事は想定通りに進んでいる
2008年3月21日 The Commons
日銀総裁が空席になるという「異常事態」に新聞各紙が大騒ぎをしている。この国が潰れてしまうと言わんばかりの騒ぎようだ。しかし私には何でそんなに大騒ぎしているのかが理解できない。「日銀総裁は政局の捨て駒か」で書いたように、政府は日銀総裁人事を政局に絡めており、暫定税率廃止を巡る修正協議の舞台装置として日銀総裁を空席にする必要があると言ってきた立場からすれば「事は想定通り」に進んでいるのである。新聞の論調を見ているとこの国のメディアは日本の二院制を十分理解していないか、或いは知ってはいてもそれを認めたくないのか、そのいずれかに見える。
何度も説明しているが、去年の7月29日以来与党の権力は実は半分も無いというのが実情である。その権力構造の冷徹な現実をメディアは直視していない。
日本特有の二院制の下では野党が賛成しない法案は基本的に1本も通らない。例外は衆議院で三分の二の賛成で再議決する場合だけである。しかも何もせずに再議決ができる訳ではない。権謀術数を尽くさなければ再議決をすることも難しい。
去年の夏以来再議決によって成立したのは新テロ法案の1本だけである。それ以外は野党が賛成の法案だけが成立してきた。その唯一の例外を再議決に持ち込むために、与党は海上自衛隊をいったん引き上げさせるという術策を用いた。国際社会の非難をテコにしなければ再議決に持ち込むことも難しいと判断したからである。そのため与党は参議院選挙後直ちに国会を開いてテロ特措法案の延長を図ることをせずに、わざわざ臨時国会開会を遅らせて海上自衛隊が引き上げざるを得ない状況を作り出した。そして引き上げを民主党のせいにする世論操作を行った上でやっと再議決に持ち込む事が出来た。その過程では引き上げに反対だった若き総理が政権を放り出すという思わぬ展開もあった。今の与党にとって法案成立のためにはそれ位の犠牲は覚悟しなければならないのである。
今国会で再議決が必要になるのは何といっても予算関連法案である。予算案だけは衆議院の優位性が認められていて参議院が否決しても自然成立を図る事が出来る。しかし予算関連法案が否決されると予算は欠陥予算となり執行出来ない。予算は成立しても成立しないのと同じになる。だからどうしても予算関連法案は再議決しなければならないのである。ところが野党が参議院で否決をせずに年度末を迎えるとガソリンの暫定税率は期限切れになり、軽油やガソリンが値下がりする。同時に国の予算も地方自治体の予算も全てが欠陥予算となって組み換えを余儀なくされる。野党が否決をすれば再議決もできるが、否決をしないままにされると、衆議院で可決されてから60日が経たないと再議決できない。予算関連法案が衆議院を通過したのは2月29日だから4月末にならないといったん期限が切れた暫定税率を元に戻す事は出来ない。暫定税率が期限切れになると、ガソリンは4月4日頃から値下がりし月末に再び元に戻ることになる。買いだめのために大混乱が起こる。
その大混乱に比べれば2週間ばかり日銀総裁が空席になる事はそれほど実害があるわけではない。このようにして4月の大混乱を避けるために日銀総裁を空席にするという術策が考えられた。
福田政権は今国会の初めから道路問題では野党と修正協議をするしかないと判断していた。そうでなければ「3月決戦」を叫ぶ野党の思惑にはまり解散・総選挙は必至となる。しかし修正といっても暫定税率廃止を主張する野党が簡単に応ずるはずがない。野党を譲歩させるためにはそれなりの環境を作り出さなければならない。新テロ法案のひそみに倣うなら日銀総裁を空席にして国際社会からも非難の声を上げさせることである。そこで日銀総裁人事が政局に絡むことになった。
参議院で野党が過半数を握る冷徹な現実は、国会の同意人事では野党の考えを受け入れるしかない。それがおかしいと騒いでも始まらない。日本の法令はそうなっている。「ねじれ」に弊害があると思うなら憲法を変えるしかない。野党の要求を受け入れるしかないことを承知の上で福田総理は日銀総裁に財務省OBの武藤敏郎氏を起用する人事案を示した。政府の目的は日銀総裁を空席にして民主党に対する批判の声を上げさせることにある。だから民主党が受け入れる人物では困る。武藤総裁案を「ベストの人選」と言い、人事案を拒否する民主党を「政略による反対」と断定しながらメディアを操作して民主党批判を盛り上げる。それが目的である。そう思って見ていると新聞各紙は見事なまでに政府の世論操作に乗って踊ってみせた。全ての社説が武藤氏に賛成しない民主党を批判した。
民主党は空席の責任を押し付けられるのを避けるため早々に参議院本会議を開いて武藤総裁案を不同意にし、次の総裁候補を選ぶ時間的余裕を政府に与えた。すると政府は福井総裁の任期が切れるぎりぎりの時点で再び民主党が絶対に受け入れない旧大蔵省OBの田波耕治氏を起用する案を示し、再び民主党に不同意にさせた。あくまでも空席にするための人事案だから田波氏も武藤氏と同様に初めから「捨て駒」である。これを見て「福田総理の判断力がおかしい」とか、「それほど財務省に弱いのか」などの批判があるが、私は全く逆の見方である。これで財務省や武藤氏への義理立ては済ませた事になる。本当に日銀総裁になる人物は民主党との修正協議の中で、暫定税率を維持する見返りに民主党が望む人物になると私は見ている。
道路を巡る民主党の要求は三点ある。道路特定財源の一般財源化、道路中期計画の見直し、そしてガソリン税の暫定税率の廃止である。一般財源化や道路中期計画の見直しは政府与党も妥協できる。問題は暫定税率の廃止である。先ほど述べたように今年からとなると「4月パニック」が起こる。しかし国民は暫定税率の廃止を望んでいる、経済の先行きが不安視される中で、減税は国民に喜ばれる。民主党も暫定税率の廃止には最後までがんばるだろう。そうなると日銀総裁の人事で譲歩するだけでは足りないかもしれない。イージス艦の衝突問題で石破防衛大臣に責任を取らせることもあるかも知れない。その上で福田総理は今年の暫定税率廃止だけは何としても避けようとするのではないか。私には暫定税率を今年だけは維持する見返りに、日銀総裁と防衛大臣が取引される可能性があるように見える。
その最終舞台は福田総理と小沢代表との党首会談になるだろう。そこで小沢代表が来年からの暫定税率廃止に妥協した場合、民主党内からどのような反響が現れるかが次の見所となる。仮に今年からの暫定税率廃止の強硬意見を小沢代表が押さえられなくなると、前に述べたような「4月パニック」が起きて日本社会は大混乱、福田政権は責任を問われて総辞職の可能性が出てくる。その一歩手前で収める事が出来るかどうか、あと10日ほどでその最終舞台が巡ってくる。
(田中良紹)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。