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ES細胞の可能性と課題 山中教授講演全文(2)

2008年03月24日16時18分

 この再生医学の切り札の一つとして期待されているのが「ES細胞」、難しい言葉で「胚(はい)性幹細胞」と言いますが、ES細胞という万能細胞が切り札の一つとして期待されています。このES細胞は受精卵なんですね。精子と卵子が受精して間もない胚(embryo) から、マウスの動物では30年ぐらい前に、ヒトでは10年前に科学者が受精卵から作りだした幹細胞、ステムセルがES細胞と呼ばれる万能細胞です。

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講演する山中伸弥さん

 では、ヒトの場合、この受精卵をどうやって手に入れるんだろうということですが、いま不妊治療というものが非常に盛んに行われています。昔、「試験管ベビー」ということで一例目は大変な騒ぎになったんですけれども、今それが本当にすごい数、日本でも行われています。

 その場合、体外受精をどうするかというと、女性から大体10個くらいの卵子を採取します。それを基本的にすべて体外で受精させます。10個受精卵ができ、全部女性に戻してしまうと、それこそ双子では済まないですね。だからそういうことはしません。1個か2個を顕微鏡で見ていちばん良さそうなものを、良さそうというのは元気そうなものを移植するわけです。ということで、治療するたびに5個、6個、7個という受精卵が余ってしまいます。

 それをどうするかというと、多くの場合はいったん凍結保存するんですね。もしその治療が失敗したり、成功してもまた2人目の子どもさんがほしいと、そのカップルが言われる場合は、凍結してあった人工授精卵をまた起こしてきて、もう一度使うということをしますが、それにしてもやはりほとんどは余ったままです。

 受精卵を保存するには非常に大きい液体窒素のタンクが必要で、液体窒素は高いんです。場所も非常に取りますから、毎年すごい数行われている人工授精によってできる、そうやって余ってしまう受精卵を永遠に保存するというのは不可能です。どうするかというと、残念ながらこれは定期的に廃棄するしかありません。

 現実問題として大量の人工授精卵がいったん凍結された後に廃棄されている。その廃棄される運命の余剰胚と、あまりいい言葉ではありませんが、この余ってしまう受精卵からES細胞をつくるということが日本でも行われていますし、世界でもいろんな国で行われています。日本でも私たちの京都大学の中辻憲夫先生がこれまでに3株のヒトのES細胞の樹立に成功されています。すべてこの余剰胚から作っています。

 ES細胞がなぜ万能細胞と言われるかというと、二つの特性があるからです。一つ目は、私たちの体は200種類以上の細胞からできていますが、ES細胞はその200種類以上の細胞すべてになる力を持っています。それが一つ目の特性です。

 二つ目は、そういったいろんな細胞になる力を秘めたまま、ほぼ無限に増やすことができます。あたかも腫瘍(しゅよう)細胞、がんの細胞と同じようにどんどこどんどこ増えるんですが、がんの細胞と違うのは、そこから心臓とか神経などのいろんな細胞を作りだすのがこのES細胞のすごいところです。

 この二つの特性からES細胞を利用すると、少なくとも理論的には神経であるとか心臓の細胞であるとか、先ほどのすい島の細胞であるとか、そういった移植に必要な細胞を必要なときに必要な量だけ作りだすことができる。そういうことからES細胞は再生医学の切り札の一つとして期待されているわけです。

 例えばこのES細胞をまず必要なだけ増やしておきます。そしてそこからすい島の細胞を分化させる、作りだすという研究がいま世界中の多くの研究者によって行われています。これが完成しますと、このES細胞に由来するすい島細胞を患者さんにすい島移植の方法で移植する、こういうことができると期待されています。理論的には一つの受精卵に由来するES細胞がありましたら、日本中の300万人の患者さんすべてに移植するためのすい島細胞ができると、それぐらいの力があるのがES細胞です。

 ちょっと糖尿病の話が長くなってしまいましたが、2番目、いま治せない病気・ケガという点で、元整形外科医といたしましては特になんとかしたいのが脊髄(せきずい)損傷です。

 皆さまこの方をご存じかどうかわかりませんが、先代のスーパーマンですね。クリストファー・リーブさん。いまは違う人がスーパーマンをしています。彼は非常に乗馬が得意な方で、私生活でも本当にスーパーマンのようにカッコよく暮らしておられました。しかし、45歳くらいのときに乗馬中の事故で首の骨を脱臼骨折してしまって頸椎損傷ですね。首から下が麻痺(まひ)するという状態になってしまって、車いすと呼吸も十分にできないので、喉(のど)に管を入れて補助呼吸をするという状態になってしまいました。

 45歳くらいのときにこうなりましたが、彼はやはり意志、精神力もスーパーマンと同じように非常に強くて、こうなられてからも治療、それからリハビリにものすごく取り組まれました。

 彼の目標は、50歳の誕生日のときには、自分自身でワイングラスを持ち上げて、お世話になった家族や医療関係者に「ありがとう」と言うんだというのを目標に、必死になって治療に取り組まれました。どれくらい回復したかというと、5年後に指先が1センチか2センチ動いたと。それもすごいことなんです。全く動かなかったのが2センチ動いただけでもすごいんですが、決してワイングラスを持ち上げるくらいには回復しませんでした。残念ながら数年前に感染症が原因で亡くなってしまいました。

 彼は自分の治療だけではありません。ハリウッドで作った財産をもとに「クリストファー・リーブ財団」というのを作られて、脊髄損傷に対する基礎研究に多大な貢献をされています。いまもその財団は活動しています。

 彼がいちばん期待していたのがやはりES細胞です。ES細胞を使いますと、ES細胞を増やした後に神経のもとになる細胞へ分化させて、それを脊髄損傷の場所に移植することによって機能回復が望めるんじゃないかというふうに期待されています。人間ではまだこの治療を実現していませんが、動物実験のモデルでは効果が認められています。

 (スライドを指して)これはアメリカのジョーンズ・ホプキンス大学での実験です。ちょっと可哀想なんですが、胸の胸髄部分で脊髄損傷のモデルを作ったラットです。前脚はちゃんと動いていますが、後ろ脚をぜんぜん動かすことができません。だらーっと力が入らずに伸びてしまっています。

 このラットに対して、ヒトのES細胞から分化させた神経のもとになる細胞を移植するという実験が行われました。これがその移植後のラットでありますが、だらーんと伸びていた後ろ脚、下半身が一目見て、力が入って丸くなっているのがわかっていただけると思います。

 よく見ますと、後ろ脚も一生懸命動かしています。完全に元通りというわけにはいきませんが、もしこれぐらい人間が回復したら、ワイングラスを持ち上げるぐらいには絶対行けるわけですから、患者さんにとっては全く違う暮らしになるわけです。

 最後が白血病であります。私は昔、柔道をやっていたせいもあって、いまだに格闘技が実は大好きでK―1なんかもよく見ているわけですが、このアンディ・フグという非常に強い選手が昔、いました。非常に私、大好きな選手でしたが、しかし、あるとき、風邪を引いたのかと思って病院に行ったら白血病であると診断されて、そこから1週間で亡くなってしまいました。

 ただ、彼はもしこの1週間の間に骨髄移植のドナーが現れていたら、今も生きておられた可能性が高いんですね。K―1ができていたかどうかわからないですけれども、きっと元気にまだおられた可能性が高い。ですから白血病というのは骨髄移植をすると治る病気になってきています。俳優の渡辺謙さんも白血病だったと思いますが、骨髄移植によって国際的なスターとしてまた活躍するほど回復されているわけです。

 しかしやはりドナーがなかなか現れない。いま日本で骨髄移植を待っておられる患者さんの半分くらいはドナーが現れる前に亡くなっているというのが現状だと思います。しかし、これもES細胞を増やした後で骨髄の細胞へ分化させる研究が進んでおりまして、それが完成しましたら従来のドナー不足という問題の解決に大きく役立つと期待されています。

 以上三つだけ病気のことを紹介いたしましたが、それ以外にも多くの細胞をヒトのES細胞から作りまして、もっと他の病気も対象になるのではないかと考えられていますが、多くの病気やケガの治療に使えるのではないかと期待されているのがES細胞です。

 しかし、先ほど言いましたように、ヒトのES細胞ができたのは1998年です。10年前です。しかし、残念ながら10年もたったのに、いまだに実際の患者さんの治療には一例も使われていません。なぜかといいますと、ES細胞には、可能性も大きいんですが、問題点も存在しているからです。

 どんな問題点かといいますと、それは一つ目は自分の細胞ではないという問題点です。患者さんご自身の細胞から作る幹細胞ではなくて、受精卵から作る幹細胞ですから、受精卵は患者さんの細胞とは違います。ということでその患者さんに移植すると、拒絶反応が起こってしまいます。A型の血液型の方にB型の血液を移植するのと同じような感じで拒絶反応が起こってしまう。これが一つ目の問題点です。

 これに対しては一つの解決策があります。それは核移植という技術とこのES細胞の技術を組み合わせるという方法です。核移植はときどき話題になります体細胞クローンですね。クローン牛とかクローン豚とかいろいろ話が出ますが、その体細胞クローンのときに使われる技術が核移植です。それとES細胞を組み合わせる。

 具体的には、患者さんから皮膚の細胞等の体の細胞を少し取ってきます。その細胞から核だけを取り出すということが顕微鏡を使うとできます。そして別の女性のボランティアの方から受精していない卵子、未受精卵をもらいます。やはり顕微鏡を使ってこの未受精卵から核を抜き取ります。その代わりにこの患者さんの皮膚細胞なりの核を移植するというのが核移植です。

 こういうことをしても精子と受精していませんから普通は発生は始まらないんですけれども、これは生物の不思議なところで、ここに電気刺激とか薬剤による刺激をかけますと、受精したのと勘違いして発生が始まるということが知られています。

 こうやってできた胚のことを「クローン胚」と言います。もし人間でクローン胚を作って、そのクローン胚を子どもさんがほしい女性の子宮に移植したといたしますと、これはこの患者さんのクローン人間を作るという試みになってしまいます。これをやりますと、日本では逮捕されます、刑務所行きです。したがってこれはだめです。

 この代わりに、このクローン胚からES細胞を作ろうというアイデアがあります。このES細胞を作る研究は日本でもゴーサインが出ました。まだ誰も日本で研究を行っていませんが、これは逮捕されません。こういう研究をやってもいいということになっています。

 なぜかというと、こうやってできたES細胞はこの患者さんの核を持っているんですね。細胞の設計図と言いますが、細胞の情報というのは遺伝情報は全部核に入っていますから、核が一緒であれば同じ由来の細胞と考えられますので、このES細胞をこの患者さんに使うかぎりは拒絶反応が起こらないと期待されています。実際、マウスを使ったモデルでは拒絶反応が起こらないということがもうだいぶ前、数年前に証明されました。

 しかし、今までのいろんな経験から、マウスとか豚とか牛ではこのクローンの技術というのは比較的成功するんですけれども、霊長類、サルでは非常に難しい。なんでかよくわからないんですが、クローン胚が死んでしまうということがわかっています。だからマウスでは成功したけれども、霊長類、サルとか、いわんやヒトでこういうことができるのは本当にまだまだ先の話だろうと考えていました。こういうことができたら拒絶反応は克服できる可能性はあるんですが、ヒトでやるにはむずかしいだろうと思っていました。

 ところが、ちょうどもう3年近く前になりましたが、韓国の黄禹錫先生たちが「いまの技術で実際の1型糖尿病及び脊髄損傷の患者さんの皮膚細胞からクローンのES細胞を作ることに成功した。非常に高い成功率で作った」という論文が『サイエンス』に発表されまして、私たちも非常に驚きました。

 この黄先生は豚とか牛といった動物を使った体細胞クローンの非常に高い技術をお持ちというのはよく知っておりましたので、「あの黄先生だったらさすが」というふうに思ったんですが、しかしこれはその後、非常に残念だったんですが、捏造(ねつぞう)であったということがわかりました。

 普通、捏造事件というのは、実験をやっていないのにやったように見せかけるというのが多いんですが、この事件に関しては状況が違いました。黄先生のグループはものすごい実験を行っています。韓国の大きな産婦人科の病院と組むことによって、2000個以上の人間の卵子を使って、先ほどのクローンESをつくるということに挑戦されたわけです。世界でおそらくトップクラスの核移植の技術を持った研究者が2000個以上のヒトの卵子を使ったのだけれども、結局は1個もできなかったというのが真実です。

 だから実験はされたけれど、成功しなかったということで、この事件で後に残ったのは、「やはりこの技術をヒトに応用するのはまだまだ非常にむずかしいんだ」ということがわかってしまいましたので、この移植後の拒絶反応というのは依然、大きな問題として残っています。

 もう一つのES細胞の持つ問題点として「たとえ医学のため、患者さんを救うためとはいえ、受精卵を利用していいのか」、そういう根本的な倫理的な問題があります。賛否両論分かれるところでありますが、私自身は元医者というか、いまもいちおう医者ですが、苦しんでおられる患者さんを救うために、このヒトのES細胞が唯一の方法であるとすれば、私はぜひ使うべきであると考えています。私自身の考えとしては患者さんを救うのが第一優先であります。

 しかし、みんながそう思うわけではありません。世界で反対する人のほうがおそらく多いというのが現実でありまして、アメリカの大統領がものすごい反対されています。大統領というのは議会が通した法案に拒否権を発動するという権利があるんですが、ブッシュ大統領は意外なことに就任してから拒否権を発動したことは一回もなかったんですね。ところが、去年、アメリカの議会が「ヒトのES細胞を作る研究にアメリカの国のお金を使う」という法案を通したところ、そのときに初めて拒否権を発動されました。それくらい反対されています。

 それから例えばローマ法王なんかも完全に反対の立場を取っておられます。

 ということで、ES細胞は多くの患者さんを救える可能性のある細胞なんですけれども、残念ながらいま言いましたように、拒絶反応であるとかヒト胚の利用といった問題点も多い。

 ((3)に続く)

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