2008年4月2日、東京・渋谷駅のハチ公口を出たら、「忠犬ハチ公」の上で桜が咲いていた。満開だった。「忠犬ハチ公」のまわりは、待ち合わせの人たちでごった返している。ハチ公が見えないくらいだ。
ハチ公、見えますか(撮影:小牧みどり) ハチ公は、かわいがってくれる主人を、渋谷駅に出迎えに来ていた。けれど、ある日、主人は急死してしまった。ハチ公は、主人が帰ってくると思い、毎日、駅で待っていた、という話しである。これだけの話なら、銅像にまでは、ならなかったのではあるまいか。 主人亡きあとの、犬の運命は悲しいものだった。明治生まれの私の祖母は、渋谷に住んでいたので、駅でハチ公を見たことがあると言っていた。祖母が見た犬は、汚れた野良犬に過ぎなかったようだ。 渋谷駅ハチ公口は待ち合わせの人でいっぱい・・・(撮影:小牧みどり) 太平洋戦争が激しくなると、金属はすべて没収され、渋谷駅のハチ公の像も壊されてしまった。再建されたのは、戦後3年、1948年だという。しかも、全国の市民からの募金によるものだった。(詳しく知りたい方は、『忠犬ハチ公のおはなし』をどうぞ) 戦争前に限らず、戦後の食糧難の時代、野良犬は多かった。今のように、太った犬などいなかった。ドッグフードなど、もちろん、ない。 ハチ公が渋谷駅に毎日来ていたのは、亡き主人を待っていただけではなく、むしろ、エサをもらうためだったのではないだろうか。 今、日本は、また戦争ができる国になろうとして、憲法9条を形骸化しようとしている。イラクやアフガン、パレスチナ、イスラエルでは、犬たちはどうしているのだろう。 そんなことを「忠犬ハチ公」から連想するのは、桜が咲いていたせいかもしれない。あるいは、渋谷ユーロ・スペースでパレスチナのドキュメンタリーを見たばかりだからかも知れない。
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