iPS細胞誕生までの足どり 山中教授講演全文(3)2008年03月24日16時19分 私たちの研究室が取り組んできたのは、なんとかES細胞のいいところは残して、問題点それだけを克服できないかということを大きな目標に研究を行っています。具体的には患者さんご自身の皮膚細胞とかそれ以外の体の細胞から「初期化」という現象を引き起こして、ES細胞と同じようなそっくりな万能細胞を作れないか。
初期化というのは時計を巻き戻すといいますか、逆戻りさせる、そういう現象のことを初期化といいます。元に戻すという意味です。ですからいったん、皮膚細胞等に完全に、もともと受精卵だったのが200種類以上のいろんな細胞に分化しているわけですが、その分化の時計を巻き戻せないかということに挑んできました。こういうことがもしできたら、患者さんご自身の細胞を使うわけですから、拒絶反応であるとか受精卵の利用といった問題がなくなるわけです。 しかし、この皮膚細胞とES細胞は見た目も能力もぜんぜん違います。そういうぜんぜん違う細胞からES細胞みたいな細胞ができるのか。できないことに税金を使う、国の研究費を使うというのはやはり許されません。でも、僕たちは「できる」と考えました。この研究を始めたのは2000年の最初でした。いまから8年、9年前でしたが、そのときに「これはむずかしいけれども、できるんだ」と考えました。 なぜかといいますと、皮膚の細胞もES細胞も顔、見た目はぜんぜん違いますが、設計図は一緒なんですね。細胞にとっての設計図は何かといいますと、それは遺伝子です。私たちすべての細胞には大体2万数千個の遺伝子があると言われています。その遺伝子はどの細胞も同じ遺伝子を持っています。辞書に例えますと、2万ページくらいの辞書が全部の細胞に備わっています。 でも、なぜ同じ遺伝子、同じ辞書なのに皮膚になったりESになったりするかといいますと、その2万ページのうち、読まれるページが細胞によって違うんですね。せいぜい数千ページぐらいしか読まれません。2万から数千という組み合わせはいろいろありますから、そのどこが読まれるかによってぜんぜん違う細胞になります。 そのときにどこを読むかという大事な役割をするのが読み手です。設計図の読み手に相当するのが難しい言葉では「転写因子」と言われている因子です。この転写因子、読み手が細胞によって違います。例えば皮膚細胞では青の読み手が頑張っていまして、この青の読み手が遺伝子の青の部分、辞書の青いページだけを読み取ります。そこから実際にはRNAができて、蛋白質(たんぱくしつ)ができる。生物で習われた方も多いかと思いますが、蛋白質ができて、これが設計図を読むという意味ですが、最終的にはこの青の蛋白質の組み合わせが皮膚という性質を決定します。 ES細胞ではどうかといいますと、別の読み手、赤の読み手、転写因子が別の遺伝子ですね、辞書の赤いページだけを読み取りまして、赤のRNAができて、赤の蛋白質ができて、そしてES細胞になる。設計図は一緒なんです。読み手が違うんです。ですから私たちは「設計図が一緒だったら皮膚細胞からES細胞はできるんじゃないか」。設計図が違っていたらちょっとあきらめたと思うんですけれども、設計図が一緒だからできるはずだと考えました。 具体的にはどう考えたかといいますと、この皮膚細胞にES細胞で働いている読み手を無理やり入れてあげたら、いままで青いページを読んでいたわけですが、そこに赤い読み手を入れることによって赤のページが読まれるようになって、性質がころっと変わってES細胞にそっくりの細胞ができるんじゃないか。ES細胞の「E」はエンブリオのEですので、要するにエンブリオというのは胚(はい)ですね。胚から作るからES細胞と言いますので、この方法で作ると、もはやES細胞とは言いませんので「ES類似細胞」と書いています。 こういうふうに考えました。そこでまず最初に行った研究は「じゃ、ES細胞で働いている読み手を全部探してこよう」。その読み手も実は設計図からできています。蛋白質ですので、その2万個の遺伝子の一部が読み手として働くわけですが、ES細胞で働いている読み手を探そう。 これは2万個以上、遺伝子があるわけですから、そこからどれがES細胞で働いているかを調べるのは大変な作業なんですが、しかし、幸いなことに、2000年ごろに理化学研究所、横浜にありますが、そこにゲノム研究をされている林崎先生という先生がおられます。その林崎先生がマウスを使ってES細胞であるとか、皮膚細胞であるとか、心臓の細胞であるとか、全身のいろんな細胞や組織でどの遺伝子、どのページが読まれているか、そしてどの読み手が働いているか、それを網羅的に調べるという気の遠くなるような研究をたくさんの研究者を使ってされていました。 ちょうどその成果が2000年ごろに出てきていまして、私たちはそれを利用させていただける、そういう状況にありましたので、林崎先生のデータを使うことによって、「もうこれは何年もかかるなあ」と思ったんですが、非常に効率良くその研究を進めることができました。 その結果、3、4年研究した結果、たくさんある候補のなかから、(スライドを指して)ここにいま9個だけ書いていますが、全部合わせると24個のES細胞における読み手がわかってきました。最初は24個探すのに10年ぐらいかかるんじゃないかと思ったんですが、林崎先生のそのお仕事のおかげで2、3年ぐっと短縮されたわけですね。 じゃ、ということで次に行ったのは、この皮膚の細胞にいまの読み手24個まで絞ったものを一つずつ入れてどうなるか、皮膚細胞からES細胞みたいな細胞に変わるかという研究を行いましたが、これは残念ながらどの1個を入れても何も起こらない。皮膚細胞は皮膚細胞のままであるということがわかりました。 非常にがっかりしました。一人で研究やっていたらもうそこで絶対やめたんですが、幸い研究室に「粋のいい」と言ったら失礼ですが、若い学生さんとか研究者、技術員の人がそろっていまして、彼らがへこたれないんですね。少々難しいことでもどんどんやってくれますから、この「どの1個を入れてもだめ」というのは結構ショックだったんですが、それにはめげずにどんどん研究を進めていきました。 結局、彼らのものすごい努力でわかったのは、1個じゃだめだったんですが、4個組み合わせて同時に皮膚細胞に入れます。「入れる」って、どうやって入れるかということですが、遺伝子治療で使うレトロウイルスという方法があります。その遺伝子治療の分野で開発されたレトロウイルスという方法でこの四つの読み手を皮膚細胞に無理やり入れる、そういうことを行いましたところ、皮膚だった細胞からES細胞と見た目や能力で区別がつかないようなES類似細胞ができるということがわかりまして、この細胞のことを「人工多能性幹細胞=iPS細胞(induced pluripotent stem cells)」と名付けたわけです。 ですからこの研究ができるまでというのは林崎先生のお仕事であるとか、レトロウイルスは日本の東大の北村俊雄先生の開発された素晴らしいシステムですので、本当に今までの日本人の研究の成果を最大限に利用させていただいて初めてできた研究であります。それとうちの研究室の若い人たちの頭の下がる努力がありました。 このES細胞とiPS細胞、見た目はまず区別つきません。(スライドを指して)ちょっとこっちは明るすぎて見えないかもしれませんが、右側はiPS細胞です。これ、実は一つではありません。大体1000個くらいの細胞が集まって初めてこれくらいになります。ES細胞もiPS細胞もそうなんです。能力はものすごいんですが、体はちっちゃいんですね。細胞のなかでもちっちゃいほうの細胞で、1個だけではあまり見えません。100個、1000個と集まって初めて姿を現しますが、まず見た目はESとiPS細胞は区別がつきません。 見た目が似ていても「見かけ倒し」という言葉がありますが、能力がなかったら話になりません。iPS細胞は本当にES細胞と同じようにいろんな細胞になれるかということを確かめました。ES細胞は体外で、培養のシャーレの中で心臓の細胞であるとか、神経の細胞であるとか、いろいろな細胞に分化することができます。そこでまずiPS細胞から神経の細胞ができるかということを調べました。 そうしますと、これ、色とりどりで何のこっちゃわからないと思いますが、「神経になると、赤く染まる」という検査です。決してES細胞もiPS細胞も赤く染まりません。しかし、そこから神経細胞ができると、赤く染まるわけですが、見ていただいたらわかるように、この赤い細胞がいっぱいできています。目のいい方は赤い細胞がこうぴゅーっと突起を伸ばしているのがわかっていただけるかもしれません。神経というのは突起をこう伸ばしてお互いネットワークを作りますが、まさにそういう細胞ができると。それから緑ですね。これは神経ですが、神経のなかでも特にドーパミンという物質を作る神経細胞が緑に染まるというような実験です。 ということで、普通の神経もいっぱいできるし、ドーパミンをつくる神経もできる。このドーパミンをつくる神経というのは、パーキンソン病の治療に将来的に使えるのではないかと期待されている神経です。そういう神経細胞がES細胞からと同じようにヒトのiPS細胞からできると。このiPS細胞は白人の36歳の女性のほおの皮膚から取った細胞から作ったiPS細胞ですけれども、もともとほおの細胞だった細胞から神経細胞ができる。 心臓の細胞はどうかとやりましたら、このようにちゃんとドックドックと拍動する心臓の細胞、やはりほおの細胞だった細胞から心臓の細胞ができるということもわかりました。この収縮、拍動している細胞を見たときに、私たちが「確かに万能細胞ができたんだ」というふうに一番実感した瞬間です。先ほど「一生懸命若い人が頑張ってくれた」と言いましたが、高橋というのが一番中心になって頑張ってくれているわけです。 それから万能性を調べるもう一個の方法は「奇形腫」というものを作らせるという方法があります。これはヌードマウスというちょっと可哀想なマウスで、遺伝子操作をすることによって免疫拒絶反応が起こらなくなっているマウスです。そのマウスにES細胞を少し移植いたしますと、最初は何もないんですが、3週間から1、2カ月しますと、ぼこっとそこで細胞が増えて腫瘍(しゅよう)を作るんですね。 この腫瘍は「奇形腫」と呼ばれます。なぜかというと、もともとES細胞だったはずなのに腫瘍になって、腫瘍の中を切ってみると、筋肉であるとか神経であるとか軟骨であるとかいろんなものがぐちゃぐちゃに混じっていて気持ち悪いんですね。ということで奇形腫と。気持ち悪いんですが、これはES細胞がいろんな細胞に変われるという大切な証明であります。 これと同じことをiPS細胞で行いますと、やはり腫瘍はぽこっとできまして、その中身を見ますと、(スライドを指して)このように、これは腸管ですね、腸を輪切りにしたような組織でありますし、これは筋肉、骨格筋です。これは皮膚の細胞。これは軟骨。これは脂肪組織ですね。そして神経組織というふうにES細胞の場合と同じように、iPS細胞からもさまざまな組織や細胞ができるということが証明されました。 以上の実験から皮膚の細胞から四つの因子。実は四つの因子のなかで「ミック(Myc)」というちょっと危ない因子が一つ入っていたんですが、今はそのミックを取り除いた残りの三つの因子で大丈夫だということがわかっています。皮膚の細胞に三つの転写因子、読み手を入れることによって、ES細胞と同じようなiPS細胞ができるということがわかりました。 これまでのところは、いろんな規制上の問題から日本人の方からの皮膚細胞というのは実験で使うことができなくて、アメリカから輸入した皮膚の細胞を使って実験をしていたわけですが、いまは日本人のボランティアの方、患者さんからこのiPS細胞を作るという研究を計画してどんどんやっているところであります。 これは時間の問題で、(日本人の方からの)iPS細胞ができると思いますが、iPS細胞ができたら、そこから先ほどお見せしたように、神経の細胞や心臓の細胞はもうすぐにでもできます。それからこれはいまはまだ研究の途中ですが、将来的には肝臓の細胞であるとか、すい臓の細胞ですね、すい島の細胞もできるはずです。 ((4)へ続く) PR情報この記事の関連情報サイエンス
|
ここから広告です 広告終わり どらく
鮮明フル画面
一覧企画特集
特集
朝日新聞社から |