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2008.03.20

チベット暴動で気になること

 今回のチベット暴動で中国が責められるのはあらためて言うまでもないところだろうし、その部分は多く語られてもいると思う。以下は、中国側に立って中国を擁護したい意図ではない。また意図的に陰謀論的な話の展開をしたい趣味もない。だが、事態が十分に報道されていないこともあり、気になっているといえば気になっていることがあるので、基本的には備忘として手短に書いておきたい。
 まず今回の暴動のタイミングについてだが、この3月10日はチベット民族蜂起49周年にあたる。インターネットを検索すれば誰でもわかることだが、この記念日には毎年世界各地で平和行進が行われ、ダライ・ラマによる声明が発表される。チベット現地におけるその活動は不明だが、この日が重要な意味を持つことは当然予想されるし、暴発があっても不測の事態とは言えない。1989年のラサ暴動の記憶も当局側で消えるはずもないので、中国当局はなんらかの暴動は予想していたはずだ。今年は五十周年記念の前年で節目にならないとはいえ、オリンピックに対する国際的な注目度を考慮に入れれば十分配慮されてしかるべきだった。なのになぜ目立った暴動が起きたのか、そのほうが不思議なほどだ。
 今回の暴動のタイミングとしてむしろ重要なのは、中国の国会に一応相当するとされれている全国人民代表大会こと全人代が5日から開催されていたことだ。中国をワッチしてきた人なら中国政治における指桑罵槐的な活動がまず前提事項として疑われるものだし、中国の対外的な騒ぎではまず中国国内の権力闘争につながる臭いを嗅ぐものだ。その点で、16日の日経新聞社説”天安門事件を連想させるチベット情勢”(参照)の次の指摘はごく自然なものだった。


 北京では5日から全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれている。今年の全人代は胡錦濤国家主席(共産党総書記)の後継者候補である習近平氏を国家副主席に起用する節目の大会で、胡政権の揺さぶりをねらった可能性も大きい。

 さらに日経社説では胡錦濤の経歴とチベットの関係をごく自然に指摘している。

 実は89年の「動乱」では、当時チベット自治区のトップだった胡錦濤氏が自ら制圧を指揮した経緯がある。再び流血を防げなかったのは、胡政権にとって打撃だ。

 やや陰謀論めくので、以下の考察に関心を持つ人は疑念の留保を維持してほしい。私は自分の意見に誘導したい意図はない。
 まず、今回の暴動の指桑罵槐的な政治上の意味は胡錦濤バッシングであるとは言えるだろう。ただ、それが全人代でかつ習近平を国家副主席に起用するところで発生したのはなぜか? 単純に考えれば、二つのプロットがある。一つは胡錦濤と一緒に習近平を追い落とすことだ。もう一つは、胡錦濤を追い落として習近平を持ち上げることだ。
 この背景の図式には「極東ブログ: 中国共産党大会人事の不安」(参照)でも触れたが、一つの重要なファクターとして李克強の存在があるにはある。が、図式的に、北京=胡耀邦系=胡錦濤=李克強のラインに対する、上海閥(バブルで死にそうだ)=江沢民=習近平、と分かれるほどには単純ではないだろう。習近平は太子党ではあるがこの一年の経緯を見ていると江沢民的なわかりやすい上海閥とは言い難い。
 さらにもう一つのファクターというかプレーヤーに米国がある(もう一つのプレーヤーは人民解放軍という私兵による軍部)。この点では、「極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退」(参照)で触れたように、米国側から見て中国の主要な権力者の不在が大きな問題になっている。しいていえば、米国は習近平なら習近平でよしとしたいのだろう。余談めくが同じ問題は米国側でも言えて、こちらも現状権力者が不在になっている。日銀総裁不在といったほのぼのとした話ではない。さらに米国経済の先行きが注視されているが、このランドスライドを引き起こすのは中国における権力の不在となる可能性もある。
 胡錦濤後の中国は、現状では、習近平対李克強の図式にも見えるが、そこにはそれほどの対立はなく、そこに対立を見たい権力・経済力の背景のほうが大きいかもしれない。であるとして、この二者を台風の目と見るのはある程度妥当だろう。今回の全人代で、習近平は事実上胡錦濤継承の位置についたかに見えるが、話はそう単純ではない。朝日新聞”習近平氏、軍事委副主席に選ばれず 中国全人代”(参照)でわかるように軍部の掌握はできなかった。

北京で開かれている中国の第11期全国人民代表大会(全人代)は16日、温家宝(ウェン・チアパオ)首相(65)を再選した。賛成2926票、反対21票、棄権12だった。また、国家中央軍事委員会の副主席に郭伯雄(65)、徐才厚(64)両氏を再び選んだが、習近平(シー・チンピン)・国家副主席(54)は選ばれなかった。


将来に備えて今回の全人代で軍事委副主席にも選ばれるのではという観測が流れていたが、「時期尚早」との意見が大勢を占めたようだ。

 軍部としては、習近平に留保している。もともと、上海閥=江沢民派も軍部の掌握ができず日本バッシングによるナショナリズム高揚や、B級映画「フランケンシュタイ何故か人民服を着るの巻」までして権力維持に努めた。同じ道化を習近平に求めたいのかもしれない。類似のことは胡錦濤側にも言えて、ひな壇には乗せられたものの長い間形式的なものに見られていた。
 おそらく人民解放軍という私兵軍団の権力意志は、全人代人事やチベット暴動に大きな影響を落としていると見ていいだろう。
 以上は、中枢権力側の意味というかマクロ的なビューだが、ミクロ的なビューでも気になることがあった。
 冒頭で触れたように、今回の暴動は、どれほどの規模なのかについて異論はあるにせよ、小規模な暴動くらいは政府・軍部側に織り込みずだったはずだ。ではなぜ天安門事件再来のように軍部による多数の人民虐殺の事態という規模にまで発展したのか。
 このエントリを起こそうと思ったきっかけでもあるのだが、ニューズウィーク日本版3・26に掲載された同誌北京支局長メリンダ・リウによる”チベット弾圧は五輪失敗の始まり 89年のラサ暴動のときよりも国際社会の監視の目は厳しさを増している”では、奇妙な指摘をしている。

 59年3月10日のチベット民族蜂起を記念した抗議デモがきっかけで暴動が起きたとき点も89年と同じだ。不気味なことに、治安当局が3月14日のある時点で戒厳を緩めてデモ参加者をあおったとみられるところも似ている。

 リウの指摘はミスリードかもしれない点に警戒が必要だが、先に触れたように想定できた枠組みでこれほどまでの暴動に発展したのは、リウの指摘が正しいように思われる。つまり、治安側でなんらかの誘導ないし扇動があったのではないか。
 リウの記事はこう続く。

 米議会の資金で運営されるラジオ曲「自由アジア放送」によると、ラモチェ寺の僧侶が暴動に加わり、群衆は中国とかかわりのある建物を破壊・放火した。チベット人が経営する人気レストラン「タシ・デレク」も親中的とみなされ、標的に。治安部隊は催眠ガスと実弾で反撃し、銃声がラサに鳴り響いた。

 今回の暴動では、かなり妥当に見て中国軍部が民衆を虐殺したので国際的に中国を擁護することはまるでできないのだが、当初の見かけの惨状の光景としては、チベット人による漢民族への暴力行使の図となっている。その意味だけで(もしかして誰か扇動分子がいたのではないかということを抜きで)見れば、チベット人が暴動の引き金を引いたように見えるし、当初はそのような絵が想定されたはずだ。この絵がうまく描けたのなら、NHK時論公論「チベット暴動の衝撃」(参照)で一つの推測として描かれる暢気な説明に釣られることもあったかもしれない。

今回の暴動で襲撃を受けた対象が、ホテルや商店など、特に商業活動を行うところが目立っている点を見ても、その暴動の背景に、長年にわたる政治思想面の対立だけではなく、市場経済がもたらした新たな経済格差という問題も、根深く存在したのではないかと考えられます。

 その要因は皆無ではないだろうし、ダライ・ラマとその支持者の世代交代間に横たわる憤懣の分離という要因もあるだろう。だが、このチベット人を加害とする図は、あまりに中国側に美味しすぎるし、実際中国内の報道では民族独立を許さないナショナリズムの高揚として、反抗分子の暴虐の映像として流れるようだ。事実上の扇動側(現状仮定だが)の目的はそのあたりにもあったのかもしれない。
 いずれにせよ中国側は国際的反応の想定について甘かった結果になった。もっとも陳腐な言い方になるが、中国人は自分より強いと見なす外国人以外は眼中になく現状では米国人だけがその対象になっている。小日本(シャオリーベン:ちなみこれは侮蔑の言葉)など眼中にはないことになっている(もっとも権力層はそうは思っていないが)。世界をこのところ甘く見ていたことではあるだろうし、「極東ブログ: 北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの」(参照)でふれたようにその理由もある。
 仮説として構図を抜き出すと、胡錦濤追い落としとナショナリズム高揚にチベット人を暴動に軍側が誘発してみたということになる。もちろん、かなり陰謀論的な図柄でありこれが正しいと主張したいわけではない。
 ただその上に立つと、今回の暴動の本質、つまり惨状の深化の仕組みも解けるかもしれない。
 先の陰謀論的な図柄はいくら陰謀論とはいえ、それほどの惨状はプロットに組み込まれていかったのでないだろうか。私はここで晩年天安門事件を生涯の汚点として泣いた鄧小平という神話を少し信じていることを思い出す。天安門事件の悲劇は、ある意味では暴発だったのではないか。同様に、今回の暴動の惨状への深化については、偶発的だったようにも思われる。
 窮地に立たされた胡錦濤の立場に立ってみたい。どうするか。
 中国人政治家は仮に謀略だわかったとしてもその謀略の内部にはまってしまったときは、そこで弱み(ヴァルネラビリティ)を出すことができず、あたかも謀略を吹っ切ったかのようにその延長にさらに強行な手に出て、優越を誇示しなくてならなくなる。
 胡錦濤としては弾圧に合意する以外の道はなく、それは今回の事態を悪化させる偶発性を越えた部分としての影響力を持っていただろう。
 以上でエントリを終えるつもりだったが、率直に自分の考えも書いておこうと思う。この陰謀論的な話にはそれほどは依拠しないことでもあるし。
 チベット弾圧は許されないし、今回の事態では国際機関の調査を求めたいと思う。だが、胡錦濤政権を過度に追い込めれば、軍部や上海閥の台頭を許すだけの結果になる。率直にいって彼らには複雑化しグローバル化する中国を統治する能力などないのだから、壮大な惨事を引き起こしかねない。日本国としては、穏便に北京政府を支援していくのは妥当だろうと思う。

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ラサはいつか必ず開放される。その際、外国メディアによる現地視察団を組むことを検討したい。 要するに「事実を隠蔽し終わった後に、共産党政府の許可の下で取材を認めるよ」ということなんでしょうか、これは。自分たちが悪いことをしているという自覚があるのかそれとも... [続きを読む]

受信: 2008.03.20 20:03

コメント

田中宇が米国を語るのに似てる。
「ネオコン」の代わりに軍部と上海閥か。

投稿 touhou_huhai | 2008.03.20 16:26

申し訳ないが、この件はfinalvent氏の見解をまったく支持できない
どこを突っ込んだらいいのか分からないぐらい、根底のところで認識ミスがあると思える
チベット人が親中的な建物を先に破壊したのではなく、継続的にチベット人に対する迫害が根底にあって、コキントウが自治総代だった時代よりも実ははるかに抑圧的な状態に置かれ続けていた
チベットについてはかなり学習したし、仕事でもチベットは触る(べったりではないが)中で言うと、finalvent氏でもこの程度の認識しかしてもらえてないのか、チベットは、と思った

投稿 | 2008.03.20 17:39

>田中宇が米国を語るのに似てる。

またエイプリルフールの予行演習でもしているのだろうか。
これが氏の本心だとは思えません。冷静に見守りましょう。

投稿 | 2008.03.20 18:05

チベット事件のまとめガイドラインwiki
http://www8.atwiki.jp/zali/
現在進行中で起きているチベットの事件
(一方からの見方ではチベット虐殺、
もう一方から見ればチベット暴動)の
ニュースソース、関連スレ、ガイドライン、
関連画像、リンク、ネタなど等を収集するwikiです
できるだけ中立の意見で記事をまとめてあります
関係ありそうなところに転載してください

投稿 zali | 2008.03.20 19:17

中国にいますけど、これは陰謀論でも何でもなく、中国の知識人層が一般的に想定しうるプロットだと思います。

逆に一般の中国人がどのくらいチベット問題を認識しているかというと、CCTVの映像(多分日本で流れたのと同じです)見ながら、ゲラゲラ笑って「おいおいラマの坊主が暴れてるぞw」くらいのものです。

投稿 弁当飯店 | 2008.03.20 23:50

今はインドを警戒しないでガンガンやれるからなあ。
オリンピックなんてしょせん半年期限で、ボイコットちらつかせたってなんのカードにもならんし。
国境周辺の木の一本でも独立認めたら中国はおしまい。中国自体が壊れないかぎり独立は現実的に無理だと思う。中国が壊れるリスクを日本も含めて世界が背負う覚悟があるかどうか。

投稿 | 2008.03.20 23:59

あれ?
コメント消えてるのかな
二番目にfinalvent氏のコメントがあった気がするが、

投稿 773 | 2008.03.21 01:44

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