軍関与を司法明言 元隊長、悔しい表情 沖縄ノート判決2008年03月28日11時57分 集団自決は、旧日本軍が深く関与した――。岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐる28日の大阪地裁判決は、沖縄・渡嘉敷島の島民らの悲惨な集団自決の背景に軍の存在があったことを明確に認めた。体験を語り継いできた島民らは安堵(あんど)の表情を浮かべ、「歴史の改ざん」を許さなかった判決を評価した。「国民に死を命じるわけがない」と主張してきた元戦隊長らは原告席で、訴えを退けた裁判長を凝視した。 紺色のスーツ姿で被告席に座ったノーベル賞作家の大江健三郎さん(73)は表情を変えずに判決に聴き入り、最後に裁判長に一礼した。 「今回の判決で、軍の関与は非常に強いものだったことが明らかになった。教科書に『関与』という言葉しかなくても、教師はその背後にある恐ろしい意味を子どもたちに教えることができる」。大江さんは閉廷後の会見で判決の意義を語った。 太平洋戦争が始まった41年の春、故郷の愛媛県で国民学校(現在の小学校)に入学。軍国教育で「生きて虜囚の辱めを受けず」という訓示を受けた。戦後、中学時代に施行された憲法の9条が、その後の人生の「原点」になった。 「将来の日本人が、沖縄戦での悲劇をもう一度繰り返すことにならないか。1945年の経験がありながら、日本人はタテの構造への弱さを克服していないのではないか」。大江さんはそんな懸念を抱き、日米安保問題で揺れる70年に「沖縄ノート」を出版した。これまでの出版数は32万部を超える。 戦後文学の旗手として平和と反核に根ざした文学活動を続け、94年にノーベル文学賞を受賞。戦後60年が近づく04年6月、哲学者の鶴見俊輔さんや作家の故・小田実さんらと「九条の会」を結成。平和憲法の大切さを各地で講演し、戦地イラクへの自衛隊派遣も続くなか、市民に輪を広げていった。そんな活動のさなか、訴訟が起きた。 昨年11月の本人尋問では証言台に座り、自らつづった陳述書を手に、3時間にわたり質問に応じた。集団自決は、当時の沖縄の人々が「皇民化教育」を受け、捕虜になる「辱め」を軍が許さない中で、軍と住民の「タテの構造」において強いられたと主張。著作について「訂正する必要を認めない」と言い切った。 判決前、大江さんは朝日新聞の取材に「判決にあたって」と題する手書きの回答文を寄せた。「口頭なり文書なりの命令があったかなかったかは、『集団自決』の結果を揺るがせはしない。日本軍の構造の全体が、島民たちにこの大量の死を強制した」と改めて考えを述べ、こう結んだ。 「日本の近代化をつうじて行われた『皇民教育』のイデオロギー復活に道を切り開かぬように努力する。それが私の作家活動の、終生の目標です」 ◇ 元座間味島戦隊長の梅沢裕さん(91)は、悔しそうな表情を浮かべ、判決を読み上げる深見敏正裁判長を原告席から見つめ続けた。 日中戦争が激化する1939年、中国北部の戦地へ。44年、米戦艦を「特攻艇」で攻撃する任務を帯び、沖縄本島西側にある座間味島の部隊を統括する戦隊長を命じられた。当時27歳。終戦5カ月前の45年3月、米の上陸作戦で部下は相次ぎ命を落とした。米軍が攻撃を強めるなか、約130人の住民は集団自決で命を絶ったとされる。 戦後10余年がたったころ、住民に自決を命じた元隊長と週刊誌で報じられた。「ショックだった。お国のために必死で戦ったのに」。軍の命令とした「沖縄ノート」のほか、教科書も「軍の強制」と指摘するようになった。85年、沖縄ノートにも引用された住民らの証言集「沖縄戦記・鉄の暴風」を出版した沖縄タイムス社に訂正を申し入れたが、断られた。戦友らの勧めもあって戦後60年の夏、元渡嘉敷島戦隊長の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)とともに「名誉を回復したい」と提訴した。 昨年11月の本人尋問で、集団自決は、米軍上陸前に沖縄知事や各町村幹部らが県民集会で決議し、座間味島の助役らを通じて出した「行政側の指令だ」と持論を展開した。証言台に座る大江さんに原告席から厳しい視線を投げかけ、大江さんへの不満を記者会見であらわにした。「国民に死んでくれ、などという兵はいるわけがない」 今月8日、原告側の判決前集会が大阪市で開かれ、元軍人から大学生まで支援者ら約200人が集まった。梅沢さんは壇上に立ち、マイクを手に訴えた。「沖縄で戦った部隊ほど悲しく寂しい軍隊はない。私や赤松が『悪役』とされたから、(『軍の命令』ということで集団自決の)犠牲者側は遺族年金をもらい、沖縄も復興した。しかし、真実は一つなのです」
判決後、梅沢さんと元渡嘉敷島戦隊長の故・赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)は会見場に姿を見せず、弁護団が会見。弁護士によると、原告の2人は判決後、「本当ですか」と驚き、落胆した様子だったという。 徳永信一弁護士は「軍が関与したという事実をもって、隊長2人が自決を命令したという名誉棄損表現を免責するのは論理の飛躍だ。裁判所は逃げたという思いを禁じ得ない」と述べた。 PR情報この記事の関連情報社会
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