
 
もちろん、このブログをご覧のかたがたは、これまでに「グレーゾーン問題」に関する長い長い議論があったことはよくご存じだと思います。
僕に限らず、現行の「ニセ科学批判」では、「科学とニセ科学のあいだにはグレーゾーン(それも、たぶん非常に広い)があり、線引きはできないし、してもしかたがない」という認識を共有しているし、また、そういう話を積極的にしてます。
科学哲学の分野でそれに相当するのが伊勢田さんに代表されるベイズ主義です。伊勢田さんがベイズ主義の本を書かれた時期と僕たちがグレーゾーンを前提としてニセ科学批判を積極的にやりはじめた時期が近いのはまったくの偶然なのですが、もしかしたら、時代の要請のようなものなのかもしれません。
それに対して、大槻先生に代表される「少し前の疑似科学批判」では、この点があまり重視されてこなかったような気がします。
 
まあ、そんなわけで、「ニセ科学批判者も科学とニセ科学の二分法ではないか」という言説を見かけたら、それが相手にしているのは少なくとも僕たちではないのだ、と理解しておいてください。
 
グレーゾーン問題はこれからますます重要になると思います。

― posted by きくち at 10:03 pm commentComment [78] pingTrackBack [0]

この記事に対するコメント[78件]

1. トンデモブラウ — April 7, 2008 @08:39:50

ああ、やっぱり、グレーゾーンをグレーと認識するのは専門家だけでいいと思うのですけど。
 
我々一般人は、簡単な二分法で「ああ、やっぱり、この説明はニセ科学なのだなあ。騙されないゾ。」というのが安全。
科学の海岸を目指して暗黒の海原へ、黒い崖から飛び降りたばかりのものも、もう白い海岸から這い出るばかりのものも、ひっくるめて認めないという方式。
そのグレーゾーンのものが正しい海岸の方向に向かっている(科学の範疇から外れていない)と認識するのは、同じ海を同じ方向に泳いでいる科学者だけで十分。

Owner Comment きくち  April 7, 2008 @08:56:57

僕は思いません。
 
わからないことを「わからない」と認識できない人たちが911陰謀論とかになってしまうわけですよ。
黒いものは黒いが黒くないものが白いとは限らない、というのは重要だと思います。
 
むしろ、グレーゾーンがあるという事実から「ダメな相対主義」に行ってしまう人がいるのが問題ではないですかね

3. 技術開発者 — April 7, 2008 @08:49:26

こんにちは、皆さん。

 悪徳商法批判をしていた頃に、「茸狩りのたとえ話」という事を言っていました。山に入って色んな種類の茸を採るなら、「食べておいしい茸」というのを覚えてから山に入って採れば良くって、「食べたら食中毒を起こす茸」を覚えて山に入って、「これは知っている毒茸じゃないから採ろう」とするべきではないなんて話です。

 私なんかは山の子ですから、子供たちだけで山に入って茸採りをした経験もあるんですね。でもって、子供のことですから「わからない茸」というのもみんな採って帰る訳です。でもって、その頃の田舎には、もう田んぼに出られないくらいに弱った老人がひなたぼっこしながら、紐を引っ張って空き缶を鳴らして雀を追ったりしていますので、その爺さんのところに持っていきまして、「食べておいしい茸」を選んで貰うわけですね。その爺さんの鑑定というのは非常にスッキリしていまして、「食べたことがある」を基準に食べる茸を選ぶわけで、「中った事がある」なんぞ基準に排除する訳ではないんですね(考えてみると当たり前ですが)。

なんとなく、現代というのがそういう「グレーゾーンを安全な方に排除する」というノウハウが失われている気がするんですね。なんていうか、それは飢饉の年で、「食えるなら何でも食わなくてはならない」という時なら、グレーゾーンに踏み込む必要もあるんでしょうが、単なる「秋の楽しみ」としての茸狩りなら、私はその爺さんの鑑定で充分だと思っています。

Owner Comment きくち  April 7, 2008 @09:32:08

たぶん似たような話なのですが、「科学としてはグレー」なものをあたかも「白」であるかのようにして商品化すると、やっぱり「ニセ科学商品」ですよね。

Up5. トンデモブラウ — April 7, 2008 @09:30:10

ああ、やっぱり。

でも、
  
『わからないことを「わからない」と認識できない人たちが911陰謀論とかになってしまうわけですよ。
黒いものは黒いが黒くないものが白いとは限らない、というのは重要だと思います。
 
むしろ、グレーゾーンがあるという事実から「ダメな相対主義」に行ってしまう人がいるのが問題ではないですかね』
 
なら、グレーゾーンを(白っぽのも)全てひっくるめて黒と思いましょうという私の意見に近いのではないでしょうか。
技術開発者さんの「グレーゾーンを安全な方に排除する」というノウハウにもマッチするし。
違うのかな?

Owner Comment きくち  April 7, 2008 @09:49:26

キノコの例えは、グレーだと認識したうえで、「白ではないから使わない」ってことではないですか。
 
たぶんね、使うかどうかに関していうなら、「白くなければ使わない」にしとけってことが、多くの場合にうまくいくんです。
ただ、それが社会全体で常にうまくいくかというと、必ずしもそうではない場合があって、グレーなものをがんばっていろいろ考えて意志決定しなくちゃならないことは多々あるはずなんです。その話はいわゆる「予防原則」につながると思うのですけど。

7. e10go — April 7, 2008 @10:40:25

>トンデモブラウさん
>なら、グレーゾーンを(白っぽのも)全てひっくるめて黒と思いましょうという私の意見に近いのではないでしょうか。

新型インフルエンザが流行れば、「タミフルは服用後の異常行動がグレーゾーンだから治療に使わない」という訳には行かないでしょう。

「グレーゾーンだから黒と同じ」と判断してそこで思考停止して済む問題ばかりじゃありません。
技術開発者さん、も言っているように、
>なんていうか、それは飢饉の年で、「食えるなら何でも食わなくてはならない」という時なら、グレーゾーンに踏み込む必要もあるんでしょうが

「グレーゾーンの物を使う『メリット』と『考えられるデメリット』を比べて『メリット』が勝るなら採用する」という判断をせまられる事もあるでしょ。
それには、なるべく正確な知識を習得して、知識の枠を広げる事が必要でしょう。

8. トンデモブラウ — April 7, 2008 @10:55:07

>e10goさん ― April 7, 2008 @10:40:25
『新型インフルエンザが流行れば、「タミフルは服用後の異常行動がグレーゾーンだから治療に使わない」という訳には行かないでしょう。
「グレーゾーンだから黒と同じ」と判断してそこで思考停止して済む問題ばかりじゃありません。』

ちょっと違うなぁ。 
グレーゾーンの判断やリスク・マネジメントに関して、全て個人で判断しなくてもすめばそれに越したことはないと思うのですよ。
知識の幅を広げる必要は否定していないのですが、ただ、一般人すべてに求めなくてもいいじゃん、ということです。
専門家がしっかりグレーゾーンの度合いを理解してれば十分。

Up9. 技術開発者 — April 7, 2008 @11:13:30

こんにちは、皆さん。

 なんとなく「お遊び」と「真剣」の対応に逆転が起こっている感じを受ける訳です。なんていうか、茸狩りなんてのは多くの場合「お遊び」だから、グレーゾーンの茸には手を出さない訳です。秋の日に紅葉とかも楽しみながら山歩きをして、茸ばかりじゃなくてアケビとかすぐりの実とかも採りながら一日楽しんだ後に、「収穫、収穫」と茸なんかも楽しむ訳ですから、変な茸でちょっと腹をこわしても、その楽しみが台無しになりそうなので、グレーゾーンには手をださない訳ですね。逆に本当に飢えている、つまり真剣な状態なら多少怪しくったって食うかも知れませんね。食わないと飢え死にするからね。

 そういう意味では、例えば怪しげな健康食品とかは逆に「お遊び」だから手を出すという事が起こっている訳ですね。多くの人がせっぱ詰まっている訳ではないんです。「血圧下げないと近いうちに死にます」と言われて、「血圧を下げる効果がありそうな健康食品」に手を出す訳ではないのですね。そういう人はちゃんと医者で降圧剤を処方して貰うわけです。なんていうか、何処と言って悪くは無いけど少し血圧が高めなんて人がそういう健康食品に手を出す訳で、ご本人も「まあ、ダメモトでもいいや」なんて言いながら手を出す訳です。

なんていうか、生き方の真剣さみたいな部分が関係するのかなと思います。

10. ゆんゆん探偵 — April 7, 2008 @13:46:05

グレーゾーンが存在することを認められない人間がどういう状態になるか。私が知人を観察した限りにおいては、「白黒がついていない状態に非常な不安を覚える」ようです。つまり、真実が保留されていることに耐えられず、誰か権威に白黒つけてもらいたいという心理状態が存在するみたい。

私が「テレビが常に信用できるわけじゃないだろ?」と問いを投げかけると「テレビが間違ってるとしたら何を信じればいいのだ」とその知人は困惑気味に語っていました。端から「保留」という選択肢は存在しなかったみたいです。

そーいうのはやっぱり、ニセ科学やら何やらに非常にはまりやすい心理状態なのではないかと思います。予防するには「不安があっても保留するこという事を覚える」しか無いのではないかなあ。

テレビという「マスメディア」は大衆に共通の価値観を与えることになりましたが、人間の健全な「保留力」を弱める方向にも働いていると感じました(自分の価値観を日常的にメディアに仮託してしまうとそうなるんでしょうね)。

11. e10go — April 7, 2008 @14:03:57

トンデモブラウさんの言いたい事はわかります。でも、それで良いんでしょうか。

全ての専門家が正しい答えを出すとは限りません。
まともな判断をする専門家もいれば、そうでない専門家(例えば、専門分野でない自称専門家)もいます。
全ての個人は、それを判断する必要に迫られる場合があるでしょう。その時に必要なのは、判断する個人の知識と思いますが。

大勢の人の判断を見て自分の判断を決めるのも一つの方法でしょうが、自分の見える範囲でまわりの人のどの判断が正しいかを見極めるにしても、個人の知識が必要と思います。

何れにしても、行動を起こす時は自分で判断するしかないし、自分の行動が吉とでるか凶とでるか、全て自分の判断の結果です。

12. 技術開発者 — April 7, 2008 @16:57:37

こんにちは、e10goさん。

>何れにしても、行動を起こす時は自分で判断するしかないし、自分の行動が吉とでるか凶とでるか、全て自分の判断の結果です。

なんとなく、マルチ商法の勧誘者がカモを引っかける時のトークと同じになっている様に見えますよ(笑)。

>全ての専門家が正しい答えを出すとは限りません。

なんていうか「完全無欠」ではないけど、少なくとも社会のシステムは専門家を利用する部分がありますよね。タミフルの例とか出されているけど、医薬品の承認なんて、専門家である医者が治験を行い、別な専門家である医者がその治験結果を審議して承認するかどうかを決めていますよね。たしかに、それで排除出来るのは有限の治験数で表に現れる副作用だけなので、その治験数で顕著に表に出ない低い確率の副作用というのは見逃される事もあります。e10goさんに言わせると、専門家だって間違うのだから、医薬品の承認システムなんて止めてしまえ、それぞれの個人が自分で判断せよという事だろうと思うのですが、私は、少なくとも医薬品くらいはきちんとした専門家が集まって承認するかどうかを審議してくれた結果の薬であって欲しいと思います。

なんていうか、個人にとっての専門家あるいは専門家集団の「利用の仕方」の議論をしているつもりなんですが、e10goさんに言わせると「そんな専門家の力なんて借りるな、全部自分で判断せよ」になっている気がする訳です。

13. 技術開発者 — April 7, 2008 @17:25:06

こんにちは、きくちさん、そして皆さん。

>ただ、それが社会全体で常にうまくいくかというと、必ずしもそうではない場合があって、グレーなものをがんばっていろいろ考えて意志決定しなくちゃならないことは多々あるはずなんです。

まあ、まずその前に「白か黒かグレーか」の判断ってあるわけですよね。

それが実のところセカンドオピニオン、サードオピニオンという事だと思うわけです。リフォーム詐欺なんかを防ぐのに「複数の業者かに見積もって貰ってから契約しなさい」なんて言うのは、まさにこれなんですね。複数の業者のリフォームの方針とか値段があまり変わらなければ、たぶん、その家の状態はそのくらいのリフォームが適しているのだろうと判断出来ます。やるべきリフォームがバラバラで値段もバラバラなときに、そのリフォームはグレーゾーンなんですね。そういうクレーゾーンの認識をしてから、それぞれのリフォーム見積もりが「何をやって何をやらないのか」を詳しく検討していけば良いわけです。

実のところ、ニセ科学問題に関して言うと「良い広めたマスコミ」にセカンドオピニオンやサードオピニオンを求める感覚が恐ろしく乏しいという事に思いあたったりする訳です。堀口らがマイナスイオンを提唱していて、「それを取り上げて言い広める」前に誰か専門家ににセカンドオピニオンを求めていタラ、能見らが言う血液型と性格の話を取り上げて「言い広める」前に、誰か専門家にセカンドオピニオンをもとめていレバ、みたいな「タラレバ」の感覚は私にあります。

Up14. gensay — April 7, 2008 @15:32:14

○偽科学 科学っぽいけど科学じゃない。

 これは相手が偽者なので、グレーゾーンもトリック?がわかれば偽者か。


○非科学 科学じゃない。

 相手は科学ですらない。現在の科学との接点がない?グレーゾーンも無限大。


○未科学 まだ科学じゃない。

 グレーゾーンに未知(道)の可能性を見た。


というようなことを考えてみました。お呼びでない?(笑)

15. e10go — April 7, 2008 @20:09:17

技術開発者さん、こんばんわ。

>e10goさんに言わせると「そんな専門家の力なんて借りるな、全部自分で判断せよ」になっている気がする訳です。

ワザとそう受け取られそうな突き放した言い方をしました:E
人の意見を参考にしてうまくいかなかったら、その人のせいにするケースが結構見受けられますので。
「どういう判断をするにしても、全て自分の責任である(自分にはね返ってくる)。」という事を言いたいわけで、「専門家の力を借りるな」と言うつもりはありません。

専門家の意見を参考にする際に、その意見が信用できそうか判断するには、ある程度の知識は必要だろうと思います。
タミフルの例では、「タミフル服用で異常行動を起こす例がある」という専門家がいれば、「インフルエンザ自体、異常行動を起こす例があり、タミフル服用していてもそのせいか判定しようがない」という専門家もいるわけです。
前者の意見しか知らなければ、「タミフル服用→危険」と判断するかもしれません。
後者の意見も知っていれば(知っているのも知識の内)、「タミフル服用は危険かもしれない。でも服用しなくても危険。」と判断する事も可能になると思います。
また、同時に「タミフルはインフルエンザの治療に有効」という事を知っていれば、「服用して、異常行動に備える」という判断も可能になると思います。

「グレーゾーンは黒」と決めてかかるのも一つの判断方法ですが、知識を増やせば「グレーゾーンでも白と同様に行動できる」と判断する事も可能になる場合もあると思います。
だから、知識を増やす事が判断に幅を持たせる事にも繋がると思います。(答えは一つとは限らない)

16. トンデモブラウ — April 7, 2008 @21:10:42

簡単に言ってしまうと、科学者って真新しいか、唯一なものを求めて研究しているわけですよね。
ゆうなれば、道なき道の先頭で切り開いてるわけです。
そこで何か求めるものを発見して世間に「これってアリですよね。」と発表し、同業者は「なるほど、アリだなぁ。(・・・チェッ!)」となり、幾多の追試だのを経て「どうやらアリだね。」となり、世間でも「アリらしいよ。」となるんだと思います。
世間的には、この最後の時点で「白」でいいと思うのですよ。
「ナシ」は証明できないので、「アリ」になって初めて「黒(含むグレー)」でなくなり、めでたく科学知識の一員に。
「アリかもね」は「ナシ」にいれちゃえ、ということです。
 
最初の発表段階で誰もが「なるほど、アリだなぁ。」と判断できるのが"理想"なのでしょうが、ここの判断を可能にするのを一般人まで広げるのは、まぁ無理かと思います。

17. YMN — April 7, 2008 @21:28:09

 少々テーマから外れるかもしれませんが、最近目にした信じがたいけれど事実らしいことです。
 
↓フルフォードのブログ
http://benjaminfulford.typepad.com/Link
 
↓象のYouTube映像
http://www.youtube.com/watch?v=_LHoyB81LnELink
 
 9.11陰謀論者のベンジャミン・フルフォードのブログ4月5日「自画像を描いた象」に、絵を描く象のYouTube映像のことがありました。
映像を見る限り捏造には見えませんが、それにしても絵があまりに見事過ぎますし、話の出所がフルフォードというのも眉唾つけたくなるものがあります。
 
http://blog.q-ring.jp/ymca/31Link
 確認の手筋ということで他の情報を検索したら、直接の目撃者による(「と言われている」や「とのことです」よりポイントが高いでしょう)上のページが見つかりました。
 
 「利口なハンス」のようなカラクリも考えにくく、本当と判断するのが穏当なように思いますが、ウィキペディアの「ゾウ」によると象には色覚が無いとあり、色に関しては人が手助けしていることも考えられます(十分凄いことなら変な演出はしない方がベターです)。
純白ではなく少しグレーの部分も保留しておいても良いでしょうし、またフルフォードは象が絵を描くことから象の精神に直ちに結びつけていますが、絵を描く能力と人と同じ精神を持っているかどうかの関係は、まだ保留しておいた方が無難というものかと思います。

18. さんちゃん — April 8, 2008 @00:59:17

筆に絵の具をつけているのは人間ですね。それを象に渡しています。

絵を描いているのは本当だと思いますが、単にそういう芸を教え込まれているだけのような気がしますが・・・。
まあ、ちゃんと描く位置とか覚えているのは賢いですが、それを魂云々とか言われると・・・・。

Up19. zorori — April 8, 2008 @07:33:55

絵を書く象は以前にTVで放映されていたのを見ました。見事な芸ですね。それだけです。

20. 技術開発者 — April 8, 2008 @08:15:28

こんにちは、e10goさん。

>「どういう判断をするにしても、全て自分の責任である(自分にはね返ってくる)。」という事を言いたいわけで、

ご自身が「言いたい」からと行って、ご自身の社会のシステムに反することを「言いふらす」のは反社会的な行為ですよ。

 e10goさんの住んでおられる国のシステムは知りませんが、私の住んでいる日本という国では「判断は得られた情報により為される」という社会通念があります。法体系もそういう概念を基本としています。従って「人に虚偽の情報を与え、その判断をゆがめることで利益を得る」という行為は「詐欺罪」となります。また、そのような詐欺の元で巻き上げられた利益は民事裁判においては返還が命じられます。つまり、判断による責任が全て判断した側にあるというシステムでもなく、その結果が全て判断した者に科せられるというシステムにはなっていないのです。

 もう一度述べますが、基本に「人の判断は得られた情報により為される」という概念があるわけです。これはかなり確固とした社会通念であり、e10goさん以外の人は理解出来ると考えています。問題は、その情報の確度の判断です。私は「社会の健常な保守性」という事を言っていますが、情報がある確度に達するまでは「振り回されない様にする」というのが「健常な保守性」だろうと考えています。我々研究者というのは、実のところ、この「健常な保守性」が存在するという前提で、自らの研究成果を「社会が受け入れてくれる正確さまで磨く」というスキルで生きてきたのでは無いかと思っているわけです。もし、社会の「健常な保守性」というのが消え去り、「なんであれ、皆、検討の対象とする」という社会であれば、研究者が自らの研究成果を「社会が受け入れてくれるだけの正確なところまで磨く」というスキルは必要なくなる訳です。e10goさんは、そのような研究者など「必要ない」と言われているのだろうと思います。

21. ROCKY 江藤 — April 8, 2008 @11:22:40

非霊長類芸術(non-primate art)の一種ですね>絵を描く象。
同じジャンルには絵を描く猫もいるそうです。
http://www.monpa.com/wcp/world.htmlLink

猫の場合は芸と言うよりも、おもしろがって絵の具をいたずらしているようにも見えてしまうのが難点でしょうか。
しかし立派な創作活動なのです。芸術精神の発露です。そうに違いないのです。

22. 芹沢 — April 8, 2008 @12:07:41

>そこで何か求めるものを発見して世間に「これってアリですよね。」と発表し、同業者は「なるほど、アリだなぁ。(・・・チェッ!)」となり、幾多の追試だのを経て「どうやらアリだね。」となり、世間でも「アリらしいよ。」となるんだと思います。
>世間的には、この最後の時点で「白」でいいと思うのですよ。

これ、筋道が全部見えている時にのみ有効だと思うのですよ。
専門家の厳しい追試を潜り抜けてはじめて白になったのだということが見えるからこその「確からしい」であって(そして世間まで行く前に白黒付く)、「世間」だけ見てしまうとマイナスイオンもEM菌も確からしく思えてしまう。つまり「最後の時点」とその前に大きな乖離があるのですね。それをどうするか、というのが主題でして。

些か教条的ではあるのですが、結局のところお上が太鼓判押すしかないのでは、と思ってます。本来であれば「自分で判断しろ/判断できるだけの知識を持て」なんですが、実際問題それが絶望的であり、ではどうするかという方向で考えるならば、結局のところ教条主義に到達せざるを得ない。悩ましいところです。

23. トンデモブラウ — April 8, 2008 @12:28:43

>芹沢 ― April 8, 2008 @12:07:41
>「世間」だけ見てしまうとマイナスイオンもEM菌も確からしく思えてしまう。
 
今はグレーゾーンがグレーという認識だからですよね。
だから、それを「黒」という認識に変えていきましょう、というのが私の提案です。

Up24. 芹沢 — April 8, 2008 @13:34:14

>今はグレーゾーンがグレーという認識だからですよね。
>だから、それを「黒」という認識に変えていきましょう
まあ教条的手法も結局それに近いことになるでしょうね。「これは科学的です」という部分だけ保証して、「他は無保証です」と言う。

ただ、実はこの問題はもっと根深いんですよね。世間は科学的であることを求めてるわけではない、単に誰かに「これは効きますよ」と言って欲しいだけなので。
科学的でなくても霊的だと言われればそれはそれで受け入れちゃう。
科学から見ればそこは不可触領域ですが、タチの悪さでは似たようなものでもあって。

25. 技術開発者 — April 8, 2008 @13:54:17

こんにちは、芹沢さん、トンデモブラウさん。

>ただ、実はこの問題はもっと根深いんですよね。世間は科学的であることを求めてるわけではない、単に誰かに「これは効きますよ」と言って欲しいだけなので。

別な牛乳のエントリーでもコメントしたんですが、基本の部分に先進国の人間が「真剣に生き延びるための圧力」から解放されている面があるのだろうと思います。なんていうか、麦作地帯で酪農をはじめたときの人類は、「ああこれで、これまで食えなかった雑草が食える牛乳やチーズに変わる。これでもう1人子供を育てられる」なんていう「生き延びる」に対して真剣に向き合っていて酪農をはじめたわけで、そこには「牛乳が身体に良いか悪いか」なんて「お気楽なお遊びの思考」に手を出す余裕なんて無かった訳です。

「どうやったら、食い物がもう少し増やせて、子供をもう1人余分に育てられるだろう」なんて生き方には、健康食品もマイナスイオンも入り込む余地が無いわけです。当然ダイエット方法も入る余地は有りませんけどね(笑)。

なんていうか、私は農村の出身だからそういう「真剣に生き延びるための圧力」の元での保守性というのを強く感じる訳です。「この種は今までよりも実りが良いぞ作ってみないか」なんて言われたって飛びつきゃあしません。だって、それに飛びついて実りがなかったら飢えなきゃ成らないんですからね。「お前の畑でやってみな」で、何年も試させた後で、それならと自分の畑の一部から作り始めるくらい保守的なんです。

私にとっては、そういう「真剣に生き延びるための圧力」の元での保守性というのが、人類の自然な姿に見える訳です。だって、我々はこれからも「生き延びていかなきゃならない」のですからね。なんていうか「いい加減な事を言う奴を排斥する」とか言うのだって、実のところそんなのが多くなったら「生き延びる」のに支障がでるという事から人類が身につけてきた文化なんだろうと思うんです。

ニセ科学批判をしながらいろんな事を考えてきたら、結局、先進国の人間が「生きのびることを真剣に考える」事ができなく成っている姿に気が付いた感じがします。

Owner Comment きくち  April 8, 2008 @17:24:46

これはどこかに書いたと思うのですが、「怪しい水」とかホメオパシーみたいな話が成立するのは、基本的に「安全な生活」が確保されているからですよね。あるいは「水にありがとう」でもいいんだけど、飲み水が原因で感染症になるような国は世界中にあって、そんなところで「ありがとう」だのホメオパシーだのと悠長なことを言っていたら、生きていけないわけです。
あるいは、出産ていうのは本来危険がともなうものなのに、日本のように奇跡と思えるほど新生児死亡率の低い国にいると「安全なのがあたりまえ」と誤解してしまう。
問題はその裏に「安全を守り続ける人たち」の努力があるというのを忘れてしまうことで、それには怒りをおぼえますけどね。

27. 技術開発者 — April 8, 2008 @17:56:19

こんにちは、きくちさん。

>問題はその裏に「安全を守り続ける人たち」の努力があるというのを忘れてしまうことで、それには怒りをおぼえますけどね。

 poohさんの所に色々書いていて思いあたったんですが、現代の日本で「嫌う」ということが社会秩序の維持の裏にあるという事が忘れられて、むしろ「嫌う」という事をしないのが道徳的だみたいな間違った感覚に陥っているのじゃないかという気がしてきました。

 なんていうか、例えば「いい加減な事を言いふらす」なんてのに対して、法律という重いペナルティを伴う規範が使いにくい時に、道徳という「いい加減なことを言いふらすなんて反道徳的な奴だな」と嫌うという働きが、止めさせる強制力であり、また自分がやらないようにする抑止力で有ったような気がする訳です。それが、ニセ科学批判に対する批判とかを見ていると「嫌うのは道徳的では無いから良くないよ」みたいな意識が見える訳です。道徳がとても観念論的になって、本来、社会が道徳を守らせるために使っていた「皆で嫌う」という作法が道徳的で無いことにされている感じですね。

なんていうか「安全を守る」ために裏で活動している人が居るのが忘れられているのと同じように、自分たちが道徳的であることを守るために社会が編み出した「嫌う」という作法の価値も忘れられ、むしろそれを排斥しようとしている感じを受けるわけです。

28. ちがやまる — April 8, 2008 @18:56:00

水といえば、きょうの新聞に、多くの自治体の管理する水道で、今の水道管がさびたら次を用意するお金が無い、という話がのっていて、ちょっと背筋が冷えました。結構今だって安心はしていられないのかもしれないと思いました。

UpOwner Comment きくち  April 8, 2008 @19:42:58

僕も読みました。水道管が老朽化しても、換えるお金の準備がないという話ですよね。そういう基本的なインフラにかけるお金がないというのは驚きです。
産科医・小児科医の不足もそうなのですが、「あってあたりまえ、いてあたりまえ」のことにきちんとお金をかけておかないと、ある日突然「もうありません、もういません」になるのですね。

30. KEN — April 8, 2008 @20:23:33

>最近目にした信じがたいけれど事実らしいことです。
>「利口なハンス」のようなカラクリも考えにくく、本当と判断するのが穏当なように思いますが、

「事実」や「本当」という言葉をどう捉えるかにもよると思いますが、「ゾウが絵を描く動作をする際に、人為的な操作がまったく行われずに、しかも人間が描くレベルの具象画を描く」という意味なら、そんなに結論を急がない方がよいと思います。あり得ないこととは言いませんが、もっとあり得る可能性(トリックの介在の有無など)の検証が必要でしょう。マジックだって、プロがみても簡単には見抜けないような優秀なものがどんどん開発されているわけですから、少なくともyoutubeの画像や目撃者の証言だけでは何とも言えないと思います。

31. PseuDoctor — April 8, 2008 @22:17:56

こんばんは。

どうも私には、トンデモブラウさんの仰る「グレーゾーン」「白」「黒」という言葉の定義と使い方が、きくちさんの仰る内容と微妙にズレているように思えます。
きくちさんの元発言では、「科学とニセ科学のあいだにはグレーゾーン(それも、たぶん非常に広い)があり、線引きはできないし、してもしかたがない」と書かれていますので、科学(真っ白)とニセ科学(真っ黒)との間のグレーゾーンの話をされているものと判断できます。一方でトンデモブラウさんは「真っ白以外は全て真っ黒と見なす」と仰るわけですから、きくちさんと同じ意味で言葉を使われているのならば「確実に証明されたもの以外は全てニセ科学」という意味になるかと思います。
という事は「現時点においてあらゆる科学者が研究対象としている内容は『全て』ニセ科学である」という御意見になってしまうのですが、本当にそれでよろしいのでしょうか?どうしても私にはトンデモブラウさんがそういうお考えをお持ちだとは思えないのです。
もし「そうではない。そこまで強い主張はしていない」と仰るのでしたら「真っ白以外は全て黒」という表現は適切ではないと思います。やはり「黒」「グレーゾーン」という用語の示す内容にズレがあるのではないでしょうか。
あるいは「科学者ではなく一般人の話である」と仰るかもしれませんが、そうであればなおさら「科学的に証明されたもの以外は全てニセ科学」という主張には問題があると考えます。


それから、e10goさんと技術開発者さんのやり取りを拝見した感想です。私は心情的にはe10goさんの仰る事に共感しますし、人生訓としても大切だと思います。私も「人生において重要な決断は最終的には自分で下す」ように心掛けています。
しかし「どんな結果が出ても全て自分の責任」とまでは思えません。私はそこまで強い人間ではないですし、何よりも「基本的に自分が住んでいる社会のシステムを信頼している」からです。
下らない例ですが、例えば私が八百屋で買物をするとして、私はニセ札を使ったりしませんし、八百屋さんがわざと腐った野菜を売りつけるとも思っていません。それは別に八百屋さんを個人的に信頼しているからではなくて、社会のシステムを信頼しているからなのですね。もし「全て個人の責任」としてしまうと、ニセ札を使っておいて「見破れなかった方が悪い」と強弁するのもアリかもしれませんし、腐った野菜を掴まされても泣き寝入りするしかなくなったりする訳です。

もしかしたらe10goさんは「現在の社会システムが信頼できなくなってきているから、各個人が自分で判断しなければならない」とお考えなのかもしれません。もしそうだとすると、実は「現在の社会システムがうまく機能しなくなっている」という点において、e10goさんと技術開発者さんは同じものを見ている事になると思います。ただ違っているのは(あくまで私の推測ですが)技術開発者さんは「社会のシステムを立て直すのは構成員の責任である」とお考えのように見受けられる点です。その立場からすると、e10goさんの主張は社会の構成員としての責任を放棄しているように見えるのです。
あくまで「社会のシステムが信用できないから自分しか頼るものは無い」というのは緊急避難的な場合に限るのであって、それを無制限に認めてしまうと本当に社会のシステムが崩壊して原始状態に逆戻りしてしまいかねません。
もし「個人の責任」というものを自覚されているのであれば、それは「社会を良くする為にそれぞれが自分の出来る事をする」という方向に発揮された方が、より望ましいのではないかと考えています。

繰り返しますが、e10goさんの考え方の基本姿勢そのものには共感しています。

以下余談です。
私は最初の段落で意図的に「黒」と「真っ黒」とを混用しています。もし「PseuDoctorは言葉の使い方が厳密ではない」とお感じの方がおられましたら、何故私があのように書いたかを少しお考えいただければ、と思います。

32. yamaguchi — April 8, 2008 @23:03:03

皆さんこんばんは。

e10goさんと技術開発者さんの議論は何かすれ違っているように見えます。e10goさんは多分「完全性(不完全性)」の事を言われているようですし、技術開発者さんは「信頼性」の事を言われている様に思われます。

33. zorori — April 9, 2008 @07:00:35

>ちがやまるさん、
>水といえば、きょうの新聞に、多くの自治体の管理する水道で、今の水道管がさびたら次を用意するお金が無い、という話がのっていて、ちょっと背筋が冷えました。

社会資本の維持管理にはお金が必要だというのは当たり前ですが、案外、国民も財務当局も認めないものです。地味ですからね。似たような事例はたくさんあるのではないでしょうか。

Up34. 技術開発者 — April 9, 2008 @07:54:07

こんにちは、PseuDoctorさん。

>という事は「現時点においてあらゆる科学者が研究対象としている内容は『全て』ニセ科学である」という御意見になってしまうのですが、本当にそれでよろしいのでしょうか?

 たぶん、私がこだわる理由の一番はこの部分なんです。まあ「ニセ科学」というかどうかはともかく、研究者というのは「そんなことあるもんか」「そんなことできるもんか」と一般の人から言われるところから始めるからこそ、研究の専門家なのだろうと思ってます。つまり、「白以外はみんな黒」とグレーゾーンを黒と同一視される中で、グレーゾーンから白いものに真実をもって帰るから専門家としての価値があるのではないかと思っている訳です。余談になりますが、昔、研究所の建築・設計に携わった頃に、「どうして研究者というのは、ああも話がまとまらないんですかね」と建築の人に言われ、「人に従わない性格の人を集めているからですよ」なんて答えたんです。「10人のうち9人までが『そんなことあるもんか』『そんなことできるもんか』という時に1人だけ『いや、ある(できる)かも知れないと逆らう者がいるから、新規な事が世の中にでるんですよ。そういう性格の人を集めているのが研究所ですから、話は簡単にまとまりません」なんて言ったら「なるほど」感心されてしまったりしたんですけどね。私に言わせると周りの一般の人が全て「お前のやっていることはニセ科学だ」と言われてメゲるようなら研究者としての最も基本の素質がたぶん無いのだろうと思います。そういう基本的な「周りの人の意見に容易に同調しない性格」の上に、「『ない(できない)』と思っている周りの人のほとんどを『ある(できる)』と納得させる」に足るだけの実験を考案して結果を出す」というスキルを構築した者が研究者であるのだろうと思うわけです。なんていうか、研究者が研究者として価値を持つのは、「周りがグレーゾーンを黒だと思う」という前提が必要不可欠な気がする訳です。もしも周りがグレーゾーンをグレーゾーンとして個別に判断するなら、研究者などという専門性は社会にとって不要な存在では無いでしょうか?

35. 技術開発者 — April 9, 2008 @09:01:13

連投になってしまいますが、悪徳商法批判者だった頃に言っていた「人生の1/5の供給者、4/5の消費者」という話を紹介したくなりました。お目汚しですが、書かせてください。

 上の方でPseuDoctorさんが、「それは別に八百屋さんを個人的に信頼しているからではなくて、社会のシステムを信頼しているからなのですね。」みたいな話です。もしも、八百屋の大将が「傷んだ野菜を見抜けない客が悪い」というのなら、八百屋の奥さんが魚を買いに行って傷んだ魚を買っても自分が悪いことになってしまう。八百屋の大将のお子さんがいい加減な塾に通って成績が下がっても、塾の目利きが悪いとなってしまう。八百屋の大将のお母さんが変な病院で病気が悪化しても病院を選んだ目利きが悪いことになってしまう。なんて話なんですね。結局、売ることによって得た利益で気持ちよく生活したければ、他の人が売り物をきちんとしてくれることに頼らなくてならないのが社会だなんてことを言っていた訳です。社会のシステムというのは、形としてはいろんな規制なんかで商品やサービスの供給に「真面目にやれ」としている訳ですが、そういう形のもっと根元に、こういう「自分が供給者として稼いだ金で、周りの供給者から自分や家族の生活を支えて貰う」というグルグル回る関係があるという事なんです。このグルグル回りこそが「社会のシステム」の本質なんだろうと思っています。
 でもって、「だから、供給者である時は、消費者である時以上に真面目にやらなくてはならない」なんて話していて、それにも限界があるという事に思いあたる訳です。なにが何でも供給者の時は失敗してはならないなんてなったら働いている者はみんなストレス性うつになりかねませんからね。でもって雑駁に「どのくらい真面目で無くてはならないか」というのを「消費者である時の5倍くらいでしょうね」なんて言った訳です。なんで5倍なのかというと、おそらく人生のうちで「供給者」である時間は「消費者」である時間の1/5くらいだろうからという訳です。大人になって仕事をするまでの時間、仕事をしていても家で飯食ったり休んでいたりする時間、仕事をリタイヤしてから死ぬまでの時間を考えると人生の4/5くらいある気がします(このあたり結構いい加減です)。その時間は、他の人が「供給者」として働く事に支えられなくてはならない訳です。1/5の働きで4/5を支えるわけだから、5倍くらい真面目でなくてはならないなんて言っていた訳です。

36. ちがやまる — April 9, 2008 @09:29:14

トンデモブラウさんはグレーゾーンを認めないわけではなく、具体的な必要を思い浮かべて(私にはそれが何かはわかりませんが)グレーゾーンを黒く塗ろう、とおっしゃられているように思います。
そうだとすると、白から黒までがいろいろに混ざっている、というだけなら放っておいてもいいでしょうけれども、何かの色(黒)で塗ろうとするためには境界線を引いておく必要が出てくるところが面倒ですよね。どこを以て「どうやら」アリ、アリ「らしい」と定めるか。そこに穴があいていると、グレーゾーンだけ黒く塗るつもりが画面全体真っ黒、なんてことにもなりかねません。

もうひとつの点は、話をもとに遡ってみると、境界線をひくにあたって「専門家」という存在が一定の役割を果たすことが想定されていそうですが、このことばはそれだけであらゆる場合を言い止められるものではありませんよね。
専門家って何だ?とか、専門家と一般者(?)の関係、とか、それぞれの局面から慎重に考えていく必要があるように思いました。

37. ちがやまる — April 9, 2008 @10:17:20

水道管の話で思ったことは、アフリカの人口の(たしか)65%はトイレを持たない、という話を一方の念頭において、私たちの享受している文化が東西対立の前線に咲いたあだ花というだけで終わってしまうのでなく何を児孫に伝えていけるか、ということを考えていかなくてはならないんだなあ、という感じのことでもありました。

38. トンデモブラウ — April 9, 2008 @10:43:09

>PseuDoctorさん
>トンデモブラウさんの仰る「グレーゾーン」「白」「黒」という言葉の定義と使い方が、きくちさんの仰る内容と微妙にズレているように思えます。

バレましたね。
きくちさんの仰るグレーゾーンは、最先端の科学者目線なのでグレーゾーンからの視点になりますが、私の定義ではグレーゾーンの濃淡の判断できない一般人目線からのもので、意図的に微妙にずらしてました。
技術開発者さんが柔らかく書いてくれましたが、私の意見では真っ当な科学者もまとめてひっくるめて、グレーゾーンのものは「黒」とみなそう、といういささか乱暴なものです。
で、どういう効能が期待できるかというと、例えば
 
騙されている一般人「感謝の言葉が水に伝わって結晶の形が変わるんだよ。なんでも水は記憶しているらしいよ。」
冷静な一般人「そんなことがあるわけないじゃん。意味分からん。」
騙そうとしている人「いや、今の科学では証明できないけど、将来科学がもっと発展したら、私の言っていることが正しいことが証明されるハズですよ。」
騙されている一般人「ほらね。科学者でもないのに、何でも分かっていると思ったら大間違い。世の中には不思議なことがいっぱいあるんだよ。」
冷静な一般人「・・・ぐぬぅぅ(そんな馬鹿な・・・)・・・・・」
 
となるところが、
 
騙されている一般人「何っ?!まだ証明だれてないのか。じゃあ、あんたの言ってることはニセ科学じゃないかぁ。」
騙そうとしている人「ぎゃふん」
 
となればいいかなぁ、と。
で、ニセ科学に追いやられた真っ当な科学者にはどうするかというと・・・諦めて。
めでたく研究が成功して科学と認められた暁には、全ての大衆が賞賛してあげます。
巨額の賞金とか、ほしのあきとドライブとか、大衆からのインセンティブな報酬があってもいいです。(積極的に協力しますよ。)
境界の引けないグレーゾーンはあっても、現状での「白」い領域はかなりはっきりしているのではないかと思うのですが、どうでしょう。

Up39. 技術開発者 — April 9, 2008 @11:06:41

こんにちは、トンデモブラウさん。

>私の意見では真っ当な科学者もまとめてひっくるめて、グレーゾーンのものは「黒」とみなそう、といういささか乱暴なものです。

実のところ、これが全然「乱暴」に思えないんですよ、実際に研究をしている立場として見たときにね。なんていうか、研究のネタを思いついた時には「うまく行くかどうかは分からない」のが当然で、そんなネタだったら、一般の人に言っても「そんなものできないに決まっている」と言われて当然、という意識が私なんかはとても強いんです。少し自分がここ数年やってきた事を題材にして説明してみますね。

ここ数年やってきたのはAという分析法でBという材料中のCという不純物を測る方法の開発です。Aという分析法には50年くらいの歴史があり、Bという材料にも100年以上の歴史があるけど、Cは測れない事になっている訳です。Cという不純物はその材料を使いこなす上では大事なんだけど、測る方法に良い物が無かったわけですね。でもって、当然ですが、私以前にも試みた人は沢山居るだろうと想像は付くんですね、歴史が長いんだからね。でも、私にはなんとなくですが「このあたりを工夫すればできるんじゃないか」という気がしたわけです。あくまで、気がするだけですから、この段階ではかなり黒に近いグレーです。

私には「恥」の感覚がありますから、この段階で社会の人(この場合はその材料を使う業界の人ですね)に「できるから研究費出してくれ」なんて言いません。言ったとしても「測れるという証拠を見せてから言え」なんて言われるし、証拠は無いのだから「馬鹿!」で終わりでしょう。研究所が裁量出来る内部の研究費を拝み倒すようにしてわずかに貰い、材料は他の研究者から分けて貰ったりしてなんとか証拠を出そうと頑張る訳です。

そうやっていると、「この問題を解決したら測れるように成りそうだ」なんて部分が見えてくる訳だけど、その段階でもまだ社会の人に「できるから研究費を出してくれ」とは言えない。まだ解決出来るという証拠は無いからね。やっとグレーの真ん中くらいまで来たにすぎないから、社会から見れば「できない」と黒と同じに見られるのが当然だという思いが有るわけです。

「ここまでは進んだから、もう少しやらせてくれ」とやはり研究所の内部の研究費に泣きつき、その中でやりくりして「なんとか測れる」というところまで持ってきて、晴れて社会の人に対して「とりあえず、できるように成りました、まだ実用の為には詰めなくてはならない事がこれだけありますから、それを研究するお金をください」なんですね。この段階でもグレーの部分はあるけど、専門家が見ればかなり白い訳です。そうなって始めて社会に出せる訳です。

私が「まっとうな研究者」かどうかは知りませんが、少なくとも私のイメージする「まっとうな研究者」というのは、「社会がグレーゾーンは黒とみなす」という事でなんら困ったりしないで、むしろそれが当然として「この段階ではまだ社会に出せない」ときちんと自制が利くものだと思います。

40. :p — April 9, 2008 @19:03:49

> 研究所が裁量出来る内部の研究費を拝み倒すようにしてわずかに貰い、
> 材料は他の研究者から分けて貰ったりしてなんとか証拠を出そうと頑張る訳です。

所内予算や学内予算が削られて、「社会の人」にキッチリ説明しなければいけない提案公募型の大型研究予算ばかりの世の中
・・・・・もしかして「まっとうな研究者」って絶滅器具品種?

41. ちがやまる — April 9, 2008 @19:16:13

技術開発者さんが具体的に書いてくださったおかげで少しわかったのですが、他の人にとって技術開発者さんの課題が白、黒、灰色のどれに分類されるかは知らなくていいことなんですよ。たぶん。

知る必要のある人(白黒の判断をつける立場の人)にとって知らなければならないのは、その課題の意義と展望でしょう。なぜ技術開発者さんがやりたい、やれると判断したか、その具体的な風景、地勢を知る必要がある。別な意見の人には技術開発者さんがどう見えているか、できればそれも知りたい。その知る必要のある人が技術開発者さんの領域ではまったくの素人の場合でも。

白黒のどれかという答えだけ聞いて満足してられる人は、どちらであるかすら聞く必要がないのではないでしょうか。

知る必要がないやじ馬にとっても、知りたいのは具体的な中味ですよね。そのやじ馬がまったくの素人の場合(私を想定)でも。自分なりの予測をたててみて、実際どうなったかと照らしてみる。そういう経験を積み重ねていざという時の判断力が養われるのではないでしょうか。お前は素人だから黒という情報だけを有難く持って帰れ、というのならやっぱりおかしい。

Owner Comment きくち  April 9, 2008 @20:24:15

ちょっとずれるんですが、グレーのありかたも必ずしもひと通りではないですよね。
10人の専門家に聞いたら、8人くらいが「わからない」というのもグレーですが、逆に4人が「白」と言い4人が「黒」というグレーもありますね。
「グレーゾーンがある」という言い方をするときに、そこを区別してもしょうがないのですが、具体例を考えるときには頭にいれてもいいかもしれません

43. PseuDoctor — April 9, 2008 @22:24:54

こんばんは。

技術開発者さんやトンデモブラウさんの仰る事は、同意できる部分もありますし、異論のある部分もあります。
読む人を混乱させてしまうかもしれないので、最初に用語の定義と私の基本的な考えを述べておきます。
「ニセ科学」「(広義及び狭義の)非科学」「未科学」の定義に関しては、ちょっと厚かましいですが
http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/14.htmlLink
の内容に基づかせて頂きます。そのうえで、以下の様に考えます。
1.科学と広義の非科学との間には、グレーゾーンが存在する。
2.ニセ科学(と未科学)は、広義の非科学の中の一部である。
3.ニセ科学と、ニセ科学以外の非科学との間にも、グレーゾーンが存在する。
4.従って、科学とニセ科学の間にもグレーゾーンが存在する。
5.但し、上記1.のグレーゾーンと3.のグレーゾーンとでは、その内容が異なる。

以上を前提として、3点述べます。

1点目は、前発言でも述べましたように、私はきくちさんの元発言を念頭において、このエントリの中では一貫して「黒=ニセ科学」と判断して読み書きしています。どうも私がトンデモブラウさんや技術開発者さんの御意見に違和感を感じるのは「黒」をもう少し広い意味で使っておられるように見えるからだと思います。
例えば「黒」に「広義の非科学の大部分」を含め、「未科学の大部分」をグレーゾーンに含めるという考えも、結構自然に成り立つように思います。そうした考え方の元で「未科学を非科学と区別する必要は無い」というお話をなさるのでしたら、それは私にも同意できます(実際、技術開発者さんの#40などは、そうした視点で書かれているように見受けられますし、そのお話の中には上記の定義による「ニセ科学」の要素は全く含まれていないと思えます)。しかし何度も書きますように、あくまで私はこのエントリにおいては「黒=ニセ科学」として書いていますし、他の方の意見もその筈だと思って読んでおります。
言葉遊びのようになって恐縮ですが、もし「黒=ニセ科学+グレーゾーン」であり、かつ、黒の全てをニセ科学と完全に同一視するのは言い過ぎだとするならば、それは呼び方を変えているだけでグレーゾーンの存在を認めているのと同じ事だと思うのです。

2点目は、トンデモブラウさんの仰る一般の人がグレーゾーンに対処する方法についてです。私の考えでは一般の人であってもグレーゾーンを全てニセ科学と断ずる必要は無くて、もしグレーゾーン(なのかニセ科学なのか判別し難いもの)に出会ったならば「ああ、科学的に証明されているわけではないのね。ではきちんと証明されてから、また出直してきてください。証明されない限り、お呼びではありません」という対応をすれば充分だと思うのです。それが「判断を保留する」という事だと思います。もし「今は解らないが将来的には証明される」と言われたら尚の事「それなら証明されるまで来ないでください。おとといおいで、ハイさようなら」で済む話です。
ですから、トンデモブラウさんとそんなに違う事を言っているつもりもないのですね。では何故ここまでこだわるのか。それは、一旦「グレーゾーンは全てニセ科学」と断じてしまうと、後にそれらの中から一つでも正当な科学に昇格するものが出てきた場合(そうなる確率は極めて高く、ほぼ100%と言えるでしょう)に、「へえ、ニセ科学の中にも、正当な科学と認められるものがあるんだね」という風に解釈されても仕方がないからです。つまり却ってニセ科学信者を利する結果になってしまうわけです。

これでは、わざわざ「ニセ科学」という価値判断を含む言葉をあえて使っている意味が全くありません。
どう考えても、これは、非常にまずいです。
そういう意味もあって、上記の「判断を保留する」という態度で充分だろうと考えているわけです。

3点目は、研究者についてです。私自身は研究者と言えるほどの研究はしていませんが、極めて限定された個人的な経験に基づいて書きますと、技術開発者さんが仰るように「研究者には『あいつは何をやっているんだ』というようなプレッシャーに耐える資質が必要である」という点には同意できます。
ただ、私が思うに、そうしたプレッシャーには「バカな事は止めろ」とか「そんな事をして何の役に立つんだ」とか様々なバリエーションがありますので、そこに「お前のやってる事はニセ科学だ」というプレッシャーを付け加えても(あるいは取り去っても)実質的にはあまり変わらないのではないか、と思います。
まあ、私自身が「一体何をやってるんだ」と言われても全く気にならなかったので、そういう意味では資質があったかもしれません(いや、単に天邪鬼なだけですが(笑))。
むしろ私は、周囲の無理解よりも「結果が出るか出ないか解らない」という不確実さの方がよほど怖かったです。なので「自分のやっている事は全て徒労に終わるかもしれない」という不安に耐えられるかどうかこそが、研究者にとって最も重要な資質ではないかと個人的には考えています。
もしかしたら技術開発者さんはそのあたりの事も含めて「『周りがグレーゾーンを黒だと思う』という前提が必要不可欠」と仰っているのかもしれません。しかし私は上記の不安や恐怖は周囲の理解度とは独立して別個に存在するものと考えていますので、技術開発者さんの仰る前提が「不可欠」とまでは思えないのです。
いずれにせよ、第2の論点で述べたのと同様に、研究者であっても「きちんと証明されたもの以外は、証明されていないものとして扱う」という(ある意味当たり前の)方針を「厳密に適用」しさえすれば足りる筈、というのが私の結論です。

と、ここまで書いて気付いたのですが、技術開発者さんの仰る「研究」とは、直ちに実用化に結び付くものの事なのでしょうか。もしそうであるなら、私の上記は基礎的な研究を念頭に置いたうえでの発言ですので、技術開発者さんと多少見解が相違するのもやむを得ないのかもしれません。

44. JosephYoiko — April 9, 2008 @23:53:04

何故「まだ白とは呼べない」だけで済ませられないのだろう。

45. 温泉カワセミ — April 10, 2008 @00:47:46

う〜〜んと、言わずもがなかとも思ったのですが、『白』と『黒』に加えて『グレーゾーン』があるって言う表現になると、判ってるヒトは良いのですが、判んないヒトは『三分法』に陥っちゃうのではないのでしょうかねぇ。

個人的には、科学を標榜するモノの信憑性のイメージは『白・グレーゾーン・黒』ではなくて、『両端に白と黒を含んでいる連続的なグレースケール』であって、大事なのは『どの辺りに位置してるグレーであるかを見極める必要があるのだ』と言うことを理解して貰うことではないのかなぁ・・・

で、どの辺りから黒と見なしても差し支えのないグレーであるかの判断が所謂『線引き』問題で、個々人の考えやセンスが影響してくるんではないのかな。

まぁ実際に『ニセ科学(疑似科学)』として批判されいるモノは、そんな微妙なエリアには位置してないんですけどね。

Owner Comment きくち  April 10, 2008 @10:18:21

なんとなく念頭にあるのは、arctanの原点付近みたいな感じですかねえ。あんまり意味ないですけど。

Up47. e10go — April 10, 2008 @01:46:18

>「どういう判断をするにしても、全て自分の責任である(自分にはね返ってくる)。」
これは少し、筆が滑りました。
>「どういう判断をするにしても、結果は全て自分にはね返ってくる。」
と訂正させていただきます。

>技術開発者 ? April 8, 2008 @08:15:28
>>「どういう判断をするにしても、全て自分の責任である(自分にはね返ってくる)。」という事を言いたいわけで、
>ご自身が「言いたい」からと行って、ご自身の社会のシステムに反することを「言いふらす」のは反社会的な行為ですよ。

私の書き込みのどこが「反社会的な行為」になるんでしょうか。

>e10goさんは、そのような研究者など「必要ない」と言われているのだろうと思います。

そんな事書いていませんが。
>e10go April 7, 2008 @14:03:57
>専門家の意見を参考にする際に、その意見が信用できそうか判断するには、ある程度の知識は必要だろうと思います。

この様に「専門家の意見を必要とする場合」の事を書いています。
こんな事を批判しあっても意味ないので、この書き込みの件はこれで書き込みを止めます。


今までの私の書き込みは、短い文章で済ませているのと私の文章能力の問題で、言いたい事が正確に伝わらないのは想定済みです。
しかし批判もあるので、長くなりますがなるべく正確に伝わるよう努力して、改めて書かせていただきます。


トンデモブラウさんの、
>グレーゾーンをグレーと認識するのは専門家だけでいいと思うのですけど。
>なら、グレーゾーンを(白っぽのも)全てひっくるめて黒と思いましょう・・・
この2つの発言に対する私の意見を以下に書きます。

この2つの発言は、大抵の場合、これで丸く治まるでしょう。その様なケースは、ここで議論する必要はないと思います。
しかし、「これで治まらない事がある」事もあると思います。
そしてその場合、どう対処すれば良いのか考えておく必要があると思います。

タミフルの話しを出したので、その例で話します。
「タミフルを服用すると異常行動を招く」という話しがありますが、大抵の医者(専門家)はそれを「グレーゾーン」と言います。
しかし、一部の医者(専門家)は「白(肯定)」と言っています。しかも、マスコミもたびたびその様な報道を行なっています。
もちろん「グレーゾーン」であるとの報道もありますが、どちらかと言えば「白(肯定)」の印象が強いと思います。

インフルエンザに罹患し、診察を受けた際にタミフルを服用するかどうか決めなければなりません。
医者がタミフルを処方し、患者が何も迷わず服用するなら、この議論は関係ありません。
しかし、医者からタミフル服用のリスク説明を受け、本人に服用する・しないの判断を迫られたらどうでしょう。
患者が服用の有無を決めなければいけないのですが、どうやって決めれば良いでしょう。
「医者に決めてもらう」のもありでしょうし、本人が(マスコミの報道の影響で)服用を断るかもしれません。
服用して、たまたま異常行動を起こすかもしれません。
服用しなければ症状が重篤化し、最悪のケースになるかもしれません。
何れにしても、自分で決めて自分で行動を起こして、その結果がでます。

もしここで、「タミフルを服用すると異常行動を招く」は「グレーゾーン」である事を知っていればどうでしょう。
(「グレーゾーン」である事が正しいかどうかは置いときます)
同時に、「インフルエンザを発病すれば、タミフル服用に拘らず、異常行動が起こす可能性がある」事を知っていればどうでしょう。
また同時に、「タミフル服用でインフルエンザの症状を和らげられる」事も知っていればどうでしょう。
おそらく、上の事を知らない場合と違う判断・行動になるでしょう。

知識の内容によって、判断・行動・結果は変わると思います。
1.タミフルの事は何も知らない。
2.「タミフルによる異常行動」の報道を見て、知っている。
3.「タミフルによる異常行動」が「白(肯定)」、「グレーゾーン」の報道を見て、知っている。
4.3に加えて、「タミフルの効用」を知っている。
それぞれで、判断・行動・結果が違ってくると思います。


まだ書きかけですが、夜も遅くなったので、続きはまた書ける時に書きます。

48. 技術開発者 — April 10, 2008 @07:58:09

こんにちは、PseuDoctorさん。

>それは、一旦「グレーゾーンは全てニセ科学」と断じてしまうと、後にそれらの中から一つでも正当な科学に昇格するものが出てきた場合(そうなる確率は極めて高く、ほぼ100%と言えるでしょう)に、「へえ、ニセ科学の中にも、正当な科学と認められるものがあるんだね」という風に解釈されても仕方がないからです。つまり却ってニセ科学信者を利する結果になってしまうわけです。

う〜ん。なんか少し違う感じがするんですよね。別なところで書いた事があるんですが、例えば「南米のこの地域には、まだ人類に未知の病気があると確信するから、その病気を私は『ヘッポコ熱』と名付ける」なんて人が居ても、その段階で「ヘッポコ熱」が発見され名付けられた事にはならなくて、PseuDoctorさんがきちんと調査して、症状とかを明らかにしそれが現在まで知られている病気とは異なるものであることを明示した時にはじめて、その病気が発見されたことになりますよね。そして、発見者であるPseuDoctorさんが「ポンコツ熱と名付けたい」とされたら、それは「ヘッポコ熱の発見」ではなくて「ポンコツ熱」の発見ですよね。「ヘッポコ熱」の提唱者がきちんと見つけたとしても、発見された年は「言い出した年」ではなくてやはりきちんと症状を明らかにして「新しい病気」と明示した年になるはずです。つまり、何が言いたいかというと、そういうきちんとした根拠を持って発表する以前に、「ヘッポコ熱がある」と言っている状態は「ニセ科学言説の提唱者である」という状態であることは変わらないんだろうという事なんですね。

49. トンデモブラウ — April 10, 2008 @08:22:16

予想された反応ですね。
分かっている人には、「真白」なものというのはほとんどなく、現在「白」とされているものでも極僅かに揺らぎは含まれているので、厳密に言うとグレーゾーンだということでしょうが、これはアカデミックな環境にいる人の意見です。
世間の一般的な環境では、びっくりするぐらい「科学」的雰囲気ではないのですよ。
 
>PseuDoctorさん
>一旦「グレーゾーンは全てニセ科学」と断じてしまうと、後にそれらの中から一つでも正当な科学に昇格するものが出てきた場合(そうなる確率は極めて高く、ほぼ100%と言えるでしょう)に、「へえ、ニセ科学の中にも、正当な科学と認められるものがあるんだね」という風に解釈されても仕方がないからです。つまり却ってニセ科学信者を利する結果になってしまうわけです。
 
前段はそのとおりで何か問題ありますか?
これの結論「ニセ科学信者を利する結果になってしまう」というのに異議を唱えます。
この結論は現在のグレーゾーン容認社会の場合で、私の「ニセ科学の裾野を広げてみんな真っ黒にしちゃえ運動」(推薦曲:R・Stones/Paint It Black)が社会的コンセンサスを得た場合には起こりにくい結論だと思うのですが。
我々は(今は私だけですが・・・^^;)ニセ科学から正当な科学に昇華しとものを正当に評価する社会を目指しています。
付けられるものなら副賞に安めぐみとお食事も付けたいぐらいです。

50. ガ — April 10, 2008 @10:37:21

「完全な白以外は全部黒」なんて論を聞くと、「何も信じない!」と言ってる人が簡単に騙される話を思い出してしまう。

51. TAKESAN Website — April 10, 2008 @14:27:21

今日は。
 
エントリー本文を読み返して思ったのですが、
 
きくちさん
 >科学とニセ科学のあいだにはグレーゾーン(それも、たぶん非常
 >に広い)があり
これは、「科学とニセ科学との間」にでは無く、「科学と非科学の間に」、だと思うのですが、違うでしょうか。※ここでの「非科学」は、狭義です。つまり、充分な検証によって否定されたもの、あるいは、科学的研究対象になり得ないもの。
 
「科学とニセ科学の間のグレーゾーン」というのがどういうものを指すのか、具体的にイメージ出来ないでいます。もしかすると、私のイメージと言うか、概念の捉え方が、他の皆さんと異なっているかも知れません。

Up52. 温泉カワセミ — April 10, 2008 @14:52:11

TAKESAN さん

>これは、「科学とニセ科学との間」にでは無く、「科学と非科学の間に」、だと思うのですが、違うでしょうか。

ワタシの考えでは「『信憑性(確からしさ)に関して』科学とニセ科学との間に」ではないかと思っています。

少なくとも『科学と非科学』はお互いに排他しあうものであって、同一評価軸上に載っけられるモノではない様な気がしますが如何でしょう??

53. TAKESAN Website — April 10, 2008 @15:10:11

>温泉カワセミさん
 
(すみません、答えになっていないかもですが)あ、もしかすると、私の「間」の使い方が、異なっているのかも知れません…。
 
イメージとしては、白(科学と認められたもの)と黒(科学的に否定されたもの)に「挟まれた」、「どちらとも言えない(確かめられていない、あるいは、確かめられている途中)」グラデーションのついた灰色の領域がある、という感じです。
私が書いた、「間」というのは、挟まれた所、という意味ですね。ですので、黒+灰色が、PseuDoctorさんが仰る所の「広義の非科学」という訳です。
で、PseuDoctorさんが書かれた「科学と広義の非科学との間」という表現に違和感を覚えたので(私が、「間」というのを、挟まれた領域と解釈したので)、科学的に認められたもの(白)と狭義の非科学(科学的に認め”られなかった”もの+確かめようの無いもの。つまり”黒”)の間(挟まれた所)に、灰色、つまり、まだ検証不充分な仮説(未科学)等が位置するのだというのを表現するために、上のように書きました。
 
うーん、かなり解りにくいですね…。私は、「間」というのを、「パンとパンの間にハムがある」、というのと同じような意味で捉えたのですよね。で、イメージとしては、温泉カワセミさんが書かれた、
 >『両端に白と黒を含んでいる連続的なグレースケール』
 
とほとんど同じものを浮かべています。私が書いたもので、温泉カワセミさんが仰る「両端の白と黒に」の部分に対応するものが、白:科学的に認められたもの、黒:科学的に認められなかったもの、確かめようの無いもの(狭義の非科学)  という事です。もちろん、「非科学」という語は、便宜的に用いています。PseuDoctorさんの用法に賛同するので、それに従いました。
 
で、「ニセ科学」というのは、灰色〜黒のものに、白というラベルを貼ったもの、だと考えています。そして、ニセ科学批判は、そのラベルを剥がす(apjさんを参照)活動だと捉えています。

Owner Comment きくち  April 10, 2008 @19:31:46

そもそも僕が曖昧に使っているので、混乱のもとはそこにあるのでしょう。
対象にしたいのは「科学とニセ科学」のグレーゾーンですが、「科学と非科学」の話もごっちゃにしていることがあります。
 
基本的には、「科学と非科学」「科学とニセ科学」「(内容として)正しい科学と正しくない科学」のすべてに対して、それぞれグレーゾーンはあるのだと思っています。
ベイズ主義があつかい、反証可能性で線が引けるかどうかの問題になるのは、「科学と非科学」のグレーゾーンですよね。それと「科学とニセ科学」はずれがある・・・はずです(^^;

ただ、上にも書きましたが、グレーといっても「みんながグレーという」ものもあれば、「50人は白といい、50人は黒という」ようなグレーもあると思うんですよ。後者は最近ならタミフルだったり温暖化だったりといったあたりにあったのかなという気がします(50:50だという意味ではなく)。
グレーであることが明らかなものをあたかも「白」であるかの言いふらすのはニセ科学なのだと思いたいのですが、一方で50%の科学者は白だと言ったというような話になると、ニセと言い切るのも難しそうです。
 
歯切れ悪くてすみません。
わからないものは、時としてそのわからなさがひととおりではなく、さまざまな意味でわからないのではないか、という感じなんですが。
もともとグレーゾーンが出てきたのは、グレーなものまで無理に「ニセかニセじゃないか」を決めなくていいのだという意図なので、なんというか、pendingなんです(^^;
 
トンデモブラウさんは、科学的にグレーなものなら、ニセ科学としてグレーではなく黒にしとけという話ですよね。
そうしといていい場合も悪い場合もあると思うんですよ。

55. A-WING Website — April 10, 2008 @16:52:20

よく分からなくなってきたので、改めてトンデモブラウさんの発言だけを拾って読んでみたのですが、ようするにトンデモブラウさんは、「素人(科学の専門家ではない人や、合理的な思考が苦手な人)の責任を軽くしよう」と考えておられるのかなと感じました。

仮にそうだとして。

もちろん素人は、専門家に比べれば責任は軽いわけですが、責任が軽くなってもニセ科学にだまされるリスクが減るわけではないし、専門家の負担が増えるだけだし、そしてその先は「考える人」と「考えない人」という、「人類の二分」、すなわち文明の衰退が待っている、ということになるんじゃないでしょうか。

Owner Comment きくち  April 10, 2008 @19:50:20

僕は主として意思決定の問題を念頭においていて、どうしたって個人が考えなくちゃならない場面はあると思うのですね

Up57. かも ひろやす — April 10, 2008 @18:38:22

トンデモブラウさんの「(略)一般人すべてに求めなくてもいいじゃん、(略)。専門家が略)理解していれば十分。」を読むと、専門家と一般人の間のグレーゾーンが見えていないように読めます。まるで、万能の専門家と無知蒙昧な一般人しか、世の中に存在していないみたい。

まさか、トンデモブラウさんがそんな粗雑な社会観をお持ちではないでしょう。反論くださると助かります。専門家と一般人の線引き問題をどのように考え、専門家と一般人のグレーゾーンに位置する人が、科学とニセ科学のグレーゾーンにどう対応するのが望ましいと考えておられるのでしょうか。

58. YMN — April 10, 2008 @21:16:40

 グレー・ゾーンを扱うひとつのアプローチとしてファジー理論があり、触りだけ簡単に述べます。
_
 \__ 小さい人
 
_/\_ 普通の人
   _
__/  大きい人
 
 例えば身長などは連続的アナログな数値ですが、人の思考パターンとして大、中、小などにカテゴリー化する傾向があります(単なる気分の問題ではなく、カテゴリーごとに法則性があるからこそ、それが意味を持つと言えるでしょう)。
そして、カテゴリーはスパッと領域で分けるのではなく、上の図のように0〜1.0の範囲の数値を取る適合度というのを定めます(確率に似てもいます)。
図の普通の人の適合度1.0のピークを170cm、「大きい人」の曲がり角を180cmとすれば、例えば175cmの人は「普通の人」の適合度0.5、「大きい人」も0.5ということになります(もちろん設定次第の話で、図のように直線的とは限りません)。
 
 「ああだからこうだから」といった理屈をこねること、つまり「AだからBだから」においてAであること、Bであることは真か偽かのどちらかになるのが通常の論理です。
ファジーの論理積、論理和、否定などを定義して、ファジー演算を行うことができます。
 
 ファジー理論を意識しなくとも、それらしきことを自然発生的にやっていて、荒唐無稽な話のありえなさという認識もそのような面があるように思います。
そして妙な屁理屈で荒唐無稽なことを主張し、常識を超えたインテリジェンスの持ち主気分というのが、トンデモさんにありがちなように思います。

59. PseuDoctor — April 10, 2008 @22:48:38

こんばんは。

えーと、前後しますが
>TAKESANさん
>PseuDoctorさんが書かれた「科学と広義の非科学との間」という表現に違和感を覚えた
そうですね。「三分法」という指摘もありますし「『間』にグレーゾーンが存在する」というのは誤解を招く表現ですね。私の前発言は全て「グラデーションを挟んで連続している」と読み替えてください。

−−−−−−−−−−
>技術開発者さん
>そういうきちんとした根拠を持って発表する以前に、「ヘッポコ熱がある」と言っている状態は「ニセ科学言説の提唱者である」という状態であることは変わらない
いや、変わると思います。単に「ヘッポコ熱の存在を主張する『だけ』」ではニセ科学ではありません。まあ、でも、別のところで「定義論に落ち込むのは想像力の不足」と仰られているので、私も「確かにヘッポコ熱の存在主張という言説がニセ科学的に作用する事もある」という点は認めましょう。

しかしその事と「真っ白以外は全てニセ科学とする」が妥当かどうかは、また別の問題です。たとえニセ科学という語を使うのが良いのかどうかを別にしても、二分法思考にはどうしても問題があると考えます。逆に言えば、なぜ「わからない(だから用心しよう)」ではいけないのか、という事です。
わからない事を「わからない」のカテゴリーに入れておけば
「わからない(全然わからない)」
「わからない(少しわかった)」
「わからない(かなりわかってきた)」
「わからない(殆どわかったけどまだ少しわからない所が残っている」
と連続的に変化させる事が出来ます。二分法ではそれが出来ません。温泉カワセミさんの仰る通り、グラデーションを意識する事が必要だと思います。

もうちょっと違う例を挙げます。
「人を見たら泥棒と思え」という言葉がありますよね。でもこれは「見知らぬ人は全て泥棒と言う事で確定!」という意味ではなくて「見知らぬ人は泥棒である(かもしれない)から充分に気をつけましょう」という意味ですよね。
それと同じだと思うんですよ。
「真っ白以外は全てニセ科学って事で確定!」ではなくて
「真っ白以外はニセ科学(かもしれない)から充分に気をつけましょう」と主張しているのです。これで充分だと思いますし、それ以上は断定すべきでないと思います。
ですから、そういう意味を踏まえたうえで、例えば「怪しいものを見たらニセ科学と思え」というスローガンを挙げられるのであれば、それはそれでも良いと思うんですよ。それならグレーゾーンを否定する二分法に陥る危険性も少ないでしょうから。

もしかしたら、最初からそういう事を仰りたかったのかな。

−−−−−−−−−−
>トンデモブラウさん
ああ、ようやく解りました。「ニセ科学」の指し示す範囲を拡張しよう、という主張なのですね。私はずっと「どうしてニセ科学でないものをニセ科学と呼ぶのだろうか」と不思議でしょうがなかったのです。まあ、あまり定義にこだわるとまた技術開発者さんに怒られてしまうかもしれませんが「ニセ科学」の示す範囲を「非科学」全体にまで拡張しようというのは、かなり大胆な御提案ですよね。
それとも、技術開発者さんと同じ事を仰りたいのですか?そこはまだ良く解りませんが、もしそうだとすれば、#1の発言は明らかに煽り過ぎですね。
私の読解力不足なのかもしれませんが、そうならそうと最初から明確にしてくだされば私の反応も全く違っていた筈です。

もし、それを踏まえたうえでもなお、
>予想された反応ですね。
と仰るのだとしたら、もしかすると私は「釣られた」という事ですか?
だとしたら、あまり気持ちのいいものではないです。
まあ、おそらくそんな事は無いだろうとは思うのですが、ちょっと気になっているのは事実です。

閑話休題。
>前段はそのとおりで何か問題ありますか?
黒がいきなり白になるという現実を一般の人が経験するわけですよね。
そういう事が当たり前に起こる社会に住め、という事ですよね。
という事は、いくら「黒だ!」と決め付けても「でも、明日には白になるかもしれませんよね?」と言われた時には「その通りだ」と答えるしかないわけです。
これは、現状のニセ科学信者のセールストークがそのまま有効だという事です。
つまり、わざわざニセ科学信者に隙を与えているのです。
更に、もしその際に「確実に白になってから出直してこい」と言うのであれば、私が推奨している態度と何が違うのか、という事です。

ですから、
>この結論は現在のグレーゾーン容認社会の場合で、私の「ニセ科学の裾野を広げてみんな真っ黒にしちゃえ運動」(推薦曲:R・Stones/Paint It Black)が社会的コンセンサスを得た場合には起こりにくい結論だと思うのですが。
というのは全く逆だと思います。
何でもかんでも「黒だ!」と決め付けていれば、逆に「黒」の意味するところが薄まってしまうでしょう?トンデモブラウさんの主張に従えば「全ての黒は明日には白に変わるかもしれない黒」だと一般の人が認識しているわけですから。
そんな不安定なものを「真っ黒」と呼ばれても全然納得できません。
だから「呼び方を変えただけで、結局はグレーゾーンの存在を認めているじゃないか」と思うのです。
なお、念の為書いておきますが、私は「存在を認める」と「容認する」を別の概念として使い分けています。例えば、私は凶悪犯罪が世の中に存在する事を知っていますが、決してそれがあって良いとも仕方が無いとも思っておりません。逆に凶悪犯罪などあるべきではないから、そんなものは存在しない事にすれば良い、とも思っておりません。

ところで、私は前発言の2点目で「一般人のとるべき具体的な対応例」を示したつもりなのですが、それについてはコメントが無いようです。
逆にトンデモブラウさんにお伺いしたいです。
私の推奨している対応方法で、何か問題がありますか?

−−−−−−−−−−
>ガさん
それこそ「二分法の罠」という事ですね。

−−−−−−−−−−
えーと、申し訳ありませんが、しばらくの間まとまった時間が取れませんので、これ以上議論が続いた場合でも、きちんとしたコメントを差し上げるのは一週間以上後になると思います。
御承知置き下さい。

60. トンデモブラウ — April 11, 2008 @10:12:48

ああ、またやらかしてしまった。
私は誤解されやすい、つまり他人に情報を正しく伝える能力がちょっと不足している、と分かってはいるのですがなかなか身に付かなくて申し訳ありません。(霊能者を笑えない・・・ハハハ)
 
「予想された反応」というのは、釣りや煽りのつもりはなくて、例えば温泉カワセミさんの書かれている
>科学を標榜するモノの信憑性のイメージは『白・グレーゾーン・黒』ではなくて、『両端に白と黒を含んでいる連続的なグレースケール』であって、大事なのは『どの辺りに位置してるグレーであるかを見極める必要があるのだ』と言うことを理解して貰うこと
というような『グレーゾーン』(あるいは科学)を正しく理解している人たちの意見のことです。
残念ながら、「大事なのは・・・」あまり一般人には理解できないと思ってます。
 
>PseuDoctorさん
>それは呼び方を変えているだけでグレーゾーンの存在を認めているのと同じ事だと思うのです。
>これでは、わざわざ「ニセ科学」という価値判断を含む言葉をあえて使っている意味が全くありません。
どう考えても、これは、非常にまずいです。
そういう意味もあって、上記の「判断を保留する」という態度で充分だろうと考えているわけです。
 
私の推奨する草の根運動が広まると、「判断を保留する」という態度の前に「黒い部分(ニセ科学)は(科学的には)認めない」となる訳です。
科学的には認めないけど、判断は自分でするよ、というのまでは止められません。
一般人の心構えなどは、PseuDoctorさんの意見と全く同じなのですが、一般人に『科学』を誤解されないようにしたいというのが私の草の根運動の動機です。
一般人にグレーゾーンの濃淡を判断させると、真っ黒なニセ科学まで簡単にグレーゾーンに含ませちゃうので、非常に危険だと思っています。
まぁこれもいい場合と悪い場合があることは確かなのですが、個人的には効果の方が高いと思っています。
 
>A-WINGさん
よく分からなくなってきたので、改めてトンデモブラウさんの発言だけを拾って読んでみたのですが、ようするにトンデモブラウさんは、「素人(科学の専門家ではない人や、合理的な思考が苦手な人)の責任を軽くしよう」と考えておられるのかなと感じました。
 
ちょっと違います。
責任を軽くするのではなく、負担を軽くしたいと思っているんです。
本当は素人に『科学』というものを理解してもらえればいいな、と考えています。
専門家に白黒つける考えを委任する、というのでもなくて、専門家は黒いものを白くなるように頑張ってもらいたいということです。(現状の白い領域はそんなに不鮮明でもないと思うのですが・・・)
ニセ科学に騙される人は減りませんが、ニセ科学を『科学的』だと思って騙される人は減るかなぁ、と。
 
>かも ひろやすさん
>トンデモブラウさんの「(略)一般人すべてに求めなくてもいいじゃん、(略)。専門家が略)理解していれば十分。」を読むと、専門家と一般人の間のグレーゾーンが見えていないように読めます。まるで、万能の専門家と無知蒙昧な一般人しか、世の中に存在していないみたい。
 
私のここで言っている専門家とは、今のグレーゾーン(私の提案では黒)にいる白に向かって研究している人達のことです。(理系の研究室なんかでは、隣の研究室での会話がほとんど理解できなかったりしますよね、私だけ・・・××なのか。)
その研究がどの程度白いのかは一般人が判断するのではなく、白くなってから世間で『科学』と認められる社会の構築を目指しています。
一般人にもいろいろ、というのは分かっているのですが、歩みの遅い人に合わせようと考えています。
とりあえず『科学的』には白黒に二分法で、もう少し理解できる人たちは黒いものの濃淡を独自に判断すればいいのではないでしょうか。
私は、全ての人にグレーゾーンの濃淡を判断させているのが、現状のニセ科学の蔓延だと思っているんです。
 
私の周囲にいるニセ科学や非科学に騙されている人達には、それがどうインチキか説明すると同時に、「ないことの証明はできない」ことも説明して、ちょっと乱暴ですが「十分なエビデンスが認められないものは『科学』ではない」と伝えています。
なので、不思議な現象を認めたい気持ちを覆すことはできませんが、『科学』ぢゃないことは分かってくれるようになりました。(ここではニセ科学も非科学もひとまとめ)
即効性のある提案ではないし、広まっても実は現状とたいして変わりはしないんですけどね。(^^;)
私の周囲には、風呂場でひっくり返って頭を打った拍子に凄い発想を思いつく、というような科学者像を形成している人も少なくないので・・・そりゃコメディ映画じゃん。
もっと本当の科学者は汗かいて頑張っているんだぞ、というのが伝わるようになればいいなぁ。

UpOwner Comment きくち  April 11, 2008 @11:23:30

なんとなくわかったのですが、運用の問題としては、「これはニセ科学である」と言ってしまうことと「はっきりしないから、とりあえず信じないことにしよう」ということは違いますよね。
 
「これはニセ科学だ」と主張するのは非常に強い主張で、やっぱりいろいろ調べてみて、「なぜニセ科学と呼んでよいか」を説明できる必要があると思うんですよ。だからこそ、「グレーがあっても、黒いものは黒い」という話なんで。
 
で、運用の問題ですが、トンデモブラウさんが求めているのは、「グレーなものもニセ科学と呼べ」ではなくて、グレーなものについては「はっきりしないから、今は信じなくてもいい」と言うってことじゃないですかね。ニセ科学と呼ぶ必要はないわけですよね。

62. 技術開発者 — April 11, 2008 @12:28:55

こんにちは、きくちさん。

 このあたり、私が過去にやっていた悪徳商法批判にも似たような議論があるんです。「悪徳商法」という言い方もずいぶん強い言い方ですからね。

 なんていうか、「効果が定かでないサービスの販売=悪徳商法」でもないんですね。「効果が定かでない」という事をどこまできちんと契約者に伝えているかという部分こそが「悪徳商法」の分かれ目なんですね。このあいだ、「発毛法を巡る民事和解」があったので、そのあたりをネタにして説明してみます(私の見るところ、きくちさんも私と同じで将来は危ない:笑)。

 なんていうか、その会社の発毛法というのは「必ず誰でも生える」というものでもないんですね。でもそれだけでは悪徳商法とは言えなくて、契約時に「必ず誰でもではない」と覚悟させて契約させたかどうかが焦点になるわけです。でもって、会社の方は「詳しく説明した」と言い、契約者は「生える可能性が高いかの様な説明だった」となっている訳ですね。さらに詳しく見ると、実のところ「フサフサ」より手前の段階の「ウブ毛が生える」で止まっちゃう例が結構あるんだけど、その当たりの説明がかなり不足していて、契約者が「ウブ毛が生えた」事で、「自分は生える方向の体質だ」と理解して、何年にも渉ってその育毛法にお金をつぎ込んだという経緯がありそうなんですね。つまり、この育毛法の会社さんの場合には、最初の契約の時には「必ず誰でもではない」はかなり説明している見たいなんだけど、途中のウブ毛の段階で「ここで止まる人もいる」みたいな説明がふそくしているというか、むしろ、「あと一息でフサフサ」みたいになっていたので、これは裁判をやると、まあ、負けるパターンなので和解された感じですね。

「悪徳商法」なんて言葉一つでも、まあこういう話になるわけです。

63. トド — April 11, 2008 @12:40:00

ここまでの皆さんのお話を読ませていただきましたが、よく理解出来ていません。

具体的に、今「科学」と「ニセ科学」のグレーゾーンにはどのようなものが「在る」のでしょうか?

私は「科学」と「ニセ科学」は対立するものだと思っていて、一つ一つの事柄は、現時点でどちらかに属していると認識していました。
なので、グレーゾーンというのは、これから出て来る新しいものについて、科学かニセ科学かの判定が下るまでの待ち合い所みたいなものかな、という感じです。

観念的なお話が多くて、具体例の提示が少ないのでイメージが掴めていません。グレーゾーンに置かれている具体例を挙げて頂けると有り難いです。

64. ちがやまる — April 11, 2008 @13:07:42

私がグレイで思い当たるのは温泉の効能表示です。
効能の証拠についてきびしく考えるなら、充分なランダム化比較試験の結果を待つべきである、という方がおられます。それは正しいと思います(1)。
と同時に、私は暖かいお湯や、それぞれ特有の成分、香り、雰囲気の中でのびのびするだけでも何らかの効果はありそうですし、これまでの歴史・経緯もあるようですので、そんなに目くじらをたてなくても、と考えます(2)。
(1)からすれば温泉の効能表示は黒、(2)は白に近いグレイ、という感じでしょうか。

65. TAKESAN Website — April 11, 2008 @13:02:51

トドさんのコメントは、尤もなものですよね。私も、昨日同じような疑問を持ったので、先のコメントを書いたのでした。
で、自分のブログでも色々やり取りをして、ある程度理解出来たような気がするので、私の考えを書いてみます。
 
科学とニセ科学の間のグレーゾーンとして、たとえば、「ゲーム悪影響論一般」が挙げられると思います。
ゲームの悪影響論として、それが攻撃性を高めるという意見や、直接的に犯罪行為の誘引になるというものまで、色々ある訳ですね。その意味で、そのような主張そのものに広がりがある、と言えます。
現在学問的には、心理学的にはゲームが短期的に攻撃性を高める事はあり得る、というのが、認められた知見だと思います(科学〜非科学の内の白側)。しかし、それらが犯罪などに大きな影響をおよぼすか、と言うと、そこには色々な意見がある(科学〜非科学の内のグレー)。
 
で、それらを、「どのように主張するか」によって、ニセ科学と言えるかどうかが変わってくるのだと思います。つまり、たとえば、「ゲームは凶悪犯罪を誘発する。それは科学的に実証された。ゲームは覚醒剤と同様の効果を及ぼすのだ」、と断言するものなら、それはニセ科学と言えるでしょうけれど、「ゲームによって攻撃性が高まる事が実証された」、と言うなら、それは、白〜グレーであると思います。
そして、「ゲームは前頭前野の機能低下を及ぼす」という説、つまりゲーム脳説は、明らかなニセ科学、と言えるでしょう。
 
私が考えるに、科学〜非科学のどこに位置付けられるか、という所と、それを「どのように知らせるか」、という所の乖離の度合いによって、ニセ科学と判定されるか否かは変わってくるのではないかと。あと、検討されている命題の内容も見る必要があるでしょうね。「ゲームは悪影響を及ぼす」、というかなり一般的な主張と、ある個人が提唱した「ゲーム脳」説とは、また異なるかと思います。
 
ちがやまるさんが挙げられた温泉の効能書き、というのもありますね。
 
今の所の私の認識はこんな感じですが、まだ充分整理出来てはいません。

Up66. 技術開発者 — April 11, 2008 @17:46:57

こんにちは、A-WINGさん、そして皆さん。

>そしてその先は「考える人」と「考えない人」という、「人類の二分」、すなわち文明の衰退が待っている、ということになるんじゃないでしょうか。

 これを読んで、少し考え込んでしまったんですね。私の歴史認識というか庶民史認識が皆さんとズレているのかも知れないんですが、私は人間というのはほとんどの場合「二分法思考」というか「結果が解ればいいや」みたいな意識を持ち続けていた様に思っています。そして、結果が解らなくてモヤモヤしてしょうがなければ、まあ手近な「物知り」に結果を出して貰っていた様な感じがある訳ですね。ちょうど、茸狩りをしてきた子供たちが村の爺さんに鑑定して貰っていたようにね。でもって、多くの場合にその「物知り」たちは「保守的な結果を示す」訳です、ちょうど茸の鑑定を「過去に食って上手かった茸以外は皆食えない方に分類する」という感じですかね。

現代において、そういう手近な「保守的な物知り」に尋ねるということが消え去り、なんていうかマスコミ情報とかで「自分で判断する」ということが求められているのかどうか、実はよく分からないんです。どこが解らないかというと、庶民が自分の方からそういう保守的な物知りから離れていく事を選択した結果としてそういうことが消え去ったのか、あるいは時代が無理矢理庶民をそういう作法から引き離したのかが解らないんですね。私はなんとなく庶民が自分の選択として「自分で判断する」としたような気になっていたので、じゃあ自分の力で戻れば良いという感じを持っていたのですが、もし、時代というのか無理矢理庶民をそういう作法から引き離したのなら、かなり難しいことだけど、長い間人間が本質的性質として持ち続けた「二分法思考を好む」を捨て去らないと成らない時期を迎えている事になるだろうと思います。ただ、それができるのかどうかは、解りません。

67. トンデモブラウ — April 11, 2008 @18:17:43

うまく言えないのですが、「グレーなものもニセ科学と呼べ」が直接の目的ではなくて、「ニセ科学をグレーから追い出せ」なので、ニセ科学だけを屏風から追い出すことができないのであれば、グレーゾーンもひっくるめて「黒」に含めてしまえば結果的にニセ科学がグレーから「黒」になる、ということなんですけど。
そのためのスローガンが「黒く塗れ!(今からグレーなものもニセ科学と呼ぼう。)」なわけです。
 
グレーゾーンがニセ科学の逃げ場になってるように感じるので。
ここでのグレーゾーンは、今はまだ解明されていないけど将来的に解明されるかもしれない現象の新規な説明、という意味。

68. A-WING Website — April 11, 2008 @18:48:08

>技術開発者さん

村の爺さんに頼るのは、コミュニティが1人の爺さんの下にぶら下がっている場合には有効なんだと思います。
しかし現在の状況は、沢山の爺さんが出現して、それぞれが違ったことを言ってるわけですよね。
で村人は「あの爺さんはこのキノコは食えるというが、この爺さんは死ぬと言う。あっちの爺さんに至っては死ぬこともあれば死なないこともあるという。いったいどの爺さんが正しいのか」となっている。「爺さんのインフレ」とでも言いましょうか。
こういう状態では、結局村人一人一人が、自分自身の爺さんを目指すしかないのかもしれない、と思います。たとえ無理な話であっても。

69. e10go — April 11, 2008 @23:45:20

>技術開発者 — April 10, 2008 @07:58:09
「ヘッポコ熱」「ポンコツ熱」の話しは、根拠のない「ヘッポコ熱」の主張ではそうなるでしょう。
しかし、根拠があってそれを示していれば必ずしもそうなるとは限らないでしょう。
病気の例ではありませんが、科学史に残る話しとして分子説が一つの例になると思います。

「アボガドロ定数」で有名な「アメデオ・アヴォガドロ」と電流計で有名な「アンドレ・マリ・アンペール」が同じ頃に、「分子の仮説」を提唱しましたが、彼らの死後に「アルバート・アインシュタイン」と「ジャン・ペラン」が分子の実在を証明しました。
それでも科学史上では「アヴォガドロ・アンペールの法則」という、分子説の提唱者としての名前が残っています。

最も根拠のある主張をしても、名前が残るとは限らないですが。
エイズが発見されてまだ原因が分かっていない時期に、報道番組で「エイズを発症させる未知の病原体があるはず」と主張した人がいたのを記憶していますが、HIVウイルスが発見された後に、その人の事は話題になっていません。


話しは変わりますが、「グレーゾーン」にも色々あるという意見も出ていますが、人によって「グレーゾーン」が異なる事もあります。(白・黒も異なる)
専門家が集まっても「白・グレーゾーン・黒」が異なるケースがあるし、一般人ならなおさら異なっても不思議しゃありません。
一例として、医療の創傷治療における消毒の是非を挙げてみます。

いままで「傷を消毒」するのは医療の常識になっていました。
病院にいって怪我を治療してもらうと、大抵は傷口を消毒されました。
しかし、最近は傷口を消毒しない病院(医者)もあります。
所謂「湿潤療法」と言う治療法ですが、そもそも何故「傷口を消毒」をしないのかと言うと、一部の医者が「消毒による治療効果」に疑問を持ったことが発端です。
詳しくは私がクドクド説明するよりも、下のURLを参照した方解り易いです。
http://www.wound-treatment.jp/title_kiso.htmLink

http://www.wound-treatment.jp/Link
(HP内のボリュームは大変多いですが、内容は分かりやすいです。ただし、一部グロテスクな写真もあるので、そのつもりで見てください。)

この「傷口を消毒しない(湿潤療法)」は医者の間では「白・グレーゾーン・黒」に分かれています。
「湿潤療法」が提唱されはじめた頃は、ほとんどの医者は否定的(黒)でした。それが徐々に「グレーゾーン」が増え、そして「白」が増えてきました。

しかし、世間一般では未だに「傷口を消毒する」のがほとんどの人で常識になっていますが、「ラップ療法、湿潤療法」の話を聞いて自分で調べた人はこれに対する「白・グレーゾーン・黒」が違ってくると思います。
また、病院(医者)にかかる時の選び方も違ってくるでしょうし、医者に見てもらわない程度の自分での処置の仕方も違ってくるでしょう。
結果的に治療効果の違いにつながると思います。

こういった事は、日常ほとんど話題になる事はありません。マスコミはあまり取り上げません。
一般人には知るきっかけがなければ従来の常識を持ったままです。しかし、何かの折にちょっとした話でも聞き、疑問を持てば自分で調るでしょう。
それによって、調べた人は「白」から「グレーゾーン・黒」に変わるかもしれません。(傷を消毒する、という意味で)

Owner Comment きくち  April 12, 2008 @11:11:51

上にも書きましたが、「人によって判定が違うもの」というのはまさにグレーゾーンであると考えています。
誰もが「グレー」と判断するものについては、比較的扱いが易しいのでは。 

Up71. JosephYoiko — April 12, 2008 @09:33:42

最初に白と黒があって、それからグレーゾーンを構成しようとするから、おかしな話になるのでは?
僕が44で書いたこと、(恐らくそれを受けて)温泉カワセミさんが分かりやすく書き下してくださった45を考えてみて下さい。
出来れば、きくちさんの見解もお聞きしたい。

Owner Comment きくち  April 12, 2008 @20:42:12

「ニセ科学」と判定するにはそれなりの説明ができる必要があって、とりあえずpendingでいいものはpendingでいいじゃん、という感じなのですが。
 
「ニセ科学」そのものが多様で、「なぜニセと呼べるのか」はひととおりではないですよね。
僕はニセ科学について話すとき、多くの場合、代表例として「血液型性格判断」「マイナスイオン」「水からの伝言」の三つを挙げて、それがどういうものでどういう意味でニセ科学かという議論をします。これらは「科学を装っているが、科学とは呼べない」という点で共通すると考えていますが、「どう装っているか」についても「科学と呼べない理由」についても個々にかなりの違いがあります。
むしろ、そういう「かなり違うもの」に対して共通点を見つけて、ひとつの大きな問題として提起しようとしたときに「ニセ科学」という言葉で括ったということだと思います。その意味で、「ニセ科学」というのは「問題設定」でしょう。
 
「グレーであるかどうかを判定する」というのはいささか妙で、「これはどう考えてもニセ科学だよねえ」というものを「ニセ科学」としておいて、そういう実例を溜めていけばいいのだと考えているのですが。

73. zorori — April 12, 2008 @09:57:13

トンデモブラウさんのおっしゃることは、いわば便法ですよね。10の事例のうち7から8はこのように判断すればうまく行くのではないかというような。便法の議論は論理的に行っても、不毛に終わるような気がします。どちらとも言える理屈(へ理屈)が成立しそうだからです。ここは、具体的事例にたくさん適用して、7〜8割はうまく行きそうだというような検証をしなければ平行線に終わるような気がします。それで、タミフルの例はうまく行かない例としてあげられたわけですよね。

74. ちがやまる — April 12, 2008 @14:00:50

何か基準を設けて「ニセ科学」というものを認定しよう、などという話は初めからないわけですよね。「ニセ科学」(水伝を想定)は、科学を装うことで人に取り入ったり、科学と対比したりすることでおかしさが明確になったりする、というその点で「科学」と関係する。

それなら、どこがおかしいかをちゃんと説明する、というのが第一歩でしょう。相手が承服するかどうかはわからなくても。「科学」がとばっちりを受けなくてはならないような話ではありませんよね(「科学」というもの自体も一筋縄どころか縄でくくれるものかもわかりませんがそれはまた別の話ということで)。

科学を装うおかしなものをなんでも「ニセ科学」と呼ぶことにも注意が必要だよ、と。TAKESANさんが挙げられたゲーム脳の例で明確なように、あやしい測定器で「前頭葉の機能変化」を演じてみせるのは明らかに「ニセ科学」ですが、ゲームのような負荷で脳にどんな変化が生じるかという問題設定で科学として検討すべきことならたくさんあるでしょう。そんな話題をひとくくりにしてとりあえず置いておく場所が「科学とニセ科学のグレイゾーン」、てことで困ることはありますか?

Owner Comment きくち  April 12, 2008 @20:00:32

これはグレーゾーンです、という話をするための「グレーゾーン」じゃないと思うんですよ。
むしろ、「ニセ科学と呼ぶべきかどうかわからない」ものを「科学」と「ニセ科学」のどちらかに無理に分類しなくてもいいではないか、ということです。
なんというか、「ニセ科学」と断言するのはかなり強い主張ですから、それなりの慎重さを要するわけですよね。
個々の「ニセ科学」については、「なぜ自分はこれをニセ科学と呼ぶか」を説明できる必要があると考えています。

なんだか怪しいけどニセ科学と断定するのもどうかなあ、というものは、とりあえずグレーにしとけばいいのではないかと思うのですが。
グレーなものの位置づけは人によっても違うだろうし、状況が明らかになるにつれてはっきりしてくるかもしれないし、ならないかもしれない。

76. ちがやまる — April 12, 2008 @18:01:43

あ、しまった。かの有名なふま氏でしたか?
消す時には私の返事↑も一緒にお願いします。

Owner Comment きくち  April 12, 2008 @20:08:06

AGLA氏(a.k.a.マンガか、など)のコメントは隠しました。
AGLA氏は物理に詳しいし、少なくとも物理科学については僕よりよくわかっていそうなのですが、残念ながらマルチハンドルだしコメントの手口がふま君と同じなので、このブログでは議論の相手にできません。惜しいといえば惜しいけど、相手をした場合の展開がだいたい読めてますから、しょうがないですね。
AGLA氏がふま君と同一人物かどうかについて、ここでは断定しませんが、よそで断定されてますね。

Up78. 念力(=室井=AGLA?) — April 12, 2008 @20:56:37

物理専攻の阪大教授がド素人(少なくとも物理の正規の大学教育を受けたことはない)相手に何をおっしゃいますやら
物理ファンではありますけど

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