現在位置:asahi.com>暮らし>暮らし一般> 記事

おいで限界集落に U・Iターン者らが再生計画 長崎

2008年03月25日00時52分

 過疎で廃校となった校舎や耕作放棄地だった田んぼを再生して「博物館」に見立て、都市住民にスローライフを学んでもらう。そんな計画が今月末から、長崎県五島市・福江島で本格的に始まる。名付けて「田園ミュージアム構想」。島民も「学芸員」としてひと役買い、農業や島の民俗史を教える。大量退職していく団塊世代にアピールし、脱・限界集落を目指す試みだ。

写真

今年の田植えを控えて田んぼを見回る浜口さん夫婦。周囲は小高い山に囲まれている=長崎県五島市奥浦町で

写真

旧校舎に集まった浜口孝さん(中央)、月川竜司さん(左端)ら=長崎県五島市戸岐町で

地図

  

 構想の主体となるのは、Uターン・Iターンした人や島の住民が立ち上げた「新現役の会&農援隊」。

 代表の浜口孝さん(54)は東京出身の企画プランナー。農業誌の編集に携わり、全国の農村を巡った。06年8月に初めて福江島を訪れ、恵まれた自然やおおらかな人々、キリシタンや遣唐使が絡む豊かな歴史にほれ込んだ。

 昨夏には、耕作放棄地になっていた田んぼ3反を耕し、無農薬で稲作を始めた。当初は島民から「ままごと」と言われたこともあったが、収穫した米を数キロずつ配ると「よくやった」と認められた。

 都市住民を受け入れる研修、宿泊施設として、長年使われていなかった島北東部の半泊地区の旧小学校舎を市から借りて整備。昨年11月には、内閣府の地域再生計画の認定を受けた。教室の机やいす、教師用の大型三角定規や顕微鏡をそのままにし、訪れた人に子どものころを思い出してもらえるよう工夫した。食事は、かつて島に赴任した教師らが使っていた台所や器具で自炊する。

 同地区は戦後、数十世帯が暮らしていたが、今は4世帯のみ。大正期に建てられた教会でのミサも月1回になった。漁師宮川喜一さん(75)は「車の運転ができないので、何かあった時が不安。若い人が来てくれるとうれしい」。

 地元住民の月川竜司さん(35)は、市内の会社をリストラされた後、活動に加わった。「公共工事が激減したため、島の企業は次々に倒れ、景気は悪くなる一方。島で暮らしていける方法を探していた」。田んぼでの無農薬農法に取り組み、今後はU・Iターン者らも巻き込んで稲を育てたいと思い描く。

 浜口さんは昨年9月、「おばあちゃんの原宿」の異名を持つ東京・巣鴨で五島うどん店を開店。島の案内を置き、特産品を販売して、中高年へのPRを進めている。

 さらに今年1月にUターン組のヨシノさん(54)と結婚。島に溶け込みたいと、姓をヨシノさん側の「浜口」に改め、2月には住民票を福江に移した。うどん店は、趣旨に賛同した若者の夫婦に任せ、旧校舎で寝起きし、都会から島へ来る人の研修にあたる。

 29日には、講師を招き、島民らを対象に初めての授業を開く。テーマはエコライフ。今秋からは、島への定住を希望する5人のU・Iターン者を受け入れる計画だ。

 九州地方整備局の1月の調査によると、長崎県内には過疎と高齢化で存続が危ぶまれている限界集落が149あり、うち54が五島市内に集中する。「僕たちが目指すのは、過疎という野武士から集落を守る『七人の侍』。UターンやIターンによる集落再生を成功させ、各地に発信したい」と、浜口さんは意気込んでいる。

PR情報

このページのトップに戻る