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ムーブメントにふさわしい傑作として終わった。前回のラストが相当ヤバかったので大丈夫かいなと心配していたのですが大丈夫でした。本当によかった。
うん?「スケジュールがバックドラフトを起こしているのにひぐらしなんてやっている場合か!」だって?いやいや、ひぐらしをやったからバックドラフトを起こしたの。勘違いしないでもらいたい。
以下ネタバレ。
いやーまさか富竹と三四のラブロマンスとして話が終わるとは思ってもみなかったですよ。今まであの部活メンバーが惨劇したりされたりしていたのは何だったのでしょうか。まあそれは冗談みたいなツッコミだとしても、今日書きたいことに関連あります。
すんげえゲーム的リアリズムくさかったので「あずまん褒めるのだろうな」と思っていたらやっぱり褒めてた。分かりやすい人だと思います。
そこらへんの「偶然性」とか「一回性」とか「メタフィクション」とかごちゃごちゃした話は置いておく。ついでにひぐらしは右翼とか「疑似科学」*1といったアブナイネタをガジェットとして使うという事にも色々言えるけど、それもまた置いておく。
俺はこれを面白いと思ったのは、やっぱり「逆転」しているからでしょう。
先に結論を書くと、ひぐらしの主役はひぐらしの世界そのものなのである。同時に1〜7までのシナリオは、その世界に作られた「三つのルール」と戦い(そして敗れる)人々を描いたものであり、それは「運命の神」と戦う「人間」の話を描いたものであり、ラストも運命に打ち勝つ人間を描く話だと思っていたのだけど、実は逆だったというところが今回のミソ。
ルールYの支配者であり、ラスボスである鷹野三四が冒頭から主役として登場する。そして彼女こそが「運命の神に打ち勝った人間」として描かれるのである。本来ならば圭一たちこそが「運命の神に打ち勝つ人間」であり、彼女は「運命の神に愛された人間(神の子)」として描かれ、彼女を倒すことで運命に打ち勝つという風になるはずであるのに、それが全く違うものになっている*2。
その逆転の結果として羽入が台頭してくる。三四という人間に宣戦布告を行うが、この時点で話は「運命を打ち破った人間(三四)VS打ち破られた神(羽入)」の復讐戦となる。
そのような構図になって、明白になっていくのが部活メンバーたちが羽入の駒にすぎないというところである。活躍の仕方もそうだけど、一番印象的なのは梨花が前回の人生の記憶を失っているところ。それはすでに梨花がひぐらしという盤を俯瞰して駒を動かすプレイヤーではなく、動かされる駒になったということだろう。新しいプレイヤーはもちろん唯一記憶を継承し続けている羽入である。
そうやって考えていくと、「運命を打ち破る」というのは1〜7までのシナリオにおけるキャラクター(つまりゲームの駒たち)が独自に思っている主張であり、もっと俯瞰的に見れば、ひぐらしというゲーム盤において互いに山狗、部活メンバーやその仲間達を駒にして行う一対一の、神と人間によるゲームバトルだったというのがひぐらしの本質なのではないかという気がする。
そう考えると、羽入の参入で鷹野たちに勝利したというより、鷹野たちに勝利する目算が部活メンバーの成長と赤坂の奇跡的な参入が実現したことによって立ったからから羽入がゲーム上にやっと降り立ったというのが正解だろう。
何か俺の文章自体が破綻しつつあるし、時間もないのでそろそろ止めるけど、カンタンに言えば「鷹野が黒幕なら羽入も黒幕である」ということであり、「ひぐらしの主役はひぐらしの世界であり、そしてそのひぐらしの世界という盤の上で行われるゲームである。そして圭一たちに襲い掛かる悲劇や喜劇といった物語は実はゲームの副産物にすぎない」ということだろうか。いや逆に分かりにくいね。
(追記)分かりにくいですね。とにかく俺としてはこういう風に考えると、たとえば赤坂なんかが活躍するシーンが物語としての面白さ以外の面白さを感じてくる。物語のキャラクターは、言ってしまえば物語の駒にすぎないのだけど人間性を認めたり、感情移入することによってキャラクターとして成り立つ。しかしゲームなんかでは駒が駒にすぎないのにある種の人間性を認めたりすることがある。たとえば戦争系のシミュレーションゲームで駒にすぎない兵士が思わぬ動きをして大活躍してくれたりすると「お前ら、最高!」と褒め称えたくなる。物語でキャラクターが動く事で生じる面白さと、ゲームで駒が動く事で生じる面白さって違う気がする。そしてひぐらしから感じるのは後者だ。
――本当にアイディア段階なのでよく分からないでしょうし、デンパっぽいかもしれませんが、軽く流してくださいな。
文章書くのが疲れたらコピーライターになってください。
天下狙えますって。