太平洋戦争中の沖縄・座間味島、渡嘉敷島での住民集団自決に軍の命令があったかどうかが最大の争点となった「沖縄ノート」裁判で、大阪地裁は「日本軍が深くかかわったと認められる」との判断を示した。
大江健三郎さんの著作「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして損害賠償や出版差し止めを求めた両島の守備隊長やその遺族の主張は全面的に退けられた。
軍の関与認定にまで踏み込んだことは、歴史認識や沖縄の心、極限状況における軍と国民の関係を考える議論に一石を投じるもので、その意味は大きい。
裁判の中で大江さんは、当時の軍と住民の関係において住民は集団自決しか道はないという精神状態に追い詰められており、日本軍としての強制・命令はあった、と主張していた。
判決は、大江さんが引用し、「軍命令があった」とする戦後間もなくの証言集などの資料的価値を認め、住民証言は補償を求めるための捏造(ねつぞう)だとする原告の主張を否定した。
さらに、集団自決に貴重な兵器である手りゅう弾が使用されたこと、集団自決したすべての場所に日本軍が駐屯していたことなど、事実を一つ一つ積み重ねて軍の関与があったと判断し、大江さんの主張をほぼ認めた。
裁判は、06年度の高校日本史教科書の検定にも影響を与えた。文部科学省は、原告らの主張を根拠の一つとして、軍の「強制」があったという趣旨の記述に対して検定意見を付け、これを受けていったんは修正、削除された。
しかし、沖縄県民をはじめとした激しい反発が起こり、軍の「関与」を認めたり「強制的」とする記述が復活した。判決は、当初の検定意見に見られる文科省の認識のあやふやさに疑問を突きつけた形で、文科省として反省と検証が必要である。
沖縄県民の反発の背景には、本土防衛の捨て石にされたという思いや、それをきっかけに現在の米軍基地の島と化したことへの怒りがある。
判決は、当時の軍がいったん米軍に保護された住民を処刑するなど、情報漏れを過度に恐れていた点を指摘している。国民を守るべき軍隊が戦闘を最優先目的として国民に犠牲を強いた構図が浮かび上がり、沖縄県民が共有する不信を裏付けたことになる。
裁判はさらに上級審に持ち込まれ、論争の長期化が予想される。だが、戦後六十余年がたち、集団自決への軍の命令の有無という個別の行為について確認することは難しくなっている。
しかし、客観的な事実の検証なくして、歴史の教訓を導き出すことはできない。判決はそうした点で、一つ一つの事実を冷静に判断することの重要性を示したものと受け止めたい。
毎日新聞 2008年3月29日 東京朝刊