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タイヤ直撃事故 ボルトすべて破断、一部は以前から?

2008年04月12日03時00分

 東名高速の吉田インターチェンジ付近で11日午前に起きたタイヤ脱落事故。トラックにタイヤを固定するボルト8本はすべて破断し、うち2本の破断面にはさびが付いていた。専門家は、2本は事故以前から折れていて、残ったボルトに過大な力がかかった可能性があるとみている。

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脱落したタイヤをおいてトラックを調べる捜査員=11日午後6時27分、静岡市駿河区の東名高速静岡IC、堀英治撮影

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タイヤが脱落したトラックの左後輪=11日午後、静岡市駿河区の東名高速静岡IC、堀英治撮影

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タイヤが外れたトラック=11日午後1時42分、静岡県牧之原市、本社ヘリから、飯塚晋一撮影

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■300メートル手前で異音

 県警の調べなどによると、現場は片側2車線で、トラックから見てゆるやかな右カーブ。脱落したタイヤは直径約1メートル、重さ約100キロで、高さ95センチのガードレールに当たって跳ね上がり、さらに中央分離帯の高さ1.35メートルのフェンスを越えて反対車線に飛び込み、追い越し車線を走ってきたバスのフロントガラス右上を直撃したとみられる。

 トラックの車軸は前1本、後ろが2本。タイヤは前の車軸に左右1本ずつ、後ろの車軸はそれぞれ左右2本ずつで、計10本のタイヤがついていた。後ろの車軸のうち、前方左側の外側のタイヤ1本が外れた。

 トラックの植木丈喜運転手(37)は県警の調べに対し、「300メートル手前で『ガラガラ』という音がした。バックミラー越しに、外れたタイヤが車の右後方をボンボン跳ねながら道路を横切り、中央分離帯にぶつかってダイブしているのが見えた」と話しているという。

 脱落したタイヤの折れたボルト8本のうち、2本の破断面は、さびて茶色に変色していた。国土交通省関係者は「さびたボルトは、事故のかなり前から折れていたと考えられる。その状態で走り続けたため、残り6本も折れて車輪が脱落したのではないか」とみる。自動車の構造に詳しい別の専門家も「破断面に雨水がしみこんでさびていたのでは」と指摘する。

 トラックを製造したいすゞ自動車によると、この車両は95年に販売されたもので、同じ型式は94年10月〜96年10月に計650台作られ、販売されている。国交省は同社に脱落についての調査を指示。同社は過去に同様の事故がなかったかどうかなどの情報を集めている。

 植木運転手は産業廃棄物収集運搬業の京阪産業(本社・静岡市)で働いていた。この日は静岡県富士市でプラスチックの廃材を積み、愛知県方面に向かっていた。

■トラックの会社側「たぶん過積載」

 京阪産業の癸生川(けぶかわ)正司専務(60)は11日夜、朝日新聞の取材に対して「(タイヤが外れた)トラックは過積載だった懸念がある。たぶんそう(過積載)でしょう。過積載でないと採算がとれない業界なんです。定期点検の結果などは会社として把握していない。運転手任せにしてしまった。反省している」と話した。

■死の直前、サイドブレーキ

 バスは名阪近鉄バス(本社・名古屋市)の大垣営業所の所属。静岡県の大井川鉄道のSLに乗る日帰りツアーの客39人と、死亡した運転手の関谷定男さん(57)、ガイドの乗務員の計41人が乗っていた。

 「前を向いていたら、タイヤがフロントガラスから飛び込んできた」。妻や友人とバスの後方の座席に座っていた柴田道義さん(66)は、タイヤが縦に回転しながら突っ込んできたのを見た。「何が何だか分からずびっくりした。顔にガラスの破片が刺さっている人もいた」

 ガラスを突き破ったタイヤは車内に入り込んだ。最前列にいた大脇まさをさん(82)は「タイヤが運転席の上を飛んできて、運転手さんを直撃した」。タイヤは座席のすぐ真横にまで転がってきて、そのあと乗降口の階段の下へ転がり落ちていったという。

 前から5列目に座っていた若尾正治さん(65)は左まぶたが切れ、ジャンパーに血のあとがついた。「下を向いていたらボーンと音がして、通路を細かいガラスがザーッと流れた」と語る。

 若尾さんは、バスは急に止まることはなく「スーッと停車した」という。大脇さんも「バスガイドさんが慌ててサイドブレーキを引こうとしたら、すでにブレーキは引いてあった」と証言する。

 同バスの幹部は「県警の人が『あの状況でよくブレーキを引いた』と言っていた。運転手は、意識があるかないかの状況のなか、タイヤの衝突地点から200メートル以内で車を止めたらしい」と話した。

■死亡した関谷さん、57回目の誕生日

 名阪近鉄バス大垣営業所(岐阜県大垣市)によると、死亡した関谷さんは84年に入社したベテラン。11日は57回目の誕生日だった。同営業所の運転手47人の中では4人しかいない「師範運転手」の肩書を持ち、若手運転手の指導役を務めていた。

 同僚の一人は「とにかく面倒見のよい人で、常にお客さんのことを考えていた。時間があるなら少しでも景色のよいところを、とルートを考えたりしていた」と話した。同社観光バス営業部の熊谷好弘岐阜支店長は「ガラス1枚なので避け切れなかったのだろう」と悔しがった。

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