No.
40
展示物の名称
東京の片隅で、インドと日本の友好をさけぶ
出展者
taka



サッカーアジアカップでの、中国での激しいブーイングの嵐は、平和ボケした日本人には、ショックでした。
そのあとのワールドカップ予選のインドでの戦いは、アウェーにもかかわらず、インド人は日本人に対して深いフレンドシップを示してくれたと、観戦に行ったサポーターは声をつまらせて話していました。(サポーターの心は常に熱いですからね!)
また、ソルトレーク・スタジアムの電光板には、こんなメッセージが試合の間、表示されていたそうです。「LONG LIVE INDO-JAPANESE FRIENDSHIP」

インドではなぜ親日家が多いのか?この試合をレポートした9月9日付けのスポーツナビの記事から抜粋します。
--中略--
先日、レストランで相席になった地元のビジネスマンに、インドではなぜ親日家が多いのか尋ねてみた。彼の答えは、このようなものであった。
「さあ、考えたこともありませんね。ただ、われわれの日本人に対する親愛と友好は、少なくともチャンドラ・ボースの時代から続いていることだけは確かです」
チャンドラ・ボースとは、コルカタが生んだインド反英独立運動の指導者である。英国支配からの祖国独立を目指していた彼は、第2次大戦中に「敵の敵」であるナチス・ドイツと日本に軍事協力を申し出、旧日本軍のインパール作戦にも従軍。一時は自由インド仮政府の首班に就任するも、真の独立を達成できないまま日本は敗戦を迎え、自身も終戦直後に台湾で飛行機事故による不慮の死を遂げた。当地では今もチャンドラ・ボースへの歴史的評価は高く、ここコルカタの国際空港にも彼の名が冠されている。そしてその遺骨は、故国から遠く離れた東京・杉並の蓮光寺に仮安置されているという。
---以下略---

そうなんです。インドの国会議事堂の正面にはチャンドラ・ボース。その右にはガンジー。左にはジャワハラル・ネール(初代首相)の肖像画が掲げられており、インド独立の最功労者として扱われているそうです。
この偉大なチャンドラ・ボース氏の遺骨は、なぜか我らが東京の中心のはずれ、杉並区の和田三丁目にある蓮光寺に丁重に安置されているのです。命日の8月18日には毎年インドと日本の関係者が集まり慰霊祭が開かれています。
東京の杉並区の名物は、「荻窪ラーメン」だけではありません。蓮光寺は、インドと日本の、親愛と友好の基点です。「LONG LIVE INDO-JAPANESE FRIENDSHIP」


インド国民意識調査 2002年度
「好きな国」の1位は日本(33%)、2位米国(29%)、3位英国(7%)、
「行ってみたい国」の1位日本(31%)、2位米国(30%)、3位英国(7%)
「日本は信頼できるか」では信頼できるが45%、かなり信頼できるが25%


チャンドラ・ボースといえば、インド独立運動の志士ですな。ガンジーやネールに比べるとあまり知られていませんが、実は日本と関わりの深い人。これからの日印友好のためにも、われわれはもっと彼について知らなければいけませんね。