日の丸・君が代の記事。
私の記事ではあまり出てこないテーマだけど。
この話題になると、熱くなる人がいっぱいいるんだなぁ、と思うけれども。
でも、よく考えてみれば、大谷さんに指摘された通り、日本では国旗と国歌が法律で定められたのは1999年。戦前も含めて、日本で法律で日の丸が国旗になったのは、このときがはじめて(ちなみに、記事は修正を御願いしておきました)。
日本人は、前の戦争のとき、この国旗と国歌のもと、他の国を侵略したかも知れないが、日本人もこの旗と歌のもと、多くが殺された。
それが「国を守る」などの美辞麗句でいかに飾られていようとも、要するに「殺された」ことに変わりはない。
母が子を失い、母子が父親を失った、という事実は消しようがない。それは悲しい事実であって、それ以外ではない。権力の圧力によって、それとわかっていても、死地に赴く以外の選択はできなかったのだ。
いや、太平洋戦争の前でも、こんな歌があったのだから。
ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけは まさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せと をしへ(教え)しや
人を殺して死ねよとて 二十四までを そだてしや
堺の街の あきびとの 旧家をほこる あるじにて
親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり
君死にたまふことなかれ、 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。
ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に いたましく わが子を召され、家を守(も)り
安しときける大御代も 母のしら髪(が)は まさりぬる。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや 十月(とつき)も添はで わかれたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ。
与謝野晶子
---
日本の国旗と国歌は、多くの議論を呼んでいるが、それは日本人が日本の政府のやったことの被害者であった、という事実もまた、一方にあるからにほかならない。
どんな死でも、人の死は美しいものではない。
ましてや、強制された死であれば、なおさらだ。
日本人にとって、今の国旗と国歌は、そういう複雑な思いの下にある。
そして、それ以外ではない。
コメントは投稿者の責任においてなされるものであり,サイト管理者は責任を負いません。